2011年1月も早いもので、あと1週間を残すばかりとなってしまっている。
まとめて書くブログは非常にまずいと思うが、今月の多忙に免じてお許し願いたい。
大晦日は八幡平のホテルで過ごすことにした。
名のある全国区のホテルにしては格安料金の部屋が手に入った幸運に恵まれたたからである。
喪中でもありひっそり迎える新年にはふさわしい企画と家人と午後2時にルンルンと家を出た。
ところが盛岡ICから5分も走らない内に渋滞に巻き込まれてしまった。
確かに朝から雪は深々と降ってはいたが、帰省客も多いから高速が止まるなど考えてもみなかった。
どうも見通しが甘いなと家人と話しながら30分も待っただろうか。
やっとソロソロと動き始めたが、今度は高速が通行止めになったから滝沢ICで下りてくれということである。
仕方ないから下車して一般国道に入ったが既にここも当然大渋滞である。
それでもまだ3時だから4時頃までにはホテルに着かだろうと思いながらノロノロの道路と付き合うが、このノロノロを抜けるのに1時間は掛かった。
家を出てから既に2時間も経ったのにまだ国道を走っていた。
高速が通行止めでなかったなら、とうに着いて温泉に浸かっていられたものをと雪を恨みたくなってきたが、我慢ももうすぐ終わると思い一路八幡平方面の支線へとハンドルを切った。
少し行くと雪の量が盛岡など問題にならないほど多く、除雪も間に合いそうもない状態であった。
それでも我が愛車はドイツ製なので雪道には強く、路肩には何台も雪で動けない車を尻目に何とかホテル目前の上り坂まで辿り着いた。
しかしここでもまた登り坂に引っ掛かっている車の後塵を拝す羽目になる。
お互い様とばかりに車を降りて何とか救済してやるが、自分の車も登り坂の途中で停止した為、最後は自分が弱い路肩に入りこんで万事休す。
最後尾は自分である。
坂の途中で停まらなければ問題もない訳であり、自分の様に助けてくれる車など無くどんどん追い越して行く。
時計は午後5時半、家を出てから既に3時間半も経っている。
最後はホテルに電話して何とかなったが、到着した時はクタクタの体でこの道中は4時間であった。
しかし上には上があるもので、東京から9時頃辿り着いていたお客様もあったようで、二度こんなところには来ないと嘆いていた。
翌日の帰りは別の道の方が良いかなと、ちょっと狭い道のすれ違いが不可能な下り坂を走らせていたが、何と今度は下から除雪車が来るではないか!
大型重機なので何とでもなるのを、やはり人間が甘くできているのだろうか、上り優先だろうと脇道に入って除雪車を通り過ごさせた。
除雪車は当たり前みたいな顔で通り過ぎて行った。
三度あることは四度もあるのか、またまた路肩にはまり込んで万事休す。
幸い近くの民家に方に応援して貰って脱出したが、雪道の怖さを嫌と言うほど経験した。
最後に助けてくれた民家の方に、この辺では道を譲ることはタブーと言われた。
騙すより騙される人間の方が良いとは思うが、相当甘い自分である。
思い切り厄落としには成ったのではないだろうかと、勝手に決めた年末始末であった。
<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ
まとめて書くブログは非常にまずいと思うが、今月の多忙に免じてお許し願いたい。
大晦日は八幡平のホテルで過ごすことにした。
名のある全国区のホテルにしては格安料金の部屋が手に入った幸運に恵まれたたからである。
喪中でもありひっそり迎える新年にはふさわしい企画と家人と午後2時にルンルンと家を出た。
ところが盛岡ICから5分も走らない内に渋滞に巻き込まれてしまった。
確かに朝から雪は深々と降ってはいたが、帰省客も多いから高速が止まるなど考えてもみなかった。
どうも見通しが甘いなと家人と話しながら30分も待っただろうか。
やっとソロソロと動き始めたが、今度は高速が通行止めになったから滝沢ICで下りてくれということである。
仕方ないから下車して一般国道に入ったが既にここも当然大渋滞である。
それでもまだ3時だから4時頃までにはホテルに着かだろうと思いながらノロノロの道路と付き合うが、このノロノロを抜けるのに1時間は掛かった。
家を出てから既に2時間も経ったのにまだ国道を走っていた。
高速が通行止めでなかったなら、とうに着いて温泉に浸かっていられたものをと雪を恨みたくなってきたが、我慢ももうすぐ終わると思い一路八幡平方面の支線へとハンドルを切った。
少し行くと雪の量が盛岡など問題にならないほど多く、除雪も間に合いそうもない状態であった。
それでも我が愛車はドイツ製なので雪道には強く、路肩には何台も雪で動けない車を尻目に何とかホテル目前の上り坂まで辿り着いた。
しかしここでもまた登り坂に引っ掛かっている車の後塵を拝す羽目になる。
お互い様とばかりに車を降りて何とか救済してやるが、自分の車も登り坂の途中で停止した為、最後は自分が弱い路肩に入りこんで万事休す。
最後尾は自分である。
坂の途中で停まらなければ問題もない訳であり、自分の様に助けてくれる車など無くどんどん追い越して行く。
時計は午後5時半、家を出てから既に3時間半も経っている。
最後はホテルに電話して何とかなったが、到着した時はクタクタの体でこの道中は4時間であった。
しかし上には上があるもので、東京から9時頃辿り着いていたお客様もあったようで、二度こんなところには来ないと嘆いていた。
翌日の帰りは別の道の方が良いかなと、ちょっと狭い道のすれ違いが不可能な下り坂を走らせていたが、何と今度は下から除雪車が来るではないか!
大型重機なので何とでもなるのを、やはり人間が甘くできているのだろうか、上り優先だろうと脇道に入って除雪車を通り過ごさせた。
除雪車は当たり前みたいな顔で通り過ぎて行った。
三度あることは四度もあるのか、またまた路肩にはまり込んで万事休す。
幸い近くの民家に方に応援して貰って脱出したが、雪道の怖さを嫌と言うほど経験した。
最後に助けてくれた民家の方に、この辺では道を譲ることはタブーと言われた。
騙すより騙される人間の方が良いとは思うが、相当甘い自分である。
思い切り厄落としには成ったのではないだろうかと、勝手に決めた年末始末であった。
<銭明日二世こと菅村経悦>
環境づくりで地域社会にお役立ち「マリングループ」ホームページ