TakaPの数学日記

数学を教えていて感じたことや日常の感想などを記録しました。

母の見舞いと・・・

2010年10月10日 14時13分40秒 | 日記
 10月1日(金)。母の見舞いに行った。実は池袋で演劇を見るついでだったのだが。
 母は相変わらず元気である。この日は上手に受け答えをしていた。久しぶりに肩をもんでやると、痛がった。若い頃の母の肩は頑丈でちっとやそっとでは肩こりが取れなかったのだが。
 
 母の見舞いが終わり、東長崎駅そばを通る。4時半頃だった。劇は池袋の芸術劇場で7時から。時間を池袋の書店巡りでつぶす予定だったが、久しぶりなので、東長崎をぶらりと散歩した。もしかするとカラオケのお店があるかなーと思ったが、見つからなかった。駅前を少し行くと映画館があった通りに出た。映画館は「平和シネマ」といって、ここには小学校の頃映画鑑賞教室でよく来た。「オズの魔法使い」などを見た。
 建物は立て替えられずに改装しているようであった。2階建ての商店になっていた。「平和シネマ」で見た映画は、「赤胴鈴之助」がほとんどだったか・・・。「平和シネマ」の他にはすぐそばに「長崎東映」というのがあって、「怪人二十面相」や「地雷也」とか「紅孔雀」などを見たと思う。祖母と弟と一緒に「明治天皇と日露大戦争」を見たかも・・。

 カメラ持って行けば良かったな。今度紹介しよう。

 「平和シネマ」の前の通りは、大和田通りといい、ここを東の方向に行くと、山手通りにぶつかり、そこでこの通りは終わる。
で大和田通りをずっと東に歩いて行った。懐かしかったが、マンションが多く建っている。中学校時代の友人宅のパーマ店はなくなっていた。建具店か木工所にいた友人宅もなくなっていた。木工所があったであろう場所には別の家が建っていたが、表札を見ると友人の名前はなかった。40年以上も経っているのだから無理はない。

 まもなく、見慣れた名前の牛乳店があった。ここはきっと代が替わっても後を継いだのだろう。もう少し行くと実家だが、その日は留守だと分かっているので、そこには寄らなかった。大和田通りを左に曲がり西武線の線路方面に行く。建設会社は相変わらずあった。友人の実家である洋服店もあった。椎名町に着いたので、商店街を散歩。
 先日電話かかってきた友人の実家は履物店だったのだが、店はなかった。すぐ隣の古本屋があった。ちょっと感激し、店に入り1冊本を購入。店番の人に話しかけようかと思ったがやめた。ここでは「初歩のラジオ」という雑誌の古本を買って、その本で電気回路や電子回路の勉強をした。また中学時代に高校の参考書を買って、高校数学を勉強した。なつかしい古本屋であった。

 椎名町付近のカラオケ店をさがしたら、1軒あったが、時間がないので今度入ってみようと思った。ここから椎名町駅へは出ず、小中学校時代に通った珠算塾を目指した。長崎町と千早町の境の道を東へ。やがて左にお寺が見える。このお寺では「お稚児さん」という行事をやったことがある。稚児の衣装を着てお寺の中を歩いた。珠算塾までもうすぐだ。行ってみると、建物はなく、地鎮祭の跡。引っ越したのか建て替えなのか・・・。実はこの珠算塾は中学校の恩師が経営していた塾だった。先生もお亡くなりになったのか・・・。もしご健在なら80歳は超えているだろう。
 さてこの珠算塾の前は「聖パトリック幼稚園」になっている。今もそうらしいが、ここは通過した。この幼稚園をやっている教会には中学校時代の友人が住んでいて、そのお父さんは偉い神父さんだったと聞く。友人の家には一度だけ遊びに行ったことがある。
 山手通りにぶつかったのでそこを北へ歩いて行くと、やがて地下鉄の要町駅にたどりつく。ここでラーメンを食べる。ちょうど6時ごろだったか・・・。
食べ終わったら地下鉄に乗って、池袋へ。東武の書店に行き数学の本を買ってから、芸術劇場へ行った。劇の中身は省略。

 実家のある椎名町には行くが、その付近の懐かしい場所にはほとんど足を運んでなかった。今回行ってみて良かったと思った。また懐かしい場所を訪ねて、思い出探しをしたい。





 

コメント (2)
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