飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

僕は知らない寺山修司NO.172⇒実験演劇室◎万有引力公演「鉛筆のフォークロア」(笹塚ファクトリー)

2011-04-25 | 寺山修司

テアトラチュール幻想音楽劇

鉛筆のフォークロア

ー寺山修司の予告篇「さらば書物よ」の書物論遊譚ー

 

■日時:2011年4月

■劇場:笹塚ファクトリー

■作:寺山修司

■構成・演出・音楽:J・A・シィザー

■出演:高田恵篤、伊野尾理恵、小林圭太、テツ、村田弘美、他

 

寺山修司の目眩くような言葉の嵐が紡ぎ出され、役者達が何かに書き立てられるように激しく動いている、シィザーの情念の弦を引っ掻くような音楽が鳴る……。もはや万有引力の演劇は絵画でいうコラージュのようになっていて、明快なストーリーを追うことは困難というもの。イメージのショールームと化しているので、だからこうだったというのを書くのが難しいのです。

 

一応、寺山修司の「絵本千一夜物語」をベースにした劇中劇のようなものがあるけれどそれがこの作品においてどのような位置にあるのかなんてあまり関係ないような感じに見えます。私はその本を読んでいなかったので、ピックアップされた話が新鮮に思え楽しむことができたのですが、その話の展開、発想の連鎖が、手術台の上での蝙蝠傘とミシンの出会いのように唐突なのです。しかし寺山はそのシュルリアリスム的な展開のなかにも人間が存在することの情念のようなもの、人の行為の可笑しさと悲しさ、そして一体私とは誰なのかという問いを付加することで、そこにある種のマイナスの感情が絡み合った不条理な真実のようなものを浮かび上がらせてしまうのです。

 

その舞台では書物に関するアフォリズムや詩、短い書物論をイメージ化していくところがあったのですが、そのひとつひとつの台詞を聞いていると他の作家からは決して聞く事ができない鋭い視線から生まれた言葉に静かな感動のようなものが沸き上がってきました。私は本を読むのが好きなのですが、一見、書を捨てよとアジっているように聞こえる寺山の台詞のひとつひとつは、実は本に関するアンビバレントな感情そのもののようにしか聞こえず、彼の本への愛情以外を考えられないのでした。寺山こそ誰よりも本を読み本を愛した人ではなかったのかと……。

 

それと話がずれますが、ちょっと太め?のベリーダンサー3人が腰をクネクネ、セクシーに踊っていたことも忘れずに書いておきます。

 

絵本・千一夜物語 (河出文庫―寺山修司コレクション)
寺山 修司
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寺山修司名言集―身捨つるほどの祖国はありや
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寺山修司の仮面画報
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