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習近平の浙江省党委書記時代

2011-12-06 | 日記
茅沢勤 『習近平の正体』 ( p.112 )

 近平は02年10月、さまざまな思い出が詰まった福建省から、温暖で風光明媚、経済的にも発展が著しい浙江省に転出する。役職は福建省長から浙江省長代理だ。近平は省長経験者だけに「代理」は便宜的なもので、実質的な浙江省長だったとはいえ、浙江省に地縁や血縁はまったくない。親しい知人、友人などもほとんどいない。浙江省側から見れば、典型的な落下傘幹部であった。
 しかも、赴任1か月後には、省長代理から省トップの党委書記に昇格した。通常、省長から数年の経験を積んで書記に昇進するから、このスピード昇格の人事は異例中の異例である。

(中略)

 浙江省での重要な仕事は福建省時代同様、改革・開放の推進による経済発展だった。浙江はGDPが広東、山東、江蘇に次ぐ全国4位だったが、私営企業の育成が課題だった。98年の同省の貿易に占める私営企業の割合はわずか8%。01年には24%に達し、4000以上の私営企業が育っていたものの、中国全体から見れば少ないほうだった。
 近平にとって、これは過去の経験が最も活かせる格好の課題だった。それまでの行政経験から、私営企業の育成はお手のものだったのである。事実、近平が省トップになってから2年も経たない04年7月には、省の私営企業はすでに30万社に達し、中国全体の私営企業の売上高ベスト500社に浙江省の企業188社が入った。食堂や小売店などの個人商店は150万に及び、両方の売上高が省内総生産に占める割合は70%と、他省に比べ抜群の高さを誇った。


 習近平の浙江省党委書記時代について、書かれています。



 浙江省時代の業績は、「改革・開放の推進による経済発展」を成功させたことにあるようです。習近平は、父親が広東省で「改革・開放の推進による経済発展」を成功させた過程を逐一見ていたこともあり、経済発展を目指す改革は得意なのでしょう。



 さて、ここで「習近平の友人に対する態度」で提起した問題、すなわち、「習近平はなぜ、共産党に入党したかったのか」について、私なりの答えを書きたいと思います。



 習近平の父は毛沢東による共産革命時の幹部ではあるものの、小平による改革・開放政策において中心的な役割を果たすなどしており、走資派だったと考えられます。

 とすれば、近平が父親からなんらかの影響を受けていたとしても、ガリガリの共産主義者である可能性はきわめて低いと思われます。したがって、習近平は「中国の共産主義化を推進するために」共産党に入りたかったのではないと考えられます。

 実際、近平は福建省・浙江省で「地域経済の資本主義化」を進めており、この見かたを裏付けています。



 それでは、習近平は「カネと出世」のために共産党に入党したかったのでしょうか?

 近平は「自分の出世」のためにはドライに人間関係を断ち切っています。また、近平には世渡り上手な一面もあります。したがって、近平にとって「出世」は重要であると考えてよいでしょう。つまり、習近平は「自分の出世を望んでいる」ということです。



 以上から、習近平が共産党に入党したのは、「カネと出世」が目的だったとみて、まず間違いないと思います。

 これは現在、「中国人が共産党に入党する動機」と「同じ」です。毛沢東の時代は別として、当時(習近平の時代)もいまも、中国人が共産党に入党する動機は「実益」にあるようです。



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