8月13日、夕方、軽井沢スケート・センター近くの親戚の別荘を訪ねた帰りに、スケート・センター(実は跡地だった!)に行ってみた。
かつてプール(その後はボウリング場)のあった所も、軽井沢名物の楽焼の窯のあった所(その後はスケートセンター・ホテルの入り口)も鎖で閉ざされていた。
旧ボウリング場の階段を下りると、千ヶ滝スケートセンターホテル入口に、「2009年3月31日をもって営業を終了します」という掲示板が置いてあった。
今年の3月31日で終了したのは、西武高原バス千ヶ滝西区線だけでなかったのだ!
分かっていれば、3月に軽井沢に行ったときに写真を撮っておいたのに・・・。
一番下の駐車場に行くと、千ヶ滝温泉の入り口だけになっていて、湯上りの女の子が携帯をもてあそんでいたが、右側のゲームや卓球台なとのあった所は、これまた板戸で閉鎖されていた。
外からは見えなかったが、アイススケート・リンクもやっていないのだろう。
冬の間は屋外スケートリンクだったところが、夏場はボート池になり、スピーカーからハワイアンなんかが流れていた。
毎夏、8月初旬に渡辺プロの“真夏の夜の夢”というショーも、この池のボート乗り場に作られた特設舞台で開かれた。
昭和30年代初期には入場無料で、コカコーラまでただでくれた。
クレイジー・キャッツやザ・ピーナッツなどが出演し、後に有料になってからは、タイガースが来たこともある。太田裕美やハイファイセットが来た記憶もある。
かつて世界スピードスケート選手権も開催された軽井沢スケートセンターが廃業してしまうなんて・・・。
リンクではスピードの鈴木恵一が練習しているのを見かけたし、1969年か1970年の夏合宿では、西武鉄道アイスホッケー部の岩本主将から試合を申し込まれたこともあった。
東京でも、東伏見のスケートリンクが、西武(国土計画)の手を離れ、サントリーからダイドー・ドリンコに移るなど、西武はまさに孤城落日の感がある。
それを考えれば、それほど繁盛しているとは思えない軽井沢スケートセンターが廃業するのも意外ではない。
それにしても、草軽鉄道にはじまって、三笠書房、明治屋、明治牛乳、西武百貨店軽井沢店、東京医大夏季診療所、紀ノ国屋、軽井沢駅舎、中軽井沢駅前観光案内所、千ヶ滝プリンスホテル、グリーンホテル、観翠楼、星野温泉など、昭和の軽井沢はどんどん消えていってしまう。
* 写真は、廃業してしまった軽井沢スケートセンター。インドアのスケート・リンクを上から見下ろした。
2009/8/13