HOBNOBlog

ロンドンから徒然に

なれるものなら

2007-08-24 | 日常
 小さな頃、描いた絵がよく大きなコンテストに入賞して飾られたりしていました。クレパスを厚く塗りたくった絵ばかりだったと記憶しています。ところが、そちらの才能はやはりなかったとみえて、いつの間にか描くということが苦手になりました。
 何が境だったのだろうと考えると、ものをちゃんと見て描写するという当たり前の段階からなのです。

 小さな頃なんて、例えばどこかの風景を描くとしても、そんなものいちいち見て描くわけではなく、自分の心の中にある印象みたいなもので、実物とは違う色を自由に塗っていたのです。
 ところがスケッチ~水彩の頃になると、“実物そっくり”が一義的な価値と捉えられがちです。僕もトライはするのですが、どうにも違和感を感じて仕方なく、思うような色に仕上げられずに、かといってその訳を説明できるほどの言語能力がある年齢でもないもので、段々と美術が嫌いになってしまいました。

 今、考えてみると、つくづく細部の観察力がないのです。獏としたイメージを感じ取りはするのですが、いざ細部を思い出そうとすると全然ダメ。
 話は違いますが、例えば事件が起きて怪しい人物の目撃者となったとしても、どんな風貌だったかを細かく説明することができそうにありません。

 その点、もともとイメージの世界である作曲は楽です。ただ、うまく説明できませんが、与えられた具体的な詩のイメージがすぐに曲のイメージに置き換えられるのではなく、僕の場合その間にひとつ挟まって、色だとか臭いのイメージが浮かぶのです。そのように生まれた抽象を別の次元の抽象に置き換える、といった感じかな。分かりませんよね(笑)

 あぁ、それにしても今もしどんな才能でも許されるのなら、画家になってみたかったなぁ。