HOBNOBlog

ロンドンから徒然に

モデルさん

2007-08-21 | 日常
 昨日山口小夜子さんのことを書きました。うちの会社もモデルを欠かせない仕事なので、調べてみたらやっぱりありました、彼女を使ったカタログが。70年代の、もちろん僕の入社前の古いものですが。

 僕も一時期制作に関わっていたので、色んなモデルを見て来ました。 
 その当時売れっ子だったけれど、ちょっと不摂生かなと思っていたAさんはやっぱり消えてしまいました。スタッフに対してもすごく感じの良かったBさんは歳を重ねた今も、それなりに雑誌を変えて第一線にいます。予定していなかった急な事態にも拘らず水着のショットをOKしてくれたCさんは、ちょっと恐そう(笑)でしたが姉御肌で気持ちのいい人でした。インテリで撮影の合間の話も楽しかったDさんは幸せな結婚生活を送っていると聞きました。どちらかというと脇役で“妹分”といった感じだったEさんは最近一世を風靡した人気者になりました。今や人気女優になっているFさんが、朝早く素っぴんで現れた時、僕の部下は彼女をアルバイトの女の子と間違えて、荷物運びを頼みそうになりました(笑) etc......

 当然の話ですが、単に綺麗だからモデルになれるわけではなく、カメラを向けた時の動きや表情の豊かな人がやはり成功しているように思います。最近は女優への一歩前のステップとしてモデルを選ぶという人もいるようですが、こと演技となるとまた違った面を要求されるんでしょうね。
 どんなシーンにも適応できるよう、できれば内面も磨いて、ステップアップして下さい。 

山口小夜子

2007-08-20 | 日常
 今でこそ色んな分野で国際的に活躍する日本人は珍しくなくなっていますが、これが70年代ともなると、ごくごく限られた人ばかりで、それも固い学問やアートなど、一般の人からは少し離れた世界での話でした。
 しかもこれらはいわば人間の内面の分野であって、体格や外見などで手足の長い欧米人に太刀打ちできるなどとは本気で思っていなかったはずです。したがってスポーツにしろ、映画俳優にしろ、モデルにしろ、世界進出なんておそらく夢のまた夢でした。

 そこにひょこんと(!)現れたのが山口小夜子さんでした。それこそ欧米人に比べても引けを取らない身長(確か170cm?当時としては高いのでは)に、個性的なあの黒髪のおかっぱ頭。この東洋の神秘的なミューズにインスパイアされたのか、殆どの有名デザイナーが、パリ・コレクションやニューヨーク・コレクションで彼女をモデルとして採用しました。
 77年には米ニューズウィーク誌で『世界の6人のトップモデル』に選出され、有名なロンドン・アデルー社製作の“SAYOKOマネキン”が世界のショー・ウィンドウを飾ったほどです。

 その後も寺山修司の舞台に出演したり、勅使河原三郎や磨赤児とのコラボでコンテンポラリー・ダンスの世界に進出したり、フランス・リヨン国立歌劇場でのオペラ『三人姉妹』では衣装デザインまで手がけたり、と多方面で活躍しました(ちなみにこの作品は98年度フランス批評家協会最優秀作品を受賞しています)
 このようにずっと、変に力の入ることなく自然に、僕のイメージで言うと“飄々と”日本のカルチャーに関わって来た感があります。

 その山口小夜子さんが14日に急性肺炎で亡くなったとの記事を、さっき夕刊で見つけました。まだ57歳でした。もっともっと色んな分野での颯爽とした姿を見たかったです。

なんとか評論家

2007-08-19 | 日常
 先日関西から親戚が出て来て、東京見物に出かけました。各所で彼等が戸惑っていたのが、エレベータの立ち位置。そう、東京では左側に立つのが一般的ですが、大阪では右側なのです。それでつい右に立とうとしては避けることに。
 あれっ、じゃ京都はどうだったっけ?と思い出そうとしても、どうにもその時々で左だったり右だったり、はっきりは決まっていなかったような.....
 
 これについての説明.....東京は武家社会なので、刀を守ろうとして左を隠す。一方、大阪は商人社会なので、商品を持つ右手側を守ろうとする。また、京都は公家社会なので、権力に逆らわないよう、その時々で前の人に倣う。
 なるほど、と思いそうになりましたが、待てよ。武家だ、商人だ、公家だと言われてもそんなもの何百年も前のことであって、そんな昔のDNAが受け継がれて、現代のエレベータに乗る時の所作にまで現れるものかな?

 正解はさておき、感心するのは、どんなことにでも必ず理論や説明や解説が付いて来ることです。
 ひと昔前には考えられなかった出来事がよくニュースになりますが、それにも必ず『○○評論家の××さん』なんて人が現れて評論していますよね。そこまで特化した分野の評論家が存在することに思わず笑ってしまいそうになるのですが、TVのスタッフも評論家本人も大真面目で話をしているので、何だかこちらが違和感を感じたまま取り残されてしまいます。

 あの話していることも本当なのかな?なんて疑う僕は相当性格悪いですか?(笑)

ボルベール <帰郷>

2007-08-18 | 映画・演劇
 偶然の一致でしょうが、天才監督ふたりが同時期に同じ曲を自分の映画の中で使ったら、やっぱり気になります。しかも両方共に昨年のカンヌ映画祭の出品作ときたらなおさらのこと。

 『VOLVER(帰郷)』.....タンゴの名曲として知られるこの曲を、アキ・カウリスマキ監督が『街のあかり』の冒頭から流します。この曲の作者でもあるアルゼンチン・タンゴの歌の創始者カルロス・ガルデルが歌うオリジナル・ヴァージョンです。
 そして、曲のタイトルそのものが映画のタイトルにもなった『ボルベール<帰郷>』の中で、ペドロ・アルモドバル監督はフラメンコ、それも最も速く楽しく自由な形式と言われるブレリーア(ス)のリズムで、主演女優のペネロペ・クルスに歌わせます。
 封切の日に観損ねていた『ボルベール<帰郷>』をやっと今日、観て来ました。
 
 昨日のブログの内容を引き摺っているわけではありませんが、アルモドバル監督の映画には視覚的、聴覚的に印象に残る場面が必ずあります。
 今回の視覚はまず“赤”。服だとか花だとか日常にさりげなく使われている赤が、ある時いきなり起きる事件でぐっと強調されてインパクトになる。具体的にはこの場合殺人なのですが、そこでこの事件が核になるのかと思って身構えると、見事に裏切って核心が次に移ります。
 聴覚としては、彼等の交わす挨拶のキスの音の大きさ!マドリッドなどの都会ではこうまで派手ではないらしいのですが、メインの舞台のひとつになったラマンチャの田舎ではこんな感じらしいです。これがひとたび葬式ともなると、ひとりひとりとこの大きさでキスを交わすのです。これが人との繋がりの大きさを表し、またボケてしまった叔母とのキスの場面でその繋がりの濃さとかが自然と分かるのです。

 いつもながら演じる女優達も皆達者です。中でも主演のペネロペ・クルスは文句なく、今まででもベストの演技かもしれません。
 “付け尻”まで着けて臨んだたくましく強いスペインの“母親”が、怒りを迸らせた後にたちまち弱い“娘”になってしまう。それがワンショットの中で演じられます。それは例えば彼女の目。濁流のような涙から、こぼれそうで決してこぼれないぎりぎりの涙まで、自由自在に使い分けるあの目には皆惹き込まれてしまうでしょう。

 そして19年ぶりにアルモドバル作品に出演する、母親役のカルメン・マウラ。コメディ女優らしいユーモアのある軽快な演技と、母親の雄大な愛を感じさせる重い演技のバランスは、これまた素晴らしく、最後の方でのペネロペとふたりの長回しのシーンなんかはたまりません。

 最後に、これは言わない方がいいのかもしれませんが、ペネロペの歌う『VOLVER』は、やっぱり吹き替えらしいです。(でも、あのシーンのペネロペは本当に綺麗ですよ)

ミルコのひかり~ミルコ・メンカッチの少年時代

2007-08-17 | 映画・演劇
 映画や演劇が好きで、しょっちゅう観に行きます。音楽や絵と違って、目にも耳にも訴えるという意味で、よく“総合芸術”という言葉が映画や演劇に使われます。確かに音と映像が相乗効果を上げた時の感動は、他では真似できない大きいものがあります。
 とすると、例えば映画の音楽あるいは音響効果担当の人は、当然その映像を見ながら仕事をすることになると通常は考えますよね。

 一昨年ヒットしたイタリア映画『輝ける青春』をご存知でしょうか?ローマの中流家庭の1966年から今世紀初頭までの37年間の物語を、イタリアの現代史の中に織り込んだ大作です。上映時間が6時間を越えたので、当時二の足を踏まれた方も多かったでしょうが、DVDも出てますので、週末の休みでも利用して是非ご覧になって下さい。感動作ですよ。
 この作品のサウンドを手掛けたのがミルコ・メンカッチです。実は彼、幼少期に不慮の事故で両眼の視力を失っています。そうなんです。目が見えないにもかかわらず、イタリア映画界の第一線で活躍するサウンド・デザイナーなのです。

 そのミルコ・メンカッチの幼少期をモデルにした映画『ミルコのひかり』が9月上旬から上映されます。
 先日一足早く、試写会で観て来ました。70年代初頭なんてつい此間の気がするのに、その当時の盲人に開かれた社会は本当に狭いもので、学校も生徒の個性にはおかまいなしに、何とか食べていける技術を画一的に教え込むという姿勢でした。
 その中で、ある種反骨の精神で、音を核に自分の可能性を追求し、ついには周り(生徒達もおとなたちも)を巻き込んでしまう少年がミルコです。

 例によって映画の話なので(ましてや試写会段階なので)ストーリーは詳しく書けませんが、これを観ると、困難を切り拓く“想像力あるいは創造力”の偉大さを知ることになるでしょう。

桑田真澄

2007-08-16 | スポーツ
 夏の風物詩、甲子園の高校野球が真っ盛りです。真っ盛りと言えばこの暑さ。昨日・今日がピークとのことですが、それにしても暑い!こんな暑さの中で延長15回再試合なんて話を聞くと気が遠くなりそうです。
 高校球児なら誰でも目指す甲子園ですが、もちろん出場できるのは一握りの選手だけ。1回負ければ終わりだけに、必ずしも強豪高校が出場できるとも限りません。今年も現に、ずっと騒がれていた中田翔選手のいる大阪桐蔭は甲子園に手が届きませんでした。

 そう考えると、昔のことではありますが、1983年から85年にかけてのPL学園の成績が奇跡に思えてきます。確かこの3年間、夏は優勝、準優勝、優勝だったし、これに加えて84年、85年は春の選抜にも出場して準優勝とベスト4という成績を残しています。
 そして、この全てに絡んでいたのがKKコンビ、桑田・清原の両選手です。

 84年の夏に甲子園で彼等の試合を観ました。“超高校級”という冠は伊達ではなく、軸の全然ぶれない豪快なスウィングの清原と、しなやかなフォームでどんなピンチにも堂々としている桑田は、やはり他の選手とはワンランク(いやそれ以上に)上にいるイメージでした。
 その後彼等は、ジャイアンツという球団を軸に交差する運命を辿ることになります。共通しているのは、共に因縁のジャイアンツを退団し、40歳を目前にして現役でいること。

 その桑田が夢叶って入団したメジャーリーグの球団パイレーツから戦力外通告を受けました。最終的な決断は日本に帰ってからというものの、現役引退の線も濃くなっています。
 よく頑張った、もういいよ。という気持ちと同時に、もうひと踏ん張りして最後の最後に大きな花を咲かせて欲しいという気持ちも強く持ってしまいます。
 ただ、彼の場合はおそらく次に間違いなく、監督という大きな仕事のオファーも来ることでしょう。野球に対するしっかりしたセオリーを持っていることと、後輩に慕われる性格も監督向きと言えると思います。それを前提にこれから何年か勉強するのもいいことかなとも思います。

 とりあえずこれまでの野球人生に、一旦、おつかれさま!

久しぶりの結婚式出席

2007-08-15 | 日常
 この年齢になるとむしろお葬式の方が増えますが(笑)今日久しぶりに西川と一緒に結婚式&披露宴に出席して来ました。6月のペンギンハウス以来またライヴをさぼりがちですが、思わぬところでHOBNOBとしての演奏をすることになって楽しかったです。

 さて、肝心の結婚式&披露宴の方ですが、おとな同士のカップルで、しかも双方共にクリスチャンということもあって、落ち着いた中にもほのぼのとしたものがあって心地よい時間でした。

 最近は30歳以上のカップルがむしろ主流ですし、女性も自分の仕事をきちんと持っている人が多いので、経済的にも精神的にも自立している人同士の結婚が多いですね。
 そうなるとこれまでに完成したそれぞれの価値観もしっかりしています。そのお互いの価値観を認め合って、さらにふたりで自分達の新しい価値観を築き上げて行くことが、結婚生活をさらに実りあるものにしていくコツなのだと思います。

 今日のふたりは、その意味できっと豊かな結婚生活を送っていけるカップルだと思います。末永くお幸せに!

キャッツ

2007-08-14 | 映画・演劇
 久しぶりにミュージカル『キャッツ』を観て来ました。もう既に初演の地ロンドンでも上演が終了しているにもかかわらず、日本では幾度となく復活して、今年3月には入場者100万人を突破したらしいです。

 1983年頃だったと思いますが、初めて『キャッツ』を観た時は、これまでのミュージカルの概念とあまりに違う形態に本当にびっくりしました。人間を猫の大きさに見做した大道具・小道具を配した舞台、それがいきなり回転し、客席にまでネコが現れる、音楽も桁外れに楽しい.....始まってすぐに客席との一体感が生まれる、その様子に魅了されました。
 それからはロンドン・ミュージカルにのめり込み、現地に出かけては『ミス・サイゴン』、『レ・ミゼラブル』、『オペラ座の怪人』等を何度も続けて観ました。

 最近ではロンドン・オリジナルのミュージカルは当時のような元気はありませんが、劇団四季のいわば日本流翻訳ミュージカルの流れは完全に定着したようで、ハリウッドのヒット作を翻訳した新作の『ウィキッド』も何ヶ月か先まで満席のようです。今日のお客さんも、場面場面での拍手の軽妙な入れ方から、リピート層も相当多いと見ました。

 『キャッツ』のラスト近く、長老ネコが皆を諭す台詞の中に「忘れるなかれ、ネコはイヌにあらず」というのがありました。媚びることなく、自分の信念を通せ、ということでしょうが、四季も成功ゆえの妬みからか、色々と言われることもありましたが、ネコの精神でこれからも頑張って、日本のミュージカルをもっと成長させて欲しいものです。

ダイアナ

2007-08-13 | 日常
 帰宅してTVを点けたらダイアナ妃が映っていました。イギリスで作られたドラマを軸に、当時の映像や関係者の証言で構成されたドキュメンタリーのようです。もう既に後半になっていましたが、つい最後まで観てしまいました。そう言えばあの悲劇的な事故死からもう10年が経つのですね。
 事故当時は王室の謀殺説まで出て、ロンドン警視庁が調査に乗り出しました。やっと昨年末に最終報告書が出て、あれは事故死だったとの結論に至ったようですが、事故直前に接触した白い車というのが未だに消息不明ということで、世間の噂はそう簡単には消えないでしょう。

 実は昔、ダイアナ妃が住んでいたケンジントン宮殿の近くに僕の住居もありました。散歩の際に近くを通ることも多かったのですが、いわゆるパパラッチはその当時から目に余るものがありました。ケンジントン宮殿の車の出入りは二ヶ所からできるのですが、グループを組んでトーキーで連絡を取り合い、写真を狙っているのです。
 TVや大衆新聞でもダイアナが取り上げられない日はないくらいで、ロックスターでもこれだけ追い掛け回されることはないだろうというくらい、公私に渡って報道されていました。

 1995年の衝撃的なTVインタビューもイギリスで見ました。あの時のダイアナの、どこか神経を病んでいるんじゃないかと思えるくらい悲壮な表情が忘れられません。
 その彼女がいつの間にか明るい表情を取り戻し、エイズ患者の救済や地雷撲滅の運動に精力的に動き回る姿を見て、ちょっと安心したのも覚えています。何の運動でもシンボリックな存在というのは大切でしょうが、彼女がいることで実際に世間に注目を浴びた現実というのは多かったと思います。

 TVの最後に、成長したウイリアムとヘンリーが自分の母を誇る言葉が印象的でした。今度は彼等が彼女の遺志を継いで、世界の弱者のために動くことになるのでしょう。


朝青龍問題

2007-08-12 | スポーツ
 朝青龍問題がこじれています。
 それにしてもこの一件、よく考えてみると何だかねじれて複雑です。対立問題というなら互いに向き合う相手がいるはずですが、ことは朝青龍対相撲協会で済まない事態になっています。
 どちらがいいとか悪いとか言う前に、どちらも肝心な相撲ファンの存在を無視していませんか?謝らなければならない人間がいるとすれば、これは両者共で、謝る相手は誰かというとファンでしょう。場外でのこんな番外の盛り上がりばかりで、肝心の土俵上の方が面白くなくなれば、皆最終的には相撲自体にそっぽを向きますよ。

 とにかく今回は皆が皆、揃って大人気ない。
 まず朝青龍。療養理由で巡業を休んでの例のサッカーは、例えどんな理由があろうともやはり許されないことでしょう。ただ、まずいのはその後の対応。あの時帰国してすぐに謝罪会見でもしておけば、処分は免れないにしても、むしろ話題は復帰に向けての動きに移って、きっと応援してくれる人も増えたと思います。
 それから高砂親方。どうしてあんなに朝青龍との距離感を感じる対応を取るのでしょう?傍から見ていると遠慮しているようにさえ感じます。親方としての威厳を持ってすぐに適切な処置を取るべきだったと思います。
 そして相撲協会。今回の処分決定の早さは評価できますが、これまでも大なり小なり問題を起こして来た横綱に対して、これまでの処分とあまりにも異なる内容ではありませんか。これでは、ひとり横綱の時は甘やかして、白鵬の登場で、手のひらを返したようにきつい処分に出たと思われても仕方ないと思います。それに、この不祥事は、もちろん朝青龍が一番の元凶だとしても、迷惑を被っているのはファンなのですから、高砂親方に任せ切りではなく、協会自らも対応なり、記者会見なりの必要があるのじゃないかと思います。

 あるいは、一番の“悪”はマスコミかもしれません。他に大したニュースがないにしても、あまりに騒ぎ過ぎでしょう。
 僕は別に朝青龍のファンでもなければ特に嫌いというわけでもないので、冷静に見ることができますが、今回は何だか普段弱い連中が、ガキ大将が今弱っているので、ここぞとばかりに皆で逆にイジメに出ている、といったイヤな印象を抱きます。

 早く沈静化して、もっと面白い相撲を見せて下さいな。