この街の落成を祝って宝永6年(1709年)9月14日に始まったと言われている、盛岡八幡様の例大祭が秋祭りとして盛大に行われた。
自分の様に故郷が地元ではない者と違って、生粋の盛岡人は夏の祭り"盛岡さんさ"より、この祭りを心の拠り所にしている節がある。
祭りのメインイベントは10台の山車が連なってのパレードであり、夕闇も迫った時間に最高の場所で観覧する機会に恵まれた。
祭りの余韻でざわめいている満席の居酒屋で懐かしい友と久しぶりに合流し旧交を温めた。
彼とはダイビング仲間でもあったので、何度も南の海へ足を運んだ。
自分の様に故郷が地元ではない者と違って、生粋の盛岡人は夏の祭り"盛岡さんさ"より、この祭りを心の拠り所にしている節がある。
最近繁華街には足が向かなくなった身であるのだが、懐かしい友が来盛するとなり、14日の花金は勇んで出掛けた。
祭りのメインイベントは10台の山車が連なってのパレードであり、夕闇も迫った時間に最高の場所で観覧する機会に恵まれた。
市の無形民族文化財に指定されている祭りであり、コロナ禍で通常開催は4年振りでもあるので、残暑の中ではあったが相当の観覧客が祭りを堪能していた。
祭りの余韻でざわめいている満席の居酒屋で懐かしい友と久しぶりに合流し旧交を温めた。
彼は大手の生保幹部であり、母校R大の役員として青森支部会に臨む目的で立ち寄ったのであった。
彼とはダイビング仲間でもあったので、何度も南の海へ足を運んだ。
自分は片眼になって70歳で足を洗ったが、視力が取り戻せるなら今でも珊瑚礁の海に潜ってみたいし、そんな竜宮城の夢を見ることがある。
酔いの中で、そろそろ辞めようとしている、このブログの最後に、生前葬弔辞を貰いたいと申し上げたのだが・・・
=おわり=
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