'11.04.28 『ブラック・スワン』(試写会)@朝日ホール
これは見たかった! 全米公開当時から気になってて、ずっと待ってた。試写会もあんまりやってないみたいで、唯一応募したのもハズレ(涙) はずれてガッカリtweetしたら、お友達のともやさんから1人で行くから一緒に行く?と返信が! もちろん行きますぅ! 当日、共通のお友達のmigちゃんと猫目カメラマンのムラくんも合流して4人で鑑賞!
*核心に触れる部分は伏せましたが、ネタバレありです! そして長文・・・(笑)
「ニューヨークのバレエ団に所属するニナは、「白鳥の湖」の主役に抜擢される。完璧なテクニックと控えめな性格のニナは、白鳥には申し分ないが、悪の化身黒鳥を演じ切れずにいた。次第に追い詰められたニナは…」という話。これは凄い! 凄いものを観てしまった。ラストに向かって心臓がバクバクしてきて、終わった瞬間涙が溢れて止まらなくなり号泣してしまった。直ぐには立ち上がれないほど感動してしまった(笑) 実はまだ具体的に整理がついていないまま書き始めてしまっているので、一体どこにそんなに感動したのか掴めていない。
ブラック・スワンというのは多分ダブルミーニングなんだと思うけれど、分かりやすい方の説明を。ブラック・スワン=黒鳥はニナが主役に抜擢された「白鳥の湖」の重要なキャラクター。特別バレエ・ファンじゃなくてもタイトルは聞いたことがあるんじゃないかと思う。一応、Wikipediaを参照しつつご紹介。ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキー作曲。「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」とともに世界3大バレエと呼ばれている。作品番号Op.20。1877年ボリショイ・バレエ団により初演されるも、評価は高くなく、再演されてはいたけれど、お蔵入りしていたものを、マリウス・プティパと弟子のイワノフにより振付けし直され、チャイコフスキーの死後2年経った1895年マイリンスキー・バレエ団により蘇演された。その後、様々な振付けがなされたけれど、第2幕の白鳥登場シーンのイワノフの振付はそのまま使われることが多い。1850年初演のワーグナーの「ローエングリン」からの影響が指摘されているように、ロシアで作られたのに物語の舞台はドイツになっている。簡単なストーリーとしては、美しく純真な娘オデットは悪魔ロットバルトによって白鳥にされてしまう。この呪いを解くには、今まで誰も愛したことのない男性に永遠の愛を誓われなくてはならない。一方、友人と狩りにやって来た王子ジークフリートは、夜の間だけ呪いがとけ人間の姿に戻ったオデットと恋に落ちる。だが翌日、自身の誕生祝賀会に、ロットバルトがオディールを連れて現れる。王子はオデットそっくりのオディールに愛を誓ってしまう。間違いに気づいた王子はオデットの元に駆け付け、ロットバルトと対決しこれを倒すが、呪いは解けず、2人は湖に身を投げ来世で結ばれる。というのが初演のストーリーで、人間に戻ったオデットと結ばれるハッピーエンド版など、さまざまなパターンがある。この王子を誘惑するオディールが黒鳥。プティパ版初演時マイリンスキー・バレエ団のピェリーナ・レニャーニが両方踊り好評だったため、白鳥を踊るダンサーが黒鳥を踊ることが多い。黒鳥の登場シーンは短いけれど、黒鳥のパ・ドゥ・ドゥの32回フェッテなど、超絶技巧が見せ場。
ということで、長々と「白鳥の湖」について書いてきたけど、タイトルにもあるとおり黒鳥が重要。主役であるSwan Queenを踊るということはBlack Swanも踊れないといけない。純真可憐な白鳥と妖艶で毒を持つ黒鳥を演じ分けることが求められる。通常黒鳥は前述どおり32回のフェッテ(ムチ打つという意味で、片足で打つような動きに使われるけど、ここでは回転)という最大の見せ場がある。これはホントに大変! 見た目の派手さで分かりやすいけど、人間が1回転するのってホント大変。32回転どころか1回転以上したことないし、フェッテの回転は習ってないので未知の世界。って自分のことはどうでもいいけど(笑) バレエ団のプリンシパルなら出来て当たり前だとは思うけれど、最近見た『オレリー・デュポン 輝ける一瞬に』の中で、パリ・オペラ座バレエ団のエトワール オレリー・デュポンですら稽古初日にはふらついていた。もちろん3日後には完璧だったけど。で、また長々書いてしまったけど、テクニックは問題ないと言われているニナならば32回フェッテも出来ると思われる。でも、このバレエ団が上演しようとしているのは、新解釈の「白鳥の湖」らしい。古典としてのスタイルは守りつつ、コンテンポラリーの要素も入っているのかなと思う。練習風景では古典っぽかったけど、ラストの舞台を見るとそんな感じがした。コンテンポラリーは演出家によって自分の個性を引き出してもらえるので、踊りたがるダンサーが多いと聞いたことがあるけれど、だとすると内面をさらけ出さないといけなくなる。
完璧主義で技術的には申し分ないけど、内向的で自信が持てないタイプのニナは、女性としての魅力にとぼしく妖艶な黒鳥はムリだと演出家に言われてしまう。そこに黒鳥のイメージにピッタリな情熱的で奔放な新人リリーが現れたことでニナの心は乱される。ニナは完璧主義なだけに、演出家のダメ出しに過剰反応してしまうんだと思う。上手く言えないけど…。そもそも完璧ってどういう事なんだろう? 例えばフィギュア・スケートのようにここでトリプル・アクセル、ここでスパイラルなどと技が決まってて、ノーミスで滑ったとして、他人から見たらパーフェクトって思っても、本人が表現力が足りなかったと思ってしまえば、それは本人にとっては完璧じゃない…。演出家が求めているのはニナの思うパーフェクトじゃないのだとしたら、ダメ出しをされてもニナには理解できない。内向的で自虐的なニナはその全てが自分に向かってしまう…。ニナみたいなタイプは欧米人の、特にダンサーなどという職業の人には珍しいんじゃないだろうか。英国ロイヤル・バレエ団で長年プリンシパルだった吉田都によると、躍っている時躓いても、自分ではなく床が悪いのだと言うような人ばかりだったと(笑) それが正しいとも思わないし、演出家のダメ出しに反発しろとも思わないけど、それが内に向かってしまうタイプにはかなりのイバラの道かなと…。もちろん床のせいにしている人だって傷ついたり、心が折れたりしているんだと思うけれど、目に見えて落ちてしまっているから、そんなにダメじゃないのに周りにもニナはダメだという印象を与えてしまう。演出家もイライラしてくるので、周りもいたたまれなくなって、シラーっとした雰囲気になってしまい、ますます追い込まれてしまう。演出家にも言われているとおり、ニナをじゃましているのはニナ自身。
ニナは自分の感情とか欲望を抑えている。それも自信のなさとか完璧主義とかプライドの高さとかによるものかと思うけれど…。例えば、どうしても白鳥がやりたかったニナは演出家に直談判に行くけど、同僚のダンサーに決めたと言われた上に、突然キスされる。一瞬身を任せそうになるけど、次の瞬間相手の唇を噛み拒絶する。別に色仕掛けで役を取れとは思わないし、そんな事してもニナみたいなタイプは自己嫌悪になるだけだと思う。じゃ、何で行ったんだと思うけれど、そこがニナのやっかいなところ(笑) 結局、この談判が失敗したので、主役を取られたと思い込み、その同僚に不審がられるくらい彼女をガン見してしまった挙げ句、発表も見ていないのに「おめでとう」と言ってしまい、逆にイヤミのようになってしまう。ちょっと、イヤかなりイラっとするタイプなのだけど、なんか分かる(笑) ここまで卑屈になっちゃうのはどうかと思うけれど、自信が持てなくてこんな事になっちゃう気持ちはすごく分かる。そういうニナの性格とか不安な描写がすごく上手い。押し付けがましくなく、見ているだけでナタリーの細かい表情や声のトーンの変化、画の不安な感じなどできちんと伝わってくる。その感じが見ている側の不安にもなってくる。さらに年齢を理由にバレエ団をクビになった元プリマ(名前を失念…)の取り乱した感じなども見せられるに至ると、もうバレエ辞めた方がいいよと思ったりする(笑) でも、辞められないよね… バレエしかないんだから。
ニナが自分を抑えてしまうのは、同居している母親によるところが大きい。自身もダンサーだった母親は果たせなかった夢をニナに託している。父親が何故いないのかは不明。初めからシングルマザーなのか?という気もする。とにかく母娘関係が密。ちょっと密になり過ぎな気もするけど、母娘の独特な感じはすごく分かる。いい年をして実家で母親と同居している身としては、よく分かるなという感じ(笑) もちろん娘が心配だからといって部屋に勝手に入って寝姿を見守るなんてことはありませんが…。母親の過干渉に見えるけれど、ニナの抱えている問題が明らかになってくると、見ていたことが果たしてその通りだったのか分からなくなってくる。例えば、ニナが抜擢されたお祝いにと買って来たケーキ。ニナは太るし、ナーバスになって胃の調子が悪いからと断ると、母親はあからさまに気分を害してケーキを捨てようとするけれど、果たしてここまで感情をあらわにしたのだろうか? 確かに母親はガッカリしたのでしょうが、神経過敏で人の目を気にして、やや被害妄想的なニナの目に大袈裟に映っただけなのではないかと思ったりする。でも、そう思うのは実はずっと後で、ニナの抱えている問題がかなり深刻であることが分かってから。この演出も上手い。母娘の感じを男性であるアロノフスキー監督が、よくこまで描いたなという感じ。母親のバーバラ・ハーシーとナタリーの競演もスゴイ。全然違うけどちょっと『サイコ』を思い出す。
ニナとリリーの関係も興味深い。ニナみたいに生真面目なタイプにとって、リリーのような奔放なタイプは苦手でありながら、憧れでもあるんだと思う。リリーみたいな人って、人とコンタクト取ることに屈託がないので、わりと簡単に人の領域にスルリと入ってくる。でも、親しくしれくれたからといって頼りにしてしまうと、スルリとかわされるというか・・・ 広く浅くタイプと狭く深くタイプの違いというか・・・ 例えば、飲みに行こうと誘われる。普段夜遊びをしないニナにとっては、リリーが頼りなわけだけど、遊び慣れているリリーにとっては自己責任で帰るのは当たり前。お持ち帰られたとしても、それはそれでいいじゃないかと思っているというか・・・ 上手く言えないけど、誘ったのにそれはないよと思う部分もあるし、もういい年なんだから自己責任でしょうと思う部分もある。この後のシーンは実は・・・ということになっているけど、真相は謎な感じになっている。その辺りも上手い。詳しく書くのは避けるけれど、この夜のリリーのミラ・クニスとナタリーの熱演は見もの。ナタリーはボディダブルのようですが・・・ この夜がリリーの言うとおり(だと個人的には思うけれど)ならば、ニナはリリーの自分にない部分を取り込みたいと思ったのかもしれない。それはきっと黒鳥のためであり、実は自分の憧れでもある。ストイック過ぎるニナは奔放になることを認めたくなかったのだと思う。誰でも自分の中に認めたくない部分はある。でも、実はその部分が自分を開放してくれたり、救ってくれたりするのだけど・・・。
でも、ニナはその部分を求めている事を自覚していなかった。そこを認めて自分で認めたくなかった部分をも芸の糧にするんだと思えたら、もう少し楽になれたのかもしれない。でも、苦しんで苦しんで自分の中の黒鳥が目を覚ます。この舞台のシーンがスゴイ! とにかくニナが白鳥として舞台に立ったときからドキドキが止まらない。舞台裏ではある”事件”が起きていて、サスペンス調に撮られているので、そのドキドキ感ももちろんあるんだけど、そんな事より黒鳥の圧倒的な力強さと妖しさに心を揺さぶられて感動して涙が溢れていた。すでに予告などで流れているので書いてしまうけれど、黒鳥のニナの腕や手が黒い翼になるシーン。でも、最後のキメポーズをしたニナの腕に羽根はないけど、影には羽根がある。つまり観客には羽根があるように見えているということなんだと思う。同じような体験をしたことがある。マイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥」を見た時。あの有名なコチラに背中を向けたまま横移動しつつ、弱っていく白鳥の動きを表現した腕の動きは、羽根にしか見えなかった。優れた芸術家の、渾身の演技はそう見える。このシーンは感動。そして衝撃の事実とラスト。ラストはいろんな解釈ができると思う。見ていたままにも見えるし、何かを超えて真の芸術家になったようにも思うし、全て幻のようでもある・・・。個人的には真の芸術家になったけれど、見ていたままの現実を迎えるんだと思う。
キャストはみんな良かった! 先輩ダンサーのウィノナ・ライダーは鬼気迫る演技だったけれど、あまりにハマリ過ぎて怖い(笑) 演出家のヴァンサン・カッセルが、ちょっとステレオタイプではあるけれど、ワンマンな演出家を好演していた。だいぶ老けましたが・・・(笑) でも、役には合ってたと思う。リリーのミラ・クニスも体当たりの演技で良かった。奔放なタイプにありがちなザックリした性格のいい人ではあるんだけど、そうとばかり言い切れない怪しさもかもし出していた。ラテン系美女! 母親のバーバラ・ハーシーも見事! 母親の過干渉がニナを追い詰めたのは間違いない。だけど、それを自覚しつつもニナを守りたい気持ちが先に立って、より追い詰めてしまう。そういう自分でもどうにもならない感じを見事に表現していたと思う。そして怖い。でもこの母娘関係の密で難しい感じがきちんと伝わってきたから、哀しさに説得力がある。そして何と言ってもナタリー・ポートマン! ナタリーはいつも上手いので、今さらビックリしないけれど、一部バレエシーンでもリリーとのシーンでもボディダブルを使用したとはいえ、かなり体当たりの演技。よくやったなと思う。って上からな感じだけど、ホントに素直な気持ち。やっぱり同じ表現者として感ずるところがあったのかなと思う。子役出身だし・・・ 子供の頃に習っていたとはいえ、バレリーナのしなやかだけど鍛え上げられた肉体を、しっかり作っていたし。何もそこまで・・・と思うほど、追い詰められていくニナの姿が痛々しくも見事! この演技は素晴らしい!
書きたいことがたくさんあって止まらないけど、いろいろ伏線が貼ってあって、それぞれのシーンが見所。細かいツッコミどころがないわけでもないけれど、そんなことは関係ない。いわゆる美しいバレエ映画を期待すると違う。バレエ団の内幕ものとも違う。サスペンス要素も、ホラー要素もあるけど違う。でも、これは間違いなくバレエ映画であり、芸術家の話。ニナにはバレエしかなかったけど、バレエしかなかったからこそ完璧を求めて突き進めた。だから追い詰められ苦しみ抜いたけれど、全てを理解し舞台でラストを迎え、奈落で演出家に向かって言う「パーフェクト(反転)」が切なくはあるけれど、うらやましくもある。苦しんで苦しんで、ある一線を越えた人間にしか見ることの出来ない世界。ニナにしか見えない世界が見えたんだと思う。でも、それは見終わってから考えたこと。見ているうちはニナの芸術と芸術家としての姿に心打たれて涙が溢れて、体が震えるほど感動していた。ほぼ、嗚咽というくらい泣いてた(笑) 凄いものを見てしまった・・・ 今年No.1だと思う!
『ブラック・スワン』Official site
これは見たかった! 全米公開当時から気になってて、ずっと待ってた。試写会もあんまりやってないみたいで、唯一応募したのもハズレ(涙) はずれてガッカリtweetしたら、お友達のともやさんから1人で行くから一緒に行く?と返信が! もちろん行きますぅ! 当日、共通のお友達のmigちゃんと猫目カメラマンのムラくんも合流して4人で鑑賞!
*核心に触れる部分は伏せましたが、ネタバレありです! そして長文・・・(笑)

ブラック・スワンというのは多分ダブルミーニングなんだと思うけれど、分かりやすい方の説明を。ブラック・スワン=黒鳥はニナが主役に抜擢された「白鳥の湖」の重要なキャラクター。特別バレエ・ファンじゃなくてもタイトルは聞いたことがあるんじゃないかと思う。一応、Wikipediaを参照しつつご紹介。ロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキー作曲。「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」とともに世界3大バレエと呼ばれている。作品番号Op.20。1877年ボリショイ・バレエ団により初演されるも、評価は高くなく、再演されてはいたけれど、お蔵入りしていたものを、マリウス・プティパと弟子のイワノフにより振付けし直され、チャイコフスキーの死後2年経った1895年マイリンスキー・バレエ団により蘇演された。その後、様々な振付けがなされたけれど、第2幕の白鳥登場シーンのイワノフの振付はそのまま使われることが多い。1850年初演のワーグナーの「ローエングリン」からの影響が指摘されているように、ロシアで作られたのに物語の舞台はドイツになっている。簡単なストーリーとしては、美しく純真な娘オデットは悪魔ロットバルトによって白鳥にされてしまう。この呪いを解くには、今まで誰も愛したことのない男性に永遠の愛を誓われなくてはならない。一方、友人と狩りにやって来た王子ジークフリートは、夜の間だけ呪いがとけ人間の姿に戻ったオデットと恋に落ちる。だが翌日、自身の誕生祝賀会に、ロットバルトがオディールを連れて現れる。王子はオデットそっくりのオディールに愛を誓ってしまう。間違いに気づいた王子はオデットの元に駆け付け、ロットバルトと対決しこれを倒すが、呪いは解けず、2人は湖に身を投げ来世で結ばれる。というのが初演のストーリーで、人間に戻ったオデットと結ばれるハッピーエンド版など、さまざまなパターンがある。この王子を誘惑するオディールが黒鳥。プティパ版初演時マイリンスキー・バレエ団のピェリーナ・レニャーニが両方踊り好評だったため、白鳥を踊るダンサーが黒鳥を踊ることが多い。黒鳥の登場シーンは短いけれど、黒鳥のパ・ドゥ・ドゥの32回フェッテなど、超絶技巧が見せ場。
ということで、長々と「白鳥の湖」について書いてきたけど、タイトルにもあるとおり黒鳥が重要。主役であるSwan Queenを踊るということはBlack Swanも踊れないといけない。純真可憐な白鳥と妖艶で毒を持つ黒鳥を演じ分けることが求められる。通常黒鳥は前述どおり32回のフェッテ(ムチ打つという意味で、片足で打つような動きに使われるけど、ここでは回転)という最大の見せ場がある。これはホントに大変! 見た目の派手さで分かりやすいけど、人間が1回転するのってホント大変。32回転どころか1回転以上したことないし、フェッテの回転は習ってないので未知の世界。って自分のことはどうでもいいけど(笑) バレエ団のプリンシパルなら出来て当たり前だとは思うけれど、最近見た『オレリー・デュポン 輝ける一瞬に』の中で、パリ・オペラ座バレエ団のエトワール オレリー・デュポンですら稽古初日にはふらついていた。もちろん3日後には完璧だったけど。で、また長々書いてしまったけど、テクニックは問題ないと言われているニナならば32回フェッテも出来ると思われる。でも、このバレエ団が上演しようとしているのは、新解釈の「白鳥の湖」らしい。古典としてのスタイルは守りつつ、コンテンポラリーの要素も入っているのかなと思う。練習風景では古典っぽかったけど、ラストの舞台を見るとそんな感じがした。コンテンポラリーは演出家によって自分の個性を引き出してもらえるので、踊りたがるダンサーが多いと聞いたことがあるけれど、だとすると内面をさらけ出さないといけなくなる。
完璧主義で技術的には申し分ないけど、内向的で自信が持てないタイプのニナは、女性としての魅力にとぼしく妖艶な黒鳥はムリだと演出家に言われてしまう。そこに黒鳥のイメージにピッタリな情熱的で奔放な新人リリーが現れたことでニナの心は乱される。ニナは完璧主義なだけに、演出家のダメ出しに過剰反応してしまうんだと思う。上手く言えないけど…。そもそも完璧ってどういう事なんだろう? 例えばフィギュア・スケートのようにここでトリプル・アクセル、ここでスパイラルなどと技が決まってて、ノーミスで滑ったとして、他人から見たらパーフェクトって思っても、本人が表現力が足りなかったと思ってしまえば、それは本人にとっては完璧じゃない…。演出家が求めているのはニナの思うパーフェクトじゃないのだとしたら、ダメ出しをされてもニナには理解できない。内向的で自虐的なニナはその全てが自分に向かってしまう…。ニナみたいなタイプは欧米人の、特にダンサーなどという職業の人には珍しいんじゃないだろうか。英国ロイヤル・バレエ団で長年プリンシパルだった吉田都によると、躍っている時躓いても、自分ではなく床が悪いのだと言うような人ばかりだったと(笑) それが正しいとも思わないし、演出家のダメ出しに反発しろとも思わないけど、それが内に向かってしまうタイプにはかなりのイバラの道かなと…。もちろん床のせいにしている人だって傷ついたり、心が折れたりしているんだと思うけれど、目に見えて落ちてしまっているから、そんなにダメじゃないのに周りにもニナはダメだという印象を与えてしまう。演出家もイライラしてくるので、周りもいたたまれなくなって、シラーっとした雰囲気になってしまい、ますます追い込まれてしまう。演出家にも言われているとおり、ニナをじゃましているのはニナ自身。
ニナは自分の感情とか欲望を抑えている。それも自信のなさとか完璧主義とかプライドの高さとかによるものかと思うけれど…。例えば、どうしても白鳥がやりたかったニナは演出家に直談判に行くけど、同僚のダンサーに決めたと言われた上に、突然キスされる。一瞬身を任せそうになるけど、次の瞬間相手の唇を噛み拒絶する。別に色仕掛けで役を取れとは思わないし、そんな事してもニナみたいなタイプは自己嫌悪になるだけだと思う。じゃ、何で行ったんだと思うけれど、そこがニナのやっかいなところ(笑) 結局、この談判が失敗したので、主役を取られたと思い込み、その同僚に不審がられるくらい彼女をガン見してしまった挙げ句、発表も見ていないのに「おめでとう」と言ってしまい、逆にイヤミのようになってしまう。ちょっと、イヤかなりイラっとするタイプなのだけど、なんか分かる(笑) ここまで卑屈になっちゃうのはどうかと思うけれど、自信が持てなくてこんな事になっちゃう気持ちはすごく分かる。そういうニナの性格とか不安な描写がすごく上手い。押し付けがましくなく、見ているだけでナタリーの細かい表情や声のトーンの変化、画の不安な感じなどできちんと伝わってくる。その感じが見ている側の不安にもなってくる。さらに年齢を理由にバレエ団をクビになった元プリマ(名前を失念…)の取り乱した感じなども見せられるに至ると、もうバレエ辞めた方がいいよと思ったりする(笑) でも、辞められないよね… バレエしかないんだから。
ニナが自分を抑えてしまうのは、同居している母親によるところが大きい。自身もダンサーだった母親は果たせなかった夢をニナに託している。父親が何故いないのかは不明。初めからシングルマザーなのか?という気もする。とにかく母娘関係が密。ちょっと密になり過ぎな気もするけど、母娘の独特な感じはすごく分かる。いい年をして実家で母親と同居している身としては、よく分かるなという感じ(笑) もちろん娘が心配だからといって部屋に勝手に入って寝姿を見守るなんてことはありませんが…。母親の過干渉に見えるけれど、ニナの抱えている問題が明らかになってくると、見ていたことが果たしてその通りだったのか分からなくなってくる。例えば、ニナが抜擢されたお祝いにと買って来たケーキ。ニナは太るし、ナーバスになって胃の調子が悪いからと断ると、母親はあからさまに気分を害してケーキを捨てようとするけれど、果たしてここまで感情をあらわにしたのだろうか? 確かに母親はガッカリしたのでしょうが、神経過敏で人の目を気にして、やや被害妄想的なニナの目に大袈裟に映っただけなのではないかと思ったりする。でも、そう思うのは実はずっと後で、ニナの抱えている問題がかなり深刻であることが分かってから。この演出も上手い。母娘の感じを男性であるアロノフスキー監督が、よくこまで描いたなという感じ。母親のバーバラ・ハーシーとナタリーの競演もスゴイ。全然違うけどちょっと『サイコ』を思い出す。

でも、ニナはその部分を求めている事を自覚していなかった。そこを認めて自分で認めたくなかった部分をも芸の糧にするんだと思えたら、もう少し楽になれたのかもしれない。でも、苦しんで苦しんで自分の中の黒鳥が目を覚ます。この舞台のシーンがスゴイ! とにかくニナが白鳥として舞台に立ったときからドキドキが止まらない。舞台裏ではある”事件”が起きていて、サスペンス調に撮られているので、そのドキドキ感ももちろんあるんだけど、そんな事より黒鳥の圧倒的な力強さと妖しさに心を揺さぶられて感動して涙が溢れていた。すでに予告などで流れているので書いてしまうけれど、黒鳥のニナの腕や手が黒い翼になるシーン。でも、最後のキメポーズをしたニナの腕に羽根はないけど、影には羽根がある。つまり観客には羽根があるように見えているということなんだと思う。同じような体験をしたことがある。マイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥」を見た時。あの有名なコチラに背中を向けたまま横移動しつつ、弱っていく白鳥の動きを表現した腕の動きは、羽根にしか見えなかった。優れた芸術家の、渾身の演技はそう見える。このシーンは感動。そして衝撃の事実とラスト。ラストはいろんな解釈ができると思う。見ていたままにも見えるし、何かを超えて真の芸術家になったようにも思うし、全て幻のようでもある・・・。個人的には真の芸術家になったけれど、見ていたままの現実を迎えるんだと思う。
キャストはみんな良かった! 先輩ダンサーのウィノナ・ライダーは鬼気迫る演技だったけれど、あまりにハマリ過ぎて怖い(笑) 演出家のヴァンサン・カッセルが、ちょっとステレオタイプではあるけれど、ワンマンな演出家を好演していた。だいぶ老けましたが・・・(笑) でも、役には合ってたと思う。リリーのミラ・クニスも体当たりの演技で良かった。奔放なタイプにありがちなザックリした性格のいい人ではあるんだけど、そうとばかり言い切れない怪しさもかもし出していた。ラテン系美女! 母親のバーバラ・ハーシーも見事! 母親の過干渉がニナを追い詰めたのは間違いない。だけど、それを自覚しつつもニナを守りたい気持ちが先に立って、より追い詰めてしまう。そういう自分でもどうにもならない感じを見事に表現していたと思う。そして怖い。でもこの母娘関係の密で難しい感じがきちんと伝わってきたから、哀しさに説得力がある。そして何と言ってもナタリー・ポートマン! ナタリーはいつも上手いので、今さらビックリしないけれど、一部バレエシーンでもリリーとのシーンでもボディダブルを使用したとはいえ、かなり体当たりの演技。よくやったなと思う。って上からな感じだけど、ホントに素直な気持ち。やっぱり同じ表現者として感ずるところがあったのかなと思う。子役出身だし・・・ 子供の頃に習っていたとはいえ、バレリーナのしなやかだけど鍛え上げられた肉体を、しっかり作っていたし。何もそこまで・・・と思うほど、追い詰められていくニナの姿が痛々しくも見事! この演技は素晴らしい!
書きたいことがたくさんあって止まらないけど、いろいろ伏線が貼ってあって、それぞれのシーンが見所。細かいツッコミどころがないわけでもないけれど、そんなことは関係ない。いわゆる美しいバレエ映画を期待すると違う。バレエ団の内幕ものとも違う。サスペンス要素も、ホラー要素もあるけど違う。でも、これは間違いなくバレエ映画であり、芸術家の話。ニナにはバレエしかなかったけど、バレエしかなかったからこそ完璧を求めて突き進めた。だから追い詰められ苦しみ抜いたけれど、全てを理解し舞台でラストを迎え、奈落で演出家に向かって言う「パーフェクト(反転)」が切なくはあるけれど、うらやましくもある。苦しんで苦しんで、ある一線を越えた人間にしか見ることの出来ない世界。ニナにしか見えない世界が見えたんだと思う。でも、それは見終わってから考えたこと。見ているうちはニナの芸術と芸術家としての姿に心打たれて涙が溢れて、体が震えるほど感動していた。ほぼ、嗚咽というくらい泣いてた(笑) 凄いものを見てしまった・・・ 今年No.1だと思う!
