まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

卒業旅行・・・2

2024年03月18日 | 単身赴任

足尾駅を出たのが、お昼時…

何処か食事がとれる場所を探したのですが、思っていた場所がお休みのようでした。

足尾銅山観光に行けば、何とかなるかなと思ったら…

レストハウスがあったけど、やってなさそうな雰囲気…

人が出てきたので、とりあえず入ってみると…

レトロな喫茶店風のお店が1軒のみ…

サンプルケースを覗くと、何の飾り気もなく、どこか懐かしいラインナップ。

店内に入ると、おばあちゃんと地元の方と思しきおじいちゃんのみ…

何とマスターは、おばあちゃん!

やっぱり懐かしい…

散々悩んだ挙句、『ヤキソバ』とカタカナで書かれていたことが決め手となり注文。

ごく普通のヤキソバですが、麺はベタっとしておらず、子供の頃に母親が作ってくれたのを思い出させてくれる味で美味しかった。

てつまろさまが頼んだオムライスも、子供の頃に家で作ってもらったような雰囲気でした。

お昼に満足したら、いよいよ銅山観光へ。

入場券を買ってトロッコに乗って坑道へ入ります。

トロッコ降り場

帰りは別の坑道を徒歩で戻ります。

トロッコは先頭の機関車を途中で切り離し、人車のみが坑道に入ります。

抗口から150メートル地点まで入りますが、降りた先には更に坑道が…

ポム爺が歩いていそうな雰囲気(笑)

何と坑道の総延長は1200km以上!

昭和の時代はともかく、江戸から明治時代はどうやって空気を送っていたんだろうか?

帰りの坑道内には、マネキンを使って時代ごとの構内の様子を再現しています。

妙にリアルで、ちょっとビックリします…(汗)

途中には展示スペースもあります。

『安全専一』とは、アメリカの製鉄会社が提唱した『SAFETY FIRST』の考え方を持ち帰り、『安全専一』と訳して足尾銅山での安全活動を推進したもので、現在の『安全第一』の前身と言われています。

現在は、古河機械金属株式会社が『安全専一』の商標登録を行っています。

(引用元:古河掛水倶楽部・古河足尾歴史館 公式HP)

アノード板

電解精錬を行う前の粗銅で、上部の耳の部分を電極にかけたそうです。

これで重さ100kg以上…

銅インゴット

これで20kg…見た目以上に重かった。

坑道から外に出ると、多くの展示物があります。

これは足尾式削岩機で、ボタンを押すとその振動が体験できます。

バッテリーロコや架線式電気機関車も展示されています。

上から降りてきたトロッコは、展示場隣のココで機関車を隣のトロッコに付け替えます。

ウィリソン連結器の現物を見るのは初めてです。

上からトロッコが降りてくると、素早く開放し隣のトロッコに連結します。

連結シーンはこちら

 

入換作業はリモコン操作?

係員さんに機関車付け替えの理由を聞くと、勾配を登り降りさせるためにラック式を採用しているそうで、勾配率は何と110‰!

因みに、観光用に設けた区間なので、鉱山採掘中にはなかったものだそうです…

レストハウスまで戻り、本山神社を覗くと、これまで見たことない狛犬に…

狛犬に詳しくないので、よく分かりませんが、西日本ではあまり見ない・・・かな?

 

足尾銅山観光を後にして、帰路につく前に通洞駅に立ち寄ります。

駅舎は、ホームと併せ登録有形文化財に指定されているそうで、足尾駅などとは違った趣がイィですね。

 

さて、ここから帰路につくのですが、アタシのわがままを聞いてもらい、足利経由で戻ります。

以前、教えてもらっていたEF60の保存機を見るためです。

この説明板・・・突っ込んでいいかな? 形式に(笑)

駐輪場から見下ろすように…って、機械室の明かり窓が中に落ちてるし・・・(汗)

検査表記が鷹取工・・・って、両毛線は関係ないぢゃろ?(笑)

EF60の保存機は、横川の501号機とここだけではなかったかな?

4次車の実物は、EF67に改造されたものを除くと初めてでした。

 

宇都宮へ戻って、2年間お疲れ様会を開いていただき、美味い寿司を頂きました。

 

北関東最後の旅として、遠路車を出して頂いた、てつまろさまには大変感謝しております。

これでいい思い出もできたし、もう思い残すことはないですね。

 


卒業旅行・・・1

2024年03月17日 | 単身赴任

宇都宮での生活もあと少し…

てつまろさまのお誘いを受けて、足尾方面に出かけてきました。

まずは、コメダ珈琲で腹ごしらえ…

まず向かった先は、わたらせ渓谷鉄道間藤駅。

バスで訪れた前回は、そのままスルーしたので駅構内をじっくり眺めます。

足尾方面

左側に見える擁壁は、足尾本山駅へ向かう貨物列車のためのスイッチバック遺構だとか。

足尾本山方面

1970年代にスイッチバックは廃止され、貨物列車は間藤駅を通過するようになったそうです。

精錬所方面へ向かうと踏切跡が残っています。

30年以上たっても残っている警報機と踏切道を照らす街灯。

踏切跡から間藤方面。

同じく足尾本山方面。

この橋梁を渡る貨物列車の写真は、何度か見たあことがあります。

映像もあったかな?

橋梁の背後に写っている旧本山小学校

学校の正門へ向かう橋より。

レールは廃止当時のまま残っていました。

反対側では、猿の群れが日向ぼっこ。

 

これ以上、猿のお邪魔をするのも気が引けたので、足尾本山駅へ移動。

ここを走る貨物列車をこの目で見てみたかった…

柵の向こうには、腕木式信号機が残されています。

足尾本山駅の手前には、鉱山住宅が何棟か残っており、今でも生活されている方々が居ます。

左上は向赤倉隧道と足尾本山駅場内信号機。

腕木式信号機がやたら綺麗にみえたので近づてみると…

再塗装されたようです。

腕木式信号機のワイヤーの取り回し、プーリーの配置は参考になります(笑)

向赤倉隧道を越えると足尾本山駅が見えます。

山の反対側にも坑道跡があるらしいので、国民宿舎かじか荘がある、銀山平まで行ってみましたが、よく分からないまま引き返してきました・・・

その後に向かったのが銅親水公園。

帰宅後調べてみると『足尾砂防堰堤』というそうで、足尾銅山の操業と公害の影響で荒廃してしまった山々からの土石流災害を防ぐために作られた、日本最大級の砂防堰堤だとか。

規模に圧倒され、暫し見ってしまいました…

銅親水公園からの帰りに見た精錬所跡の遠景。

大正時代に完成した大煙突。

山肌に見えるのは精錬の際の副産物、硫酸を貯めておくタンクだとか。

小学校の社会科で習った足尾銅山は、何故か記憶に強く残っていました。

広島から来ることはまず無いでしょうが、来て良かったと思います。

その後、ちょっとだけ足尾駅に立ち寄ると…

あれ? 前回来た時と動車の位置が違う?

何かあったのかな?

前回はヨ8000と連結されてましたが、位置が変わったおかげで…

ごく一部で話題(?)となった、水タンクの防護板が現認出来ました!

何のためにあるんでしょうね?

カバーが風にあおられたのか、前回見えなかった動車の姿も見ることが出来ました。

足尾観光はまだ続きます…


整備完了!

2024年03月03日 | 工作室から

引越し準備も順調に進んで、部屋の中が随分と殺風景になりました(笑)

チマチマ進めていた、EF66の整備も終わり運転会デビューを待つだけとなりました。

今回の整備は、パーツの取付の他は、駆動輪のゴム付き車輪を中間台車の車輪とコンバートする作業のみ。

今更のようですが、ここまで模型工作をするのであれば、こちらに来て直ぐ、ハ〇キルーペを買っておくべきだったと後悔(汗)

拡大鏡なしでの工作は、まさに難行苦行…キツかった(涙)

 

あと28日


最後のお買い物…?

2024年03月03日 | 単身赴任

引越し準備もたけなわ…ではありますが、エコーモデルに予約品があったので、引き取りに行くことに。

ただ、先日の旅行で寝た子を起こしてしまったので、教えて頂いた情報を頼りに寄り道を…(汗)

訳あって大宮駅で降りたら、目の前にDOWA通運のコンテナが…大舘発隅田川行2090列車かな?

帰ったら、黄緑色のUM12とUM13を作らなくっちゃ(爆)

大宮で用を済ませ、京浜東北線~武蔵野線と乗り継いで新松戸へ。

新松戸駅について、地図アプリと睨めっこしながら駅前ロータリーを1周(謎)

目印の線路沿いを歩いていたら電車が来たのでとりあえず…

目的地はココ…モデルワークスです!

店内の雰囲気は、こぎれいな某模型店のような感じでしょうか(爆)

店主さんに広島から来てると話したら、えらく喜んで頂き、コーヒーをよばれながら世間話をしてきました。

で、目的の品はなかったのですが、まさかの掘り出しモノに…(汗)

帰り道に見た電車…わざわざ撮りに来ることはないと思うけど…(汗)

その後、常磐線~山手線~都営三田線と乗り継いで、予約品を引き取って宇都宮へ戻りました。

モデルワークスでの掘り出し物は、棚の隅っこにあった一畑電鉄クハ101。

夕張鉄道の客車とどちらにするのか散々悩んだ挙句、こちらを購入。

フリーランスで楽しめそう…

脈絡のない(節操がない?…笑)買い方ですが、誘惑が多かった関東でのお買い物は、これにて終了!

 

かな?