国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

お見合い

2015-10-12 | 結婚@NYまで
ついでながら就職後に持ちかけられた話についても少し。親が数件持って来ましたが、履歴書を見て即座に興味が失せました。私はまず趣味の欄を見ますが(注)、決まって「旅行」とあったからです。(注:写真なんかいくらでも修正できるという話ですし、容姿は所詮二の次、三の次と思っているので。もし「人生観」や「信仰」という項目があったら最重要視するところです。)私は趣味が「旅行」「ショッピング」「グルメ(食べ歩き)」という人とは友達になりたくはありません。(そういえば何かで読みましたが、女性が見合いのプロフィール欄に書いてはいけない三大趣味というのが「海外旅行」「ゴルフ」「ダイビング」だったような。)とくにすることのない人(要は無趣味な人間)の暇つぶしだと思っているからです。(実は「デート」というのも暇人達による体のいい時間つぶしだと思っているほどです。)とくに海外旅行ですが、業務出張とかLindaに会いに行くといった特定の目的あるいは使命がなければ私は飛行機に乗る気がしません。というか移動自体がイヤ。(鉄道も新幹線はあまり好みません。ただし、鈍行列車は移動そのものが目的化してくるので話は別。高山本線とか飯田線あたりは青春18きっぷでも買っていつか、などと考えています。)あちこちに書いているように「超出不精」です。(なお自転車の遠乗りも主目的は余剰カロリーの消費。しないと太る一方だからです。)

これが「○○時代の○○様式の建築に興味があって」とか「○○の小説(あるいは音楽)が好きなので、作家(作曲者)に縁のある地を巡るのが好き」などと具体的に書いてあれば(普通なら引かれるのかもしれませんが)、○○が私に理解できなくとも「どれどれ、話は聞いてみようか」という気になったかもしれません。(ちなみに、Lindaは私に影響を受けたということも多分にあるのでしょうが、クラシック音楽やオペラが好きというのは明らかに好印象を与えました。)実際お目にかかったことはないですが、ドストエフスキーの後期五大長篇のうち三つ、あるいはトルストイの三大長篇のうち二つを読んだことのある女性なら、少なくとも友達にはなろうと考えるでしょうね。(ついでですが「アンナ・カレーニナを読みかけたけど途中で挫折した」という人でも私には十分面白かったです。振られましたが。)

職場関係では偉い教授の先生や事務局の人、さらには同じ学部(他学科)の教員から話が来ました。うち1件は当時の副理事長(の知り合い?)の娘だったような。ちょっと勿体ないことをした(逆玉のチャンスを逃した)のかも? 教員関係のうち1件はメールでした。いきなり「お見合いしませんか?」で始まり「私の友達で県内の研究機関で働いている東大卒の人です」とのことでした。それに何と答えたかといえば・・・・・

まあ、私はいつか南米に移住しようかと考えたりもするような人間ですから、「スペイン語でも日常会話ができること」を必要条件としています。

で、それっきりになりました。(なお私はこういう真面目な件では嘘や冗談は言いません。100%本気ということもありませんでしたが・・・・日本での生活に飽き飽きしたら、あるいは日本が非常に住みにくい国になったら逃げようかな、とは考えてきましたし、今もそうだったりします。この結婚でその有力な候補地が一つ確立されました。)この必要条件はその後も何回か持ち出し、その度に顰蹙を買うこととなりました。それで「じゃあわかった。少し条件を緩める。」として「ポルトガル語も可」にしました(笑)。どっちにしても端から相手にする気などなかった訳です。さらに何年かが経つと私は「○○語でも」の「も」を取りました。それまではあくまで日本人限定だったのを「国籍は問わない」に変更するのだから大きな譲歩といえるでしょう。それで誰かと巡り会えると真剣に思っていた訳ではもちろんありませんが・・・・・何でそういう気になったのかは今考えてもわかりません。ただ、そのこと(枠を取っ払っていたこと)があの日私にあのように言わしめることになった遠因なのではないかと考えたりもするのです。

では私がいつ何を言ったかについては日を改めて。
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お節介

2015-10-12 | 結婚@NYまで
こちら(滋賀県立大学)に来てからのことですが、大きなお世話としかいいようのないことを性懲りもなく繰り返す年配の教授が何人かいました。うち1名は酒の席で一緒になると決まったように近づいてきて(どもりながら)「い、い、い、い、いつ結婚するの?」と訊いてきましたが、もちろん答えようがありません。相手どころかその気も全くありませんでしたから。「結婚しているの?」→ No →「結婚するつもりはあるの?」→ Yes →「誰かいい人はいるの?」→ Yes → となって初めて "When?" を持ち出すのが筋というか手続きというものでしょう。正直ウザかったです。また、郵便箱に「見合い結婚のすすめ」という本が入れられていたこともありましたが、これも誰の仕業かだいたいわかっています。両者とも今なら間違いなくセクハラでアウト(戒告の対象)でしょうね。

そういう失礼な人達は既に辞めていきましたし、各種ハラスメントへの意識が高まるとともに厳しい処置が下されるようになるにつれ、職場でこういった不愉快な思いをすることも次第になくなりました。が、ここで声を大にして言わせて下さい。

結婚する人は放っておいてもします。しない人は誰が何といったところでしません。(職場の同年代の人達を見て確信したことです。)そして、将来どうなるかが自分でもわかっていない人に余計なお節介をするのは間違いなく逆効果。「誰がお前の言うことなんか聞くかボケ!」と思われるのがオチです。私も身内のお節介に辟易していたうちの一人ですが、その度に「少なくともあんたらの目の黒いうちは絶対に結婚せん」と思っていました。言葉にはしませんでしたが。少子高齢化社会を心配するのはご自由ですが、ならば少子化対策とか移民政策を推進するような市民運動なりロビー活動でもしてて下さい。
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警告!(大袈裟な)

2015-10-12 | 結婚@NYまで
前回予告した「私はどういう人間なのか」ですが、あまりにも中身がドロドロなので本文には上げず、コメント欄に隔離することにしました。読まれるのは自由ですが、筆者としてはとてもお薦めできません。

追記:コメント欄は修正不可能(消してから再度書き込むしかない)ですが、私は文章に不備があると感じたら直さずにはいられない性分なので、(二度と読み返す気の起こらない代物とはいえ)トップページから見えない場所へ隔離したのは正解でした。
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