植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

安倍政権が遺したもの その6 新聞死とコロナ

2020年09月08日 | 時事
 安倍さんが退陣表明したら、読売新聞調べの政権の支持率が急上昇だそうです。なんで、何もやらず、あとは知らないよと放り投げた政権の支持率を調査する必要があるのでしょうか。もし、評価が良くなったとすれば、日本の今と将来を「暗黒面」に落とした張本人が居なくなるのを支持したと捉えるべきではないでしょうか。大手の新聞社は、どこまで行っても政権よりのアクションばかりです。現政権を支持するという回答は、暑さで頭が働いていないか、調査側(新聞社)の誘導質問であったかのいずれかでしょう。
  かつてマスメディアは、政権・権力に対して批判的であるべきだと仰った方がこの業界にもいらっしゃったのです。今は真逆で、政権におもねることが、情報入手と存在継続の手がかりに成り下がっています。世論調査も含めて、これまで新聞が世論形成・民意形成に少なからぬ影響を及ぼしてきただけ、その責任も重大なのです。

 新聞の発行部数は14年連続の減少です。水増し発行してもなお減り続け、4千万部を割り込みました。
 ワタシは、だいぶ前から新聞というものを読まなくなりました。その内容に疑問を覚え、自分が、つまらぬ先入観を植え付けられ、悪しき色に染められる可能性があると直感していました。かなりの記事は、政府と各官庁からボックスに投じられる宣伝記事がソースになります。その通りを報じないと締め出され遠ざけられるからです。
 新聞紙はいずれ完全に廃れると思います。インターネットの発達、スマホなどによる情報手段の多様化によって、すでにその役割は終わりつつあります。町で新聞を読むのは、ほとんどが老人です。若者は新聞など購読しておりません。それでも、一定の販売が出来ているのは、販売店のお兄さんがたが必死に頑張り、田舎の年寄りが付き合いで継続しているようなものか、あるいは惰性なのです。
 そして、ペンの強さを失い、公器としての使命が果たせなくなった新聞は、地方のローカル紙だけあれば済む時代になるでしょう。

 コロナはどうなったか?それが安倍政権に直接引導を渡す引き金になったのは事実であります。それまで、さんざん疑惑隠しと国会での偽証・嘘八百で逃げおおせていたのですが、コロナ対策の迷走ぶりが明るみに出るともはや安倍さんの言うことが、不実、空疎で、中身がないことに国民が呆れうんざりしたのです。

 クルーズ船の感染蔓延を発端に、いきなりの学校閉鎖、アベノマスク、PCR検査体制、バラマキからGo-Toキャンペーンに至るまでまさに、場当たり的で出たとこ勝負でした。そして、制作が裏目に出て支持率が下がると見たら、途中から自治体に丸投げし、勝負どころか口先だけでごにょごにょ誤魔化し、「なにもし内閣」を決め込んだのです。

 コロナに最も有効な対策は、結局は各自の感染しない(させない)心がけや注意によっていたということなんです。政府はコロナをコントロール出来ているかのような情報を流していて、さも、それが政策のお陰だとでも言いそうです。日本人の生活習慣、人と近接せず、触ることが少ない、衛生観念が強くマスクにも抵抗が無いなどによって、感染が抑制されてきたのは明らかです。

 安倍政権と官僚たちが、こうしたコロナのような予期できない初体験のリスクに対して無力であったことが、コロナによって得られた教訓であったと思うべきでしょう。
 次期総裁と目されている菅さんは、長くその中心に居た人物です。そうして、自民党政権が、安倍さんが遺した政治を温存し、菅さんによる真似っこ政治を目論んでいることも忘れてはならないと思います。本来新聞紙が伝えるべきは、次期総裁レースを面白おかしく論じるのではなく、安倍政治が遺した数多の疑惑や不正を糺すことなのだ、と思うのです。


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