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【tv】ぶらぶら美術博物館「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」

2019-06-17 19:41:24 | tv

【tv】ぶらぶら美術博物館「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」

 

 

開催中の美術展や博物展を紹介する番組。今回は国立新美術館で開催中の「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」を取り上げていて、装飾華美の時代からモダンへの変遷を見せる展覧会なのだそう。これは見に行く予定なのでメモ取りながら見たので、備忘メモとして記事にしておく。


第1章:啓蒙主義時代のウィーン


マルティン・ファン・メイテンス「幼いヨーゼフ2世を伴ったマリア・テレジア」


啓蒙主義時代というと18世紀だそうで、その時代を代表するのがこの方マリア・テレジア(Wikipedia)。タイトルにある幼いヨーゼフ2世(Wikipedia)ってどこに?と思ったら額縁😲

 

マリア・テレジアこそ啓蒙主義(Wikipedia)をもたらした人物ということで、啓蒙主義とは人々に正しい考えを見につけさせることだそう。民衆が貧困に陥らないようするためだったとのこと。ちょっと自分のメモがよく分からないけど、ヨーゼフ2世は人民的で福祉政策を行った人なのかな? 啓蒙主義がヨーロッパ全土に広がったのだそう。

 

「フリーメイソンのロッジ」(画像見つからず💦) フリーメイソン(Wikipedia)というと暗躍する秘密結社というイメージだけれど、実際は"自由・平等・博愛"がモットーだそうで、この考えにヨーゼフ2世も共感したのだそう。実はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wikipedia)もメンバーで、「魔笛」の脚本を書いたエマヌル・シカネーダー(Wikipedia)もメンバーであったため、脚本にはフリーメイソンの教えが盛り込まれているのだそう。なるほど😌

 

第2章:ビーダーマイヤー時代

 

ビーダーマイヤー(Wikipedia)というのは風刺小説の登場人物で小市民という意味もあるのだそう。質素に生きようという風潮。1814年ウィーン会議(Wikipedia)から1848年までをビーダーマイヤー時代と呼ぶとのこと。何故1848年までなのか説明してたかもしれないけどメモには残っていない💦 ウィーン会議には1万人が参加したそうで、お土産用に工芸品が発達したのだそう。

 

ビーダーマイヤー時代の家具

 

家族と共に家でくつろぐことが大切であると考え、ヴェルサイユ調の装飾華美からシンプルなデザインへ変化。量産化も進んだとのこと。この感じは好き😍


「フランツ・シューベルトの眼鏡」

 

フランツ・シューベルト(Wikipedia)はビーダーマイヤー時代を代表する室内音楽の作曲家とのことで、シューベルトはこの眼鏡を気に入って寝る時もかけていたのだそう。真ん中に線が入っているのは割れているのか?という流れから、寝る時もかけているから割れちゃうんだよと山田五郎氏とおぎやはぎは笑っていたけど、これは割れているのかね? なんか繊維のように見えるのだけど? 🤔

 

第3章:リンク通りとウィーン

 

フランツ・ヨーゼフ1世(Wikipedia)はリンクと呼ばれる環状道路を作った。色んな様式の建築が生まれた。

 

ハンス・マカルト「ドーラ・フルニエ=ガビロン」

 

ハンス・マカルト(Wikipedia)はこの時代の大画家で、フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート(Wikipedia)の銀婚式の演出を担当したのだそう。このドーラさんは女優さんなのかな?俳優夫婦と紹介されていた。マカルトはドーラに恋していたのだそう。クロード・モネ(Wikipedia)と同世代だけれど印象派(Wikipedia)には入らなかったそうで、クリムトやアルフォンス・ミュシャ(Wikipedia)の憧れの人だったらしいれど、山田五郎氏によるとスゴイけれどおもしろくないとのこと😅

 

現在のウィーンでの評価は不明だけど、世界的にはあまり知られてないかもしれない。そういう意味では忘れられた画家かもしれないけれど、活躍していた時には大きな評価を得いていたのだからそれはそれでいいのかも😌 後に大きく画風を変えてしまうけれど、クリムトはマカルトの仕事を引き継いでデビューしたそうなので、そういう意味ではクリムトという画家を生み出したともいえる。

 

第4章:モダン都市ウィーン

オットー・ヴァーグナー「カール・ルエーガーの椅子」


オットー・ヴァーグナー(Wikipedia)はこの時代を代表する人物。ウィーン・モダンを語る時、オットー・ヴァーグナー抜きには語れない。ウィーンの街を歩けば彼の建築物をたくさん見ることができる。都市計画も手掛けたそうで、ウィーン・モダンというよりも、現在のウィーンを形作った人と言えるのかも? 建築家というイメージが強かったので、椅子などのデザインもしていたの意外だった。

 

この椅子は真珠が埋め込まれているそうで、脚はアルミ製なのだとか。アルミは当時最新の素材だったそうで、その辺りがモダンということになるのかな。正直言うと好みではないけれど、斬新なデザインであることは間違いない。

 

グスタフ・クリムト「寓話」

 

グスタフ・クリムト(Wikipedia)の初期の作品。クリムトは14歳~21歳まで現在のウィーン応用美術大学(Wikipedia)で学んだそうで、20歳の時に芸術家カンパニーを立ち上げたのだそう。この作品にはマカルトの影響が見られるとのこと。クリムトといえば「接吻」などの作品のイメージがあるけど、初期はもちろん晩年の作品もあの感じとは違っていたのは知っていた。でも、この作品を見せられたらクリムトの作品とは思わないよね😅 

 

グスタフ・クリムト「愛」

 

背後に幼子、若い女性、老婆が描かれている。これの意味について語っていたと思うのだけどメモ取れていない💦 ヴァニタス(Wikipedia)と書かれていて、ヴァニタスというのは寓話的という意味らしけど、どういう流れで語られたのか覚えてない😣 男女は変わらないというメモは、おそらく男女のタッチは変わらないということかな? 両脇の金色と花の描き方はジャポニズム(Wikipedia)で、ジャポニズムの影響を受けた最初期の作品なのだそう。ジャポニズムは19世紀末のヨーロッパで流行したけれど、1873年のウィーン万国博覧会(Wikipedia)に明治政府は国として初めて参加したのだそう。

 

グスタフ・クリムト「ハラス・アテナ」

 

1897年35歳の時、ウィーン分離派(Wikipedia)の初代会長になったそうで、この作品は1898年分離派会館のオープニングを飾ったのだそう。学問・芸術・戦略の女神で芸術のために戦うという意味だそう。胸のところの黄金の飾りはメデューサ。額は彫金師である父親の仕事を継いだ弟によるもの。ウィリアム・モリス(Wikipedia)の影響も受けているそうで、美術と芸術を融合しようとしているのだそう。

 

マクシミリアン・クルツヴァイル「黄色いドレスの女性」


マクシミリアン・クルツヴァイル(Wikipedia)は印象派の影響を受けた画家で、フランスで勉強し妻もフランス人なのだそう。この絵のモデルは妻。このドレスは当時の最先端でウエストはコルセットで締め上げている。

 

グスタフ・クリムト「エミーリエ・フレーゲの肖像」


ドレスは平面的で抽象画的。日本美術の影響が見られる。サインも落款のように入れている。28歳の時、エミーリエの姉と弟が結婚。弟はこの1年後に亡くなってしまったらしい😢 17歳までには知り合っていただろうと言われているそうで、家族ぐるみの付き合いだったとのこと。クリムトとは結婚はしなかったけれど、生涯近しい女性だった。とはいえ他の女性との間に1人も子供をもうけているらしいけれど😅 エミーリエは自立した女性で、ファッションサロンを経営。オリジナルも売るセレクトショップ的なお店だったそうで、コルセットの無い服を売ってていたのだそう。

 

エミーリエ・フレーゲとクリムトの件については、以前3組の恋愛を取り上げた番組(記事はコチラ)で見てとても感動した。本当のところは分からないけれど、番組ではエミーリエとクリムトが結婚しなかったのは、弟とエミーリエの姉が先に結婚してしまったため婚姻が近いという理由で反対されたからじゃなかったかな? 2人は親戚の集まりがある別荘で一緒に過ごし、彼女との恋から「接吻」が生まれたんだよね。2人は結婚という形で結ばれることはなかったけれど、クリムトは臨終に際してエミーリエを呼んで欲しいと言ったそうなので、深く愛していたことは間違いないと思う。それは、同志というような感じだったかもしれないけれど😌

 

クルツヴァイルの作品との決定的な違いはウエストを締め上げていないこと。この頃、女性解放運動家アメリア・ジェンクス・ブルーマー(Wikipedia)を中心に、コルセットのない改良服運動が起こったそうで、クリムトもこれに協力したのだそう。

 

「エミーリエ・フレーゲのドレス」(復刻)

 

山田五郎氏やおぎはやぎの2人によると男性には人気のないドレスとのことだった。要するに体のラインを全て隠しちゃってるからだよね? この胸の下あたりからドレープになってるラインは、コルセットが登場する前のドレスにあったような気がするけれど、胸の部分の幾何学模様的なパターンがやっぱり斬新な感じ。現代の女性からしたらこれでも開放的ではないと思うけれど、当時としては画期的だったのかな。でもコレ単純に素敵✨

 

「グスタフ・クリムトのスモック」

 

改良服。いろいろ種類があり少しずつ違う。藍染。えーと、ウィーン工房(Wikipedia)、ヨーゼフ・ホフマン(Wikipedia)とメモがあるのだけど、この人物とスモックがどう関係するのか忘れてしまった😣 その後にアーツ&クラフト運動(Wikipedia)に影響。今でいう無印良品と書いてあるので、要するにヨーゼフ・ホフマンを中心にウィーン工房で、こういった商品を生み出していたということかな? アーツ&クラフト運動に影響というのは影響を受けたということだと思う。確かにこれ無印で売ってそう😊

 

 

ベルトルト・レフラー「キャバレー・フレーダーマウスのポスター」

 

ベルトルト・レフラーの代表的な作品。グラフィックのフォントも考えた。ビーダーマイヤー時代から100年が経ち、シンプルがオシャレであるという考え方に。世紀末芸術。


エゴン・シーレ「自画像」


エゴン・シーレ(Wikipedia)21歳の時の作品。表現主義。自己の内面を表現。髪の毛の中にも顔が見える? おそらくこれも自分の肖像で、表と内面を描く。神童であり、16歳でウイーン美術アカデミーに合格。この翌年アドルフ・ヒトラーが落ちている。28歳で死去。アカデミー退学。分離派の一番最後のポスターを担当。クリムトが亡くなったため、彼の席を空席にして描いた。1911年というとフォービズム(Wikipedia)やキュビズム(Wikipedia)の影響を受けており、クリムトからも影響を受けた。クリムトとは28歳の差があったけれど、クリムトもシーレを評価していたのだそう。

 

エゴン・シーレ「ひまわり」

 

20歳の時の作品。ゴッホの影響を受けている。自分を重ねているのではないか? 暗い内面性。自分を厳しく見つめ直す。でも下は生々しい花。生命の循環を表現。生き急いだのではないか。素描作品をたくさん残した。

 

1918年オーストラリア帝国(Wikipedia)崩壊。クリムト、シーレ、ヴァーグナーも死去。バウハウス(Wikipedia)へと移行。モダニズムの根源がウィーンにはある。

 

と、かなりのボリューム💦 録画でなく生視聴してメモ取ったので、全部は残せなかったし、最後の方はメモが単語のみでなんのこっちゃな感じに😅 でも展覧会の道筋的なものは理解出来た。近々見に行く予定なので参考にしたい😌

 

ぶらぶら美術博物館:毎週火曜日 21:00~22:00 @BS日テレ

BS日テレ - 「ぶらぶら美術・博物館」番組サイト


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