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“鎮魂と復興を”宮沢賢治朗読会

2012-05-08 11:46:50 | 報道/ニュース


  5月8日 おはよう日本


  岩手県が生んだ詩人 宮沢賢治。
  宮沢賢治は2万人以上が犠牲となった明治三陸津波(明治29年)に生まれ
  その37年後、
  3千人余の死者、行方不明者が出た昭和三陸津波(昭和8年)があった年に
  病気で亡くなった。
  この間には関東大震災もあった。
  相次いで大きな災害に見舞われた時代を生きた宮沢賢治の言葉の力を
  東日本大震災の復興の支えに繫げていこうという朗読会が
  明日から始まる。

  「春と修羅」
  まことのことばはうしなわれ
  雲はちぎれてそらをとぶ
  ああかがやきの四月の底を
  はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ


  明日から東京で始まる朗読会「宮沢賢治が伝えること」。
  俳優の段田安則さん、大竹しのぶさん、脚本家の三谷幸喜さんなど
  演劇関係者38人が日替わりで舞台に立ち
  作品を朗読する。
  東日本大震災の犠牲者の鎮魂と復興支援のために企画され
  収益の一部は義捐金として寄付される。

  「永訣(えいけつ)の朝」
  おまえがたべるこのふたわんのゆきに
  わたくしはいまこころからいのる
  どうかこれが天上のアイスクリームになって
  おまえとみんなとに
  聖(きよ)い資糧(かて)をもたらすように
  わたくしのすべての
  さいわいをかけてねがう

  段田安則さん
  「岩手やほかの東北の事を来た人におもっていただければ
   少し役に立つのかな。」

  朗読会を演出する 栗山民也さん
  「宮沢賢治の言葉と言うのは東北という地の中から生まれたことばで
   観客も声を聞いて一緒に
   東北にかつてあった自然
   一部は壊れてしまったが
   それをもう一度取り戻して欲しいという願いが
   全般の作品のテーマになっているので
   それを聞き届けて欲しい。」

  冷害や基金で貧困にあえいでいた岩手で農業指導に力を注いだ宮沢賢治。
  その中で生まれた代表的な作品が「雨ニモマケズ」である。

  「雨ニモマケズ」
  雨ニモマケズ
  風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
  丈夫ナカラダヲモチ
  慾ハナク
  決シテイカラズ
  イツモシズカニワラッテイル


  宮沢賢治が生まれて岩手県花巻市にある記念館には
  震災後 来館者ノートには「雨ニモマケズ」に共感する書き込みが増えた。
  「雨ニモマケズ風ニモマケズ地震ニモマケズ」
  「こんな時だから負ケタクナイ!負ケナイ!泣カナイ!」

  この作品に勇気付けられた人が陸前高田市にいる。
  磐井律子さん(68)は自宅は津波で流され
  おばやいとこなど親戚11人が亡くなった。
  「何にもなくなってしまった
   これから先の不安。
   それに対して自分ひとりじゃ立ち向かえない。
   がんばれがんばれといっても
   ひとりじゃ何も出来ない。」
  気持ちに変化が起きたのは去年12月。
  きっかけは仮設住宅近くに置かれた郵便ポストだった。
  そこには
  津波に負けず1本だけ奇跡的に残った松の木と
  「雨ニモマケズ」の詩が刻まれていた。
  
  「雨ニモマケズ」
  一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
  アラユルコトヲ
  ジブンヲカンジョウニ入レズニ
  ヨクミキキシワカリ
  ソシテワスレズ

  磐井律子さん
  「避難所にいるときもすっかりこれだったな
   私たち 贅沢に慣れてしまっている。
   そうすると何十年か前に戻ればいいと思ったときに
   気持ちがすとんとした。
   がんばれと一言も書いてないが
   負けるなと応援してくれる。」

  磐井さんは震災の前に行なっていたこどもたちへの読み聞かせのボランティアを
  もう一度始めることにした。
  伝えるのは自分が力をもらった「雨ニモマケズ」。

  磐井律子さん
  「ことばの持つエネルギーの大きさ すごいと思う。
   この災害に負けないでたくましく
   先が見えるまでしっかりやっていけたらと思う。」

  宮沢賢治のことばに背中を押され
  遠く九州から被災地へやってきた人もいる。
  岩手県大槌町の診療所に勤める医師 宮村通典さん。
  長崎県の大きな病院で働いていたが被災地の医師不足を知り
  勤めていた病院をやめ
  先月やってきた。
  去年9月 親戚を見舞うため大槌町を尾と訪れた宮村さんの頭に浮かんだのが
  医師として支えにしてきた「雨ニンモマケズ」だった。
  
  「雨ニモマケズ」
  東ニ病気ノコドモアレバ
  行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ
  行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
  ホメラレモセズ
  クニモサレズ
  ソウイウモノニ
  ワタシハナリタイ


  宮村通典さん
  「『行く』ということばがぼくを後押ししてくれた。
   そういう意味での私の応援歌。」

  患者に寄り添おうと宮村さんは方言の勉強に力を入れている。
  自分の健康が続く限り
  被災地で衣料を支え続けたいと考えている。

  宮村通典さん
  「自分を犠牲にしてでも他の人のためにがんばるという宮沢賢治の生きざま。
   そういうものをすごく感じる。
   私自身も腰を据えてこれから治療にあたっていきたい。
   皆さんに寄り添っていきたい。」




  
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