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フウラン マンポウ(漫歩)・風蘭と友達、旅と花

カメラ大好き人間の拘りの画像の発信集。

落ち葉のジュータン“てくてく” 08・12

2008年12月16日 | てくてく・里・山その他
  本年最後の 別枠“てくてく” に行って来ました。 
      (12月11日)
    
この日もポカポカと暖かい一日。
もう山は落ち葉で一杯、
道がわからない程に広がっていて、歩いて踏みつけるのがモッタイナイ
気分。

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我が“てくてく”は四つある。
1、毎週火曜日の歩こう会。会社の以前の同僚にて近所に住んでいる友。
2、別枠“てくてく”。苦楽を共にした元職場の同僚、親友ながら居住は
  離れている。 月1・2回出かける。
3、思いつくままにカメラを持って出かける、一人旅。 週1・2回。
4、妻と一緒に出かけるハイキング。 月1回程度。


別枠“てくてく”とは。
始めてからもう20数年続いている。
私の職場が倒産し、大阪から奈良に転勤になった時出来た新しい友達
ブログ投稿は少ないがこちらが
元祖、本物の友達。 退職後は年1・2回の一泊旅行もしている。
途中、仕事中に足腰を痛め、2年ほど中断もその後又、ボチボチと
続け今日に至っている。

転勤当初は毎日サービス残業ばかり、ひどい時期は仕事が終わり会社を
出るのが午前1時や午前2時になった。 このような場合3週間は続く。
早く帰れても11時半にしか会社を出られない日が4・5年続いた。
家に帰ると午前1時半、妻は毎日寝ずに食事を作って待っていてくれた。

妻は、お金さえもらえれば仕方ないと諦めていたが、全く手当て
は付いていない。 ガッカリした。
抗議したが今月は予算が足らなかいから来月付けるという。更には
今年は苦しいから来年度にはまとめて支払うという。
ここ2・3年は苦しいから景気が良くなったら支払うといって、逃げ
とうとう時効にされた。要ははじめから手当てを付ける気はないのだ。
地獄だった。

妻は隠れて泣いていた。寂しそうな顔を見るのがたまらなく辛かった。
転勤を希望したが全く受け入れてもらえない、逆に風当たりが強く
なった、逆効果だった。


その後労働時間体制が改正され、自由出勤制となった。
帰る時間をしっかりオンラインで登録すれば上司が勝手に変更・抹消
出来なくなったのだ。
地獄からやっと開放された。

出勤時間と帰宅時間が自由きめられるようになった。早く帰れるのだ。
子供孝行をしようと思い。
ザリガニ・カブトムシ・黄金の鯉等が沢山捕れるという場所を
教えてもらった。

奈良に転勤はしたが会社と家の往復では地理感覚が全く持てない。
この時、地図を書いてもらったり 現地に案内してくれたのが
今の友達だ。

会社の帰り2・3時間かけて場所を確認すると、次の休みの日には
子供達を連れてきて
捕獲の楽しみを教えてあげることが出来た。

話は長くなりすぎたが、要は地獄のような職場だったがいい人もいて
親切にされ助けられた。味方が増えれば変な上司も無理を言わなく
なった。

助けられた事のご恩は忘れていない。


(補足)
トップから事業所の異なる新しい風を吹き込んでくれと頼まれて転勤した。
引っかきまわしてもかまわないから、良い面もあるが腐った体質を
変えてほしいと期待された。

だが、そこの上司と職場を牽引する主だったメンバー10数人に団結され
ことごとく拒まれた。 無視された。
悪いやつらながら大した団結力だった。
いくら期待されても10数人対1人では勝ち目は無かった。
手も足出なかった。


定年退職の送別会の終了後、帰ろうと外に出たら陰で5人の方が
待っていて「ゴメンナサイ」と謝られた。
一人は泣いていた、上司の命令で断れなかったと。

私の転勤時、職場の主だった10数人が上司に集められ
危険人物が転勤してくるからみんなで追い出せと、命令されたらしい。

仕事を山ほど与え、教えを請うても教えない。且つ情報は知らせない。
費用は無いといって使わせない。何か言ってきても徹底的に無視しろ。
との上司の命令だったらしい。

つまり私が逃げ出すのを狙っていたか又は、おとなしくなるのを
待っていたのか。
逃げ出す際、本当の事が公にバレルのか怖くて、気が狂うのを待っていた
ようだった。 飼い殺しと云うやつだ。

私も直に独立した、部下も多く出来た。
タタカレタせかかなり強くなった。 怖いものが無くなった。

あとは思いのまま悠々の仕事だったので全て忘れた。
だが友だけは残った。