新499◻️◻️227『岡山の今昔』岡山人(20世紀、内山完造)

2021-08-24 13:24:32 | Weblog

新499◻️◻️227『岡山の今昔』岡山人(20世紀、内山完造)

 内山完造(うちやまかんぞう、1885~1959)は、現在の井原市芳井町吉井で村長をしていた内山賢太郎の次男として生まれる。
 12歳で、何があったのだろうか、精研高等小学校を退学して、大阪の商家に奉公に出る。そこを転職してから京都に移り、働くうち、牧野虎次牧師(後の同志社大学長)と知り合う。そして、キリスト教教徒となる。彼の紹介にて、目薬売りの仕事を得ると、新天地を求め、上海へとわたる。

 1916年(大正5年)には、同じ信者の井上美喜(いのうえみき)と結婚する。翌年には、自宅の玄関先で、キリスト教関係の書物を扱う、内山書店を始める。やがて日本人、中国人の間で評判となり、哲学や文学、芸術一般などへとひろげていく。

 夫婦ともに、誠実闊達な人柄が中国人の心を捉え、魯迅(ろじん)・郭沫若(かくまつじゃく)などの文化人がここを訪れ、かれらと親交を深める。一時は、国民党政府に睨まれていた魯迅を、自宅にかくまったという。


 1945年(昭和20年)には、妻が亡くなり、上海での書店をたたむ。その2年後には、国外追放され、日本に帰る。神田で内山書店を経営するかたわら、日中友好、国交回復の活動を進めていく。日中友好協会の初代理事長に就任したりで、多忙を極めていたらしい。中国残留日本人孤児の帰国にも尽力したという。

 そんな日中関係のまだ険悪・困難な時期からの、上海そして日本人において双方の案内役をし、特には日本の作家たちと中国文学者との交流の場を提供し、魯迅・郭沫若・郁達夫らとの交友にいそしむなど、ひたすら人道主義を追求し、もって日中両国の文化交流と友誼の橋渡し役を果たした。

 ちなみに、完造の弟、嘉吉(かきつ)は、1935年(昭和15年)、東京にアジア専門書を取り扱うべく店を構え、戦後そして現在の内山書店につながる。また、21世紀になってからの珍しいところでは、魯迅と完造、その友情の書店が中国・天津で復活したのだというニュースが、日本の私たちの耳に入ってきた。

 同書店は、日本などの租界だった戦前・戦中の上海で、日中文化交流のサロンでもあったから、2021年7月装い新たな「内山書店」が、場所柄は少し違えど天津市において、日本の敗戦で上海店を閉鎖して以来76年ぶりに再開したというのだ。
 往時と比べれば、中国は飛躍的に発展し、貧困撲滅もかなり進んだといわれ、かつまた大国としての顔も覗かせるように変じた。そのみぎり、両国の心あるところでは、また一つ、全隣友好の新たな架け橋を結ぼうとの努力が実を結びつつあるのは、誠に喜ばしい。
 

 

(続く)

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