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Ⅰ.絢燗たる視聴覚的要素
◇小説「日本橋」と戯曲「日本橋」を比較した場合、小説は台本+ト書という構成になっており、地の文を省略すればそのままその大部分が共通しており戯曲と読めてしまう。つまり泉鏡花の小説の構造は、戯曲や映画シナリオとの距離がきわめて近い。
◇泉鏡花の視覚世界の豊かさは、単に現実の色が物理的な視覚に訴えるのみならず、幻想と現実をない交ぜにしたファンタジックな視覚を喚起するところにある。⇒幻想の視覚の魅力。
◇言葉が言葉を呼ぶ「縁語」的な手法と「見立て」。
◇擬態語を豊富に使い現実的次元と幻想的次元の双方で読者の聴覚世界は広がっていく。
◇能にみられる<狂女の舞>という演劇的記憶を<幻想の聴覚>をきっかけに<幻想の視覚>としても浮かび上がらせようとする幻想視聴覚、現実の視聴覚の渾然一体となった描写。
◇子供達が唄う唄日常とはは、異質な霊的な世界を作品に導く役割を担っていて、鏡花が好むモチーフである。
◇歌舞伎の台詞まわしのような古典芸能における<声の芸>を取り入れ小説、における聴覚的な要素を豊かにしている。それは鏡花の小説の極めて直接的な劇的要素のひとつといえる。
◇物語の展開に能の構造=夢幻能の構造を取り入れている。
◇古典芸能における<声>の力との結び付きは、招魂、鎮魂という宗教的役割を持つのみならず、小説の時空間を過去へ彼方へと、自在に変容させてゆく。またその非日常的な<声>の力は、舞台化にふさわしい、耳にして心地よい、まるで上質の音楽を聞くかのようでもある。
◇鏡花の美女の描写は顔のつくりや身体つきよりも、着物の描写に焦点があてられている。これは鏡花の女性描写の特徴であるが、そこにはコスチューム・プレイとしての要素を含み、演劇や映画化したくなる意欲を促すという特質をもっている。
◇鏡花の小説は、美しいもの、醜いもの、双方を見たいという人間の視覚的欲望を満たすという意味でも劇的なのである。
◇鏡花の小説では見た目の複雑な漢字を多用し、文字として見た場合にも、絢燗たる視覚効果を演出している。その文字は意味内容に重きを置くよりも、見た目の豪華さを華麗さ意識している傾向がみられる。
Ⅱ.<回想>の演劇的性格
◇小説「日本橋」の時間は、現在から過去に遡り、再び現在に戻るという、いわば時間の<サンドイッチ構造>になっていこのる。特徴的な構造は夢幻能の構造である。
◇<謎>と時間の逆転による<謎解き>構造。
◇「日本橋」は、無数の語り手/聞き手=シテ/ワキ構造の集合体になっている。
◇<回想>という手法は日本の伝統的な「語り」の芸とも結びつく。他人の台詞や動作をすべて一人で語り分ける能力は、「語り」の能力であり<声の芸>にほかならない。
◇<回想>は舞台の空間を内容そのに応じておかなる時間割、空間へも縦横無尽に変化させる。
◇<回想>による時間の逆転は、物語の筋を追うことを困難にする反面、そのわかりにくさ自体が、原作小説の魅力の一部になっている。時間の逆転は、読者に物語の筋の追求を困難にする幻惑的効果を与え、鏡花世界ならではの現実を超越した摩訶不思議な時空間に読者を導く。
◇いつも重要な事件が<回想>ばかりでは、芝居というよりは「語り」の芸そのものになってしまい、視覚的娯楽を期待してきた観客はがっかりしてしまうだろう。戯曲「日本橋」は、小説の<回想>の一部を現在進行形にすることで「語り」の芸とは異質な演劇的効果を狙ったといえる。
◇「……し、……し、……し」という、脚韻を踏んでいるかのような言葉の美しさ。語尾を同じ字で止めてリズミカルな効果を出すのは、鏡花の小説にしばしば見られるテクニックであるが、実際に舞台で<声>にするとよく映える。
◇鏡花は卓越した詩的な文体で、荒唐無稽ともいえる登場人物の行為をスンナリと読者に納得させてしまう。また女形が演じる舞台においても、その様式的演技のもつ超現実性は、いとも簡単に、この現実にはありえそうもないヒロインの行動を納得させてしまう。
Ⅲ.新派様式美と鏡花
◇新派は歌舞伎の女形を範としていて古典芸能とは一線を画しながらも、古典芸能の様式美を継承している。新派独特の<写実と様式のはざま>にある演技が鏡花の世界とマッチしている。
◇内面描写、心理描写よりは、登場人物の動作や外見の描写にこだわる鏡花は、小説の劇的な要素のひとつである。新派は様式的演技と台詞まわしによって、視聴覚的な美しさを追求している。それは、鏡花が理想として人間美を再現するのにふさわしい舞台であった。
◇小説における擬態語の駆使は鏡花小説の大きな特徴のひとつであるが、それは登場人物の動作を表し、演技指導のような機能を果たしている意味で、鏡花の小説が舞台化、映画化の意欲をうながす重要な要素のひとつになっているといえる。
◇鏡花は芸者や遊女をヒロインとして描き続けた。いわば非日常的な恋の夢を演じる女性たちであるが、「完全なる愛」というものがもしあるとすれば、それは日常世界ではなく、現世の中に設けられた非日常的な幻想の装置ともいうべき花柳界の女性たちのなかににしか求められないのではないかという発想は、鏡花のなかにはあった。
※以上、「泉鏡花」佐伯順子(ちくま親書)から加筆および引用
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