My Laid-back Aussie Life

オーストラリア、アデレード発のオージーライフ、家族、看護などについて~

小学校教育~長男に対して願うこと

2006-09-29 13:52:36 | 家族について


〈3歳年上のお兄さんに見守られつつ校庭で遊んでいる長男。背後に次男が楽しそうに一緒に遊んでいる。〉

今日、長男の小学校のIntroductry Visit(全3回)の最終日だった。朝9時に始まり、9時半から新入生の保護者と先生が懇談会を兼ねて、生徒達がいろんなことをしているそばで持ち寄りモーニング・ティーが開かれた。生徒達は来週から始まる2週間の休みを前にして、すでにかなり開放的な気分に浸ってはしゃぎまくっている。11時半に長男は学校終了。2週間後に正式な小学生として、学校に通う予定。

この懇談会で、クラスの担任の先生とじっくり話す機会に恵まれた。彼女は30前半から後半で、とても落ち着いた知的な雰囲気を持っている人。厳しそうな感じではなくて、どちらかというととても母性を感じるやさしいタイプだ。でも、はっきりと指導することはし、きびきびとクラスを和やか且つまとまりのあるグループに導いている。私と話しながらも実によく各生徒の様子を見ている。生徒達もお互いとても親切でフレンドリーだ。長男がクラスに入るとすぐにあちこちから「Aくん、おはよう!こっちにきて一緒に座ろう!!」と声がかかる。彼も、私の手を離して自分から進んでクラスのアクティビティーにすぐに参加する。幼稚園では私が他の園児と彼の間をとりなさなくてはなかなか入って行かなかったのに…。

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小学校教育に親が望むものは、本当に様々だと思う。中にはかなり気合を入れて、公立・私立の小学校を色々調べたり説明会にいったりして、じっくり選ぶ親もいる。私達夫婦は(特に夫は)ほとんど頓着しない。私としてはあえて言うなら、公立の学校はその地域のカラーが生徒にも出るので、学習環境という面においてその地域が余り柄の悪い場所でない限り(例えば、低所得者ばかりが集まっている犯罪の多い地域)、まず学校の環境(緑が多いとか、十分な広さの教室・校庭があるなど。)と設備(教室の様子・図書館・PCその他の資源)が整っていて、その学校についての評判がある程度良ければOKだ。今の彼の学校は今のところ何の問題もないし、校長先生と他の先生達と話してみて、とても信頼できそうだと感じた。何より彼自身が新しい環境に安心している。私にとってもそれで十分だ。

小学校に通い初めてた日に、校長先生と保護者達の懇談会が開かれたときに、保護者から様々な質問が出た。これには、保護者、主に両親の教育観というか、教育に関して何に重きを置いているかが現れる。とても面白い…。まず、質問を最初にするのはオージーの人達。内容的には、「クラスサイズは?使っている教育アプローチは?もし、生徒が何かの教科で付いていけないようだったら、どのような個人的なサポートがされるのか?」などというような質問が多い。個人のニーズに合わせた教育が出来るか、ということがとても気になっているようだ。で、アジア人(特に中国系の黄色人種)の人からは、「宿題は学校始まってからすぐに出してくれるのか。どのくらいでるのか。最初から算数・読み書きを学ぶのか。」などという質問がでる。これは、オーストラリアとアジアの学校教育(小学校に限らず)の違いを親達の価値観を通して見ているようだ。長期的な長い人生の学習と人格の基礎固めとして捉えているか、教育の成果を教科書的な知識の量で計るか。それに加え、校長先生の話から分かったことだが、教育カリキュラムやアセスメントの方法をみても個人の持っている性格・才能に着目し、それらを出来るだけ伸ばせるような指導に力を入れている感じだ。Holisticなアプローチは、学校の要求する基準に生徒達をあわせるのではなく、とてもIndividualizedされていてオージー的だと思う。私的にはとても心強く感じる。私としてはすべては始まってみないことには分からない、と思っているので「へぇー、そうなんですかー。」と話に相槌をしつつ、他の保護者や先生達の観察をするにとどまる。

私が今の時点で息子に望むこと。多くのクラスメートや先生達の中で、人との健康的な係わり合いを学んでほしい。お互い助け合って協力し合って楽しいときを一緒にすごすことの大切さ、そして悪いことと良いことの基本的な区別を学んでほしい。そして、何かに興味を感じ、それを自分でいろんな手段を使って知識と視野をどんどん広げていける能力を伸ばすこと。いろんな国から来た色々な異なる価値観を持つ人達がいるということも。そして最後に、学ぶことはとても楽しいことだということを、学校の中で実際に体感してほしい。ただそれだけだ。

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今日、初めて先生に対して「Good Morning」を彼は言ったそうだ。感動ものだ。実は一年以上通った幼稚園では一度も先生にこういった挨拶はまだしたことはなかった。このクラスと先生にとても会的に感じて安心している証だろうと思う…。実に良いスタートだ。この良い環境で、沢山のことを学んで楽しい学校生活を送っていってほしい。

新しい入院患者への処方箋の導入~NIMC

2006-09-26 10:01:17 | 看護に関するあれこれ
今週はOn-Callで、病院から朝の6時に電話がかかってきて、「今日8時から13時まで働ける?」と言ってきた。この日は、よく来る呼吸器内科病棟で4人の女性部屋を一人で任される。全員点滴なしで、これといった処置もなく、あるのはネブライザー(吸入)と予薬、そして日常ケアの介助のみ。4人中3人は痴呆があり、時々混乱してコミュニケーションが取りづらい。そして3人は転倒のリスクあり…。その他の1人は全介助だ。4人といっても結構ヘビーだ。どちらかというと老人ホームのようなニーズの要素が大きい。誰がこの全介助のケアの時の私の相棒になってくれるんだろうと思っていたら、案の定、管理部の間違いで(実はしょっちゅうある…とても困る。)RNのサポート役のENが一人分足りない模様。でも、でもサクサクと仕事を進め、あと一人の要全介助患者の清拭の途中に私の患者の急な転棟(他の病棟に患者が移ること)と、30分間の新しい処方箋導入のためのRNへの説明会が重なった。病院では良くあること…。いくら時間に余裕があるように見えても、いくつかのことが同時にやってくる。とりあえず、転棟の準備とやりかけの清拭は他のナースに任せ、説明会に参加する。そして帰ってきたら…、なんとそのナースは違う患者の分の転棟の準備を間違ってして、またやり直しているところだった。このナース、とても親切なのだがちょっと落ち着きがないかも…。でも、彼はとてもいい人だ。げんなりしながら、私もろくに知らない患者さんのことを隣の病棟に連れて行って申し送りをする。これといって申し送りをすることはあまりないのだが、Handover-phobia(申し送り恐怖症)の私は要領の得ない申し送りをして、新人ナース(よく顔を合わせるインドからのナース)をちょっとばかし混乱させてしまったようだ。申し訳ない…。半シフトをすることばかりだから申し送りを受けることはあっても、することはあまり無いため、余計申し送りに慣れない。これも困りものだ。シフトの終わり頃になって、病院が雇ったナーシング・エージェンシーからのナースが私のヘルプに入る。嵐のように看護記録とお昼の予薬、Excellcareをこなしようやく仕事終了。なんだか、満足のいくシフトではなかった。そして、5時間のシフトで説明会に30分取られたのもちょっと痛かった。

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〈NIMCの表のページ〉



〈NIMCの説明書〉

その説明会について。これはNational Inpatient Medication Chartといって、入院患者の病院内で出される新しく改良された処方箋についての説明だ。2005年にオーストラリア内のいくつかの病院で試験的に使用され、その結果、誤薬その他の事故かかなり減ったと報告されている。その分、医師やナースが記入・確認その他にかける時間が増えることになる。が、誤薬そのたの事故を防げるのならそれに越したことはない。ざっと見て今までの処方箋と比べて違うことは、

1.薬の一般名(ブランド名ではなく)のみ使用すること。いくつかの薬が混ざっている場合はブランド名もOK。この場合は各病院のガイドラインどおりに記名すること。

これは大変助かる…。実はこの日のシフトでもMaxlon10mgをお昼前に吐き気のある患者に予薬するときに、Maxlonが薬品棚にない。手元の薬品を見てみると、Praminに覚えがある。でもPraminの一般名をチェックしても確信できない。ああ、確かMaxlonはブランド名でこの病院で一般的に使われているのは違う名前だったなあ、などと思いながらMIMSをさっと引くと、一般名はMetoclopramide Hydrochlorideで他のブランド名はPramin。やられた。目の前の一番目立つ薬品カートにバンッと乗っかっていたもの。こんなことも減ってくれると思うとちょっと嬉しい。


2.予薬するナースは、処方箋の中央にある「予薬しなかった理由を決めたれた記号」のみで記載すること。例:Refuse(拒否)は○のなかにR、Fasting(絶食)は○の中にF、Vomiting(嘔吐)は○にV、Not Available(薬が病棟にない)は○にN、その他のWithholding(保留)は○にWと記載。

これも大変大変嬉しいシステム!このような統一されたシステムがあると記録の混乱がある程度避けれる。いままで、患者が予薬を拒否したとき、R、○の中にR、Refuseと小さい場所にごちゃごちゃ書いている、など様々な書き方をナースがそれぞれしていたので、担当ナースのサインなのか拒否の印か時々混乱する。しかもこの方法だと、今まで何の理由で保留して予薬していなかったかが○にH(Hold)の1つで片付けられていて分からなかったのが、明確になる。

3.ワーファリンを処方されている患者については、患者がワーファリン服薬するにあたってのカウンセリングを受けているかどうかの記録をする場所がある。

4.その薬品が長時間にわたって効能が持続する場合は薬品名の後の赤い小さなボックスにチェックすること。

これも、強い痛み止めや糖尿病の薬などの場合、ナースも知っていたいこと。大体有名な薬の効能は知っていても、薬は新しく開発され使用される場合も多々ある。

5.薬品名の下にハイライトされているボックスの中に、一回の投薬量、24時間中の回数と時間を記載する。

これについては事故につながる可能性も強く、説明会に実際の誤薬の資料としてあげされたものがあった。「Gentamicine180mg O.D」とドクターが殴り書きをして、それが、「Gentamicine180mg QID」に見えたという例。つまり、Once Daily(1日1回)が1日4回実際に間違われ、投与されていたという事例だ。臨床経験の浅いナースだったらこのとてつもない量のGentamicineにおかしいと気が付かないかもしれない。恐ろしいことだ。こんなことも、統一されたシステムで誰でもわかるきれいな字で医師が書けば防げること。

6.PRNの場合は、処方箋の裏に専用ページがあり、薬品名の下にハイライトされているボックスがあり、一回の投薬量、何時間毎か、そして24時間中の投薬量の上限を記載すること。

これも、ドクターによって色々違う書き方をしてくれるためナース達は泣かされてきたことだ。特に決まった時間に予約するものでないため、余計に混乱する。例えば、4/24と書いてあったら、4時間ごとか、24時間に4回か、勘違いする場合もある。

注:PRNはラテン語のPro re nataから来ていて、必要時に応じて、という意味。

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と、ざっとこんな感じだ。今まで散々苦労してきたことが大分解決されそうでとても嬉しい! ただ願わくば…。

説明会で、あるナースが「これ、コンピューターでタイプしてプリントアウトすることは出来ないの?」と聞いたとき、皆から笑いが漏れた。というのは、ドクターの字があまりにも汚く何を処方されたのか、その予薬の頻度、用量などが読めないことがあるからだ。これは私も同感。いちいち他のナースとチェックしたり、それでも分からない場合はそのドクターに問い合わせなくてはならないという、その時間と手間ははっきり言って大変馬鹿らしい。これが出来たら、ナースのストレスと、ナースを雇っている給料の幾ばくかが節約できるかもしれない。しかし、残念なことにまだ無理ならしい…。

この新処方箋は来週火曜日、10月2日からこの病院で使用される。使い勝手の良さを早く実感したい…。

Mannumへの道(4)

2006-09-22 14:40:31 | カントリーサイド~Mannumにて


〈Mannumから車で5分位の農場。車を停めて写真を撮っていたら農場のおばちゃんにまるで知り合いのように挨拶されてびびった…〉

昨日、いつものようにMannumからAdelaide市に戻ってきた。昨日は、長男のMannum幼稚園の日。幼稚園のNews Lettterを流し読みしていたら、何と来週木曜日が長男の幼稚園時代の最後の日!こちらには入園式・入学式がなく、従って卒園式・卒業式もない。そのかわりに、学期の最後日には、大抵園児とその親達がランチや果物・ケーキなどを持ち寄って、Shared Lunchという「持ち寄りランチ・パーティー」をする。私も巻き寿司やらカップケーキを持っていった覚えがある。こちらの幼稚園は日本のように4月1日以降~3月31日(だっけ?)に生まれた子供をひとまとめにして同じクラスに入れるのではなく、クラスは大抵1つで4歳になった時点でその誕生日から後一番早い学期に幼稚園に通い始める。なので、学期ごとに数人ずつ幼稚園のクラスメートが入ってきたり、小学校へ進学したりしていく。

早いものだ。約5年前、妊娠38週目で朝4時起きしてMKさんとGlenelgのビーチにカニ捕りしている最中に腹痛を起こしてそのまま病院に駆けつけ、誘発分娩で生まれてきた長男。(姑に言ったら何を言われるか分からないため、このことはまだ言っていない。)実はその腹痛は胎盤早期剥離(子供が出てくる前に胎盤がはがれてしまうという危険な物)だったらしい。しかも、なかなかお腹からでてきてくれず、最初からてこずらされた彼。生まれた直後はアプガースコアが少々低めで冷や汗もかかされた。それでもすぐ元気になって、なんと生まれて数分後に目をパッチリ開けて夫をじっと見つめていたという意志の強そうな顔…(ちゃんと証拠写真が残っている)。そんな瞬間からはや5年も経ったとは。

とにかく、幼稚園最終日にチャリティーを兼ねてなんか大掛かりなゲームを親子共に参加するようだ。その後に、ランチ・パーティー。何を作っていこうかなー。巻き寿司は2回ほど作ったから趣向を変えて、鳥のから揚げとか?これだったら、子供達でも好きそうだ。そし、そうしよう…。

幼稚園の先生達と最終日には、親と先生の息子に関する幼稚園最終報告書についての話し合いもある。これは、通信簿のようなもので、毎学期ごとにもらっている簡単なレポートよりも、遥かに細かくアセスメントされているもの。この最終報告書はこれから入学する小学校に送られ、小学校での指導の参考書類ともなるようだ。息子は同時に2つの幼稚園に通っているため、2つの報告書が彼の小学校に届くことにある。先生との話し合いとは、この報告書の内容に質問・異議が無いかどうか、をチェックするもの。教育機関の一方的な評価に終わらないところが大変に嬉しい…。そして、幼稚園から小学校間の連携も、環境がかなり変わることになる生徒達にとっては、大切なサポートの1つだ。

話はそれまくってしまったが、ともかくあと1週間でMannum幼稚園に行く必要がなくなると思うと少し寂しい気がする。10月中旬から長男の小学校が正式に始まったら、Mannum自体に来る事もかなり減るだろう。最初はこんな何も無いところでどうやって暇を潰そうか、などと考えていたが、園児やその家族、幼稚園の先生達、夫の勤め先の病院のスタッフ、町のお店の人たち皆、最初は露骨に私達よそ者に好奇心の目を向けていたが、ひとたび知り合えば、とても気のいいフレンドリーで素朴な良い人たちばかりで、今年の2月から約7ヶ月間、とても楽しい滞在だった。園児たちの何人かは私のことは園児の親としては見ていなく、ファーストネームで呼び、園児と同じレベルで友達として思っているらしい。嬉しいことだ。ドイツから移住したという先生と、もう来週で最後になるという話をしていて、「ここにこなくなると思うと、とても寂しくなります。」と言おうとした矢先、何と向こうに先を越された挙句に泣かれてしまった。でも田舎の幼稚園はざっくばらんなところもあるので、「月曜日から金曜日まで私達はいるからいつでもおチビさんたち2人連れて、遊びにいらっしゃい!」とも言われているし、これからもちょくちょくMannumにいるときは公園代わりに遊びに行くことにしよう。Mannum滞在もあと少し…。

Stradbrock Primary School~長男もいよいよ小学生!

2006-09-17 23:41:06 | 家族について
先週から、長男が小学校に行き始めた。こっちには、入学式という面倒くさいものが一切無いため、なんだか“入学する”というより“学校に行き始める”とか“学校が始まった”とか言うほうがしっくりするような気がする。そう、ごく自然の流れとして始まるような感じだ。

小学校は7年生まである。一年間は4学期まである。一学期は10週間、残りは休みだ。最初はReceptionといって、小学一年生になる前、つまり5歳になった時点で、約一年間準備期間として小学校に通い始める。といっても、正規の小学生と一緒の時間(午前9時~午後3時)に始まり終わるので、8年間、小学校があるようなものだと思う。

幼稚園は義務教育ではないが、皆ほとんど一番近くの公立の幼稚園に4歳になった時点で通い始める。息子は家ではとても良くしゃべり明るく、とても好奇心が強く知識欲も旺盛。自分で知りたいことは何が何でも私か夫から聞き出そうとするか、自分で本を読んで考えようとする。そして、気がものすごくものすごく強く良く石のように頑固。でも、外では極端にシャイで、人見知りをする。なんと、一年通った幼稚園で、いまだに先生に話しかけられてもほとんど返事をしない。友達も誰とでもオープンに仲良くはならず、ものすごく人の好き嫌いがあるためグループでは行動したがらない。いつも、他の1-2人と遊ぶか、遠くから他の園児の様子を眺めている。先生との会話なんかいつも、

「A君、こんにちは。どう、今日はご機嫌いかが?」

先生の後ろに視線を合わせて無言…。

「今日は何しましょうか?本読む?お絵かきする?」

プイと目線をそらして、また無言…。

「皆と、パズルをする?」

ここまでくると意地になって話そうとしない。どうかすると身体ごと後ろに向いてしまう。でも私と別れるときはちゃんとバイバイのキスをしてくれる。写真を撮るのなんかも至難の業だ。特に家族以外の人には…。幼稚園の先生が、各園児の遊んでいるところを記録として写真をするときに、先生達は息子の写真のときだけ大変な苦労し時間を費やしていた。なだめても何してもダメ、こうなったら盗撮しかない!とばかりに先生達が物陰に隠れてとろうとしても、変に勘が良いので気付かれて、ダッシュして逃げられてしまう。

その超気難しい息子は、先週からReceptionが始まる前に、Introductory VisitとしてReceptionのクラスに金曜日、3週間の間、朝の9時~10時半参加することになった。どうなることやら、とかなり心配したが、同じクラスといってもほとんどが年上で、おまけにプログラムの一環で2年生と一緒にいる時間もあるため、お姉さんお兄さん達によく面倒を見てもらって、ルールや分からないことなど親切に教えてもらい、すぐにクラスに慣れて楽しんでいるようだ。1-2歳違うだけといってもさすが小学生、社交性が4-5歳児よりかなり発達しているしコミュニケーションのとり方も、大分この年になると成長するらしい。本人は今の時点では、本を読んだり、物語の中のキャラクターを描いたり、まだまだ勉強というよりは小学校という環境に慣れることを目的として指導されているようだ。

学校は、とても環境に恵まれ信じされないくらい木が多く広い。運動場が3箇所、体育館が1つ。2階建ての大きなメインの校舎のほか、小さい1階建ての校舎が何棟か集まっている。とても明るい、オープンな、そしてフレンドリーな雰囲気の校舎とスタッフを擁している。教育基準も国際基準プログラムの査定を受けておりそれにあった水準を保っているとか。詳しいことは知らないが…。

本人は真新しい制服に身を包み(毎日寝るときも週末も制服を着ている…)、学校に行けることがとても嬉しそうだ。今のところ、先生やクラスメート達とはあまり話さないらしいが、それでも彼が運動場で初めて会ったばかりの子供達と、楽しそうに鬼ごっこを年上の子供達にルールを教えてもらいながらしているのを見たときは信じられなかった。そして…感動した。彼も成長して色々なことを学んでいるのだな、と。



〈長男のクラスがある校舎〉



〈メインの校舎と校庭の1つ〉



〈広い芝生の校庭2〉



〈裏庭で栽培している野菜の水遣りをしている女の子達〉

頑張れ。新しいもう1つ広い世界でめい一杯学んで、その持ち前の強い好奇心を満たしておいで!

Riverland Trip~Day2

2006-09-16 13:57:19 | 日常あれこれ
1日目はすっかり消耗しきって疲れきったが、ホテルでぐっすり寝ると次の日は大分身体が軽くなっていた。いつものように朝食をとる時間よりぎりぎりまで眠っている夫を部屋に残して、朝からひとしきりトイレ(?)や風呂場で水遊びをしている元気なチビ達を連れて、気合を入れて朝食をとりにレストランに行く。こういうホテルの朝食は大抵種類が豊富で味も期待できるはず…。レストランに着くと、夜夕食会のときには見えなかった外の景色が良く見える。このレストランはカラス張りで一面目の前のゴルフ場に面していて、あたり一面緑…。天気もからっと晴れていてとてもきれいだ。朝食も卵料理・ソーセージ・ベーコン・マッシュルーム・トマト・シリアル・トースト・新鮮な果物・ヨーグルト・フルーツジュース・コーヒー/紅茶など、ほとんどそろっており、いくら注文しても良い。私はスクランブルエッグ・ベーコン・トマト・マッシュルーム・トースト・コーヒーにして、チビ達には果物・ヨーグルト・スクランブルエッグ・ジュース・シリアルを注文。信じされないボリュームでスクランブルエッグなぞ、卵2-3個分あった。味も○で大満足!ちゃんと豆から入れてあるコーヒーで締めくくって一日に備える。

チェック・アウトをすると、また病院見学をする夫とは別行動。Renmarkでは1日目にすでに市内観光をしてあるため、小一時間ほど町の中心をぶらぶらすることにした。といっても、日曜日の朝9時とあって、店はまず開いていない。仕方なしに町並みを写真に取ったり、町周辺を車でぐるぐる回ったり、町の中心の大通りに面している川沿いの歩道で鴨を眺めたり追い回したりして、チビ達と平穏な時間を過ごす。改めてみるとこの町はとても整備されていて、今までの町より数段大きく、おしゃれで明るい雰囲気を持っている。町を歩いている人もどことなく垢抜けている。この町はRiveland一帯では一番大きな町で、それでも人口1万人。Mannumnの約3倍だ。町のInformation Centerもとても大きく充実していそうだ。今までの町と比べ、農業だけではなく観光にも力を入れているという感じだ。クルーズやワリナリー・ツアーなどが結構でている。Rivelandにもし来年飛ばされる、いや、配属されるのならせめてこの町にしてもらいたい…。



〈Renmarkのタウン・ホール〉



〈Renmarkの街角〉



〈Renmark中心のメイン通り〉



〈Renmark中心の川沿いの歩道〉



〈Renmark中心の川沿いの歩道2〉



〈Renmark中心から車でほんの2分でこんな風景〉



〈RenmarkのGPクリニック〉

10:30
RenmarkからBerriという車で15分の町に移動。この町はRenmarkよりは小さめだが、同じく観光も盛んな町のようだ。結構活気がある。その活気が、町中心だけではなく、郊外を観光バスで回ったときにも感じられた。またまた朝から超ウルトラ・ハイパーな息子達が、バスの中で奇声をあげっぱなしだったため。ガイドの言っている事はほとんど聞こえなかったから詳しいことは分からないが…。もう、2日続けてこのうちのチビ達の騒がしさに他の家族や案内の女性は笑顔や苦笑を通り越して、言葉少なくなってきている。ああ、なんだか申し訳ない…。ともかくここで、町の中心の川沿いのカフェでランチを取った。1日目とは趣が変わって、かなり簡単な昼食だった。チキンやサラミ、アボガドなどが入っているサンドイッチとフォッカチア。私はそれに、その土地の赤ワイン(Shiraz)を、夫と子供達はレモンソーダ水を注文した。ワインはなんだか、生ぬるく適温とは程遠かったが、ボディがしっかりしていてかつ非常にまろやかでとてもとても美味しかった。ここではテラス席で、席から川が目の前に見える。1911年に作られたという、水車と蒸気で動いている蒸気船がちょうどクルーズの観光客を乗せて通りかかった。ポンポンポン、という和やかな音を立てて川面をゆっくり進んで行く。なんだか、とてもノスタルジックな気分になる。乗船客はバイバイー!とかいって手を振っている息子達に手を振り返してくる。ランチの残りを目の前で眼を飛ばしながら狙っている鳥達を無視しつつ、食後はコーヒーで締めくくり次の町Loxtonへ。さぁ、あと少し!!



〈BerriのRedgum Cafeで私達のランチを狙っていた鳥〉



〈Berriのカフェから見えた古い水車付きの蒸気船〉



〈同じくBerriのカフェから見えた巡視船(かもしれない…。)〉



〈Berri~Loxtonで見かけた巨大オレンジ。中に何が入っているのかは不明。オレンジ資料館とか?〉

13:00
Loxtonへ到着後、私と息子達は最後のお勤めのバス観光へ。Loxtonはあまり覚えていないくらい印象のない町だった。いや、もう疲れて注意力が散漫になっていたのかもしれない。ともかく、子供連れの旅で疲れきっている家族を少しでも早く解放してあげようと、予定を少しはしょって14:00にすべての予定は終了!めでたくAdelaideへの帰途につくことになった。帰りは、この旅行の責任者であるその地域のGP協会の役職のGPが近道だという、行きと違ったPrincessハイウェイで帰るルートにした。それでも約3時間近くかかり、17:00前に無事Adelaide市の我が家へ帰宅。帰り道はほとんど子供達は眠っていたため、とても静かな快適な道のりだった。帰る途中にRivelandのあたりを眺めていたら、あちらこちらに結構、見所があるようだった。今回は目的が病院の見学と町の紹介が主だったため、観光客らしい観光は出来なかったが、もし来年この地域に住むようなことがあれば、じっくりと回ってみたい場所だ。そうならないことを祈るが…。家族が増えて、子供達もまだ小さく旅行もそれだけ大変だ。が、今回旅行して、大変でもそれだけ家族と一緒にどこかへ行っていろんなものを見て食べて、それが今ではどれも良い思い出となった。他愛無い事だけど、それが育っていく子供達や私達夫婦にとても大切なことに思う。もう少し子供達が大きくなったら、是非海外へ連れていって、違う文化やその国の空気を直に触れさせたい…。

Riverland Trip~Day1

2006-09-13 13:10:35 | 日常あれこれ
先週末、サウスオーストラリア州のアデレード市の北東280キロに位置するRiverlandと呼ばれる地域に1泊2日の旅行に出かけた。いや、あれは旅行とは正確に言わないかもしれない。夫の一般開業医(GP)になるための研修プログラムの一部で、研修生は必須でサウスオーストラリア(SA)州の田舎のGPクリニックや病院をいくつか回って、見学するというもの。かなりの遠出で、回るクリニックや病院もRiverland周辺の町数箇所あるため、1泊の研修となった。これには研修生の伴侶や子供達などの家族も連れて行くことが推奨されている。ホテル・食事・各町でのバス・ツアー・ガス代はすべて彼が研修している担当地域のGP協会持ち。この研修には実は、慢性的なGP不足のこの田舎の地域にRiverlandのよさをGP研修生徒その家族に見てもらって、将来のキャリアのオプションに考えてもらおう、というバレバレな狙いがある。というわけで、4WDにチビ達2人と着替え・おやつ・コーヒー・My枕を乗せて、家から2時間半かかるRivelandへいってきた。

SA州には数年住んでいるが、今までの一番の遠出はカンガルー・アイランドくらい。あとは、Barrosaワイナリーとか…。地図で見ると、Rivelandへはカンガルー・アイランドに行くより遥かに距離はある。例えあまり何もなくても知らないところへ行くのが好きな私ははしゃぎながら、家でのんびり過ごすのが好きな夫は週末が潰されるのにうんざりしながら、この旅行が始まった。旅行日程はあらかじめ渡された。よく見るとかなり内容が濃い。というかあまりアトラクション的なことはないが、2日に5つの町を回るため、かなり忙しい。しかも、研修生達は家族同伴。

研修生達は、ほとんどが夫と同じくオーストラリアで医学部を出た元留学生で且つ今はオーストラリア永住権を持っている人たち。夫と同じく彼らのほとんどは、本当なら田舎ではなくてアデレード近辺の家から通える程度の病院やクリニックで働きたかったのだが、政府の政策で、慢性的な田舎のGP不足対策の一環で、オーストラリアの医学部卒業時にオーストラリアの市民権・永住権を持っていなかったドクターはGP研修をしたいなら田舎で2-3年間研修しなければならないため、田舎の町で研修する羽目になった人たち。その後もGPとして働きたいのなら、卒業時から数えて10年間は田舎の病院・クリニックで働かなければならない。例えば、夫は卒業後、5年間病院で勤務して、今年から来年までの2年間は研修生として働き、正式にGPの認定をされたとする。それでも、さらにあと3年間は田舎で働かなければならないということだ。もちろん、GPとしてでなくても3年間の期間が明けるまで病院で働いて、その後アデレード市でGPをしても、その3年間を比較的と市から近い田舎(例えば家から車で35分ほどのHahndorfなど)で働くという手もある。

ともかく、この旅の道連れはアメリカ、スロバキア、バングラディッシュ、マラウィその他いろんな国から来たドクターとその家族達。ワイナリーが50ほども集まる緑の多い景色の綺麗な有名な地域、バロッサ・バレーを通り越して、かなり平坦な乾燥した市域をただひたすら走った。真っ直ぐに続くハイウェイとその両脇の赤茶色の大地とまばらに広がる低い潅木、そして雲ひとつないほぼ360度地平線と接しているのが見える真っ青な空のほか、時々轢かれて死んでいるカンガルーやその他の小動物たち以外は何も無い。30分、1時間走っても景色がほとんど変わることは無い。なんだか荒涼としている。ある意味オーストラリアらしいというか。マレー川を越えるときの景色は特にすごかった。川の方岸は赤い岩の絶壁になっていて、水面には大きな古い死んだ木の幹が、突き刺さっているかのように立っている。すべてのスケールが大きい…。

10:30
最初の町はWaikerieという町。この辺一帯は、オーストラリア中でオレンジやみかんなどのかんきつ類が最も多く生産されている地域。町はとても静かで小さい。毎週行くMannumと同じくらいだ。マレー川に面しているという点でも同じ。町中にはセールスポイントとばかりにオレンジの形をしたゴミ箱が必要以上に沢山設置されている。しかも、色つきで…。なかなか可愛い。息子達は大喜びで、この‘オレンジごみ箱’を数えていた。すごい景色や面白いものもあったが、スケジュールがあまりにもきつかったため写真を撮るのを忘れてしまった。しまった…。ここでは、研修生達が病院見学をしている間の30分ほど、家族達は専用のミニバスで町の見学に出かけた。といってもあまりに小さくあまりに何の変哲も無いため大した観光にならない。が、‘町で一番有名なオークション’という触れ込みの、ガラクタ市が見れた。信じられない位のぼろを売っている…。誰が買うんだろう?古いものでも質が良くてちゃんと維持されていれば立派なアンティークになるが、でもあれは廃棄処分すれすれのガラクタ。皆で言葉少なにそこを通り過ぎる。でも、引率している、GP協会の女性は、田舎の町の暮らしのすばらしさを一生懸命訴えている。でも、彼女自身アデレード市住まいなのであまり説得力が無く、この町に住んでいる人のやる気の無いガイドは笑えるくらいにさらに説得力に欠ける。この写真は、川を行き交っている橋代わりのフェリーから撮ったもの。



11:45
15キロほど走ったBanrock Stationというワイナリーで昼食をとる。ワイナリーのレストランは大抵良いものを出すが、このワイナリーも例にもれずとても面白い、オリジナリティのあるメニューが豊富でレベルも高かった。石釜で焼いたビザ、オリーブ、パテ、マッシュルームのチーズ揚げ、スパイスミートボールなどのワインと一緒につまむための盛り合わせ、ウェッジ、ライムソーダ水を頼んだ。これらはほとんどは自家製。どれも新鮮で本当に美味しかった。頭痛があったためワインが飲めなかったのが非常に残念!!!GP協会のお偉いさんたちが同席していたためと夫の手前、これらのご馳走の写真を撮るのは控えておいた。一応おとなしくすることにする…。ワイナリーには湿地帯がつながっており、レストランから20分ほどの散歩ができる。食後、息子と他の家族と一緒に湿地帯の入り口まで行って散歩する。彼らは、他の同じくらいの年の子供達と一緒にガムツリーの枝でチャンバラごっこをしていて、とても楽しそうだった。



〈レストランから見える風景。一帯にブドウ畑が広がりマレー川も望める。〉



〈レストランのテラス席〉



14:30
再びハイウェイで、おびただしい数のオレンジの木を眺めながら、Barmeraというまたまた小さい町に移動。ちょっと、あまりにもさびしすぎる町だ。来年、こんな町に夫が配属されたらどうしよう、と想像しちょっと恐ろしくなる。でも。、可能性はある…。嗚呼、怖い。この町でも同じように、家族だけのバスツアーをするはずが、下の息子が車で眠っているためツアーはパス。上の息子は夫付いて行って病院見学。彼にはとってもつまらなかったらしい。そろそろ家族全員、長時間のドライブの疲れが出てくる。

〈Barmeraの病院〉



〈Barmeraの病院に併設されている老人ホーム〉

16:00
Renmarkというこのあたりでは一番大きな町へ移動。このあたりに来てようやく解ったことだが、この地域は農業、主に果物とワイン生産で成り立っている。この町でRenmark Golf & Country Clubにチェックインする。ゴルフコース付きのホテルだ。周り一帯整った林の多い芝生に囲まれた雰囲気の良いホテル。泊まる場所はメインの建物と数十メートルはなれていて、ちょっと高級な一階建てのモーテルみたいな感じ。各部屋の前に専用の駐車場があるのでとても便利。部屋には文句なしにほとんど必要なものがそろっていて、クイーンサイズのベッドのほか、ソファーベッドがあり、チビ達はそこに寝かせることにする。よく考えると、下の息子が生まれて以来の旅行だ。すっかり疲れきっている親を尻目に、チビ達は興奮しきってソファーベッドの上でダイビングをしている。もう、アウト・オブ・コントロールっていう感じだ。そういえば、市内観光のバスツアーの中でもひどかった。いつも大人しい訳では決して無いが、いつもの元気の良さに増してもうそれはひどいハイな状態。一服盛ってやればよかった、とちょっと後悔する。こちらでは、小さい子供を飛行機など長時間旅行させるのに、興奮した状態などを落ち着かせるために咳止めの作用のあるシロップ薬(抗ヒスタミン剤)を使う。ともかく、その超ハイな状態の2人を連れて、またまたRenmarkの町をバスで市内観光する。ここはとてもおしゃれな明るい雰囲気の町だった。今までの小さな町には無かったMcまである!(夫の「本当の町」と「町とは名ばかりの村」との識別基準はマックやKFCなどのファーストフード店のチェーン店があるかないかだそうだ。何なんだそりゃ?)マレー川の岸辺も、それはもうとても綺麗に整備されている。さらっとバスから町を眺めただけで、ハイな息子2人に切れそうになりつつもホテルへ帰る。ここまで来てホテルでこの町のGPの役員の説明を聞き終えた夫は、可愛そうにへとへとになっている。でも、これで今日のスケジュースルはほぼ終わり!!

18:30
ホテルでのディナー。食前30分程のドリンクタイム(こちらのちゃんとした会食では必ずある。大抵大人はワイン・カクテル・ビールなどを飲みつつ、他のゲストと交友を深める。)で、治まった頭痛を良いことにこの地域で生産された白ワイン(シャルドネ)を飲みながら、マラウィから来たドクターの奥さんと世間話をする。彼女はオーストラリア人。しかも何と私と同業のナースだ。人類学の修士号を持ち、長いこと高校の先生をしていたのを、去年大学で看護学を修め、今年からナースとして働いているとのこと。こちらでは、彼女のようにいくつかの専門を持ち職を変える人が多い。この家族はアフリカのマラウィという国で数年過ごしたそうだ。こういう話を聞いているととても楽しく時間が過ぎるのを忘れてしまう。そんな私をそばで静かに眺めている夫は、アルコール類を一切口にせず、子供達をさりげなく監督している。これは旅行でもあるが一応職場。他のドクターやゲストがいる前で他の人が酔う前には飲まないのが彼のスタイルだ。さりげなく周りをちゃんと見ている。彼は、とても大人しく、やる気の無いいい加減なところを家では見せるが、仕事場では、とかく抜け目無い。努力という事が大嫌いで、どうしようもない怠けもにもかかわらず、ここ一番というところはさらっと押さえて、あとは涼しい顔をしている。彼の働いているところを彼の今までのいろんな職場で何度も見たが、いつもそうだ。仕事も、目立たず、効率よく、無駄口をたたかず、さっさとこなす。とても賢い。こういうところはとても尊敬する。職場の人から良く彼の評価を耳にするが、あまりにも家での様子とは違うため最初は信じ難かったくらいだ。しっかりしているように見えて肝心なところで大穴を開ける私とは偉い違いだ。というか、正反対だ。私達夫婦は正反対でもそれがちゃんとセットで組み合わせてうまくかみ合っているのだろう。

それはともかく、その後に1つの広間を貸切でディナーが始まる。プレー・ステーションで遊んでいる子供達をほって置いてメニューを2人で早速吟味する。おぉ!このホテルもなかなか期待できそうではないか!と心でガッツポーズをする。私は家ではまず口にすることの無いカンガルーのフィレのプラムソース添えと温野菜、チキン好きの彼はやはりチキンの香草焼きを注文。ここまでくると超ウルトラ・ハイになっている息子達は頼んだパスタとチキンナゲット&チップスもそこそこにプレーステーションをしながら走り回るという離れ業をしている。そんな彼らは何をやらかすかわからないため、彼と交代で地域のGPや奥さん達の話に相槌をうちながら速攻で自分の分のディナーをお腹に入れる。出たワインはとても手ごろな値段で美味しいのだが、何故かよその地域のクレア・バレーのTaylorの赤ワイン(カルベネ)だった。とてもゆっくり味わっている時間はなかったが、食事もワインもとても美味しかったのはちゃんと覚えている。

21:00
GP協会の役員や土地のGPなどの挨拶のあと、パーティーもお開きになり、着かれきった自分たちの体と超ウルトラ・ハイな息子達を引きずりながらやっとやっとホテルの部屋へ。でも、10時までチビ達はベッドで跳んだり奇声を上げたりで眠ってくれなかった…。Oh、Help!!


~Riverland Trip-Day2に続く~



Beef Soup Noodle(中華風ビーフ・ヌードル)の作り方

2006-09-11 20:28:48 | Myレシピ!


2年ほど前までの1年間、長男が2歳で次男が生まれる前後、姑(つまり夫の母親)がアメリカからはるばる来て色々面倒を見てくれた。彼女は台湾生まれの台湾育ち。でも25歳くらいからほとんどアメリカで過ごしてきたので、英語でのコミュニケーションも日常会話レベルでならほとんど問題ないし、欧米文化にも慣れているため私にとっても話しやすい。そんな彼女は、本当によく中華料理を作ってくれた。中には私も子供も今も好きでよく作るメニューもある。特に子供達はよく幼稚園や保育園のお弁当に持って行き、沢山食べる。今回はその中の1つのビーフ・ヌードルのレシピを紹介する。一度に大量に作るものなので、友達が来たときに軽く食べる昼食などによく作る。

彼女が作るときは、台湾から運んできてくれた薬草やらスパイスが数種類は入っている小さな袋をそのまま牛肉と一緒に煮込む。が、友人何人かに作り方を聞かれたので、その小さな袋を解体して中に何が入っているか調べてみた。2-3種、アジア食品店のお姉さんに聞いたりしても見当もつかないものがあったが、かんだり臭いを嗅いだりしてもあまり強い風味がありそうもないので無視し、とりあえず判っているものだけ使って作ってみたら同じ味に仕上がったのでそれらのスパイスでレシピを作った。

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材料:牛肉(すね、又は、ももの部分など煮込み料理に適しているものならどこでもOK-1キロ)、生姜(2-3ミリに薄くスライスしたもの5-6枚)、大根(中1本)、人参(中2-3本)、八角(1つ)、四川胡椒〈四川花椒〉(小さじ1杯)、Fennnel Seeds[フェンネル・シード](小さじ1杯)、酒(1/2カップ)、醤油(1/2~1カップ)、砂糖(大さじ4杯)、トマト(中3個またはトマト缶1缶)

作り方:

1.八角・四川胡椒・フェンネルシードは綿製の小さい袋に入れて口を縛っておく。そのまま入れても良いが、これらの香味料は噛んで美味しいものではないので食べるときになって取り出せるようにひとまとめにしておくほうがよいと思う。

2.人参・大根はやや大きめに切って軽く下湯でしておく。

3.お湯を1ℓ、大きめの鍋に沸かす。お湯が沸いたら、生姜の薄切り、香味料、牛肉(3センチ角に切ったもの)、砂糖・酒を入れて15分程煮込み、醤油とトマトを入れてさらに1時間程(又は牛肉が大分柔らかくなるまで)弱火~中火で煮込む。

4.下茹でした人参・大根を加えて、さらに10~15分ほど煮込む。 

5.上海生麺など、太めでこしのある麺をゆでて、水気を切り、どんぶりに入れ、牛肉をスープと共に盛り付ける。好みで、唐辛子(油が入っている瓶詰めのものがおススメ。とても辛くて香ばしい。)とほうれん草やブロッコリーの茹でたものを添える。

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追記:後日セントラル・マーケットの中華食品店(King-Wang)でこのレシピに使うスパイスのほとんどが入っている、それだけではなくさらに1-2種類余計に大袋に入っているものを見つけた。その名も、「Mixed Spice」…。これで作ってもいけそうだ。大きな袋に入っていて、それでも$4.5位。なんだかここまで安すぎると不安になる。

これは、大根や人参抜きで作っても美味しいし、ヌードルに乗せなくても煮詰めて水分を少なくするか、もともと水分を少なめにして作って、ご飯と一緒に食べるもよし!水分・醤油・砂糖の量は好みで調節すること。

ある中国人女性から贈られた言葉

2006-09-08 22:50:23 | 日常あれこれ
今日、溜まりに溜まった領収書やカード類やらでパンパンに膨れた13年も付き合っているボロボロの皮財布(←特にこれに愛着があるわけではなく、買いに行くのが面倒くさい)を整理していたら、あるメモが出てきた。それにはたった2行、中国語でこう書いてある。


知易行難
知難行易


(容易く思いつくような事は、実際に実行するもは難しく、
あまり誰もが思いつかないようなアイディア・知識などは、案外簡単に実行出来たりするものだ。)

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彼女に出会ったのは私がオーストラリアに留学生としてきて2年目の頃、今から10年近く前、中国系インドネシア人の友人を通じて知り合った。私と年は2回りも歳が離れていて、世代的には私の親くらいの歳だ。彼女は私の友人の家族が経営している会社の重役で、生まれも育ちもインドネシアのジャカルタ。かなりの努力家で、自己負担で若いときに台湾に留学し、そこで大学を卒業した。とてもおっとりしているように見えて、話すときはよく言葉を選んで話し軽はずみなことは決して言わず、相手の話はとても注意深く聞く。インドネシア語・中国語・英語の3つとも、すべて読み書き会話を同じようにこなす。彼女は独身でバリバリのキャリアウーマン。会ってまもなくいつの間にかとても近しい友人となった。

ある日お昼(あれは確か中華カフェレストラン。私はシンガポール・ヌードルを食べた。)を一緒に食べて、バス停で待っていたとき大学の授業や留学の動機、学費についてかなり細かく聞かれた。私の大学の論文の話や、超が付く貧乏学生だったため生活費はアルバイトで何とか賄っているという事を話し、「勉強は自分には大切だと思うし自分でしたいからしている事。お金がないなら稼ぐまで。」と話したら、「とても頑張っているのね。すごい事よ。」と彼女は私に言った。「何も難しくない事だよ。ただ、一生懸命努力するだけだし。」と言ったら、彼女は自分の手帳に上の2行をさらさらと書いて私に渡した。中国でよく使われる格言で、曰く、目的に向かって努力をするということは単純なことたが、それを続けるということは容易いことではない、ということらしい。努力することの大切さと同時に、知識の探求の大切さをも言及しているように思える。このメモはきっと新しいお財布を買っても、今までと同じように私の連れ合いとなるのだろう。

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彼女には勉強・人間関係・仕事の全てにおいて一番大変な時に、とても勇気付けられた。今でもとても感謝している。そんな彼女は、思い出したように数年に一度、インドネシアから超短い携帯メールまたは国際電話をくれるが、基本的には筆不精ならしいく、こちらから出したメールや手紙での連絡はつきにくい。最近は彼女はどうしているだろう。来週あたり、いきなり電話を掛けて脅かしてみることにするか…。

俄か床屋ナース(2)

2006-09-06 12:21:07 | 看護に関するあれこれ


今週もまた、リハビリテーション病棟で働いた。今回はあまり来たことのないA病棟。ちゃんとした説明をされたことは無いが、どうやらこの病棟はCVA(脳梗塞とかの脳血管発作)の患者がほとんどのようだ。それに対して、B病棟は糖尿病などが原因で下肢を切断した患者が多い。

相棒ナースはこの病棟常勤の50歳くらいのナース。病棟管理責任者の男性看護師からの申し送りで、何と相方ナースの申し送りまでされた。彼女はカナダから移住してきたナースだとかなんとか。私もこうして他のナースに「ナースの申し送り」をされているかと思うとちょっと怖い…。くれぐれも行動には気をつけよう、と背筋を正す。

受け持ち患者数は相棒ナースMと一緒に、なんと6人。楽勝だ!と内心喜んでいたら、いざ申し送りを受けると、何だか外国人で英語がほとんど話せなくナースがコミュニケーションをとるのに困っていて患者も伝えられずにイライラしているとか、他にもかなり気難しい患者やさらにもっと気難しいその患者の家族がいるとか、光恐怖症の患者とか、内容的にはかなり密度が濃そうだ。

申し送りをすでにもらっているのに、ナースMは親切にもその日の患者全員のリハビリや言語療法士とのアポイントメントなどが書いてあるホワイトボードの前で、さらにまた簡単な申し送りをしてくれながら一緒に午前中のケアの予定を立てていった。午前中の与薬はほとんど終わっているので、まずはシャワー介助。9時前に3人、10時前にまた1人、後の1人は自分でほとんどできるので準備だけ、11時前に残りの1人は英語のほとんど話せない患者という具合に予定を立て手分けをしつつこなしていく。相方ナースがリハビリ病棟で経験のある程度あるナースだったため、サクサクと仕事が進んでいく。それにとてもリハビリの精神(理念というべきか?)に則っているケアのアプローチでとても勉強になった。リハビリが必要な段階では、どんなに急がなくてはいけないと思っていても、どんなに時間がかかっても患者自身に服の脱ぎ着なや車椅子からの起立など、出来るところは出来るだけさせる。彼女はそれが徹底していて、「力が入らないし自分では立ち上がれない」とか言って躊躇している患者には遠慮なく叱り飛ばす(励ます?)。そのような患者には患者がどう自分の体重を支えたらいいか、などを具体的に教えつつ見守る。そうしつつも、どのぐらいのADL(日常生活動作)が可能か、どの程度改善して言っているかなどをアセスメントする。

日本にいたときには、患者を手伝ってあげること、出来ないことを代わりにしてあげることが当たり前のようにナースはしていた。患者もそれを当たり前のこととして受け入れている。ただ、いま思えば、患者本来の回復能力をもっと頼って、回復が早まるように、そしてまた退院後に出来るだけ早く自立した生活に戻れるように、入院の間だけのニーズだけではなくもっと長期的なニーズに目を向けてそして、目を向けるべきだったといまさらのように思う。このリハビリの理念は内科・外科などの他の一般病棟の患者に対しても、それは同様だ。ただし、急性期か回復期かなど短時間でそれを見極めることが必要となる。が、一般病棟ではスタッフのフォーカスがどうしても疾患の治療とナースのその日の仕事をこなす事に偏ってしまいがちになる…。しかし、どこの病棟で働いていても患者の自立を促進させるという考えは必要だとは思う。

まあ、こんな感じでほとんどの午前中のケアは終わった。性格的にコミュニケーションが取りにくいかもしれないと予想された患者もまるで問題が無かった。残るは言語療法士とのアポイントメントが終わった例のアジアからの英語のほとんど話せない患者。でも話してみると英語が全くわからないのではなく、オージー達のアクセントがわかりにくかったらしい。私の質問したことにはたどたどしいながら割と細かく答えてくれようとしていた。なんだ、話せるじゃん。そして、それだけでは多分ないだろう。この患者さんの話している英語がオージーには理解できなかったということもあるようだ。彼の言っている英語は私には大分理解できる。これは留学生として長年色々な国から来た留学生達とお互い妙な英語でコミュニケーションをとってきたことで自然に身についたことだ。幸か不幸か、オージー達に解らない外国人の英語でもかなりの場合わかるようになってしまった…。これも今は立派な特技!オージー達には字幕が必要なシンガポール(もちろん英語)の映画だって、字幕なしで100%理解できる。ただ、スコットランド人の強い訛にはまだまだ歯が立たない…。あれがオージーやアメリカ人が話している同じ英語だとは思えない。

とにかく、その患者さんのシャワー介助を済ませると、相棒ナースがいきなり良く切れそうな鋏をバッとポケットから取り出して4-5センチにも伸びきった患者の髭を整えようとしている。チラッと私の顔を見て「あなたやる?」と聞いてきたので自信満々に「私悪いけど数こなしているし、上手いわよー!」といいつつ、患者と向き合う。彼はアジア人で、恰幅の良い中年男性。濃い黒髪も髭も伸びたい放題で、まるで熊のようだ。

「髪どのくらい切っていないんですかー?」

「5ヶ月…くらいかな。」

「!!(5ヶ月…。好みで伸ばしているのかと思った。)じゃあ、遠慮なくばっさり切らせてもらいますねー。ついでに髭もそろえますねー。」

サクサクサク…

お互いどこから来たとか、家族はどこに何人いるとか他愛ない話をしながら15分あまり床屋業に集中する。どうやらあるアジアの国から出稼ぎに家族を国に置いて一時的に来ているらしい。ともかく、この人、髪が太いうえに量がとてつもなく多い。髪のもともと少なく、しかも年を取ってさらに薄くなったオージーの患者さんの髪とは手ごたえがまるで違う。結局宣言したとおりに遠慮なく5センチほど髪を切り、口の回りに一周して茂っている髭も整えた。あー、腰と指が痛い…。もっとよく切れる鋏を自分で購入しよう。出来たら、病棟にキャスターつきの丸椅子があったら尚良いが。自分でリミットした時間内で出来るのはこんなものだろう。あとは髪を櫛で分けて出来上がり!患者はそろそろ疲れた頃だと思うし適当なところで開放してあげた。本人はだいぶすっきりしたと手振り身振り+片言英語で笑って言っていた。

帰り際に相棒ナースMに帰りの挨拶をすると、「Good Haircut!」とか言われ、「あの患者さんの髪切ったのあなたなの!?」「まぁ、とてもいいじゃない!」とかなんとか他のナース達に賞賛される。患者本人まで調子付いたのか、ニコニコしながらVサインまでしている。あの人、実はひょっとしたら割りとフレンドリーな性格なのかもしれない。言葉・文化の壁は時として厚く良いケアの障害になる。

あぁ、どうしよう。私的にはもっとこう、本職で認められたいところなのに。夫にこのことを話したら、「ふーん。だったらいっそのこと本業にしたら?」と追い討ちを掛けられた。

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今日学んだことメモ:忙しくても「愛の鞭」の精神を忘れない。それから、隣のB病棟で下肢を切断した創部(膝上・膝下からの切断面)の包帯の巻き方を暇を見つけて自己学習。下の写真は病棟の備品部屋においてある手作りの資料。




Mannumへの道(2)

2006-09-05 21:23:48 | カントリーサイド~Mannumにて
「おゎっ!まずい!!(←咄嗟に出た英語の台詞よりは、遥かにお上品に訳してある。)」

と思ったその瞬間にはもう遅かったらしい…。車を運転するときはスピードにはかなり気をつけているつもりだったが、いつも通りにMannumへ行く途中の高速道路の誰ーもいない真っ直ぐな下り坂でパトカーのスピード・カメラに捕まってしまった。後ろに座っている2歳の息子があまりにも興奮していていたのに気を取られた瞬間だった。パトカーが目に入った瞬間にスピードを落として、何気に通り過ぎようとしたら、バックミラーにサイレンこそ鳴らしはしないがトップライト(オーストラリアでは赤と青)を点滅しながらしっかりと追いかけてきているパトカーが目に入る。「振り切れるか!?」と内心抵抗してみるがそんなことは無理だと端からわかっているので、しょうがなくおとなしく端に車を寄せる。

「君、カメラでスピード計っていたんだけどオーバーしていたの知っている?」

「あっ、そうなんですかー?」

「110キロのところを125キロ出していたよ。免許証を見せて。パトカーまで見てカメラを見る?」

「いーえ、いーです。どうせそんなの見たって違反は違反なんでしょー?」

「…。まぁ、一応説明してあげるから。」

そんなこんなで車にチビ達二人を残してパトカーまでついていきカメラを見るとカメラの画面に「125Km/h」とかばっちり書かれている。でも、書かれているだけでわざわざ拝むほどの代物でもない。でも初めてみて、ふーん。などと感心しているとアルコール検出検査や一通りの質問が始まった。

「きみ、パトカーが君の視野に入った瞬間から逆に119キロから125キロまでスピード上げたみたいだけど。普通は逆なのに…。」と、ちょっと不思議がっている。

ちょっと目が泳いでしまったが、おとなしくしてやり過ごす。後ろの息子に気を取られていてパトカーに気がつかなかったなんてとても言えない。しかも下り坂だったため加速がかかってしまったらしい。あぁ、違反をしてしまった。とショックを受けつつも、してしまったことはしょうがない、と気持ちをスパッと切り替える。こんなことが瞬時に出来るようになったとは。年を重ねたせいだろうか…。そうなると今度は罰金の金額がとても気になる。日本でもそうだが、駐車違反と比べるとスピード違反にはかなり高い罰金が科せられる。

「あのー、罰金はいくらなんですか?」

「えーっと、今調べてあげるから。…あぁ、ところで今回は15キロオーバーだったのを14キロオーバーってことにして報告しておいてあげるから。」

「は?」

「何故かというとね、14キロ以下と15キロ以上のスピードオーバーの罰金が100ドル近く違うんだ。ほらね?」と、罰金一覧表(?)を見せてくれる。それでも食らった罰金は167ドル。がーん!先週日曜日に働いた半シフト分の給料に相当する。

「うわー、ホント??サンキュ~~~~~~~~~~~!!!」と言いながら、ついうっかりガッツポーズをしてしまった…。チッ!

「…。この辺はカンガルーもよく飛び出してくるし。危ないからね、本当に気をつけるよーに。それに家族にも食べさせていくのにお金もかかるでしょう?点数をあまり取られると保険料金にもひびいてくるしね。云々。」と、露骨にあきれた顔をされ、お説教が始まってしまった。反省している態度が足りなかった様だ。反省しているって…。ただ、嬉しくってつい。しかしなんていうNice guyだ。よく見るとこのおまわりさん、とても爽やかな顔をしている。いや、そう見えてしまったのかもしれない。

しかし、こんなに車の数も少なく何も無いところに(本当に家一見回りに無い。)見張っていたもんだ。いや、だからこそか。でも目立つ白い車体のパトカーなんかよりも迷彩色のカバーでも掛けて待ち伏せしたほうが効果的なのに…。きっとこの辺のだだっ広い草原やブッシュしかないところにはさぞかしうまく溶け込めるだろう。そんなことを考えながら、ため息をつきつつも、今度は数十秒おきに時速計をチェックしながらMannumへと急ぐ。後ろでは2歳の息子が今度はまじかで見れたパトカーに興奮してしまってうるさい。でも集中集中。危ない危ない…。

おまわりさんが言ったように、この辺では野生のカンガルーが本当によく飛び出してくる。道端で轢かれて死んでいるのを時々見かける。こういう地域では、カンガルーの絵が付いている黄色い〈カンガルーにご注意〉サインを見かける。他にも、〈エミューにご注意〉や〈ウォンバットにご注意〉なんていうのもある。私も一度カンガルーを轢いてしまったとこがあったが、カンガルーは結構大きいので車体への衝撃もかなり大きかった。確かにあまりスピードを出していると、カンガルーだけではなく車も乗っている本人も危ないだろう。

本当に気をつけなければ…。反省反省。