2019.07.19 『Girl / ガール』鑑賞@HTC有楽町
実は感想記事書いてて、あともう少しで終わるというところで間違って削除してしまった💦 何を書いていたのか思い出せないし、書き直す気力もなくて放置。今となっては記憶も曖昧になってしまったけど、せっかく見たのでザックリとした感想を書いておこうかと思う。
ネタバレありです! 結末にも触れています!
「男性として生まれた15歳のララはトランスジェンダーで、近い将来性適合手術を受ける予定。ララは女性としてバレエダンサーになりたいと考えており、その願いを受け入れてくれたバレエ学校に通うため一家で引っ越す。しかし、ララは理想と現実の間で悩み、結果の出ない焦りからある行動に出る」という感じかな。ちょっと粗い感じがする部分もあったけれど、まるでドキュメンタリーのような感覚も含めて良かったと思う。
今作が長編第一作となるルーカス・ドン監督が、アンヘロ・テイセンスと共同で脚本も手掛けた。長編第一作目なので当然作品を見るのは初めて。第二のグザヴィエ・ドランって言われてるのだそう。個人的にはあまり第二の〇〇とかポスト××って呼称はあまり好きではない。誰かに影響を受けることは当然あるし、作風が似ていることもあるとは思うけれど、第二のって言われてしまった時点で本家を超えられない感じがしてしまうから。でもまぁ、そう言いたくなる気持ちは分かる気もする。
作品について毎度のWikipediaから引用しておく。『Girl/ガール』(Girl) は、2018年のベルギーのドラマ映画。ルーカス・ドンの長編監督第一作であり、ドンとアンヘロ・テイセンスが脚本を執筆した。本作が俳優デビューとなるヴィクトール・ポルスターを主演に、プロのバレリーナを目指すトランスジェンダーの女性を描く。
映画は第71回カンヌ国際映画祭ある視点部門で披露され、新人監督賞にあたるカメラ・ドールと、LGBTをテーマにした作品に贈られるクィア・パルムを受賞した。ポルスターはある視点部門の俳優賞を受賞した。映画は第91回アカデミー賞外国語映画部門のベルギー代表に選ばれたが、12月の最終候補リストを前に落選した。第9回マグリット賞では9部門にノミネートされ4部門で受賞を果たした。
本作の着想となったのは、ベルギー出身のトランス女性ダンサーであり、本作の製作過程にも関わったノラ・モンスクールである。本作はもっぱらシスジェンダーの批評家からは高い評価を得たものの、トランスジェンダーやクィアの書き手から性別違和や自傷の描写に関して批判された。批判を受けてモンスクールは映画を擁護している。
本作の着想となったのはベルギー出身のトランス女性ダンサー、ノラ・モンスクールである。2009年、当時18歳で映画学校の新入生であったドンは、モンスクールが所属するバレエ学校でポワントを学べるよう女子クラスに編入することを求めたことを報じた新聞記事を目にした。映画の主人公と異なり、モンスクールは女子クラスへの編入を断られ、その後バレエからコンテンポラリー・ダンスに軸足を移した。ドンは当初モンスクールにドキュメンタリーの制作を打診したが、彼女がこれを断ったため、ドンはモンスクールおよびテイセンスと劇映画の執筆を開始した。本人の希望によりモンスクールは脚本のクレジットに残らなかった。
主役のキャスティングは演者のジェンダー不問で行われた。14〜17歳の約500人(うち6人がトランス女性)がオーディションを受けたが、演技とダンスの技術を十分に兼ね備えた俳優が見つからなかったため、製作陣は映画に登場する他のダンサーを先に配役することに決めた。このグループキャスティングの過程で見出され主演に抜擢されたのがポルスターである。モンスクールはポルスターの配役に関わり、また撮影現場を訪れた。ポルスターは3か月にわたって発声やトウシューズを使ったダンスの訓練を受けた。撮影には両親の了承の下、当時14歳のポルスターのヌードシーンが含まれた。その際には顔と下半身が同一画面内に映らないよう注意が払われた。
Rotten Tomatoesは47件の批評に基づき、高評価の割合を85%、評価の平均を7.59/10、批評家の総意を「『Girl/ガール』はダンサー志望者の物語を、相応に魅力的な品位をもって困難なテーマに取り組む痛ましいドラマに用いている」としている。Metacriticは14件の批評に基づき74/100という「概ね好評」の加重平均値を示している。
と、長々引用したけれど、最初の方に書いてあるトランスジェンダーの方々から批判を受けたという部分について詳しく書かれている部分については、かなりのボリュームで抜粋する部分のチョイスが難しいので丸ごと割愛させていただく🙇
見たいと思った理由は実話ベースということと、実際に男性のバレエダンサーがトウシューズで立って演じているということ。見る前はララを演じるヴィクトール・ポルスターについてよく知らなかったのだけど、ご本人は身体的な性と精神的な性が一致しているシスジェンダーなのだそう。ということはポルスターは自分が男性であると認識している男性であるということ。主役ではなく男性ダンサー役でオーディションを受けて抜擢されたそうだけれど、外見アプローチ含めて素晴らしい演技だったと思う。
映画はヴィクトールという少年がララという少女として生活しているところから始まる。母親不在の説明ってあったっけ? とにかく父親のマティアス(アンリ・ワリトアルテ)と幼い弟の3人暮らし。ララを女性として受け入れてくれるバレエ学校に入学するため、一家で引っ越してきたばかりらしい。フランス語だったのでてっきりフランスが舞台だと思っていたのだけど、ベルギー映画なので舞台はベルギーなのかな。フランス語圏ではない土地に越してきたらしく、タクシー運転手をしている父親は結構苦労している様子。
全体的にあまり説明的なセリフがなく、映像や会話の流れなどで見ている側が想像する感じ。主人公のララもセリフがあまりない。それは男声を嫌ってるという演出でもあるのかなと思ったりするけど違うのかな🤔 ララは感情をあまり表さず、じっと耐えていることが多い。とはいえ、とても意志が強く頑固で、それが少し痛々しい。その辺りの見せ方はポルスターの演技を含め良かったと思う。
どの程説明があったのかは描かれていないけれど、生徒たちはララがトランスジェンダーであって、女性としてダンサーを目指していることは聞かされているらしい。女生徒たちのララを受け入れるようでありながら意地悪な感じが絶妙で、後にララをさらに追い込むことになる男性器を見せろというシーンなどは、彼女たちの底意地の悪さと共に、性への好奇心も感じて、こういう無神経さのようなものが差別につながるのだと思ったりした。
とはいえ、男子生徒側のララへの反応があまり描かれていないのは少し不満が残ったかな。ララを"女性"として受け入れることの影響は、たとえば更衣室やシャワーを共有することになる女生徒たちの方が大きいのは間違いないのだけど、男子生徒たちはララを女性としてホールドしたりして体に触れたりすることもあるわけで、その辺りのことも描かないと平等ではない気がした。描いていたかもしれないけれど、自分には一部の女生徒だけが意地悪だという印象しか残らなかったので。
見たかった一番の理由は主人公がバレエダンサーを目指しているから。バレエシーンがたくさん見られるかなと思ったので。ララは前の学校では男性ダンサーとしてレッスンをしていたようで、ポワントで立つのは初めて。なので周りの女生徒たちからは後れを取っている。その辺りの焦りもララを追い込む要素となっていて、その見せ方も良かったと思う。
ポワントで立つというのはトウシューズを履いてつま先で立つこと。男性がトウシューズを履いて踊るトロカデロ・モンテカルロ・バレエ団などもあるけど、ポワントで立つだけなら筋力があるから男性の方が楽だと聞いたことがある。足の裏の筋肉、ふくらはぎ、太腿、腹筋、背筋全ての筋肉を使ってバランスをとるので、そう言われればそうかもしれない。とはいえ、私自身はポワントでしっかり立てているか怪しいけれど😅
ララ役のヴィクトール・ポルスターはきちんとレッスンしてポワントで立ったそうで、男性ダンサーと筋肉の使い方などが違い苦労したらしく、女性ダンサーは大変だと思ったと語ったのを何かの記事で読んだ。でも、そもそも基礎があるのでバレエの動きとしてはとてもキレイだったと思うし、女性ダンサーとしても美しかったと思う。ただねぇ・・・
バレエはあくまで題材の一つであって、見せたいのはララの苦悩や焦りなのは分かるのだけど、あまりにもアップ多用で全身がほとんど映らず、せっかくヴィクトール・ポルスターがポワントで立っているのに気の毒になるくらい。自分のようにバレエシーン目当てで今作を見る人は少ないかもしれないし、バレエ映画というわけではないけれど、主人公の中でバレエは重要なのだし、女性ダンサーとして踊るよろこびも感じているハズなのだから、その辺りしっかり見せて欲しかったなと思う。
ララの父親マティアスは息子がトランスジェンダーであることを受け入れていて、手術を受けて完全に女性になることを応援している。ララがどの時点から自分がトランスジェンダーであることを意識したのか、またいつ女性になることを望んだのか、父親はそれをどのように受け入れたのかは描かれないので不明。でも、父親が全力でララを守ろうとしていることは、ララだけじゃなくて見ている側の支えにもなっている。
ララは近々性適合手術を受ける予定で、医師たちもララの気持ちに寄り添いながらも、焦らずに進めて行くことを諭すのだけど、女性ダンサーへの道を踏み出したララとしては、早く完全な女性になりたいと思っている。ダンサーとして成功するということは、周囲との競争でもあるわけで、女性として生まれて来た他の生徒たちに比べてスタート地点から不利。
今年引退された吉田都さんがロイヤル・バレエ学校に編入した際、欧米人の同級生たちの手足の長さやハッキリした顔立ちと比較し、とてもコンプレックスだったと語っていた。誰かと競争しなければならない時、自分の不利な要素がコンプレックスとなってしまうことは理解できる。まして"女性"ではないのだからなおさら。
今作がトランスジェンダーの方々から批判された理由の一つに"女性の体"に固執していることがあったようだけれど、単純にトランスジェンダーとして男性の体を嫌悪しているということじゃなくて、女性ダンサーという夢に向かう上でのコンプレックスというように自分は受け取った。そういう意味では、芸術を生み出すための苦悩というテーマに無条件で感動してしまう自分には合っていたように思う。
更衣室やシャワー室でも裸になることができないため、ララはいつも1人で障碍者用?のトイレに閉じこもって着替えをしていて、男性器をテーピングで押さえている。そのため炎症を起こしてしまい、手術を延期するように言われてしまう。延期の理由はララの精神的な不安定さもあると思うけれど、この提案が結果ララをさらに追い込んでしまう。
合宿に参加し女生徒たちに男性器を見せろと迫られる。これは完全ないじめ。合宿の途中で帰宅したララは、とんでもない行動に出る。氷で冷やして男性器を切り落としてしまうのだった。これは衝撃的。ララはここまで追い込まれてしまっていたということ。
女生徒たちがララに意地悪をしたことは、必死で居残り練習をしたララがめきめきと上達し、役を掴んだことが面白くないということもある。彼女たちにも焦りがあるということなのでしょうけれど、いじめは絶対に許してはいけない。本人たちが悪ふざけだと思っていたとしても、人を追い込んでいることを自覚してほしい。いじりといじめは違うと言う意見もあるけど、個人的にはいじりもいじめだと思う。
帰宅した父親に発見されたララは救急車で運ばれる。シーン変わって人でにぎわう街中を歩くララ。すっきりとした表情。ララが女性ダンサーとしての夢を叶えたのかは分からない。でも、女性になるという夢は叶えたのかなと思う。とはいえ、希望に満ちた終わりと単純に受け取れないものを自分は感じたかな。製作者側の意図は分からないけれど、バレエダンサーの夢は諦めてしまったのではないかと自分は思ったので。でも、それがララを解放したのかなとも思った。明確に結果を見せていない以上、受け取り方はそれぞれでいいのかなと思う。
それなりに人数は出演していたけど、ほぼ2人芝居という印象。父親マティアス役のアリエ・ワルトアルテが良かった。父親だっていろいろ不安があるだろうに、我が子のために出来ることは全てしてあげようという思いが感じられたし、悩み苦しむ我が子を理解しようと共に悩む姿もリアルだった。
そして、ヴィクトール・ポルスターが素晴らしい。前述したとおりシスジェンダーだそうなので、外見アプローチ含めて全て演技ということになる。出演時には14歳だったそうなので、まだ少年らしい華奢な外見がプラスに働いたこともあるだろうけれど、本当に少女にしか見えない。仕草が少女以上に女性的で、なんともいえない色気がある。バレエシーンもとても良かったと思う。この役はヴィクトール・ポルスター以外は考えられない。難しい役どころを繊細に演じていたと思う。触れれば壊れてしまいそうでありながら、意志の強い頑固さもあり、ララという人物をしっかり形作っていたと思う。
この1本でトランスジェンダーのことが理解できたわけではないけれど、心と体が一致しない辛さは分かったような気がする。同じアパート内に住む青年への恋心も描かれていて、青春映画としても見ることができるし、バレエダンサーとしての夢を追う物語としても見ることが出来る。賛否はあるかもしれないけれど、自分は好きだった。
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