先週土曜日、SA州空手道大会の形試合に出場した。空手の試合はもう15年ぶり…。久しぶりだからというわけではなく、極度のあがり性であるため、試合に出場すると決まった3週間前から試合のことを考えるたびに動悸がしたりお腹をこわしたりともうそれはそれは大変な緊張をしっぱなしだった。それでも練習を沢山積んでおけば自信がついて緊張が少しは和らぐと思って毎日家でも練習し、道場には週3~4日通った。な・の・に!先生は私の試合は眼中に無いらしく、試合前々日に「今週の試合の審判する準備できた?大丈夫かい?」とか聞いてくるし(その試合に聞いている本人がでるっつーの)、前日に気合を入れて試合前のおさらいをしようと思って道着を着込んで練習にいって道場に行くと、「きみはそっち(道場)じゃなくて、こっち(審判たちが集まっているセミナー室)でしょう!と問答無用で引っ張っていかれ、審判の心得なるものを叩き込まれ、結局は練習できず終い。そして、やったことも無い審判を当日しなくてはいけないことにさらに緊張は高まっていく。
そして当日、緊張して余り眠れなかったプラスこの日は特別に休みを希望していたのに病院から急に「日勤をしてくれないか」なんてふざけた電話が6時前に入り起こされ、ひどい睡眠不足と連日の緊張から来る疲れで試合の日を迎えた。それでもせめてしっかり食べるものだけは食べて、ストレッチとウォームアップも万全にし、成人女子Open形と成人35歳以上(男子と混ぜこぜ)に観空大と燕飛で臨む。緊張はしていても、自分に言い聞かせて故意にゆっくりと形をするようにしたので焦りまくってひどい形を披露するということはなかったし、一番心配していた形を忘れて失格になるということも無かったので当初の目的は達成できたので満足した。結果は悲惨だったけど。2試合ともなんと初戦負け!でも、今まで形の試合で2回戦までいったとこが覚えている限り無かったような気がする。そう、そんだけ形が得意ではないということ。でも、やるからには上達したい。なので、2回戦まで勝ち進めるようになるまで試合に出場し続けることを決心した。ふふっ、先生、私は諦めが悪いのさっ!
でも、試合自体はとてもいい経験になった。35歳以上の試合では同年輩の家族そろってきていた黒帯の男性。とてもまじめな真摯な態度で形を演武していた。そしてもう1人は同じ歳の同じ日本人女性のママさんで彼女もとてもうまく落ち着いて抜塞大をして私と決勝戦に勝ち進む。私は何故か初戦で決勝戦。しかも負け。結構あっさり負けてしまったけどとても上手な相手なので不満は全然無い。でも、茶帯に負けてしまったのでそれがちょっと悔しい…。でも、3人しかいなかった試合なので、参加者皆入賞。私でも2位のメダルを頂いた。もう、勝利の証ではなくて試合出場記念って感じ?でも2位は2位だ。そして1つとても嬉しかったことがあった。他の糸東流のとても経験のある先生が、試合の後に私にこう言ってくれた。
「君達みたいに35歳以上の人たちがこうして試合に出てきてくれると、ほかの年配の人たちも試合に出ようという勇気が出ると思うよ。ぼくの道場のある黒帯の人も試合に出たいのにいまひとつ勇気が無いみたいでね。」
そして私の形の演武については、「今回は久しぶりの試合に出たっていうことが大切なのだから。一つ一つ目標を達成していけばいいよ。」と、心強い言葉ももらった。もー、私の試合なんがどうでも良いうちの先生とは大違い。いや、比べるのは良くないか。うちの先生は、単に私に試合の運営を手伝って欲しいという希望のほうがやたら強いだけなのだから。
今度は、自分の好きな型だけを選んで2、3つだけ特訓するように決めた。岩鶴・壮鎮・五十四歩小だ。いずれも上級者向け。それでもこれだけに限って努力すれば努力は実るはず…。
この一大イベントである試合が終わったのも束の間、次の日にはまたまた試合の前日に引き続き、審判のためのセミナーに出ることになった。そしていつも間にか、形の審判の試験まで模試のつもりで受けることに…。そして、ついうっかり触れるのを忘れていたが、試合当日に実は男子の組手の審判を補助する補助判定員を初体験した。そのことについては次回のブログで-。
そして当日、緊張して余り眠れなかったプラスこの日は特別に休みを希望していたのに病院から急に「日勤をしてくれないか」なんてふざけた電話が6時前に入り起こされ、ひどい睡眠不足と連日の緊張から来る疲れで試合の日を迎えた。それでもせめてしっかり食べるものだけは食べて、ストレッチとウォームアップも万全にし、成人女子Open形と成人35歳以上(男子と混ぜこぜ)に観空大と燕飛で臨む。緊張はしていても、自分に言い聞かせて故意にゆっくりと形をするようにしたので焦りまくってひどい形を披露するということはなかったし、一番心配していた形を忘れて失格になるということも無かったので当初の目的は達成できたので満足した。結果は悲惨だったけど。2試合ともなんと初戦負け!でも、今まで形の試合で2回戦までいったとこが覚えている限り無かったような気がする。そう、そんだけ形が得意ではないということ。でも、やるからには上達したい。なので、2回戦まで勝ち進めるようになるまで試合に出場し続けることを決心した。ふふっ、先生、私は諦めが悪いのさっ!
でも、試合自体はとてもいい経験になった。35歳以上の試合では同年輩の家族そろってきていた黒帯の男性。とてもまじめな真摯な態度で形を演武していた。そしてもう1人は同じ歳の同じ日本人女性のママさんで彼女もとてもうまく落ち着いて抜塞大をして私と決勝戦に勝ち進む。私は何故か初戦で決勝戦。しかも負け。結構あっさり負けてしまったけどとても上手な相手なので不満は全然無い。でも、茶帯に負けてしまったのでそれがちょっと悔しい…。でも、3人しかいなかった試合なので、参加者皆入賞。私でも2位のメダルを頂いた。もう、勝利の証ではなくて試合出場記念って感じ?でも2位は2位だ。そして1つとても嬉しかったことがあった。他の糸東流のとても経験のある先生が、試合の後に私にこう言ってくれた。
「君達みたいに35歳以上の人たちがこうして試合に出てきてくれると、ほかの年配の人たちも試合に出ようという勇気が出ると思うよ。ぼくの道場のある黒帯の人も試合に出たいのにいまひとつ勇気が無いみたいでね。」
そして私の形の演武については、「今回は久しぶりの試合に出たっていうことが大切なのだから。一つ一つ目標を達成していけばいいよ。」と、心強い言葉ももらった。もー、私の試合なんがどうでも良いうちの先生とは大違い。いや、比べるのは良くないか。うちの先生は、単に私に試合の運営を手伝って欲しいという希望のほうがやたら強いだけなのだから。
今度は、自分の好きな型だけを選んで2、3つだけ特訓するように決めた。岩鶴・壮鎮・五十四歩小だ。いずれも上級者向け。それでもこれだけに限って努力すれば努力は実るはず…。
この一大イベントである試合が終わったのも束の間、次の日にはまたまた試合の前日に引き続き、審判のためのセミナーに出ることになった。そしていつも間にか、形の審判の試験まで模試のつもりで受けることに…。そして、ついうっかり触れるのを忘れていたが、試合当日に実は男子の組手の審判を補助する補助判定員を初体験した。そのことについては次回のブログで-。
今週からも気持ちを切り替えて練習します。でも闇雲にやっても効率が悪いのでどうにか先生のお尻をひっぱたいて個人レッスンをしてもらうように頼もうと思って…。
次なる目標は2回戦まで行くこと!
そうそう、人間生きてる限り不可能は無いのさ。
なんだってやろうと思わなければ出来ないよね。
何かの本に挑戦をやめるのは、死ぬ時だけだって書いてあったよ。
いつまでも、ジャンプしてようね、お互いに。