日本は今、五輪決定で大騒ぎですね。過去の東京オリンピックが高度成長期のシンボルとなったように、7年後のオリンピックが次の日本のエポックとなるようにみんなで新しい日本を作っていきたいですね。
さて、泉鏡花の小説「春昼」「春昼後刻」を読みました。というのも、鏡花の小説の「陽炎座」の朗読パフォーマンスを見る機会があり、それにあたり原作の小説を読んでみました(このことについては先週書いたとおりです)。であるならば、昔見た鈴木清順監督の極彩色の幻想的な映画「陽炎座」も再び見てみようと思い立ったからです。ただ、この鈴木清順監督の映画は鏡花の小説同様にイメージが豊饒であり話が飛躍していく傾向があるので、そこは小説から接し映画に行く方がいいだろうと認識しました。鏡花の原作となる「陽炎座」だけで2時間の映像作品を作ることができるのだろうか?と疑問も湧き、調べてみると「陽炎座」だけではなく、同じ鏡花の「春昼」「春昼後刻」なども盛り込んで作られているというのがわかりました。そうであるならば未読である鏡花のそれを読んで見ようかなと。まあ、こんな流れで小説にも手を出したのですが、読みづらい鏡花のことですからどうなのかなと思っていたのですが、案の定てこずりました。
この「春昼」「春昼後刻」はさすがに独特のタッチで知られる鈴木清順監督が映像のべースにしているというだけあって幻想的であることは間違いなく、さらにその世界に描かれているイメージは、まるでSF小説を読んでいるかのようにどんどん飛躍し現実感が希薄化していくのでありました。生死の区別がつかないような展開、ドッペルゲンガーやファムファタールのテーマ挿入、あるいは△□○という記号が登場し描かれている情景がまるで絵画の世界にでも収斂していくかのような抽象的な方向に向かっているようにも感じさせ、明治・大正期に活躍した鏡花の頭は一体どうなっているんだろうか?と思わされるのでした。そして鏡花のイメージの飛翔ぶりは、読解が難しいと感じている私が抱いている小説の印象についてホントに鏡花が描き出した世界と一致しているのかを不安にさせるのでした。しかし、そのわからなさ、行間と行間の距離の遠さこそが鏡花の真骨頂かも知れません。私なりの「春昼」「春昼後刻」を楽しめばいいのかなと、勝手に自分に言い聞かせるのでした…。
春昼(しゅんちゅう);春昼後刻(しゅんちゅうごこく) (岩波文庫) | |
泉 鏡花 | |
岩波書店 |
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