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習近平の正定県党委書記時代

2011-12-05 | 日記
茅沢勤 『習近平の正体』 ( p.93 )

 25年間も続くことになる近平の地方幹部としての駆け出しは、河北省石家庄市正定県の共産党委員会副書記で、県のナンバー3格。時に82年3月、28歳の時だった。
 正定県は三国志演義で有名な劉備玄徳の3大武将の1人、趙雲の故郷。北京からは南に300km離れた田舎ではあるが、河北省の省都、石家庄からは20kmと近く、都市近郊型の農村と言える。

(中略)

 近平は県の副書記を1年8か月務めてから、県トップの党委書記に昇格した。いよいよ近平の政治手腕、行政手腕が試される立場に立った。しかし、清華大時代や秘書時代にも、父が幹部だった広東省のほか、海南島などで改革・開放の現場を見ていた。地方幹部時代にはこの経験が役立ち、早くから大胆な改革政策を打ち出した。
 農畜産業しか産業がなかった正定県に商品市場経済を持ち込んだのもその一つだ。乳牛や肉牛、鶏やウサギの加工工場のほか、化学工業や建材、服飾などの大きな工場を建設し、まだ珍しかった労働者の出来高給「生産リンク請負制」を積極的に導入した。
 正定県には当時、小説『紅楼夢』のような清朝の街並みが残されていたことから、本格的な清朝様式の街並みを再現するため、80万元を投資して、「栄国府」と銘打ったアミューズメントパークを建設。観光客を誘致したほか、映画撮影を行なうなど、観光業を県の一大産業に育てた。すでに近平が県を離れていた86年8月、4600万㎡という広大な敷地を誇る栄国府が完成し、年末までに100万人が訪れて、入場料収入は221万元、その他の観光収入が1768万元にも達した。中央政府から「中国観光正定県モデル」と認定される大成功となった。また、近平は引退した老幹部の福利厚生や町の衛生問題に取り組むなどして、それぞれ大きな業績を上げた。
 後に近平の正定県時代の活躍を描いたテレビドラマ「新星」が地元で放送され、視聴率は平均92%を記録した。

(中略)

 次は近平の母・斉心が書き留めていたもので、近平が正定県党委書記時代に救った無賃乗車の姉妹の話だ。近平が列車で出張中、10歳と6~7歳くらいの幼い姉妹が車掌に、「お父さんを探し出したら、必ず汽車賃を払いますから……」などと叫んでいる声が聞こえた。どうやら無賃乗車をとがめられていたようだ。姉妹が本当に父親を探しているのかどうかはわからなかったが、かわいそうに思った近平は車掌の前に進み出て、
「私が払ってあげるから許してやってください」
 と声をかけた。車掌も近平から汽車賃を受け取ると、姉妹を見逃したという。
 姉妹は近平にお礼を言い、
「お父さんが見つかったら、必ずお金は返しますから、名前を教えてください」
 と尋ねたという。近平が姉妹に、
「心配はいらないから、そのままとっておきなさい」
 と言っても姉妹は納得しなかった。繰り返し近平の名前と住所を尋ねたので、近平は、
「正定県の習という者だ」
 とだけ答えたという。
 それから、ほぼ半年後、なんと姉妹は正定県まで尋ねてきて、住民に、
「習という名前の人はいますか」
 と尋ね回ったという。ある人が、
「習というのは珍しい名前だ。この町では書記の習さんくらいしかいないなあ」
 と言ったので、姉妹は、
「まさか県の書記ではないかもしれないけど……」
 と半信半疑で県庁に近平を訪ねると、まさにあの時の親切なおじさんではないか。姉妹は近平にお礼を言い、借りていた汽車賃もきちんと返したという。
 この無賃乗車の姉妹の話はあまりにも美談すぎて、すべて実話かどうかは疑いも残るものの、政治的に利用された逸話でもなく、近平の母の斉心が書き留めている話なので、少なくとも類する話があったのだろう。


 習近平の河北省石家庄市正定県時代について、書かれています。



 28歳のときに県の共産党委員会副書記(県のナンバー3格)、その1年8か月後には県トップの党委書記になった、とあります。

 これはスピード出世だと思います。

 著者は「太子党の絆の強さの秘密」の引用部分において、習近平が「地方官僚を経て這い上がった」と書いていますが、これでは「這い上がった」とはいえないでしょう。

 当時の習近平は、(1) 共産党の大幹部として復活した父親をもつ、(2) 清華大出の (3) 共産党員です。清華大学は、日本でいえば東京大学に相当します。どう考えても、習近平は中国の超エリートではないでしょうか?

 たしかに習近平は恵まれない体験(下放生活)も経験していますが、さすがに「這い上がった」は言いすぎだと思います。



 それはともかく、ここでは習近平の「政治手腕、行政手腕」が重要だと思います。これは引用で足ります。
 農畜産業しか産業がなかった正定県に商品市場経済を持ち込んだのもその一つだ。乳牛や肉牛、鶏やウサギの加工工場のほか、化学工業や建材、服飾などの大きな工場を建設し、まだ珍しかった労働者の出来高給「生産リンク請負制」を積極的に導入した。
 正定県には当時、小説『紅楼夢』のような清朝の街並みが残されていたことから、本格的な清朝様式の街並みを再現するため、80万元を投資して、「栄国府」と銘打ったアミューズメントパークを建設。観光客を誘致したほか、映画撮影を行なうなど、観光業を県の一大産業に育てた。すでに近平が県を離れていた86年8月、4600万㎡という広大な敷地を誇る栄国府が完成し、年末までに100万人が訪れて、入場料収入は221万元、その他の観光収入が1768万元にも達した。中央政府から「中国観光正定県モデル」と認定される大成功となった。また、近平は引退した老幹部の福利厚生や町の衛生問題に取り組むなどして、それぞれ大きな業績を上げた。
 後に近平の正定県時代の活躍を描いたテレビドラマ「新星」が地元で放送され、視聴率は平均92%を記録した。
 近平は当時の「改革・開放」政策に基づき、県経済を急速に発展させています。中国の「県」は日本の「県」とは異なり、「市」の下に位置する行政単位なので、その点は注意が必要ですが、近平は大活躍したといってよいでしょう。

 ドラマ「新星」の平均視聴率が92%を記録したことからも、それがわかります。近平は地域の人々に好意的に受け止められていたと考えられるからです。

 なお、ここであえて意見を述べるとすれば、習近平が「引退した老幹部の福利厚生」に取り組んだところが重要だと思います。近平は世渡り上手なのでしょう。



 最後に、無賃乗車の姉妹の話ですが、私はこういう話、好きですね。

 著者は「あまりにも美談すぎて、すべて実話かどうかは疑いも残るものの」「少なくとも類する話があったのだろう」とまとめていますが、実話であってもおかしくないと思います。

 著者はなぜ、「美談すぎる」と思ったのでしょうか?

 すくなくとも私なら、この姉妹と同様、お金を返しに行きますし、逆に私が習近平(の立場)なら、やはり近平と同じ行動をとりますね。

 ネットでは、「中国人はウソつきだ」といった意見が散見されますが、誠実な感じの中国人もいます。ネットの「中国人はウソつきだ」は、おそらく偏見だと思います。



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