またボックス買ってしまった。昔は好きだったけど、コンサート聴きに行って日本なめるなよといきなり熱冷めたポリーニ。後期ベートーヴェンやショパンの前奏曲、練習曲よかったなと思い出し、その中で紙ジャケットになってるのは練習曲だけかとネット見たらDGのコンプリートが紙ジャケット仕様で出ている。向こうの紙ジャケットは日本と比べものにならないくらい安っぽく雑だが、カラヤンEMIのように番号振られただけのよりましか。しかも2万以上したら買わないけれど、1万中ならぎりぎりいいかと。70年代はかなり持っているけど、それは売ってしまって初めから聴いてみようか。ジャケットは予想通り、カラヤンDGは裏も再現してたのに曲名だけ。
久しぶりに聴いたルイジ・ノーノ。「力と光と波のように」題名はイタリア語かと思ったらスペイン語。昔買ったレコードも輸入盤だから曲の意味も何もわからず、国内盤CDで持ってるケーゲル盤で解説読んだら、チリの政治家に捧げられているよう。だからスペイン語なんだ。ノーノ、アバド、ポリーニみんな共産党だったらしいことまで書いてあった。この曲、音響的に面白いので訳わからなく聴いても退屈しないのだけれど中身を知っていた方がいいに決まってる。ただ当時買ったレコードとジャケットが違うのはなぜだろう。当時のレコードはB面に別の曲が入っていたが、紙ジャケットではこれ1曲だけ。「そしてそこで彼は理解した」 は単品CDにも入っていないけど、どこで聴いたらいいんだ。あの頃の現代音楽を思い出す。クセナキス、リゲティ、ペンデレツキ、ルトスワフスキ、そしてブーレーズ、シュトックハウゼン。メシアンは刺激が少なくそれほど興味なかった。70年代中過ぎてからミニマルミュージックを知った。当時まだフィリップ・グラスの自主制作レコードが出ていたし、スティーブ・ライヒのレコードがDGから出ているなんてと驚いた。その前にテリー・ライリーはCBSからレコード出していたので一足先にロックファンに受けていたのかもしれない。ライヒがECMから出したときはたまげたけれど、グラスもCBSから出て、あっという間にミニマルはメジャーになった。ウェーベルン以降の堅苦しい現代音楽も行き詰まり、メロディを取り戻したり、ミニマルの手法を取り入れたりして現代の音楽はどうなっているのだろう。日本作曲家の理解も武満徹、小杉武久あたりで止まっているし。もう一度ノーノを聴いたというだけで、ポリーニボックス買ってよかったかな。どうせポリーニでいいのはせいぜい80年代前半くらいまでなのだから後半はあくびしながら聴くことになりそうなんで。
久しぶりに聴いたルイジ・ノーノ。「力と光と波のように」題名はイタリア語かと思ったらスペイン語。昔買ったレコードも輸入盤だから曲の意味も何もわからず、国内盤CDで持ってるケーゲル盤で解説読んだら、チリの政治家に捧げられているよう。だからスペイン語なんだ。ノーノ、アバド、ポリーニみんな共産党だったらしいことまで書いてあった。この曲、音響的に面白いので訳わからなく聴いても退屈しないのだけれど中身を知っていた方がいいに決まってる。ただ当時買ったレコードとジャケットが違うのはなぜだろう。当時のレコードはB面に別の曲が入っていたが、紙ジャケットではこれ1曲だけ。「そしてそこで彼は理解した」 は単品CDにも入っていないけど、どこで聴いたらいいんだ。あの頃の現代音楽を思い出す。クセナキス、リゲティ、ペンデレツキ、ルトスワフスキ、そしてブーレーズ、シュトックハウゼン。メシアンは刺激が少なくそれほど興味なかった。70年代中過ぎてからミニマルミュージックを知った。当時まだフィリップ・グラスの自主制作レコードが出ていたし、スティーブ・ライヒのレコードがDGから出ているなんてと驚いた。その前にテリー・ライリーはCBSからレコード出していたので一足先にロックファンに受けていたのかもしれない。ライヒがECMから出したときはたまげたけれど、グラスもCBSから出て、あっという間にミニマルはメジャーになった。ウェーベルン以降の堅苦しい現代音楽も行き詰まり、メロディを取り戻したり、ミニマルの手法を取り入れたりして現代の音楽はどうなっているのだろう。日本作曲家の理解も武満徹、小杉武久あたりで止まっているし。もう一度ノーノを聴いたというだけで、ポリーニボックス買ってよかったかな。どうせポリーニでいいのはせいぜい80年代前半くらいまでなのだから後半はあくびしながら聴くことになりそうなんで。
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