今日は5月30日の日曜日。 快晴の春日和。 午前11時。
かって、洋館づくりの病院として親しまれていた厚生病院の上から下馬松
を眺めています。その昔、領主有馬公が、天辺にある菩提寺、円通寺参拝
の折り、ここで、下馬され、お休みされたところから、この名前がつけら
れたそうです。
今は、廃線になってしまった島原鉄道のレール跡が見えます。ローカル
線の終着駅であった加津佐駅。レールはもちろん、鉄道施設すべてが取り
払われ、私たちの記憶の中でしか、当時の面影を偲ぶことはできません。
鉄橋を渡ったり、レールに耳をつけ、近づいてくる車輪の音を聞いてい
たのも、遠い昔のことになりました。下の海岸では、磁石で砂鉄を拾い、
その砂鉄を紙の上にのせ、紙の下から磁石を当て、砂鉄が描く様々な模様
を楽しんでいました。
今では、下馬松を横に見ながら、口加高校生が徒歩や、自転車で通学し
ています。
松が少なくなった松林には、かって、松の枝にのって遊んでいた小学生
の姿は見ることが出来ません。懐かしい想い出の地になってしまいました。
鉄橋近くの河口でドンポ釣りー懐かしい言葉の響きを、今も忘れることが
できません。
かって、洋館づくりの病院として親しまれていた厚生病院の上から下馬松
を眺めています。その昔、領主有馬公が、天辺にある菩提寺、円通寺参拝
の折り、ここで、下馬され、お休みされたところから、この名前がつけら
れたそうです。
今は、廃線になってしまった島原鉄道のレール跡が見えます。ローカル
線の終着駅であった加津佐駅。レールはもちろん、鉄道施設すべてが取り
払われ、私たちの記憶の中でしか、当時の面影を偲ぶことはできません。
鉄橋を渡ったり、レールに耳をつけ、近づいてくる車輪の音を聞いてい
たのも、遠い昔のことになりました。下の海岸では、磁石で砂鉄を拾い、
その砂鉄を紙の上にのせ、紙の下から磁石を当て、砂鉄が描く様々な模様
を楽しんでいました。
今では、下馬松を横に見ながら、口加高校生が徒歩や、自転車で通学し
ています。
松が少なくなった松林には、かって、松の枝にのって遊んでいた小学生
の姿は見ることが出来ません。懐かしい想い出の地になってしまいました。
鉄橋近くの河口でドンポ釣りー懐かしい言葉の響きを、今も忘れることが
できません。