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夏に想う風景

2020-09-02 07:00:00 | 編集手帳

8月16日 読売新聞「編集手帳」


タビ(旅)の語源は案外分からぬものらしい。
諸説ある中で、
心惹かれるのは、
西郷信綱さんが残した指摘である。
没後10年余になる古代文学の碩学(せきがく)は、
タビのタは「田」に通じると説いた。

古代の農民は家を離れ、
山あいの水田の小屋で寝ることがあった。
これをタブセと言う。
ひとり地べたに伏すタブセの経験と関連しつつ、
タビの語は生まれ、
ゆえに「草枕」が旅の枕詞になったのだろうというのである。
(『日本の古代語を探る』)

瑞穂の国で営まれてきた労役と重ねて、
旅の一語をかみしめたくなる。
どこか寂しく切実で、
陰影深い語感は例えば「旅行」と言い換えた途端に失われる。

「トラベル」はさらに軽い。
軌道修正を重ねた政府の観光支援策となると、
トラブルめいてくる。
Go Toが妙手か“誤答”かはさておき、
帰省を控え、
遠く家郷を思った人もあろう。

当欄も同様で、
眼裏(まなうら)に浮かぶのは、
まだ水田も多かった往時の風景である。
びゆく雲の落とす影のやうに、
 田の面(も)を過ぎる、
 昔の巨人の姿――〉
(中原中也「少年時」より)。
日本の夏は過ぎし日を偲(しの)ぶ、
心の旅の季節でもある。

 

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