○○488『自然と人間の歴史・日本篇』1990年代の文化(文学1)

2016-11-13 21:17:52 | Weblog

488『自然と人間の歴史・日本篇』1990年代の文化(文学、遠藤周作)

 遠藤周作(1923~1996)の『沈黙』には、江戸時代の日本にやって来たロドリゴ司祭が中心にいて、その彼は、こう思う。
 「いいや、主は襤褸のようにうす汚い人間しか探し求められなかった。(中略)魅力あるもの、美しいものに心ひかれるならそれは誰だってできることだった。そんなものは愛でなかった。」
 「美しい人、高潔な人、正しい人、善良な人、賢い人。そうした人に、価値を見出し、彼らとともにいようと願うのは、だれでもできることだ。でもそうではなく、醜いもの、愚かなもの、悪臭のするもの、下劣なもの、ずるいもの、私利私欲をはたらくもの、「色あせて、襤褸(らんる)のようになった人間と人生を棄てぬことが愛だった。」
 「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番良く知っている。踏むがいい、私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前達の痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。」
 「主はなんのために、これらみじめな百姓たちに、この日本人たちに迫害や拷問という試練をお与えになるのか。いいえ、キチジローが言いたいのはもっと別の怖ろしいことだったのです。それは神の沈黙ということ。迫害が起って今日まで二十年、この日本の黒いと血に多くの信徒の呻きがみち、司祭の赤い血が流れ、教会の塔が崩れていくのに、神は自分に捧げられた余りにむごい犠牲を前にして、なお黙っていられる。」(遠藤周作『沈黙』新潮文庫、68~69ページ)
 このロドリゴ神父のモデルとなったのは、ジュゼッペ・キアラ(1603~85)であった。彼は、イタリアのシチリア島に生まれた。1623年、ナポリでイスズス会に入会する。1635年、他の9名とともに布教のため日本に向かう。翌年、ゴアからフィリピンに流されて、マニラに着く。そして日本にやってきて、行く手に立ちはだかるこの国のキリスト教禁止を前に、潜伏の途を選ぶ。

 しかし、1637~38年には島原の乱があり、その後、江戸幕府のキリスト禁教の圧力は倍加していった。1643年に捕縛され、江戸のキリシタン屋敷に幽閉される。そのまま外での行動の自由を奪われた状態で過ごすうち、1685年に病没。
 この物語の真意を巡っては、いろんな見方がありうる。その一つが、日本の布教においても、仏像を毀したり、寺を破壊したりの暴力を重ねたことをどう見るかであった。後年の遠藤の著『死について考える』によると、こうある。
 「二十年前(昭和四十一年)に『沈黙』を書いた時、この小説のキリスト教はキリスト教ではない、とこの大学(上智大学)で批判されたことが夢のように思えるほど変わりました」(『死について考える』光文社文庫、1996)とある。また、「(中略)だから私のいうキリスト教は、昔の独善的なキリスト教ではなくて、過去の誤りを修正して現代に至ったキリスト教です」(同)、さらに「私が『沈黙』という小説を書いたころともちがって、その後、特に第二公会議というのがローマで開かれてから、キリスト教は大変革を遂げています」(同)とまで言ってのける。
 要は、かつてのキリスト教と今日のキリスト教とは、異なるのであって、後者になると、「キリスト教とだけ救われて、他の宗教を信じるものはまったく救われないなどと異端視するのは過去の話です」と結論づけている。

(続く)

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