風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

イタリア[ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、ローマ 21日間の旅]~ローマ5

2010年11月08日 | イタリアの旅
帰りの飛行機の座席を予約するため、ホテルのインターネットを借りようと思ったが故障していて使用できなかった。
ホテルの隣のインターネットショップに入り、アクセスを試みた。1時間1.5ユーロと安いのだが、日本語モードが入っていないのでとても困った。
飛行機のチケットのインターネット予約は出発の48時間前できると言うのだが、時差の関係なのかこの日は予約できなかった。
ホテルに戻りガイドブックを見ると、アッピア街道のバスは4時半まである、というので急いでバスターミナルに行ったのだが、
「今日はもう終わった。明日来て下さい。」と言われた。アッピア街道は、私たちにはすっかり"鬼門"のようだ。
妻はホテルに戻り、私は一人で地下鉄でカストロ・プレトーリ駅に行き、ピア門の写真だけを撮って帰ってきた。
ピア門[ミケランジェロ最後の作品]                その後ろは、歩兵部隊歴史博物館になっている
  
歩兵部隊歴史博物館前のモニュメント、この右側は運輸省    城壁
  
カストロ・プレトーリ駅近くに立派な英国大使館の建物があったのでカメラ向けたら、銃を持った兵士が来て「ダメ」。

夕食は、日本語メニューのあるサンティと言うレストランに入った。
お米のスープ、豚肉とジャガイモの煮物、なすのチーズ焼き、野菜サラダと鱈のグリルと赤ワインのボトルを頼んだ。
今までのレストランの中で一番私たちの舌に合う味であった。特に豚肉とジャガイモの煮物はとてもおいしかった(40ユーロ)。
外人はこれくらいは一人で食べてしまう人が多いようだが、「最近は、イタリア人も太り過ぎと健康を考えて、だいぶ小食なり、
シェアして食べるのも普通になって来た」とは、フィレンツェでのイタリア人ガイドのお話であった。
 
 
おもしろい日本語メニューであった。
  

10月20日
イタリア最後の日は、いわば予備日、エトルリア=タルクィニアに行くことにした。
   

エトルリアについてはよく知らない人もいると思うが、塩野七生さんの"ローマ人の物語"にも良く出てくる。
古代ローマ以前に栄え、高い文明を持ち、水道橋などの土木技術や芸術や知識などをローマ人に伝えたと言われる。
10:09テルミニ発ピサ行き電車でタルクィニア駅に向かう。
途中海と田園風景の見えるきれいな風景だった。
タルクィニア駅に着くと駅と旧市街地を結ぶ、電車と連結するシャトルバスが待っていてそれに乗る(60セント)。
 
団地内などを通り10分後に旧市街地・タルクィニアの町に着いた。  門を入った広場
 
城壁の門の所にインフォメーションがあり、帰りのバスと電車の時刻を訪ねると時刻表と地図をくれた。とても親切であった。
Barでサンドイッチとカプチーノを取り、国立タルクィニア博物館(ヴィテッレス宮)[7ユーロ]に入る。
 
左奥の機械は、どこのBarにもある、コーヒーメーカー。
国立タルクィニア博物館(ヴィテッレス宮)[7ユーロ]         
 
中庭                                   展望室から、彼方に駅と海が見えます
 
エトルリア芸術の頂点と言われる"有翼の2頭の馬の浮き彫り"、内部の写真を撮ることはできない[写真は引用]。 右は民家の玄関先から。
    
受付の女性も親切で、共通券で入れる次の博物館[ネクロポリ]への道も教えてくれ、そこに向かった。
城壁の門
 
サン・フランチェスコ教会
  
ネクロポリがわからずウロウロしていると、住宅の2階の窓から女性が声をかけ教えてくれた。
 
ここは、お墓群である。
 
お墓は、開放されおり、階段を下りると、スイッチがあり、押すと点灯する。鮮やかな色彩であった。
 
 
 
 
広大な敷地の中に墓が点在し、のんびり過ごした。

バス停まで戻り、妻はBarで休憩。バスの時間がかなりあったので、私は一人で市内を散策した。
  
                                     Annunziata教会
 
San Salvatore教会                             San Giacomo教会
 
                                     Castello門
 
Margherita Duomo

 
妻とBarで合流し、15:50のバスで駅に着いたのまではよかったのだが、タルクィニア駅は無人駅だった。
切符の自動販売機があるのだが、使い方が全くわからない。人影もなく途方に暮れていると、ホームに30代位の青年がいた。
私は、彼に切符が買えないので買ってもらえないかと頼んだ。彼は怪訝な顔をしていた。おそらく彼はのお金を恵んでくれと思ったのだろう。
私が手に20ユーロ札を持っているの見て、事態を察した様で、自動販売機を操作して切符を買ってくれた。
しかし、切符代は12.6ユーロで、20ユーロ札を入れたのに、おつりが出ないのだ。
どうやら機械の中におつりがなかった様だ。彼もそれを十分に説明できないし、我々も事態がよくつかめないでいた。
切符らしき物が3枚が出ていて、よく見ると一枚はどうも切符ではなくようで、そこには7.6ユーロと書いてあった。  ホームと発車を知らせるベル、初めて見ました。
  
彼は、機械にはおつりがないので、大きい駅に行って払い戻す、と説明していたのだ。我々も彼もホッとしたのであった。
おそらくこれを"地獄で仏"と言うのだ、と思った。
この町は、私たちが訪れたイタリアの町で通りが一番きれいで、通りにゴミはほとんど落ちていなかった。
また、出会う人出会う人がとても親切で、私は少し嫌いになりかけていたイタリアであったが、持ちこたえたのであった。
観光客があふれていない地方のイタリアの人達の日常は、おそらくこのようなのだろうと、私たちは思った。
ローマ駅でおつりの払い戻しと明日の空港までの切符を買うために、35分も窓口に並んだのであった。
たった7.6ユーロの払い戻しなのだが、駅職員はパソコンを打ち、書類を2枚作成・印刷し、ホッチキスで留め、封筒に入れるのであった。

夕食は、昨夜と同じレストランで、野菜スープ、シーフードリゾット、サラダ、豚肉とジャガイモの煮物、イカの天ぷら、750ccの赤ワイン、40ユーロ。
     
隣の席がオランダ人夫婦で、彼らから話しかけて、また写真も撮ろうと言ってくれた。楽しいご夫婦であった。
オランダがワークシェアリングなどで成功していること、柔道のアントン・ヘーシンクのことなどを私が話すと、
彼らはヘーシンクが2ヶ月前に死に、昨日はオランダの選手が柔道でチャンピオンになったこと、
今は、リタイアして、1週間イタリアを旅していること、などを話した。
日本からイタリアへは何時間がかかるかなどを聞いてきた。
私は、江戸時代、日本とオランダは友好的だったことを話したが、日本についてはよく知らなかった。
それはもっともなことで、ヨーロッパからすれば、日本は遙か彼方の異境の地なのだから。
イタリアの最後の日に、イタリアの人々の優しさに触れ、オランダ人と初めて話し、食事が出来てとても良かった。

10月21日
日本への帰国である。チェックイン・出国審査はきわめて簡単で、パスポートに出国の判子すら押さない。
香港の空港は、乗り継ぎだけだったのに検査が慎重で、鞄の中から手荷物を全て出させて調べていました。
キャセイ航空は48時間前にインターネットで座席予約=チェックインができるのだが、時間がなくそれはできなかった。
だが、良い具合に通路側の席を頼むことが出来、香港からの席も最後尾から3列目の通路側で最高でした。 機内食はもう1食あった。
 
10/21、12:40ローマ発、10/22、6:50香港着[時差7時間]。 10/22、9:30香港発、10/22、14:55成田着[1時間]。
直行便の最短は12時間位からあるようですが、乗り継ぎだと一日がかりだと言えそうです。
まだ、体力的にエコノミーでも大丈夫のようですが、それもいつまででしょうか。
エコノミーの座席は本当に狭いです。外人は、かなりデリカシーがないのか、寝てる時平気で体をぶつけて来る人が多い。
私は、行く前にスポーツジムで覚えたヨガ系ストレッチ体操を飛行機の座席で時々しました。歩き回るのが一番良いのですが。
長時間ですので、全て寝るより、体操したり、音楽を聴いたりが良いようです。
ヨガ系ストレッチ体操は、毎朝食後30分以上しました。これはとても生活のリズムと体には良かったと思っています。
時差は、往きの時は便通だけが問題で、夜中でした。帰国してから、睡眠のリズムが戻るのに1週間以上かかりました。
日本から、ウイスキーを持って行きましたが、飲んだのは寝酒程度で、半分ほど余りました。

ヨーロッパは昼からお酒を飲むのも問題ない様なので、酒好きの私にはとても良かったです。
ビールを飲んだのは2回だけ、後はワインでしたが、私はワインについてはよく知りません。
750ccのボトルで、7~10ユーロ位の、店独自の安いワイン"ハウスワイン"があり、それを頼めば安心です。
スーパでは、水の値段程度の安いワインがたくさん。今回の失敗は、ワインオープナーを持って行かなかったことです。
それが必要ない紙パック入りワインは、いかにも貧弱でした。

水道水は硬水と言われますが飲んでも大丈夫の様でしたが、私たちはスーパーで買いました。1.5~2リットルル0.6~1ユーロです。
ただ、ガス入りノンガスの二種類あって、ガス入りは私にはまずくてとうてい飲めませんでした。
その見分けが大変で店員に何度も聞きました。それでも2回も間違えて買ってしまい、捨てました。

小さい新しいパソコンを買って持って行ったのですが、私のミスなのでしょう無線ランが上手く行かずインターネットなどは出来ませんでした。
でも、ネットをしない方が結果的には時間に余裕が出来、良かったかもしれないと思っています。
撮影場所などの簡単なメモをワープロでしました。

今回の旅では、時々夫婦で別行動もとったので携帯電話は必要でした。料金もけっして高くありません。
ただ、ソフトバンクからの"パケットし放題に注意"のメールが1日3度、しかも夜もあって、それはまるで「スパム」でした。
日本では、電車の中ではほとんどの人が携帯を見ていますが、イタリアでは辺り構わず大きな声で電話しています。
でもそれはほんのわずかです。

天候と気象
雨は何度か降られました。特にアマルフィは嵐でした。
フィレンツェでは、よく雨に降られましたが、早朝に降って日中は止み、快晴のことが多かったです。
気温は、朝晩は少し涼しく、カーデガンかウインドブレーカーが必要でした。日中は、上着は要らないがTシャツとワイシャツ。
日射しはちょっと強いので、帽子は必要です。
とまれ、簡単に脱いだり・羽織ったり出来る服装が良いだろう。
だが、外人は両極端で、コート・セーター・ブーツの人もいれば、Tシャツ一枚の人もいます。
寝る時は、ナポリまでは毛布一枚、ローマでは毛布2枚でした。

食事にはほとんど困らず、日本食を食べたいとは全く思いませんでした。
スパゲッティやリゾットはイタリアでは前菜の様な第一皿ですが、私たちは二人で一人前としました。
私は日本では、ピザは食べませんが、イタリアのピザのボリュームの大きさには度肝を抜かれました。
私たちは、サラダはオリーブオイルも塩胡椒もドレッシングも不要で、そのままで良いです。バルサミコ酢は甘酢で独特でした。
ボイルドベジタブルの概念はどうもないようで、ベジタブルスープが野菜の煮物という感じで、豊富でした。
メニューは、初めはわからず苦労しましたが、慌てずに「グリルド・チキンとかフィッシュ?」と聞くと親切に教えてくれました。
チキンは美味しかったですが、ポークはパサパサでボリュームもなく美味しくなかったです。
シンプルな焼き魚だけは私は、食べたくなりました。
日本から、煎餅を持って行ったが食べなかった。
ドロミーティのツアーの時、カナダ人の一人がカナダのバッジを記念にとくれたので、"柿の種"を上げたら、美味しいと食べた。
昼食は、ほとんどサンドイッチでした。色々種類があり、トーストしてくれるBarもあり美味しいです。
デザートはほとんど食べず、スーパーで買ったりんごやオレンジなどをホテルで食べました。
食事の時、私たちはお金を払って水を飲むのは何故か抵抗があるのか注文しないのですが、外人は頼んでいました。
私は、食べ物については、断然トルコの方が豊富で美味しいと思いました。私には、イタリアは大雑把な感じでした。

全く個人的なことなのだが、私の好きな作家・佐野洋子さんの訃報が、11月6日新聞報道された。
"100万回生きたねこ"の絵本作家だが、私は彼女のエッセイが好きであった。
闘病中とは報じられていたが、72歳であった。
私とわずか9歳しか違わない。さて、残された私の月日はどの位なのだろう。

今回の旅行費用やその他のイタリアの感想などは次号【蛇足・点睛】と言うことにしましょう。



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1 コメント

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Unknown (ryuji_s1)
2010-11-11 09:15:57
素敵なイタリア旅行

楽しそうです
食は美味しいですね
日本人にもよく合います、

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