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「無法松故郷に帰る」(1973年)
本日も引き続き人間を見つめてはNO.1の監督である今村昌平のテレビ用ドキュメンタリー作品の備忘録です。
昨日の記事として書いた未帰還兵を追っかけた作品に登場した長崎出身の不良少年、現在はタイで農業に従事している元日本兵の藤田松吉氏にスポットを当てた作品である。彼は先の作品の中で支那人の女子供を地下室に閉じ込めて焼き殺すという虐殺行為をしたと驚きの発言をした人物だ。彼は上官に日本軍が迎えに来るからと言われ13年もの間それを信じ、タイの僻地で待ち続けたある意味、戦争の犠牲者でもある。その発言から気性の荒さが目立ち、今村昌平監督が無法松と藤田氏を渾名として名づけ、日本へ帰らないかともちかけ、彼が帰国した様子を撮影した作品である。
空港に降り立ち移動するタクシーの中で今村は、同じようにジャングルに潜み、この作品が撮影されている時分に発見された元日本兵・横井庄一氏のことを聞くが、無法松こと藤田氏は「アイツは卑怯者、あんな人間がいるから日本が負けた」などと自分のことを省みず強気で矛盾した発言をする(?)作品は何か一筋縄でいかないような予感を醸し出しているのだ。
帰国後、まず妹を訪ねるが彼女は4人の子供を抱えた未亡人であった。突然の訪問者にもかかわらず子供達の笑顔が素敵に映る。しかし、6畳一間に家族5人が暮らしているという悲惨な現実も見え隠れする。そして無法松は故郷の長崎へ。彼は最近まで長崎は原爆で全滅したと信じていた。目の前に映るは復興した長崎だ。
兄と対面するが、もともと兄とはウマが合わないようで、(話の内容がよく聞き取れず詳細はわからないが、)無法松の言った言葉が兄の逆鱗に触れたようで、何十年ぶりかの兄弟の感動の対面どころか、いいようにやられてしまう。戦争という大きな渦に巻き込まれようやく故郷に帰ることが出来た弟に対して、何やら罵声を浴びせかける兄は、方言と早口でその内容がよく理解できなかったものの、見ていてイヤな気持ちになってきた。裏に何かうしろめたさでもあるのかなと憶測をしてしまう。
それはやがて、藤田氏が戦死を第三者によって確認したとの虚偽の報告が市役所になされていたことによってあきらかになってくる。しかもその報告は兄の友人によってなのであった。どういうことだ?
藤田氏はその友人に対して「あなたには、会ったことがない」と詰め寄る。無言の友人・・・・。そしてどうも事情があありそうな兄に対して「一体どういうことだ、一時金欲しさに俺を殺したのか?」無法松は上着を脱ぎ捨て上半身裸になり、ここで勝負しろと訴えかける。「バカヤロー!俺はこんなところにいたくない、帰る」彼は兄のもとから去っていく。
これまで映像の中で、天皇崇拝の発言をしていた藤田氏は、今村と皇居に訪れる。すると一転、彼は日本人は金に迷わされている、天皇が戦争をさせたのもそのためか、誰も天皇万歳などと死んではゆかなかったなどと逆に批判発言をしたりする。
大いなる矛盾。何十年ぶりに帰った故郷ニッポン、そして変わってしまったニッポン・・・。浦島太郎状態の藤田氏である。彼は戦争年金を妹に譲り、タイへと帰っていった。戦時中は弱き女子供を虐殺したと言っていた無法松は、一方で妹想いの兄でもあった。複雑な気持ちにさせられたドキュメンタリーであった、我が身を振り返るような矛盾したこの人間存在をどう受けとめていけばよいのだろうか・・・。
ネットで検索していたら、雲の仙人と云う方の旅行記に藤田氏を訪問しているページがあった。2006年訪問時、彼は87歳、元気に生きていた。
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藤田氏はその友人に対して「あなたには、会ったことがない」と詰め寄る。無言の友人・・・・。そしてどうも事情があありそうな兄に対して「一体どういうことだ、一時金欲しさに俺を殺したのか?」無法松は上着を脱ぎ捨て上半身裸になり、ここで勝負しろと訴えかける。「バカヤロー!俺はこんなところにいたくない、帰る」彼は兄のもとから去っていく。
これまで映像の中で、天皇崇拝の発言をしていた藤田氏は、今村と皇居に訪れる。すると一転、彼は日本人は金に迷わされている、天皇が戦争をさせたのもそのためか、誰も天皇万歳などと死んではゆかなかったなどと逆に批判発言をしたりする。
大いなる矛盾。何十年ぶりに帰った故郷ニッポン、そして変わってしまったニッポン・・・。浦島太郎状態の藤田氏である。彼は戦争年金を妹に譲り、タイへと帰っていった。戦時中は弱き女子供を虐殺したと言っていた無法松は、一方で妹想いの兄でもあった。複雑な気持ちにさせられたドキュメンタリーであった、我が身を振り返るような矛盾したこの人間存在をどう受けとめていけばよいのだろうか・・・。
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