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【cinema】『リリーのすべて』

2016-04-26 00:54:32 | cinema☆

2016.04.09 『リリーのすべて』鑑賞@TOHOシネマズみゆき座

 

エディ・レッドメインの女装画像を見た時(記事はコチラ)から見たいと思っていた。なかなか行かれず、公開から4週目になってやっと行ってきた~

 

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「人気風景画家のアイナー・ヴェイナーは、同じく画家の妻ゲルダと幸せに暮らしてた。ある日、妻からモデルの代わりを頼まれてストッキングを着用した。すると自分の中にある感情が芽生える。そして妻の提案で女装して出かけたパーティーで、ヘンリクという男性と出会いキスしたことで、アイナーの中の女性リリーが目覚めて・・・」という話で、実話ベース。これは美しい作品だった。そして、感動

 

『英国王のスピーチ』、『レ・ミゼラブル』のトム・フーパー監督作品。毎度のWikipediaによりますと、原作は世界で初めて性別適合手術を受けたリリー・エルベを題材とした、デヴィッド・エバーショフの「The Danish Girl」。原作は未読。どうやら「世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語」の邦題で出版されたようだけれど、今作の公開に合わせて「リリーのすべて」のタイトルで再版されたらしい。伝記ではなく小説なので脚色が加えられており、実際とは女性として暮らすようになった時期や、結末などが異なっているのだそう。

 

約10年前にニコール・キッドマンが原作に惚れ込み、映画化を希望したとのことで、自らプロデューサーも務め、配給会社も決まり、脚本も完成したが実現には至らなかったのだそう 2009年9月、トーマス・アルフレッドソンがデヴィッド・エバーショフの小説「The Danish Girl」の映画化に取り組みたいと語ったが、同年12月本作の製作から離れたと報じられた。2010年1月12日、後任としてラッセ・はレストレムが雇われたが、結局撮影には至らず そして2014年、トム・フーパー監督で再度映画化が決定。残念ながらキャストにニコール・キッドマンの起用はなかったけれど、ニコールにとっても映画化は悲願だったため、映画の完成をとても喜んだのだそう。いい話

 

ゲルダ役にはシャーリーズ・セロン、グウィネス・パルトロウ、ユマ・サーマン、マリオン・コティヤールに契約を打診するも、確定には至らず。2011年2月、レイチェル・ワイズに決定し、7月から撮影開始との報道があったが、5月にはレイチェル・ワイズとハレストレム監督の降板が報じられた。2014年4月28日、トム・フーパーがエディ・レッドメインを主演に迎え監督すると報道があり、6月19日にはアリシア・ヴィキャンデルがゲルダ役に決まったと報じられたのだそう。2015年2月26日、リリー・エルベに扮したエディ・レッドメインの画像が公開されたそうで、これは当blogでも記事(コチラ)にした画像なのかな? ちなみに、トム・フーパー監督は『レ・ミゼラブル』(感想はコチラ)撮影時に、エディ・レッドメインに出演依頼したのだそう( ゜д゜)ホゥ

 

2015年9月5日、第72回ヴェネツィア国際映画祭で初めて上映され、第40回トロント国際映画祭のスペシャル・プレゼンテーションでも上映された。賞レースとしては、衣装デザイン、作曲、監督賞などのノミネートもあるものの、第73回ゴールデングローブ賞や第88回アカデミー賞など、主演男優賞と助演女優賞のノミネートや受賞が多い。アリシア・ヴィキャンデルはアカデミー賞助演女優賞を受賞している。

 

リリー・エルベについてもWikiepdiaと、「リリーのすべて」をより深く見るために知っておいた方がいいこと|LETIBEE LIFEで調べてみたので書いておきたい。リリー・エルベはデンマークの画家で、世界初の性別適合施術(Wikipedia)を受けた人物。本名はエイナル・モーゲンス・ヴェゲネル(Einar Mogens Wegener)。たぶん、読み方の違いでアイナーも同じつづりなんだと思うけど、実在の人物と映画の主人公を区別するため、以後ご本人をエイナルと表記することにする。リリーが女装をするようになったのは、妻ゲルダのモデルの代わりにリリーにストッキングとヒールを身に着けさせ、脚のモデルを頼んだことがきっかけだった。1920年代から30年代にかけては恒久的に女性の身なりで生活するようになった。この頃からリリー・エルベ(Lili Elbe)と名乗るようになった。

 

エイナルは医師の診察を受けるが、多くの医師はエイナルの思考を病気だと決めつけ、ショック療法などを利用して男性へ戻そうとした。そんなある日、ベルリンに住むマグヌス・ヒルシェフェルト医師と出会う。他の精神科医とは違い、ヨーロッパでもいち早く男性と女性の間に位置する中間性に関する理論を発展させていたため、エイナルの感情を理解してくれた。リリーは母になるという夢を持ち始める。

 

そしてついに"母となるため"、ヒルシェフェルト医師の保護観察を受けて、1930年から翌年にかけて5回にわたる手術を受ける。詳細は避けますが、卵巣や子宮も移植したらしい。50歳を前に念願の"母"の体になることができた。1930年にリリーの手術を知ったデンマーク国王クリスチャン10世は、リリーとゲルダの婚姻を無効としていた。当時のデンマークは刑法により同性愛を犯罪と規定していたため。それでもゲルダはリリーの性別移行を支持。リリーは法的性別の変更とリリー・エルベ名義のパスポートも手にした。これは意外。念願の女性の体になった3か月後、拒否反応を起こして亡くなってしまったのだそう

 

現代の医療技術でも男性に子宮を移植することはできないのだそう。生殖能力を永久的に失わせる不可逆的手術で、新たな性別でも生殖能力は得られないため、本人の意思に基づいた手術となっている。拒否反応を防ぐ薬はリリーが亡くなった約50年後の1980年頃になって初めて成功例が出始めたのだそうで、リリーが受けた手術がいかに無謀であったかが分かる。エイナルが性移行手術を受けた事実はドイツとデンマークでもニュースになったそうで、同性愛行為が法律で禁止されていたデンマークでは、リリーに対する風当たりは強く、エイナルの多くの男友達はリリーに会うことを拒んだらしい

 

上記のリリー・エルベについての記載で、脚色があるとはいえ、ほぼストーリー的にはそのまま。ただ、後の2人の関係性を強調するためか、思ったよりも男性だった頃のことを描いていた印象。物語が語られ始めた頃、2人は結婚6年目。2人とも画家で、アイナー・ヴェイナー(エディ・レッドメイン)は評価の高い人気風景画家だった。人物画家のゲルダ・ヴェイナー(アリシア・ヴィキャンデル)は画商から才能は認められているものの、作風からか商品として取り扱われることがない状態。これは芸術家としては辛いところ。作風というのも自分だからね・・・ プライドが傷ついているところに、追い打ちをかけるようにアイナーが口添えをしたことが分かり、さらに傷つく。帰宅したゲルダはアイナーに八つ当たりしてしまう。ありがちなシーンではあるけれど、アイナーの優しさとゲルダの強さが対比されている。2人は子供を望んでいる。だから夫婦の営みのシーンも当然ある。男性だった時には普通に妻を愛する良き夫だったけれど、やっぱりどこか繊細な印象。ゲルダは活発な女性。友人たちに2人のなれそめを話した際に、プロポーズしたのはゲルダだと語っていたし、男女逆転とまでは言わないけれど、主導権はゲルダが握っている感じ。実際の2人がどんな関係だったのか分からないけど、今作の2人はこの感じだから無謀とも言える手術に突き進んで行けたのかもと思ったりする。

 

2人にはウラ(アンバー・ハード)というバレエダンサーの友人がいる。前半にアイナーが1人で2回、ゲルダと2人で1回バレエ団の稽古場を訪ねていて、これらはアイナーの変化を表す重要なカギとなる機会となっている。受付のような所があって、老人が座っているけど、アイナーたちは顔パスらしい。前半の早い段階でアイナーが1人で稽古場を訪ねていて、稽古着姿のダンサーたちを眺めるシーンがあるけれど、不思議といやらしさは感じない。この時のアイナーには女性の体に対する憧れがあったと思うけれど、もっと芸術的な気持ちだったのではないかと思う。どのシーンも美しい映画だったけど、このシーンもドガの絵画のように美しい。

 

実際にウラという人物がいたのか、映画のように重要な役割を果たしたのかは不明だけど、今作ではカギとなる役割を果たしている。上の方でリリーについて記載した際にも書いたとおり、実際のリリーもきっかけはゲルダの絵のモデルの代わりをしたことだった。その辺りは今作でも忠実に描いている。ゲルダはウラをモデルに絵を描いていて、ウラの代わりにアイナーに脚のモデルを依頼する。初めは恥らっていたアイナーだったが、ストッキングの履き心地、胸に当てたチュチュのレースの感触に何か感じるものがあった様子。この時まだ具体的な形にはなっていないけれど、どこか恍惚とした喜びを感じているエディ・レッドメインの表情が素晴らしい。そこにウラが現れてハッとする。そしてウラは女装しているアイナーをリリーと名付ける。この感じもいいと思った。自分でも気づかなかった本当の自分を見つけられてしまった感じ。

 

とはいえ、最初から自分の本当の性は女性であると思っていたわけではなくて、この時点ではストッキングやドレスなどに対する漠然とした憧れという感じだったっぽい。ゲルダの新しい下着をこっそり身に着けていたりする。普通、それを発見してしまったらビックリだと思うのだけど、ゲルダは多少驚きはしたものの、悪い方向には取らなかった様子。なんと彼女の方からパーティーに女装して出かけようと提案する。実際の2人が女装してパーティーに行ったりしたのかは不明だけど、映画ではゲルダがアイナーに女性的しぐさをレクチャーしたり、バレエ団の稽古場に忍び込んで、カツラやドレスを調達する過程を描くことで、アイナーが女性になることの喜びと楽しさを感じていることが、見ている側にも伝わるようになっている。ここからパーティーに乗り込んでいくまでのシークエンスは見ていて楽しかった。

 

見ている側はアイナーの従妹だと紹介されるリリーが、実はアイナー本人であることを知っているせいもあるかもしてないけれど、いくらエディ・レッドメインが華奢だとはいえ、女性には見えない(笑) ただ、実際のエイナルは女性的な顔と体つきだったため、男性として公の場に出ても、男装した女性に見えていたのだそう。映画ではパーティーで謎の美女として注目の的になる。そんな中、意味ありげな視線を向けて来る男性が。ヘンリク(ベン・ウィショー)というこの男性が2人目のカギとなる人物。実際モデルとなる人物がいたのかは不明。他の人々が遠巻きに見ているのに対して、ヘンリクはかなり強引にリリーを誘う。最初はなんとか避けようとするも2人きりになってしまう。「キスをするのに許しを乞わなければならない人だ」とリリーを評するヘンリクだけど、この時点で既にリリーの秘密には気づいている感じ。演じるベン・ウィショーがゲイであることをカミングアウトしていることを知っているせいもあるかもしれないけれど、たぶん意図的にヘンリクが最初から見抜いているという演出をしていると思う。2人はここでキスをして、ゲルダはそれを見てしまう。ゲルダはショックを受けるけれど、アイナーには何も言わない。まぁ、言えない気持ちも分かる。

 

パーティーの成功で味をしめたのか、ゲルダはリリーをモデルに絵を描き始める。この絵が画商に認められ、やがて人気を得て売れっ子画家となる。これはやっぱりモデルの真実の姿を描いているから、人々の心をつかんだのだと思う。それに比例するかのようにアイナーは女装にハマっていく。ゲルダの留守に女装をして出かけるようになる。ある日ヘンリクに再会。彼と頻繁に会うようになる。このこと自体は、ヘンリクと恋愛関係になったということではないっぽい。というのもヘンリクはゲイなので。たぶんそうだろうと思っていたら、やっぱりそうだった(笑) そして、この行動がゲルダの知るところとなる。ある日、ゲルダが外出から戻ると、アイナーはリリーの姿で待っていた。大丈夫か尋ねるゲルダに、泣きながら大丈夫じゃないと答える。とても切ない場面。ドア越しにリリーの姿が見える構図が絵画のようで本当に美しくて、より切なさが増す。そう、この作品全体に言えることだけれど、男性が女性になることについて、とても生々しく描くことも出来ると思うけれど、どのシーンも美しく描いていて、ズッシリ重くなり過ぎず見ることができた。

 

2人は医師に相談に行くけれど、どの医師もアイナーは精神病であるという診断。当時は同性愛は精神病であり、犯罪だったのだから、医師たちを責めるのはかわいそうかもしれない。でも、男性器に放射線(?)を当てる治療とか、今見ると笑ってしまうけれど、患者にとっては気の毒。当然ながらそんなことでは治るはずもなく、アイナーもゲルダも病気であるということには違和感があった。ゲルダにパリの画商から声が掛かったこともあり、2人は環境を変えるため、パリへと居を移すことにする。

 

パリでリリーの幼馴染みのハンス(マティアス・スーナールツ)と再会する。少年の頃アイナーとキスしているところを見つかり、アイナーの父親に殴られたことがあるハンスは、独身ではあるけれどゲイというわけではなく、むしろゲルダに好意を寄せている。なので、このエピソード自体は少年の日の無邪気な好奇心なのでしょうけれど、後にアイナーがリリーはずっと自分の中にいたと語るシーンがあるので、潜在的に女性の部分があったということなのでしょう。父親がハンスを殴ったというのも、ちょっと過剰反応な気がするので、もしかしたら父親には何か感じている部分があったのかも? 実はこのハンスとはアイナーではなく、アイナーの従妹リリーとして再会した。ゲルダが彼を連れて来ると、待っていたのはリリーだった。ハンスは紳士的にリリーに接したけれど、多分リリーが誰であるか気づいたのだと思う。このハンスの存在が2人にとって支えとなる。演じるマティアス・スーナールツの大人で包容力のある佇まいが素晴らしい。

 

パリでは女装ではないけれど、明らかに普通の男性とは違う服装で出歩き始める。当時の"普通"のおしゃれな男性たちが、アイナーのように昭和の少女漫画の登場人物のような服装をすることがあったのかどうかが分からないので、何が普通なのか定義が難しいのだけど、淡い色合いのパンタロンのようなパンツと丈の短いジャケットを着て歩くアイナーは目立ち、男たちに絡まれ暴力を振るわれたりしてしまう。切ない 暴力を振るわれてしまったこともそうだけれど、LGBTの方々に理解が全くないどころか、犯罪や精神病だと考えられていた時代に、それでも自分のアイデンティティを貫かざるを得ない葛藤が切ない。その辺りをエディ・レッドメインが見事な演技で表現している。 

 

夫のこの変化に対して理解しようとしつつも、困惑するゲルダ。ある日、アイナーに自分の感情をぶつけてしまう。あなたは自分のことしか考えていないけれど、少しは私のことも考えて欲しい。私は夫を取り戻したい。その気持ちは痛いほどよく分かる。ゲルダは今でもアイナーを愛していて、自分でも以前のアイナーを愛しているのか、変わってしまったアイナーのことも愛しているのか分からなくなってしまったのだと思う。アイナーは自分が愛しているのはゲルダだと言うけれど、自分の変化を止めるとはできないと言う。うーん。私自身は女性として生まれて、自分を女性だと思っていて、恋愛対象は男性で、男性になりたい願望もないので、LGBTの方々の気持ちが本当には理解できていないと思う。でも、一度自分の中に生じてしまった違和感は、打ち消すことはできないのでしょうね・・・ 映画評論家の町山智浩氏の解説(町山智浩 たまむすび:映画「リリーのすべて」を解説|YouTube) によると、トランスジェンダーの中には、性別を変えても恋愛対象が元の性別のままという方もいらっしゃるそうで、カニエ・ウェストの義父(キム・カーダシアンの父親)は女性になったけれど、恋愛対象は女性のままなのだそう。なかなか複雑なのだけど、アイナーがゲルダを愛しているというのは、恋愛対象が女性のままということよりも、人間として愛しているということなのかと思う。以前読んだこの記事(【一般人】同性愛者なのに異性愛者の女の子と結婚した男だけど、なんか質問ある?【奇妙な生活】:Ask Me Anything!!!/【海外版】なんか質問ある?)によると、ゲイの男性が人間として愛した女性と結婚したのだそうなので。まぁ、それともちょっと違う気がするけれど・・・

 

2人はヴァルネクロス医師と会う。医師はアイナーを精神病ではないとした上で、自分の性別はどちらだと思うか尋ねる。アイナーは女性だと思うと答え、ゲルダもこれに同意する。すると医師は性別適合手術の提案をする。ただし、今まで誰も受けたことのない手術で、命を落とす危険もあるとのこと。アイナーはこれを受ける決意をする。まぁ、世界で初めて性別適合手術を受けた人物の話なのだから、受けてくれなきゃ困るけど 前述したとおり実際のエイナルは5回にわたり手術を受けたようだけれど、アイナーが受ける手術は2回。1回目が性器切除、2回目が膣の形成。手術はドイツで行われるため、アイナーは1人汽車で向かう。ゲルダは同行を希望するけど、自分はアイナーを亡くしに行くのだから、これは1人で行かなくてはならないと言う。そうなんだよね。リリーになるということは、アイナーはこの世からいなくなるということ。LGBT以外のいわゆるノーマルな人のことを何と呼ぶのか分からないのだけど、性別を変えるというような大変換をしなくても、人は内的外的な影響を受けて日々変わって行くものだと思う。極端な言い方をすれば昨日の自分には戻れないわけで、その変化を意図的にする場合もあるとは思うけれど、やっぱりこの決断は凄いと思う。そして、命の危険を冒しても自分の望む体にならなければ、心の平安が得られないというのは、大変なことだなと思う。

 

手術は成功するけどリリーは合併症に苦しんでいた。ゲルダはリリーが衰弱していることを知り駆け付ける。ゲルダが来てくれたことで安心したのかリリーは元気を取り戻す。やはりゲルダは一番の理解者で、リリーの心の支えであることが分かる。ゲルダもまた素晴らしい人。退院後、2人はコペンハーゲンに帰ることにする。実際のリリーの手術は大々的なニュースになったようで、前述したとおり1回目の手術を受けた時点で、国王により離婚させられている。そして、リリーは男友達を失ってしまったらしい。映画ではその辺りは描かれていない。2人の絆を強調するためか、友人はウラとハンス以外は出てこない。2人が幸せそうに暮らす様子が映し出されるけれど、アイナーについて周囲にどう説明したのかは語られない。そういう俗っぽいところは排除して、あくまで美しいものとして描いたことについては、いろいろな意見はあると思うけれど、個人的には良かったと思う。

 

穏やかに過ごしていた2人だけれど、リリーの中では母の体になるという思いが強くなっていた。この時点で恋愛対象が男性に変わり、その男性の子供を産みたいということではなくて、子供を持ちたいということのように感じた。女性だからといって無条件で出産できるわけではないし、産まない選択をする場合もある。技術的な問題なのか、倫理的な問題なのか不明だけど、現代の医学でも性別適合手術による新しい性別での生殖能力は得られない。前述どおり実際のリリーは5回の手術を受け、子宮や卵巣も移植したそうだけれど、手術が成功して適合すれば、男性でも妊娠が可能なのかも分からないし、当時妊娠可能であるという根拠があったのかも不明。でも、リリーが子供を産みたいと思った、もしくは産める体になりたいと思ったのは事実で、映画の中でも少し恥らいながらゲルダに夢を語るリリーをかわいらしいと思う。ただ、自分がゲルダの立場だったらどうなのだろう・・・ アイナーが感じている本当の性別は女性であって、それを認めた時点で夫を失ったわけで、さらに手術により決定的に失った。今現在、一緒に暮らしているのはリリーで、彼女を女性として見て、そして女性として語る夢を受け止められるだろうか? 映画の中ではサラリと描かれたこのシーン、後から考えるととっても残酷。だって、映画の前半でゲルダもまた子供を望んでいたのだから・・・

 

自分の体を不完全だと感じているリリーは、2回目の手術を受ける決意をする。まだ、体が完全に回復していないからとゲルダが止めるけれど、医師の許可は得ていると言い張る。実際、医師が診断しているシーンはないけれど、さすがに大丈夫だと思わなければ手術はしないと思うので、医師としては問題なしという見解だったのでしょう。ただ、前例のない手術だけに、医師としても多少無理をしても結果が欲しいという側面はあったかもしれない。映画としてはそういう部分は描かれていないので、あくまで自分の勝手な想像。映画では1回目の手術の際、麻酔をかけられるシーンはあるものの、 2回とも手術シーン自体はなし。手術を終えたリリーの容体が悪化。連絡を受けたゲルダが駆けつけると、少し元気になったリリーは外に出たいと言う。まだ無理だと止めるけれど聞かず、車いすで外に出たリリーは息を引き取ってしまう。そんな・・・ でも、リリーが自分が望んだ体になって良かった。その死に顔を見ながら心からそう思った。 

 

前出の町山智浩氏の解説によると、映画をリリーの死という悲劇で終えたことで、性別適合手術が危険であるように見えることなどが問題になっているのだそう。うーん、でも時代が違うからなぁ。現代では危険のない手術だとしても、90年近く前には危険だったわけで・・・ そこ混同しちゃう人いるかな? いるのかもしれないけど、実際のエイナルも合併症が原因で亡くなっているわけだし。でもまぁ、あくまでエイナル・モーゲンス・ヴェゲネルをモデルとした物語としては、リリーが女性として幸せに生きる結末もありだとは思うけれど、自分としては本当の自分になれて幸せに亡くなったという描写と受け取ったので、悲しくはあるけれど、悲劇的な終わりとは思わなかった。そして、とても美しい話だと思った。

 

映画はゲルダとハンスがリリーの故郷でありアイナーが描いた場所に佇むシーンで終わる。ゲルダとハンスの間に何かが起こるという描写はないけれど、リリーの思い出を共有する2人が、寄り添って生きていけたらいいなと思った。特にゲルダには幸せになって欲しい。実際のゲルダも再婚したそうだし。原題は『THE DANISH GIRL』で、リリーのことだと思われるけど、パリに出たばかりの頃、ゲルダのことをこう呼ぶ場面があるので、これはゲルダのことでもあるのだと思う。1人のDanish Girlは束の間ではあっても幸せを手に入れた。もう1人のDanish Girlの幸せも予感させるラストは良かった。夫が女性になることを受け入れるのは大変なことだったと思う。実際のリリーとゲルダは40代になっていたそうなので、夫婦の形も映画とは違っていたかもしれないけれど、あくまで映画の20代~30代くらいの、まだ新婚とも言える、しかも2人とも子供を望んでいたような状態からの、ゲルダの対応は立派だったと思う。もう少し取り乱してもいいのにと思うくらい。リリーの決意や勇気はすごいけれど、ゲルダのそれもまた素晴らしい。彼女がいたからリリーも決意できたのだと思う。そういう意味では形は変わっても、2人は夫婦だったのでしょう。

 

キャストは皆良かった。画面に登場した人物は多いけど、ほぼ2人芝居という印象。そういう緩急のつけ方が上手いと思った。ヘンリク役のベン・ウィショーは少ない出演シーンながら印象を残す。映画としてはリリーの中の女性を引き出す役。適度に妖しく繊細に演じていたと思う。ハンスのマティアス・スーナールツが素敵だった。包容力があって、リリーとゲルダを見守っている感じ。特にゲルダに対しては、惹かれていると思うので、その辺りの切なさも感じさせて、大人の色気があった。何度も力説しているけれど、男の色気は切なさです(・∀・)ウン!!

 

ゲルダのアリシア・ヴィキャンデルが素晴らしかった。すっかり忘れていたけど『アンナ・カレーニナ』(感想はコチラ)のキティ役で見ていて、やっぱりホメてた(笑) 活発で明るい屈託のないゲルダが、芸術家となり、普通の夫婦とは違うけれど夫を支える妻となり、そしてその愛情を魂レベルまで昇華させた。その過程をやり過ぎず自然に演じていて見事。全員の演技を見たわけではないけど、アカデミー賞助演女優賞受賞は納得。一歩間違えると優等生過ぎてしまうゲルダに、人間味を感じさせていたと思う。

 

そして、2年つづけてアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたエディ・レッドメイン。相変わらず素晴らしい 男性だった時には自分の中に女性がいることは意識していないながらも、そういう要素があることを感じさせる繊細さを見せる。自分の中の"女性"に気づく瞬間、その変化に対する苦悩、そして手術の決断までの流れを見事に表現。トランスジェンダーの気持ちについては、やっぱり理解しにくい部分があるので、自分勝手な行為に見えてしまう懸念があるけれど、リリーを素直に応援したくなる人物にしていた。女装したらお母様にそっくりだったそうだけれど、キレイでビックリ。華奢なエディではあってもやっぱりちょっとゴツイ。でも、仕草がかわいらしくて、リリーに対して好感が持てた。それは、エディ・レッドメインのおかげ。

 

とにかく美しい映画だった。とても芸術的。前述した初めてリリーの姿でゲルダの帰りを待っている姿のドア越しの構図とか、絵画のようなシーンがいくつもある。ヘンリクが住んでいる同じ形の家がズラリと並んだ画とか、何気ないシーンでもこだわりが感じられる。特に美しく官能的だったのは、女性の服に対する関心が抑えきれず、バレエ団を訪れたアイナーが、鏡の前で全裸になるシーン。男性器を股の間に挟み、女性的なラインを確認する。衝撃的な場面ではあるけれど、とても美しく描かれている。美術、芸術好きとしては、2人が芸術家であることも興味深かった。リリーを描くことで芸術家として開花するゲルダ、売れっ子風景画家だったのに、リリーになって筆を置いてしまったアイナー。芸術家というのは複雑。何を糧にするかというのも興味深い。美術や衣装も素敵だった。

 

レビュー書き上げるの遅くなったので、もう上映終わっているかな? LGBTに興味のある方、詳しい方は感じる部分が多いかも。エディ・レッドメイン好きな方是非、アリシア・ヴィキャンデル好きな方必見です! 

 

『リリーのすべて』Official site 


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