豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

桜田淳子、復活?

2007年02月05日 | テレビ&ポップス
 桜田淳子が芸能界に復帰するというニュースを目にした。「婦人公論」か何かに彼女のインタビュー記事が載ったというようなことだった。いずれにしても、かつて桜田淳子のファンだった一人としては大歓迎だが、今の芸能界で彼女にどんな仕事があるのだろうか。
 桜田淳子というのは、歌が上手いわけでもなく(山口百恵には敵わない)、演技力があるわけでもない(白血病のバドミントン選手役の映画を見たけど・・・)。見た目だけで許せるほどかわいいアイドルというわけでもない。三人娘の中でも中途半端な位置にいたように思うが、なんか旅先の鄙びた駅のベンチに座って1時間に1本しか来ない鈍行列車を待っている田舎の中学生のような感じがして、ぼくは好きだった。
 桜田淳子に関しては、ぼくは結構いろんなグッズを持っている。当時彼女が表紙になったりグラビアに登場したりする「平凡パンチ」「週刊プレイボーイ」などは気がついたものはすべて買ったし、「サンデー毎日」などの一般週刊誌も集めた。
 彼女の所属していた“サン・ミュージック”は四谷4丁目にあったが、その縁だろう、あるとき彼女は四谷警察署の一日署長になって、四谷警察から信濃町駅に向かって外苑東通りをオープン・カーでパレードしたことがあった。当時、ぼくは左門町にあった出版社に勤めていたが、社のカメラマンを連れ出して彼女の写真を撮ってもらった。で、ぼくは桜田淳子の生写真も持っている。
 
 もし、ぼくに《みうらじゅん》の才覚があったら、子どものときから集めていたあれやこれやを捨てないでとっておくのだったが、「野球少年」や「少年」などについていた付録(子供だましの“火炎放射銃”!!だとか)から、毎年の「ファン手帳」(今でいうプロ野球選手名鑑)まで、残念なことにみんな捨ててしまった。
 切手何十円だか何百円分を送って手に入れた「少年探偵手帳」だとか、「少年探偵団バッジ」(通称BDバッジ)なんてものもあった。万が一悪い奴(怪人20面相)に拉致・誘拐されたときは、道々このBDバッジを撒いておけば、誰かが気づいて助けに来てくれることになるのだが(ヘンゼルとグレーテル!)、1個何十円もするバッジをそうそう簡単に撒くわけにもいかない。
 「少年」には「がらくた君」という漫画が連載されていて、毎回主人公の“がらくた君”が大事にとってある下らない品物について、その思い出を回想するという趣向だった。せっかくそんな漫画が載っていたのだから、老後の懐古趣味のためにとっておけばよかったのだが・・。「平凡パンチ」、「少年マガジン」、「高校時代一年生」などは、神保町のしかるべき古本屋に行くとそれなりの値段で売りに出されているが、「野球少年」などはその手の店でもついぞ見かけたことはない。
 しかし、桜田淳子モノだけは何故か捨てないで残っているのである。
 

(写真は、「平凡パンチ」1976年10月16日号の表紙)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする