まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

無職GGのドツボ

2014年10月19日 | 日記

無風、最高の秋晴れ。ほんとうに穏やかな日。

 

近所からは、ちばアクアマラソンに参加している人もいる。

カミさんは東京の美術館にいくとかで、朝からえらい勢いで出だしていった。

 

で、無職GGはといえば、昨日までは宅内で切り取った雑木の焼却作業をしていたが、ようやく片付き、今日はポチを従え、裏の畑で畝作り。

只今休憩中!

 

鍬を振るいながら、先日の落語会で三遊亭円楽師匠が、『老いは汚れ』だという話を面白可笑しく話していたのを思い出した。

 

昨日書いた健康寿命とも重なるのだが、無職(老後)になってこれといってやる事が見出せないと、朝もついゆっくりになる。

どうせ誰とも会わないのだからと、顔も洗わなければ歯も磨かない。

今日はゴミの日だと思っても、また次に日でいいか、といった感じ。

 

おもむろに昼近くに起き出して、インスタント食品で食事。

テレビを見ながらごろごろしている内に夕方になって、あれ、まだパジャマだったと気づき、今日は特に動いていないからと風呂も入らず寝てしまう。

そんな毎日の繰り返しが、老いの始まりだとか。

 

外の人と関わりが少なくなるので、ぽわっとしてきて、家の中も体も汚れてくる。

動かないから、運動機能がどんどん衰え、さらに動かなくなっていく。

動けなくなって自分用に支障が出てくると、心も荒んでくる。

無職GGドツボにはまる状態だ。

これが一番よくない老い方だというような話だった。

 

経験してきた仕事関連の知識をたくさん持っていても、かなり専門的な法律知識とか語学スキル、職人的技術などを除けば、普通の会社の専門知識は、辞めてしまえばほとんど自分の時間を作っていくのに役に立たないことが多いと感じている。

 

かといって、組織の中で仕事をしている内に、趣味の世界を広げるというのも、言うは易し、なかなかできない。

辞めてしまえば、時間はあっても、金がない!(厳しい現実)

 

今年逝った母の様子を振り返ると、最後まできれいに老いることはなかなかできないのかもしれないなぁとは思う。

でも、継続してできる仕事(収入を伴うものであれば一番いい、趣味でも達成感とか喜びを感じられる時間の過ごし方)を見つけ、ドツボまっしぐらの道はなんとか回避していきたいと思っている。

 

さて、お昼を食べてもう一頑張り!@秋晴れの一日

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