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【cinema】『わたしの可愛い人 シェリ』(試写会)

2010-10-07 02:46:08 | cinema
'10.09.28 『わたしの可愛い人 シェリ』(試写会)@松竹試写室

yaplogで当選。いつもありがとうごさいます! コスチューム・プレイが好きなので応募。見事当選した。ホントは『十三人の刺客』の方が先に見て、途中まで記事書いてるんだけど、諸事情により先にこちらの記事から書くことにする。

*ネタバレありです

「元ココット(高級娼婦)のレアは、娼婦仲間からその息子との仲を取り持たれる。穏やかな暮らしを望んでいたレアは乗り気ではなかったけれど、幼い頃から知っているシェリを拒絶することは出来ず、気づけば6年間も彼と暮らしてしまった。ある日、彼の母親からシェリの結婚が決まったから、彼を返して欲しいと言われるが…」 という話で、これは年上女と、年下男の恋愛の話で、さらにこれは1人の熟年女性の老後を考える人間ドラマでもあって、約1時間半と短かったけれど、おもしろかった。

原作はフランスの女流作家コレットの小説。原作は未読。コレット女史の作品はたぶん全く読んだことがないと思う。いくつかの作品は舞台や映画にもなっている。「ジジ」の舞台の主役に当時無名だったオードリー・ヘップバーンを抜擢したことでも有名で、まだ垢抜けないオードリーが、コレット女史から指導を受けているらしき写真を見たコトがある。「ジジ」は昔テレビで放送された『恋の手ほどき』という邦題の、レスリー・キャロン主演の古い映画を見たことがあるけど、ほとんど覚えていない。たしか、まだ15~16歳くらいの少女が、社交界デビューしていろんな恋の手ほどきを受けるけれど、その指南役の年上男性に恋に落ちるみたいな話じゃなかったかと・・・ わりと軽い感じのミュージカルっぽい作品だったような。「ジジ」が年上男と若い娘の恋愛モノだったのに対して、この映画は熟年女性と若い男の恋の話。どんなコトでも若いうちは知識が不足しているわけだから、経験豊富な年長者から習うのはありだと思うけれど、この2作に限って言えば、コレット女史の描く19世紀末~20世紀初頭と思われる時代の、ある階層の人達の間では恋愛に関しても手ほどきを受けていたらしい。それは多分、相手を落とすテクニックだけではなく、もう少し社会勉強的な・・・ 今より全然身分や金銭的に格差があった時代。どこに属しているかってことは、かなり重要だったんだと思う。そして、きっとそれぞれが属している階級やコミュニティーによって、様々なしきたりや処世術があったのでしょう。まぁ、それは現代でも変わらないけど、きっと当時の女性には恋愛が重要な武器であったのだと思う。それが良いか悪いかは別として、必要ならば習わなくてはならないのかも。

ココットというのは、政治家や貴族など、富裕層や上流階級の男性しか相手にしない高級娼婦のことだそうで、時には王族や皇族を恋人に持つこともあるらしい。レアの友人には様々な個性を持つ元ココット達がいる。彼女達は自分の個性に合った顧客と恋を楽しみ、宝石などの資産や、政治的、経済的な知識を蓄える。そして、ある年齢が来ると引退し、株を購入したりして資産運用しつつ、豪華な屋敷で使用人に囲まれて優雅に暮らすらしい。老後の部分だけ考えれば、なんともうらやましい限りだけど、酸いも甘いも噛みしめて、女1人文字通り体を張って生きるのは、並大抵のことではないと思う。それに耐えた者のみが、そんな生活を送れるのかも。そして、それは現代の私たちも同じ。でも、金銭的に余裕のあることだけが幸せとは限らない。事実、彼女達はお互い腹を探り合い、少し相手を軽蔑しつつも集まっている。なぜなら劇中のセリフによれば「ココットはココットとしか友達になれない」から。それは、お互い理解し合えるからといういい意味ではなくて、差別されているというマイナスの意味なのでしょう。などと、やけに長々とココットの老後について、勝手な憶測で書いてきたけれど、子供のいないレアはまさに老後のことを考えて、現役を引退し静かに暮らす準備に入ったところだったので(笑)

もう1人の主役であるシェリは19歳で女性たちとも遊び尽くしたので、そろそろ落ち着こうという人物。実際、お金がたくさんあって、働かなくても生きていけて、ある種の社会的地位はあるけれど、実際は決して尊敬されてはいないという現実は辛いのだろけれど、19歳でそれはどうよと思ってしまう(笑) そんな彼を1人前の男にしてもらおうと考えた元ココットの彼の母親マダム・プルーは、レアを家に招き2人の仲を取り持つ。引退して静かに暮らそうと考えていたレアは、止めておこうと思いつつ、感情を抑えることが出来ない。観賞後Tweetしたけど、どうやらこのシェリを"可愛い人"と思うには修行が足りないようなのだけど、さすが放蕩してきただけあって、甘え上手。まぁ、後に30過ぎてもチビッコだっただけだったことが分かるんだけど… 鼻にかかった声で、彼のみ呼ぶレアのあだ名「ヌヌーン」と囁かれると、母性本能をくすぐられるとでも言うのでしょう(笑) しかもこのあだ名、まだ幼かった彼が意味もなくつけたものだから、より「カワイイっ」てなってしまうのかも。どうやら欧米人が美しいと思う男性と、個人的な好みが全く一致しないらしく、どうにも白塗り赤い唇のシェリが好きになれない… 演じるルパート・フレンドは『縞模様のパジャマの少年』で少年の姉が恋するナチス兵。あの時も好みではなかったけど、神経質そうな感じが役には合っててよかったのだけど、これはちょっと… 『トワイライト』のエドワード(だったか?)同様ちょっとキモイ。お2人のファンの方はごめんなさい! でも、こういう映画はルックスが好みかどうかって重要だと思う。どれだけレアに感情移入できるかで、酔いしれ度合いも違ってくるわけだし。そういう意味では、イマイチ酔いきれず(笑) でも、演技は上手いので、レアのような、恋愛経験豊富過ぎで、なおかつ自立した大人の女性が、意外にもはまってしまう感じに説得力がある。←フォロー(笑)

穏やかな生活を望んでいたレアは彼を受け入れまいとするけれど、スルリスルリと擦り寄ってくるシェリを拒めず、結局受け入れてしまい、気づけば6年も一緒に暮らしてしまう。その間の描写は一切ないので、2人の関係がどんなだったのか分からないのだけど、後のレアのセリフを聞くまでもなく、要するにシェリがヒモ状態だったのは想像がつく。それしか知らないから、それしかできないし(笑) そんな2人の暮らしは孫が欲しくなったシェリの母親が、元ココット仲間の娘との結婚を決めたことにより突然終わる。この娘の母親のレアに対する態度が興味深い。レアも彼女を決して好きではないと思うけれど、一応の礼儀を持って話し掛けるけど、一切無視。レアとシェリのことを知って良く思っていないのかと思っていたら、娘の結婚式が終わると同時に、恋人の元へ直行するような母親だった(笑) とすると、この母親はレアのことが嫌いなんでしょう。女子にはいろんな複雑な思いがあるし、まして元ココットとなれば、嫉妬やらドロドロした感情がありそう。

この母親の態度にもビックリしたけど、シェリの母親マダム・プルーのレアに対する態度も良く考えると怖い。何かレアに頼み事がある時しか呼ばないし。後に旅に出たレアを自分達のテーブルに招き、母親がさりげなく息子を彼女に托すシーンがあるように、当時のしきたりとして、年上の女性に息子を託して男にしてもらうというのがあったらしいので、この場合シェリをホントに愛してしまったレアの負けということになるのだろうし、レアを好きかは別として見込んでシェリを託したことは間違いないのだと思うけれど、やっぱりこんな腹の探り合いみたいな関係はイヤだな(笑) でも、この辺りの会話や態度は、一見丁寧だけど蔑みなんかが見え隠れして見事。レアは決して軽蔑されるような女性じゃない。50を過ぎても若い男性を虜にする魅力を持ち、自立していて凛としている。自分の感情を表に表さない彼女の佇まいが、マダム・プルー達の嫉妬心を掻き立てている感じが伝わってくる。例え映画でも人の嫌な面は見たくないのだけど、このマダム・プルーの蔑みは実は嫉妬の裏返しなんだと気づくと、なんだか滑稽で彼女を憎めなくなる。さすがコレット女史。

結婚するならもう以前のようには会えないと、シェリとの別れを決意するレア。失ってみればシェリが一生に一度の恋の相手であったことが分かる。彼を忘れられない彼女は旅に出る。海辺の保養地はココット達の狩場だそうで、ここで例の母親から息子を託され、若い彼を夢中にさせるのだけど、虚しいだけ。ココットが行ける場所とかが、暗黙のうちにあったのかもしれないけれど、恋に逃げずに色恋事とは無縁の場所で穏やかに過ごせたら、後の絶望もなかったのだと思うけれど、やっぱりレアのような百戦錬磨の女性でも、なかなか難しいところなのかもしれない。

シェリとその妻との関係は、初めこそ愛されない妻が可愛そうだったけど、彼女がいろいろ葛藤した挙句、精神的に逞しくなってくると、それなりに上手くいくようになってくる。母親に愛されなかった彼女は、結婚した相手にも愛されていないと絶望したと思うけど、彼女には彼しかすがる者がいないわけで、その分強くなるしかなかったのでしょう。そんな彼女をシェリも愛するようになるんだけど、シェリのことが理解できるのはもう少し後。レアを失ったシェリは自暴自棄になり、妻に当たった挙句家出。レアの家の前で彼女の帰りを待っている。レア目線で見ていたけど、シェリの魅力がサッパリ分からず好きになれなかったので、彼がレアを思ってボロボロになる姿には、しめしめという気持ちで見ていたのだけど…(笑)

彼の様子を知って、彼の愛を核心して戻ってきたレア。そして現実を知ることになる。原作は未読なので分からないけど、忠実に映画化されているのだとすれば、ここが原作と映画のオチであり、言いたいことなのだと思うので、詳細は避けるけれど、結局この恋は実らない。2人の気持ちが盛り上がったのは、お互い上手くいっているところで、自分達の意志に反して引き裂かれてしまったために盛り上がっただけであって、それでも「あなたとは同じ日に死にたいと思うほど、愛してきたわ」というレアにとってはホントに愛していたのだと思うけれど、シェリが彼女の愛を重く感じたと分かった時点で、自分が幻想を愛してきたことを悟ったんだと思う。そして現実も見えた。このシーンは良かった。終わった恋は取り戻そうとせずに、美しい思い出にした方がいいってことなのでしょうか。しつこいようですが、シェリの魅力がサッパリ分からなかったので、レアと彼の妻が何故そこまで彼を愛しているのか理解できなかったのだけど、彼の"無邪気さ"みたいなものを愛していたのかなと思った。ただ、この"無邪気さ"は残念ながら、自分のことしか愛せない子供のままであったということなのだけど… そこに気づいてしまったレアは幸せなのか、不幸なのか… でも、自分にとって都合のいい女性でいてくれないからって、駄々っ子みたいに泣きじゃくる30超の男を、以前のようには愛せないでしょう… 要するに"理想"はあくまで理想であって、理想の相手との理想の恋はありませんということかも。なかなか皮肉な結末だけど、セリフがシャレていてすごく美しく描かれている。それだけに、人間の滑稽さや切なさが際立ってくる。

キャストは前にも書いたシェリ役のルパート・フレンドは、欧米映画のお耽美美青年ルックスが、個人的に全くダメだったのだけど、単純にチビッコのままだったシェリを好演していたと思う。彼がチビッコだったというのは、レアが自覚するシーンで分かってこそ意味があるので、それまでは女性をひきつける魅力的な人物として映らないといけない。個人的に好みのタイプではないので辛かったけど、好きだと思う人はいると思う。マダム・プルー役のキャシー・ベイツはさすが! こういう品がなくて俗物的な人物を演じさせたら右に出るものなしという感じ。レアとシェリの恋と別れは、全て彼女のわがままから始まったこと。でも、何故か憎めないのもキャシー・ベイツのおかげ。マダム・プルーのレアに対する愛憎入り混じった感じも見事に表現。さすがの演技。そしてやっぱり、レアを演じたミシェル・ファイファーが素敵! 彼女の実年齢は知らないけれど、登場シーンでは40代後半。19歳だったシェリが30超になるまでの話なのだから、彼女は50代後半くらいになるわけで、実質ココットは引退したとはいえ、恋愛に関しては現役。キレイだけど美人ではない。正直、やっぱり老けている。でも、自立していていつも凛としている姿は品があって魅力的。シェリを失って密かに取り乱したりするけれど、決して他人には見せない。その姿の演じ分けが見事。年増女性が年下男性にのめり込み、理想と現実を知る話で、マダム・プルーに利用されたようにも見えるけれど、優しかったレアのままでいて欲しいと言うシェリに、「本当に優しかったらあなたを大人の男にしたわ」と言うシーンにニヤリ。なるほど(笑) でも、レアはやっぱり魅力的。

コスチューム・プレイ好きとしては、大満足の衣装。マダム・プルーのは俗物らしく品がない。レアのは素敵! レアのアールヌーボー調の邸宅は、有名な建築だったような… マダム・プルーの屋敷からすると小ぶりではあるけれど品がいい。映像が美しい。

これは大人の映画。単純に恋愛映画として見ても、駆け引きなど楽しめるけど、ココット達の腹の探り合いや、レアの最後のプライドなど、多分原作のもつ皮肉や毒を含む滑稽さを、『危険な関係』『クィーン』のスティーヴン・フリアーズ監督が90分にまとめたのは見事。感動!ってことはなかったけど、その世界に酔える作品だと思う。シェリに酔えるともっと楽しめるかも(笑)


『わたしの可愛い人 シェリ』Official site

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