先週末はあまり食指が動く新作映画がなく、目玉となったのはこれでした。『Kung Fu Panda 2』。
で、日曜日の昼間にたくさんの子供達に囲まれて観てきました(笑)
アニメーションとは言え、吹き替え陣の豪華さに驚きます。ジャック・ブラック、アンジェリーナ・ジョリー、ダスティン・ホフマン、ジャッキー・チェン、ルーシー・リューの前作に引き続いて、今回はさらにゲイリー・オールドマンとジャン=クロード・ヴァン・ダム……実写だったら何と凄いことか。
日本はもちろんのこと世界各国で吹き替えされるんでしょうが、それぞれの国でどんな俳優が受け持つのか興味あります。
そう言えばこちらでDVDを見ようとすると、吹き替えの選択肢の何と多いこと!西欧・北欧・東欧・ロシア圏までカバーしていますからね。
イギリス映画も当然その対象になるわけですが、僕の大好きなイギリス人女優クリスティン・スコット・トーマスは自分の役のフランス語の吹き替えを自ら行なうこともあります。そればかりかフランス映画で主役を務めることも。彼女は19歳でフランスに移り住み、パリの国立舞台芸術技術学院で学んだ経験があり、またかつてのパートナーがフランス人医師だったこともあって、フランス語が堪能なんです。
目の前で彼女の演技を見ることができました。ノーベル賞受賞作家ハロルド・ピンターHarold Pinterの作品『Betrayal /背信』がComedy Theatreでリバイバルされ、現在それに出演しているんです。
数々の“不条理演劇”で有名なこの作家の作品ですが、ここで特徴立っているのはAnti-clockwiseと言われる手法、つまり時間軸を遡って物語が展開するんです。
最初のシーンが1977年に始まり、次が75年、73年、71年と展開し、事の発端となった1968年でカーテンが降ります。
タイトルから想像されるかもしれませんが、モチーフとなっているのは不倫。しかも男同士は親友。唯一レストランのシーンでのウェイターの役を除いて、舞台に現れるのはこの3人だけです。
上記の手法ゆえ、物語の結末は最初に分かっており、そうなると観客の興味は何故、どのようにこういうことが起きたのか、という点に向かいます。
そして意外な事実を知ってしまうと(例えば、夫はこの事実を何年も前に既に知っており、にもかかわらず友人を責めることもなく、妻もまた夫に告白後も友人との関係を止めるでもなく、互いに通常の生活を続けている)、タイトルの“Betrayal”はそれほど単純な図式ではないと気づき、一体誰の誰に対する背信行為なんだろうかと考えさせられます。
それにしても、感情をコントロールするのが役者の仕事とはいえ、必要な場面で涙を流す(映画と違ってやり直しができず、しかも毎日の上演ですよ)なんてことがよくできるものだと感心してしまいます。
それやこれやで幕間なしの1時間半、心地よい緊張感ですぐに過ぎてしまいました。劇場を出る時間でもまだうっすらと明るい6月の夜でした。
で、日曜日の昼間にたくさんの子供達に囲まれて観てきました(笑)
アニメーションとは言え、吹き替え陣の豪華さに驚きます。ジャック・ブラック、アンジェリーナ・ジョリー、ダスティン・ホフマン、ジャッキー・チェン、ルーシー・リューの前作に引き続いて、今回はさらにゲイリー・オールドマンとジャン=クロード・ヴァン・ダム……実写だったら何と凄いことか。
日本はもちろんのこと世界各国で吹き替えされるんでしょうが、それぞれの国でどんな俳優が受け持つのか興味あります。
そう言えばこちらでDVDを見ようとすると、吹き替えの選択肢の何と多いこと!西欧・北欧・東欧・ロシア圏までカバーしていますからね。
イギリス映画も当然その対象になるわけですが、僕の大好きなイギリス人女優クリスティン・スコット・トーマスは自分の役のフランス語の吹き替えを自ら行なうこともあります。そればかりかフランス映画で主役を務めることも。彼女は19歳でフランスに移り住み、パリの国立舞台芸術技術学院で学んだ経験があり、またかつてのパートナーがフランス人医師だったこともあって、フランス語が堪能なんです。
目の前で彼女の演技を見ることができました。ノーベル賞受賞作家ハロルド・ピンターHarold Pinterの作品『Betrayal /背信』がComedy Theatreでリバイバルされ、現在それに出演しているんです。
数々の“不条理演劇”で有名なこの作家の作品ですが、ここで特徴立っているのはAnti-clockwiseと言われる手法、つまり時間軸を遡って物語が展開するんです。
最初のシーンが1977年に始まり、次が75年、73年、71年と展開し、事の発端となった1968年でカーテンが降ります。
タイトルから想像されるかもしれませんが、モチーフとなっているのは不倫。しかも男同士は親友。唯一レストランのシーンでのウェイターの役を除いて、舞台に現れるのはこの3人だけです。
上記の手法ゆえ、物語の結末は最初に分かっており、そうなると観客の興味は何故、どのようにこういうことが起きたのか、という点に向かいます。
そして意外な事実を知ってしまうと(例えば、夫はこの事実を何年も前に既に知っており、にもかかわらず友人を責めることもなく、妻もまた夫に告白後も友人との関係を止めるでもなく、互いに通常の生活を続けている)、タイトルの“Betrayal”はそれほど単純な図式ではないと気づき、一体誰の誰に対する背信行為なんだろうかと考えさせられます。
それにしても、感情をコントロールするのが役者の仕事とはいえ、必要な場面で涙を流す(映画と違ってやり直しができず、しかも毎日の上演ですよ)なんてことがよくできるものだと感心してしまいます。
それやこれやで幕間なしの1時間半、心地よい緊張感ですぐに過ぎてしまいました。劇場を出る時間でもまだうっすらと明るい6月の夜でした。