村上原基、滋賀県安曇川の山中20年⇒麓の町の田中に一人暮らし人生

山中で20年一人暮し後71歳から麓の田舎町で暮している、断捨離し自然な生き様と山暮らし体験に基づく人生論及び写真を紹介

第19号 村上和隆の人生塾「一言」   小人、閑居して不善をなすか?

2008-04-10 10:58:18 | 人生
関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表村上和隆:東京出身-大阪赴任-京都事務所-滋賀田舎暮し (東工大⇒大阪松下電器⇒京都エンゼル工業⇒ローム⇒テクノ経営⇒関西ISOシニアコンサルタントネットワーク代表)

19.小人、閑居して不善をなすか?

日本は団塊の世代の大量退職によって、閑居する人が加速度的に増加するようです。
人間は大雑把に言って2つに分けることができるのだそうです。
①大きな人(大人)
②小っぽけな人(小人)

そして諺にも「小人、閑居して、不善をなす」と言われているのです。
男の人が長年勤めて定年退職すると今までの忙しさが全くなくなり、毎日やることがなくなり、腑抜けになり、生きがいさえも失ってしまう人が多いようです。

かと言って更に働くとか、やたらにあれこれやる人というのも、今までさんざ働いてきたのに、また働くのか、いつまで働くのか、なんとなく哀れな感じさえします。
忙しい時は忙しい忙しいと嘆き、暇になると暇だ暇だと嘆く、人間というのは、いい加減な生き物です。

閑居というのはどういう状態かというと、やることがなくだらだら過ごすというようなことでしょう。
人は、閑居してしまった場合に、どうなるかがある意味、その人が大人なのか、子供なのか判定が下るような感じがします。

つまらん遊びをしまくったり、ゴロゴロしたり、不善をなすのであれば小人であり、閑居しても有意義に暮らせたり、楽しむことができれば逆にその人は立派な大人であるということになるでしょう。

同じようなことが「小人、楽して、苦の種を作る」「小人、褒められて、有頂天になる」「小人、金持って、傲慢になる」「小人、平和に慣れて、油断する」・・・・・どちらにしろ小人というのは、録なこともできないお粗末な代物のようです。

二ノ宮尊徳曰く「大農は草を見ずに草を刈る、中農は草を見て草を刈る、小農は草を見ても草を刈 らず」人間として生まれたからには、何やろうと、どう暮らそうと人の勝手ですが、人生を閑居しても不善をなさないような人間として生きたいものです。

このたび村上和隆人生塾を開校しました。
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