And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

透明人間

2015-01-06 01:08:26 | 日記
城山三郎の「落日燃ゆ」を読むと誰もが広田弘毅のファンになるに違いない。実際の責任問題は別として「落日燃ゆ」を読んで、東京裁判で娘に頭を下げる広田弘毅を見ると悲劇のヒーローでしかなくなる。これが文学だ。実際の広田弘毅と城山三郎の作り出した広田弘毅はすべてが同じではない。どういう話でもだいたい尾ひれはひれがつき、ほとんどは民衆が喜びそうな美談になるのだが、小説に書かれる歴史上の人物は小説家が作り出した虚像に過ぎないのは当たり前だ。それがまた読む読者によって虚像が変化し膨らむ。吉川 英治の描く宮本武蔵、劉備、諸葛亮、司馬遼太郎の描く坂本龍馬、西郷隆盛。誰も本人にインタビューしたわけではない。司馬遼太郎の「関ヶ原」で島左近が石田三成に嫌な人間にも挨拶しなければならない時があると諭す。本当にそんなこと言ったのかなど疑う人間はいない。となると歴史小説もSFもたいして変わらないということか。なので司馬遼太郎の描く誰々はおかしいだとかいうのはトンチンカンな話で小説になれば島左近も架空の人物でしかないということだ。タイタニックで沈没するまで音楽家が演奏していたのかはわからない。ただそうあってほしいという願望はあるので映画では必ずそのシーンは入る。二・二六事件で青年将校をたきつけて梯子を外した真崎甚三郎。これは映画などの想像でなく事実だったと思う。インパール作戦は映画にしないで事実だけをフイルムに残してほしい。戦わずして1万の若者が終戦を待たず無駄死にした事実と指揮した牟田口廉也は罪を裁かれることなく1966年まで生きながらえたという事実を。話を戻すとたとえばアイガー北壁のドイツ隊登山事故、生き残りはいないわけだから事実は全員死んだことだけ。あと調査はするが文章にしたり映画化されたりすると死んだという事実以外はSF小説となる。実際の広田弘毅は城山三郎の書く広田弘毅よりもっといい人間だったかもしれない、ものすごく嫌な人間だったかもしれない。そんなことはどうでもいい。ジェームス・ボンドの性格がどうであろうと構わないのと一緒で。

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