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ロンドンから徒然に

Social Distancing

2020-04-05 | 日常
山間ということを考えるとそれなりに整備された通りに、誰の姿もない。小鳥の声さえ聞き分けられるような静寂の中での散歩というのは贅沢なことに違いないが、前日にここからそう離れていない場所で経験した喧噪と比べてどうにも違和感がある。

北に位置していて、ここまでの旅で過ごした地域よりましとはいえ、暑い国には変わりない。喉が渇いてきた。幸い、途中で中継点にしようと予め調べていたホテルがすぐ側だ。この辺りでは高級なところのようで、なるほど日本人滞在者もいるのか(この頃の日本はまだ経済力を謳歌していた)掲示板の張り紙に日本語も見えた。好奇心で読んでみると……

これは随分と若い頃(そう、かなりの無茶もあの頃なら出来た)インドのスリナガールに滞在した時の経験。その日、隣国パキスタンとの紛争が勃発したので外出はしないようにとの注意が張り紙の内容。

この旅の記憶が思わず蘇ってしまったのは、2週間程前、今なら「不要不急」と責められるに違いない用事でセントラル・ロンドンに出かけた時のこと。
普段ならばまともに歩くことさえままならないほど多くの人でごった返すオックスフォード・ストリートやリージェント・ストリート、さらにはピカデリー・サーカスまで人影がまばら。何だか場所と時間に歪みが出来て、とんでもないところにいるような不思議な気分。



思えばこの頃は、イタリア、フランス、スペインなどの状況を見ていて、もうすぐイギリスもロックダウン(実はこんな言葉それまで知らなかった)されるかもしれないというパニック状態にあった。スーパーからトイレットペーパーはおろか何でこんなものまで?という商品が根こそぎ消えてしまっていた。

しかし、今振り返ればこの頃の“パニック状態”は(語弊はあるが)まだましだったのかもしれない。
“外出禁止令”が発動されたのが丁度この一週間後。大げさでなく、これを境にこれまでの世界と異なる世界に入り込んでしまった感じがする。今やパニックを通り越して、どこか諦観にも似た雰囲気が皆の間に漂っている。本当に以前にいた世界に戻ることができるのか懐疑的になってくる。いや、多分もう戻れない部分もきっと出てくるんだろうな。



それでも、特に証明書の必要なく生活必需品の買い出し(いずれにしても、スーパーと薬局以外の店は空いていない)と日に一回の散歩が認められている分、多分ヨーロッパの他国よりはましなんじゃないかと思う。

それに、幸いうちの近くには大きな公園があるので犬を散歩させるのにも不自由ない。その犬(これが人なつっこいんだ)が先日、見回りをしていた警官にじゃれついていった。そこはホラ、ユーモアを失わないイギリスのポリス、犬に向かって「Social Distancingを守らないと罰金だぞ」

Social Distancing。具体的には相手と2m以上の距離を空けることを指す。実は必需品の買い出しのためにスーパーに行っても人数制限ですぐには入れず、地面に貼られた2m間隔のテープに沿って列を作らなければならない。店内は店内でまた2m間隔のテープが。もちろんレジ前にも。さらにはレジ係との間に透明なアクリル板が置かれるという厳重装備。



これ、“Social Distance”とは違って(紛らわしいよね)、あくまで感染を防ぐためのフィジカルな距離だけれど、単純に見えて意外ときつい。これが日常になってくると、これまでの人と人との精神的な距離感さえ怪しくなってくる。恋人だとか友人だとか隣人だとか仕事仲間だとか……これまで信じていた結びつきの形に微妙な変化はないのだろうか。

さて、ここまでやっているのに状況はますます厳しく、感染者も死者も日を追って増えるばかり。先に書いた戦争の例えで言うならば、最前線で戦っているのは医療関係の人達。しかし、決定的な人手不足、施設不足でもう限界と思われるような疲弊ぶりが毎日伝えられる。他国ではとうとう命の選別(助ける人と諦める人を振り分ける。大抵はお年寄りが後者)まで行わなければならない状況だと聞く。そうせざるをえない医者の心境を考えると辛い。イギリスでこれを起こさせたくない。

僕らに出来ることは外出を控え、コロナに負けないようにすること。皆、頑張れっ!

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