「永遠の0」百田尚樹の原作である小説の「永遠の0」の実写化映画です。
封切り以来大人気が続き興行収入も3月に入り50億円に届きそうな勢いです。
映画公開は2013年の年末からですが、年を越してもまだまだロングラン上映中です。
しかし批判の声もあり、「大空のサムライ」坂井三郎著のパクリとか盗作だとか
浅田次郎の『壬生義士伝』なども作品名も挙げられている。
これに対して作者の百田氏は大空のサムライのオマージュ作品だと反論したのだが、
言い訳にしか聞こえない取るに足らない対応だった。ほとんどパクリだと認めたようなものだ。
このような過去の作品をオマージュという形でパクル例は度々起こる。数年前には
米国の大人気歌手である。ジェニファー・ロペス氏のPVが映画「フラッシュダンス」の
パクリであると話題に成った時と全く同じ言い訳を用意していた。
日本の音楽シーンなんてほとんどが米国のパクリ産業でその2次的パクリが韓国である。
ここで「オマージュ」の意味をwikiで調べてみると
オマージュhommage(仏)ー尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事。
また作品のモチーフを過去作品に求めることも指す。
しばしば「リスペクト」(尊敬、敬意)と同義に用いられる。
ついでにwikiにはジェニファー・ロペスの例も紹介されている。
もしも百田氏の大空のサムライのオマージュだとするならば、小説や映画のクレジットに
大空のサムライの作者である坂井三郎氏の名前を原作協力として載せなくてはいけない。
坂井三郎氏の作品のパクリもさることならが、幾つかの特攻隊の話を盛り込み一つの
作品にしただけのものであるなら、それはオマージュを通り越したパクリコラージュcollage(貼り付け)
レベルの問題となってしまう。正しい作品名が「百田版大空のサムライ」となりそうだ。
韓国自動車メーカーのヒュンダイが部分ごとにヨーロッパ車のデザインをパクリ自前の1車のデザインとして
発表したものと理屈は良く似ている。バンパーはワーゲンでバックライトはベンツでフロントはアルファロメオ
内装はアウディ調に仕上げたようなヒュンダイ自動車と類を為す作品なのだ。
殆ど自作となる作品ではなく、テレビで言えば編集作業というものにしかならない。
現在、ネット内では画像に加工する技術を加えたコラ画像(コラージュ画像)が当たり前のように氾濫する
ようにこの「永遠の0」は幾つかの作品をコラージュでつなぎ合わせて編集してフォトショップを加えて
レスポンス加工を施して美談に仕上げただけの作品なのでしょうな。
主演の岡田准一V6(ジャニーズ)等を始め
昨今の映画産業は映画自体の原作ではなく、小説や漫画にコンテンツを求める傾向が
強く、この「永遠の0」も同じような状況にあり、CGを使用した同様の作品として
『宇宙戦艦ヤマト』木村卓也主演などその他にもCG邦画は『ガッチャマン』や『怪物君』で
そのほとんどが大コケに終わっているがこの作品は興業成功になりそうです。
どうも評論やレビューを見る限りでは戦争の時代背景に特攻隊という特殊な任務に当る主人公達の
人間像が浮き彫りになるというストーリーらしいのです。百田氏の作品を見ようか悩むようだったら
私は『大空のサムライ』の方を先に選択したいと思う。それから映画を視聴しようと思う。
百田氏の放送作家である事を考え、何かの機会で「大空のサムライ」を知る事となり、それを
自分の物にしようと企んだのかもしれないが、世間がこの作品を認められなければ、もっと良い形で
時代に認められるように新たに別の作品としてリバイバルという手段の文学の方法論としてはある。
コレがきっとこの作品の答えなのだ。まだ見てないですが、DVD化されて蔦屋に並んだら拝見しようと
思います。それにしても視る前からまるで百田氏に会って話したような内容だろぉー。
戦後問題の右派の癖としてこの「特攻隊」を美談にする傾向が強かったのだが、この戦争時の既成の事実を
どのように作品に反映させるかで原作者の意図が見えるはずです。何を見せたいのか何を表現したいのか?
左翼的な心情の表れや戦争に対する葛藤を盛り込む所は「大空のサムライ」が時代に認められない作品であったとする、作者の
作家心情が強く反映されてしまったようですな。
人情味溢れるハート柄をモチーフにした迷彩柄の生地をパッチワークで仕上げた素敵な軍服といったところだろうか。
もしも百田氏が「大空のサムライ」を初めて読んだ年齢は11歳ぐらいでなかろうかと思います。
封切り以来大人気が続き興行収入も3月に入り50億円に届きそうな勢いです。
映画公開は2013年の年末からですが、年を越してもまだまだロングラン上映中です。
しかし批判の声もあり、「大空のサムライ」坂井三郎著のパクリとか盗作だとか
浅田次郎の『壬生義士伝』なども作品名も挙げられている。
これに対して作者の百田氏は大空のサムライのオマージュ作品だと反論したのだが、
言い訳にしか聞こえない取るに足らない対応だった。ほとんどパクリだと認めたようなものだ。
このような過去の作品をオマージュという形でパクル例は度々起こる。数年前には
米国の大人気歌手である。ジェニファー・ロペス氏のPVが映画「フラッシュダンス」の
パクリであると話題に成った時と全く同じ言い訳を用意していた。
日本の音楽シーンなんてほとんどが米国のパクリ産業でその2次的パクリが韓国である。
ここで「オマージュ」の意味をwikiで調べてみると
オマージュhommage(仏)ー尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事。
また作品のモチーフを過去作品に求めることも指す。
しばしば「リスペクト」(尊敬、敬意)と同義に用いられる。
ついでにwikiにはジェニファー・ロペスの例も紹介されている。
もしも百田氏の大空のサムライのオマージュだとするならば、小説や映画のクレジットに
大空のサムライの作者である坂井三郎氏の名前を原作協力として載せなくてはいけない。
坂井三郎氏の作品のパクリもさることならが、幾つかの特攻隊の話を盛り込み一つの
作品にしただけのものであるなら、それはオマージュを通り越したパクリコラージュcollage(貼り付け)
レベルの問題となってしまう。正しい作品名が「百田版大空のサムライ」となりそうだ。
韓国自動車メーカーのヒュンダイが部分ごとにヨーロッパ車のデザインをパクリ自前の1車のデザインとして
発表したものと理屈は良く似ている。バンパーはワーゲンでバックライトはベンツでフロントはアルファロメオ
内装はアウディ調に仕上げたようなヒュンダイ自動車と類を為す作品なのだ。
殆ど自作となる作品ではなく、テレビで言えば編集作業というものにしかならない。
現在、ネット内では画像に加工する技術を加えたコラ画像(コラージュ画像)が当たり前のように氾濫する
ようにこの「永遠の0」は幾つかの作品をコラージュでつなぎ合わせて編集してフォトショップを加えて
レスポンス加工を施して美談に仕上げただけの作品なのでしょうな。
主演の岡田准一V6(ジャニーズ)等を始め
昨今の映画産業は映画自体の原作ではなく、小説や漫画にコンテンツを求める傾向が
強く、この「永遠の0」も同じような状況にあり、CGを使用した同様の作品として
『宇宙戦艦ヤマト』木村卓也主演などその他にもCG邦画は『ガッチャマン』や『怪物君』で
そのほとんどが大コケに終わっているがこの作品は興業成功になりそうです。
どうも評論やレビューを見る限りでは戦争の時代背景に特攻隊という特殊な任務に当る主人公達の
人間像が浮き彫りになるというストーリーらしいのです。百田氏の作品を見ようか悩むようだったら
私は『大空のサムライ』の方を先に選択したいと思う。それから映画を視聴しようと思う。
百田氏の放送作家である事を考え、何かの機会で「大空のサムライ」を知る事となり、それを
自分の物にしようと企んだのかもしれないが、世間がこの作品を認められなければ、もっと良い形で
時代に認められるように新たに別の作品としてリバイバルという手段の文学の方法論としてはある。
コレがきっとこの作品の答えなのだ。まだ見てないですが、DVD化されて蔦屋に並んだら拝見しようと
思います。それにしても視る前からまるで百田氏に会って話したような内容だろぉー。
戦後問題の右派の癖としてこの「特攻隊」を美談にする傾向が強かったのだが、この戦争時の既成の事実を
どのように作品に反映させるかで原作者の意図が見えるはずです。何を見せたいのか何を表現したいのか?
左翼的な心情の表れや戦争に対する葛藤を盛り込む所は「大空のサムライ」が時代に認められない作品であったとする、作者の
作家心情が強く反映されてしまったようですな。
人情味溢れるハート柄をモチーフにした迷彩柄の生地をパッチワークで仕上げた素敵な軍服といったところだろうか。
もしも百田氏が「大空のサムライ」を初めて読んだ年齢は11歳ぐらいでなかろうかと思います。
読んでみたいと思います。
ちなみにノンフィクション『私兵特攻』はとても面白いのでおすすめです。
しかしその前に
『大空のサムライ』は坂井三郎の戦記をもとに書かれた小説です。この小説を盗作ということです。
特攻隊は義勇でもなく、特攻の精神です。義勇とは別物です。
米国ではミズーリではなく、アリゾナが重要視されています。
アドベンチャー系の映画ではなく、アクション映画のことだと思うんですけど・・・
パクリとか、「事実をもとにいわゆる、フィクションですから小説の類なんですよ」
バカだろお前。
教育勅語が問題になった時、って戦後のGHQ支配下でした。おそらく、教育勅語の義勇の精神だろうなあ、って思います。
アメリカのハリウッド映画見たことがありますか。
アドベンチャー系の映画では殆どが義勇の精神をたたえているものばかりです。
自らを賭して、国を家族を救う。って。
私は義勇の精神をたたえますが、百田さんはそこまで主張していない。
パクリとか、みなさんのご意見ありますが、事実をもとにいわゆる、フィクションですから小説の類なんです。
以下 省略(書きすぎたので、削除)
多様な価値観、ご意見あると思います。
私と同様でない価値観も尊重します。
ただ、あっさりと、異なる価値観をばっさりと切ることはいかがなものでしょうか。と、いいうことで。
おじゃましました。
永遠のゼロでは、パクリがどうの、ってお話はよくききました。
私はパクリ、というよりも、色々な方の体験談の寄せ集めかも、って感じ。
坂井三郎さんの空戦の話。
岩本徹三さんの一撃離脱のこと。
それをパクリとは言えないと思いますけれどね。
映画の最後の悲話。これは戦艦ミズーリに特攻した零戦の実話がもとになっています。
米軍は日本の飛行兵を丁重に弔ったというのは実話です。
百田さんは、実話をもとに書いているのでそれはフィクションであって、非難されるものじゃない。
私は本も読んだし、映画も観ました。
最後に。
私は義勇の精神は良いと思います。
自衛隊反対、軍国主義がどうのこうの、ってそれは違うと思う。
そもそも、軍国主義などはありません。
国を守る義勇の精神こそ尊いと思います。
お邪魔しました。