5月6日付 読売新聞編集手帳
豊山、清国、大麒麟、大受、魁傑――懐かしい四股名(しこな)が並ぶ。
江戸勧進相撲発祥の地、
東京・深川にある富岡八幡宮の鳥居をくぐるとすぐ、
右に立つのが「大関力士碑」だ。
無論いずれも名だたる力士ながら、
刻まれるのは綱に手の届かなかった大関である。
さらに奥へ進むと本殿の脇に、
ずっと大きな「横綱力士碑」があった。
両碑の距離は100メートルほどだが案外遠い。
頑強な体と才能に恵まれた上に、
並の百倍も努力を積んで、
ようやく一握りの力士のみたどり着けるのが大関の座である。
そこから先は、
おそらく人知を超えた要素が絡む。
横綱碑までの距離が長く思える理由だろう。
きょうから夏場所。
東西合わせて6人も大関がそろうのは、
大相撲の歴史で初めてという。
この中から奥の碑に名を刻む者が出るか。
一人横綱を張り続ける白鵬以来、
刻名式近しの期待は高まる。
現実には6大関の大半あるいは全員が、
綱をつかめぬまま土俵を去り、
手前の碑に名前を連ねるのかもしれない。
それもまた大相撲のドラマであり、
観(み)る人の胸に何かを残すだろう。
横綱碑よりも大関碑の前で長くたたずむ人がいる。