マッシーパパの遠吠え

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民主の「政権交代」と小泉改革の背景にある驚くべき共通点とは!?

2010-06-14 13:40:53 | Weblog

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鳩山首相の在任期間が266日、現憲法下6番目の短命で、管新首相は戦後32人目の総理だと言う。

そして、欧米に比較しても日本の総理の平均在職期間は3分の1以下。アジアでもこれほどの「短命」の国家はみあたらず、唯一王政が倒されて政情不安の続くネパールぐらいだとあるワイドショーは言う。

また、別のワイドショーは、小泉政権後、安倍→福田→麻生と1年交代で政権をたらい回ししたのがけしからんと、政権交代したはずが、「鳩山政権」で、同じ轍を踏んでいる。

しかも、参院選の結果次第では、9月の代表選挙で、管新首相も超短命に終わる可能性も否定できないと言うのだ。

一体全体、この異常な現象の原因は那辺にあるのか?

ワイドショーの中にはその原因を、「世襲議員が多いこと。彼らは乳母日傘で育っているからひ弱で、逆境を跳ね除けるバイタリティがない。

そこへ行くと、新首相は市民運動から這い上がってきた政治家だし、三度も挫折(落選)を経験しているから、放り出さない」と説くのがある。

確かに、「短命」の分析としては言えてはいるのだが、それはあくまでも「one of them」。

むしろ、小泉以前の首相はともかくも安倍以降の短命に共通する「キーワード」は「支持率低下」でないだろうか。

ことに、安倍政権と鳩山政権は、スタート時にはともに70%超えだったが政権末期には悲惨な数字を迎えている点で酷似している(別表参照ーhttp://mainichi.jp/select/seiji/news/20100531k0000m010081000c.html)。

つまり、この原因を探れば、短命の真の理由に行き着くはずである

まず、安倍政権から見てみよう。彼は、スタートも政権末期も驚異的な支持率を誇ったジュンイチローの後を襲ったわけだが、ご存知のように、彼の政権期には不幸なことに、ジュンイチローのやってきた、「小泉改革」のだましに国民もようやく覚醒しだしたころである。

が、禅譲された彼に、それを否定することができず、「美しい日本」とか「戦後レジュームからの脱却」とか抽象的な言葉を並べて、小泉政権との差別化を図るしかなかった。

だが、国民は小泉のわかりやすい(ただし中身のない)ワンフレーズに慣れきっていたため、小泉改革の残した負の遺産。たとえば、勝ち組と負け組みの「格差拡大」や福祉政策の後退を見直そうとしない安倍政権に愛想尽かしが始まっていったのである。

勿論、同じ派閥出身の福田後継も然りである。そして、ようやく麻生政権になって、負の遺産の清算に取り組みだしたが時すでに遅く、ばら色のような未来を提示した民主のマニフェストの前にはもろくも散っていったのだ。

一方、国民待望の元に生まれた鳩山政権だが、スタート早々は、彼の閣僚が次々、斬新な政策を打ち出し、順風満帆に見えたのであるが、そこには大きな落とし穴、すなわち、「権力の二重構造」が潜んでいた。

また、政権肝いりの「事業仕分け」を国民注視の中で実施したのだが、あろうことか、無駄の排除、予算の組み換えをすれば16兆円はお茶の子さいさいで出てくると言っていたのが当て外れと判明。

結局、マニフェストにかかげていたものも実施できないどころか、赤字国債を自公政権以上に発行して予算を組まざるをえず、国民の信頼を裏切る結果となった。

つまり、かたやは、「構造改革」という美名に、抵抗族を配することで、政治を劇場型に変え、国民を目くらまし。

こなたは、従来の「公約」の持つ不確かさを「国民との契約」という「マニフェスト」の美名に置き換えて国民に過大な期待を持たせたのである。

だが、双方とも国民はだまされたことに気づいたときから、期待と評価は一変。それが、ご案内の支持率の急降下となって行ったのである。

ところが、それを知ってか知らずか、

安倍氏を襲った福田氏は「①自立と共生の社会②ストック方型(持続可能)の社会③男女共同参画社会」とあいかわらず国民不在の政策。そのまた後継の麻生氏も安部、福田両政権の幹事長としての責任を省みることもなくばら撒き政策にいそしんだ。

一方、鳩山氏を襲った管氏も「①財政規律を整えつつ②可能な範囲で経済成長③社会福祉のバランスをとると、「最小不幸の社会作り」を目指すという。

いや~、ホント「似たもの」なんとかというが、どっちもどっち。マッシーパパが毎度言うところであるが、どうして日本人というのは、「総括」を嫌うのだろうか。

どんないいことをやろうとしても、反省のないところに、いい結果は生まれない。ましてや菅氏のごとく、前政権の総括は、「普天間の迷走」と「政治とカネ」でOKと本気に思っているようだから、たちが悪い。

しかも、普天間問題も地元の同意のないまま、日米合意を先行させ、後は飴を舐らせますから・・。そして、「政治とカネ」も本人たちは辞任しているので、「もういいでしょう」で逃げようとするから、あいた口がふさがらないのだ。

国民が鳩山や小沢氏に辞めてほしいと望むのは、双六遊びのような、「1回、休んで見ててください」ではないんです。

国民が本当に問題にしているのは、マニフェストに書いた政策は実行せず、マニフェストにない外国陣参政権や夫婦別姓に、そして、それを実現するためなら、強行採決も党内縛りもなんだってやっちゃいますという、小沢のファシスト政権に危惧しているのです。

菅氏が一番にやらねばならないのはそのことで、見せ掛けの「脱小沢」を小泉さんのように劇場型でやってもらっては困るのです。

それとも、何、どうせ、有権者は表紙の掛け替えで、すぐに忘れてくれるから、「そんなことはどうでもいい」とでも言いたいのですかね。

ともあれ、マッシーパパには、民主が初心を忘れて自民と同じ過ちを犯し続けているのがどうしても気になるのですが・・。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご批判ご賛同、なんでもいいですからコメントもいただければ幸いです。♪

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