230『自然と人間の歴史、日本篇』江戸期の民衆社会思想家(安藤昌益、山片蟠桃)
江戸期の市井に身を置いた、民衆の中から出て活躍した社会思想家といえる人物というのは、何人いただろうか。なにしろ、今のような言論の自由がなかったのを初めとして、封建社会の厳しい現実に晒され生きねばならなかった時代のことである。一部でそのたがが緩んでいた地域なり、時期があったろう。とはいえ、相当に幸運な出会いなりに恵まれなければ、その才能なり能力を発露させるためには困難が伴ったのは否めない。
一言でいうならば、そういう「与件」としての時代であったのだ。ゆえに、支配階級の武士や貴族、その周りにいた一部の僧侶や知識階級、文化人、技術者などを覗いた一般人の場合、総数としてはかなり少なくしか個人の事績として伝わっていない、と考えてもよいだろう。中でも、民衆の生活に分け入って、その継続的改善を志し、実践した人物としては、何人かが現代に生きる人々に伝えられており、ここでは其の中から何人かの事績を紹介したい。
安藤昌益(あんどうしょうえき)は、1703年(元禄16年)に東北に生まれた。長じては八戸の医者になっていく。社会思想に関与しているものの、どちらかというと理論家であったのではないか。1762年(宝暦12年)に死ぬまで、多くの書物をものにしていた。その多くは、明治になってから世の中にあらわれる。 奥羽地方では、18世紀の半ばに飢饉が相次いで起こる。主なものだけでも、1749年(寛延2年)、1755年(宝暦5年)、1757年(宝暦7年)の3度あった。関東より一帯にかけて間引きが広く行われるようになったのもこの頃である。おそらくは1755年(宝暦5年)頃書かれ、明治に入って見つかったものに『自然真営道』(しぜんしんえいどう)がある。
これによると、「平土の人倫は十穀盛りに耕し出し、山里の人倫は薪材を取りて之を平土に出し、海浜の人倫は諸魚を取りて之を平土に出し、薪材十穀諸魚之を易へて山里にも薪材十穀諸魚之を食し之を家作し、海浜の人倫も家作り穀食し魚菜し、平土の人も相同うして平土に過余も無く、海浜に過不足無く、彼(かしこ)に富も無く此に貧も無く、此に上も無く彼に下も無く」云々と、当時の財の循環に言及している。
その後に「上無ければ下を攻め取る奢欲(しゃよく)も無く、下無ければ上に諂(へつら)ひ巧(たく)むことも無し、故に恨み争ふこと無し、故に乱軍の出ることも無き也。上無ければ法を立て下を刑罰することも無く、下無ければ上の法を犯して上の刑を受くるといふ患いも無く、・・・・・五常五倫四民等の利己の教無ければ、聖賢愚不肖の隔も無く、下民の慮外を刑(とが)めて其の頭を叩く士(さむらい)無く、考不孝の教無ければ父母に諂ひ親を悪み親を殺す者も無し。慈不慈の法教(こしらえおしえ)無ければ、子の慈愛に溺るる父も無くまた子を悪む父母も無し」云々と、身分制批判が続いており、これで捕らえられないのかと心配にもなる。
さらにその後に「是れ乃ち自然五行の自為にして天下一にして全く仁別無く、各々耕して子を育て壮んに能く耕して親を養ひ子を育て一人之を為れば万万人之を為して、貪り取る者無ければ貪り取らるる者も無く、天地も人倫も別つこと無く、天地生ずれば人倫耕し、此外一天の私事為し。是れ自然の世の有様なり」とあって、すべての人が自ら耕作する「自然の世」を理想視するに至っている。より根本思想としては、「五常五倫四民」を掲げるに至っていることから、「陰陽五道」によるものだろうか。しかし、いわゆる「自給的小農生産」の社会を理想社会とみなしている点では、次なる時代を見通せなかったことで限界があった。なお、以上の文言は、丸山眞男『日本政治思想史研究』東京大学出版会、1952年に掲載されたものから引用させていただいた。
山片蟠桃(やまがた ばんとう、1748~1821)は、商人でありながら懐徳堂で儒学や天文学、それに蘭学も修めた。天文、地理、歴史など広範囲な分野についての評論を、1820年(文政3年)に著した。自分の師である中井竹山、履軒の二人の教えをまとめた。風変わりな書名となっているのは、夢に託して述べることで幕府の弾圧を避ける狙いがあったらしい。
「生熟するものは年数の長短あれども、大ていそれぞれの持前有りて死枯せざるはなし。生ずれば智あり、神あり、血気あり、四支心志臓腑皆働き、死すれば智なし、神なし、血気なく、四支心志臓腑みな働くことなし。然ればいかで鬼あらん。又神あらん。(中略)人の死したるを鬼と名づく。是れ又死したる後は性根なし、心志なし、この鬼の外に鬼なし」(『夢の代』)
文中に「鬼」とあるのは、「霊魂」のことで、中国流の「人の死したるを鬼と名づく」の用法と見える。「死すれば智なし、神なし」とあるので、唯物論を採用しているのがわかる。ただし、ほぼ同時代にカール・マルクスによって主導された弁証法的唯物論との
関わりは見あたらない、素朴な人間物質論の類であろうか。
(続く)
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