6月15日の通常版発売から2週間経つので、ネタバレもそんなに気にしなくて良いだろうかと思います。
有希も回復したようですし、佐々木さんも死ななかったので、
個人的に恐れていた鬱展開は回避されて良かったです。
谷川先生によれば、佐々木さんはもう登場しないそうですが、
『消失長門』も『消失』以来登場していないのですから、物語の展開上、登場しないのは仕方ないですね。
逆に、必要となれば、再登場もあるかと思います。
『上巻』は読むのに4日くらいかかりましたが、
『下巻』は一日で読めてしまったので、
明らかに、『上巻』の方が、文章に仕込まれた『引っ掛かり』『ノイズ』が多いのが判ります。
何度も書いてきたトンデモ妄想、
谷川先生、角川歴彦さんとオカルトの見解が相違して書き直させられた、
というのがアリだとしたら、
下巻がまるまる書き直しなのかもしれませんね。
電波トークはおいといて、
『私の脳内設定=コジツケ』では、
『分裂』で起きた事件の真相はキョンが考えているような『展開』ではなく、
影で喜緑さんが暗躍しているんじゃないか?
ということなんですけど、
たとえば、
上巻92p
『青々とした緑の色が濃くなりつつある』
上巻252p
『蓑虫が喜びそうな新緑が勢力を伸ばしている』
のように、『喜緑』さんが裏で糸を引いているのを暗示するような表現が気になってしまうんですね。
『喜』『緑』という字が仕込まれてるあたり、谷川先生、遊んでらっしゃると思います。
『驚愕』で、喜緑さん、
『統合思念体に支配されて自由に動けない』
という立場を強調してましたが、まあ、嘘なのか、
本文に書かれてる以上に統合思念体の命令で暗躍してるってことだろうと思いますね。
下巻197pで、閉鎖空間に朝倉さんと有希を従えて現れていたようですし、
下巻198pで『ヤスミ』が喜緑さんたちに手を振っていた様にも見えたと書かれてるのが気になるところです。
『ヤスミ』の正体の謎解きを『古泉』がやってるのが気になるところですね。
『ハルヒ』の無意識が素材だとしても、キョンが飲まされた説明が真実とは限らないなあ…と思います。
『驚愕』では、古泉が一番キョンの信頼を勝ち得た様に思えるので、『茶番』を感じますね。
『九曜さん』と『橘さん』は残ったので、『古泉』と『喜緑さん』が彼らとどう結託して
『未来人』や『統合思念体』を追い詰めるのかが楽しみですね。
(勝手な妄想すみません)
唐突に悲劇の主人公に祭り上げられて、あっさり敗退したように見える『藤原』も、
もう登場しないとは限らないので、さてどうなることやら。
蛇足1。
『死んだ姉を生き返らせるために歴史改竄を狙う』
という展開は、シスコンとして同情しますが、
2011年は、
『死んだ親友のために何千回もループする』
という『まどかマギカ』の『ほむらちゃん』の悲劇が先に出ているので、
『驚愕』は分が悪いです。不運。
『藤原』が『男』なのが悲劇をレベルダウンさせてますよね…
単に女々しい理由で、迷惑かけてるようにしか見えない。
ほむほむは小娘だから、過酷な運命の前に風前の灯って感じで、応援したくなります。
悲劇を、彼女しか何とかできない、という『使命感』で危険に飛び込むのが胸を打ちます。
しかも、『世界を滅亡から救う』という課題もあります。
『藤原』にもそういうヒーローの面があるのかもしれませんが、『驚愕』読む限り、
私情で大騒ぎ起こしてるだけに見えてしまいます。
『憂鬱』のときは
『ハルヒというドキュンのイライラで世界が滅亡』
という展開は、『不条理ギャグ』というか、『これは酷い!』と思いつつも、
清々しくすらあったのですが、
小娘のやることですので、ジジイは、赦せちゃうんですよね。
藤原は口の悪い『若造』でしかないので、
『小さいヤツ!』
としか思えません。
自分が藤原だったら同じ事するかもしれませんけど、
そのときの自分は、
『悲劇に酔ってる』
確信がありますので、藤原に自分の恥ずかしい面を投影しちゃって冷静に見てられません!
藤原さんには、こんな勝手な脳内設定で、必要以上にマイナスイメージを負わせてしまってすみません。
姉が死んで大変苦しんでおられるでしょうに。
『ハルヒ劇場』でちらりと垣間見えてると思いますが、
谷川先生の、ハリウッド的に盛り上げられるものを、敢えてさらりと流してしまうドライさが
カッコイイと思うので、
『世界の危機かと思ったら、じつは矮小な事件』
という風呂敷の閉じ方はアリだと思います。
『まどかマギカ』は、
『ワルプルギスの夜』との決戦、という『世界の大ピンチ』の『大舞台』に、
『ループ』を絡めたことで、盛り上がりましたよね。
『虚淵玄』先生の演出過剰勝ちですね。
1970年生まれの谷川先生、大塚英志先生が言う
『大きな物語の信じられなくなった時代』
の子供だと思いますので、
『世界の危機を救うため、使命感で立ち上がる』
という行動をどこか滑稽に思えてしまって、
そういうキャラに感情移入して書けないのだろうと思います。
盛り下がってしまうのだろうと。
谷川先生はヤマカン監督同様、自分のリアルに合わない作品は盛り上げられない性格なのではないか?
とか勝手に思っております。
虚淵先生は、1972年生まれで、谷川先生と同世代ですが、一周回っていて、
どんな設定でも、可能な限り盛り上げようと考えて劇的な展開をやれるんじゃないか?
虚淵先生は、原恵一監督同様、受け手がリアルに感じるように作品を作ろうと努力するタイプなのかもしれない、
とか私は勝手ながら思っているのですけど。
蛇足2。
『シャフト』の新房昭之監督が、『オトナアニメ』vol.20のインタビューで、
虚淵先生の脚本は『ケレン味があって面白い』
と評価する一方、
キャラクターが死ぬ作品はキツくなってきた。
と心情吐露なさってるのが面白かったです。
探偵ものみたいに死がひとつの記号として描かれるものなら大丈夫だが、
もっと歳を重ねるとそれも辛くなってくるだろう。
とも仰っていて、
『若い人は元気だから荒々しい作品が作れる』
という説のようです。
(新房監督は1961年生まれだそうですから、確かに、虚淵先生より年寄り世代)
ただ、虚淵先生の脚本を『面白い』と評価出来るわけですし、
『死』を扱うにしても、『人の死』とストレートに同一視せずに
『キャラクターが死ぬ』
と突き放して、あくまで、
自分たちが作り出す『虚構のリアル』である
という『クリエイター視点』は踏み外していないのが、職人だなあ、と思いました。
こういう技術的思考は、世代、年齢に限定されないで活用可能なのだろうと思います。
新房監督が虚淵先生の作品を面白く感じられるのはその証拠だろうかと思います。
『リビアの死人』
のような存在をいちいち意識して作品が左右される可能性は少ないと思われます。
虚淵先生は、この、『作品世界』の完成度を純粋に意識しようとする思考をなさっているから、
『大きな物語が死んだ』時代でも、劇的な展開をやれるのだろうと思います。
物語の盛り上がる可能性を純粋に追求してるのだろうと思います。
(勝手な上から目線の決めつけすみません)
こういう、『物語を盛り上げる』という目的合理性に集中する発想は、
押井守監督が、
『完結した物語は、日本の村社会の閉鎖性と同じだから、敢えてオチを付けずに現実と地続きにしている』
と仰っていたのと正反対の立場だと思います。
(ヤマカン監督は、押井監督に近い立ち位置だと思います)
蛇足3。
大塚英志先生も、『現実の死』と『キャラクターの死』を直結なさっていて、
日本の漫画・アニメはアメリカの模倣に過ぎない。
日本は敗戦国で戦争の悲惨さを学んでいるのだから、ハリウッドの真似じゃない日本アニメ・漫画の独自性は
『反戦』を明確に打ち出す点にある。
というような事を仰っていたと勝手に記憶しておりますが、
この立場では必然的に描けない『死』の形が出てきます。
国家によらない検閲は憲法違反じゃないという説を信じるなら、別に問題じゃないですが、
大塚先生のご自身の作品限定の自己検閲にしておいていただきたいですね。
他の人の作品作りに、こういう『検閲』を要求するのは、折角のフィクションの可能性を制約して、
生まれたかも知れない面白い作品を誕生前に中絶する、
『オタク業界の優生学』
ではないかと思います。
1969年の『三島由紀夫vs東大全共闘』で、三島先生は、
『自分は一市民としてはモラルを重視するが、作品世界はフィクションなので、どんな不道徳なことも書く』
というようなことを仰ってたと思うのですが、
平和思想の普及で、こういう『切腹自殺するような再軍備論者』の言うようなことは否定されちゃったんですかね。
久米田康治先生は『絶望先生』の中で繰り返し、
石原都知事が、過去の自分の小説の中では下品なことをやってるのに、表現規制するのはおかしい、
というような事をほのめかしておられますが、石原先生、三島先生の前述の発言を実践しようとなさってるのかもしれませんね。
蛇足5。
『絶望先生』25集249話『イワンのなかば』で、『5627』巻の小説が登場するんですが、素因数分解してみると、
5627=331×17
…『3月31日』って、『新谷良子』さんの誕生日だったはずで、彼女は最近『30』歳になったはず。
『17』といえば、『17歳教』は、たしか、『30歳』が入信資格だったような気がするから、
『331×17=5627』
って、久米田先生から新谷さんへの『30歳おめでとう』の暗号なんじゃないか?
とか勝手に楽しんでおります。
本題に戻りますが、
『驚愕』は、上下巻という尺を必要とする構成だとは思うのですが、
長さの割りに、起こっている事件が盛り上がってないような気がします。
非常に執筆には苦しまれたご様子ですが、
2007年~2011年かけて、
文庫2冊分で、
この規模の事件、というのは、感動を生み出す効率が悪いような気がします。
私のように、『陰謀論』というか、『暗号解読』の気分で行間読んでる人間には、
単語ひとつひとつも面白いですけど、
物語の起伏を楽しみたい読者にはどうだろうかと思います。
『α』と『β』が重なる瞬間は身震いするほど面白いのですが、
全体として、『SOS団』が危機に陥ってるという緊迫感が沸いてきません。
『αβ』のせいで、『佐々木団vsSOS団』の雰囲気が『分裂』で終わってしまい、
『驚愕』では、『若造』藤原の私情に振り回される形で佐々木団が暴走し去って消えてしまう
様にしか見えないからだと思います。
まあ、そういう、敢えて起伏が起こりそうなところを華麗にスルーするドライさが私にとっての谷川先生の魅力
でもあるわけで、
下手に対決されると、新房監督の仰るように、ジジイはキツイ緊張の連続になりますから
あれでよかったとは思いますが…若い人には刺激が足りなかったんじゃないでしょうかね?
『橘さん』が、ほとんど何もしないで退場してしまうのが拍子抜けです。
『ヤスミ』も、神秘的な登場で、さてこれからどう活躍するか?というところでもう
『時間切れ退場』
という感じで、勿体無いです。
『鶴屋さん』も『森さん』も活躍しなかったのが残念です。
尺が足りなかったから出る余地が無かったのは仕方ないですが、
上下巻かけて、ページが足りないってのは、トリッキーな『分裂』がキャラの完全燃焼を阻害してたということじゃないかなあ…
などと勿体無がってしまいます。
そういう、勿体無いキャラの浪費が、ポトラッチの如く『蕩尽』の快感を発生させるのだと栗本信一朗先生なんか仰りそうですが。
これは、活躍してなさそうなキャラ達は、見えないところで暗躍してるんじゃないか?とか勝手に妄想しちゃってますけど、
『驚愕』本編でそれが描かれるのと、
将来出る新刊で、回想や、裏話の形で『活躍』が語られるのとでは、
インパクトが違うような気がします。勿体無いです。
(勝手なことぬかしてすみません)
『ハルヒ』世界の謎解きという観点から行くと、
『鶴屋山出土の金属片』
『シャミセンの脳内の隕石寄生生命体』
は持ち越しになりましたし、
『鶴屋さん』『喜緑さん』の暗躍
があると勝手に期待してる私にとっては、今回、この件が解決しなかったことで、
今後の作品中での彼女たちの言行が気になるところです。
『分裂』で言及されていた、
『鶴屋邸での歌会』
も描かれてませんし。
橘さん、九曜さんのこれからの運命も気になるところです。
『分裂』で言及されていた『映画』製作もまったく手付かずです。
『ハルヒ』の謎については、谷川先生個人の貢献を超えて、『京アニ』スタッフの関与(K-ON!の謎ともリンクしている)
更には、『シャフト』スタッフ、『機本伸司』先生、『横谷昌宏』先生、『花田十輝』先生辺りも遊びに参加してる
可能性があって、『驚愕』発売後も、どんな展開があるか気をつけてフォローしてゆく予定です。
蛇足6。
『シャフト』+『横谷昌宏』先生の『まりあほりっく』で、
『K-ON!』でさわちゃん担当した『真田アサミ』さんの担当キャラが
『2012年人類滅亡』ネタ
語っていて、横谷先生、オカルトネタお好きだなあ、と改めて思いました。
(花田先生は『レベルE』に『SteinsGate』ですから、相当のトンデモ好きかもしれませんね)
また、ハルヒ謎解きで、『Godの反対はDog』というネタを振っておりましたが、
『まりあほりっく』で『小林ゆう』さんと『平野綾』さんの担当キャラがなぞなぞ対決する回、
『Godの反対はDog』
ネタを振っておられて、偶然は面白いと思いました。
蛇足7。
以前、谷川先生は『出雲』に縁がある、というコジツケしておきましたが、
今回、上巻198pで『大黒さん』が言及されてましたね。
それはさておき、
『「涼宮ハルヒの憂鬱」で英単語が面白いほど身につく本』(中経出版)
という本を書店で見かけまして、著者を見たら、監修が
『出雲博樹』
…『出雲』!
代々木ゼミナールの講師の方らしいですが、偶然って面白いですね。
有希も回復したようですし、佐々木さんも死ななかったので、
個人的に恐れていた鬱展開は回避されて良かったです。
谷川先生によれば、佐々木さんはもう登場しないそうですが、
『消失長門』も『消失』以来登場していないのですから、物語の展開上、登場しないのは仕方ないですね。
逆に、必要となれば、再登場もあるかと思います。
『上巻』は読むのに4日くらいかかりましたが、
『下巻』は一日で読めてしまったので、
明らかに、『上巻』の方が、文章に仕込まれた『引っ掛かり』『ノイズ』が多いのが判ります。
何度も書いてきたトンデモ妄想、
谷川先生、角川歴彦さんとオカルトの見解が相違して書き直させられた、
というのがアリだとしたら、
下巻がまるまる書き直しなのかもしれませんね。
電波トークはおいといて、
『私の脳内設定=コジツケ』では、
『分裂』で起きた事件の真相はキョンが考えているような『展開』ではなく、
影で喜緑さんが暗躍しているんじゃないか?
ということなんですけど、
たとえば、
上巻92p
『青々とした緑の色が濃くなりつつある』
上巻252p
『蓑虫が喜びそうな新緑が勢力を伸ばしている』
のように、『喜緑』さんが裏で糸を引いているのを暗示するような表現が気になってしまうんですね。
『喜』『緑』という字が仕込まれてるあたり、谷川先生、遊んでらっしゃると思います。
『驚愕』で、喜緑さん、
『統合思念体に支配されて自由に動けない』
という立場を強調してましたが、まあ、嘘なのか、
本文に書かれてる以上に統合思念体の命令で暗躍してるってことだろうと思いますね。
下巻197pで、閉鎖空間に朝倉さんと有希を従えて現れていたようですし、
下巻198pで『ヤスミ』が喜緑さんたちに手を振っていた様にも見えたと書かれてるのが気になるところです。
『ヤスミ』の正体の謎解きを『古泉』がやってるのが気になるところですね。
『ハルヒ』の無意識が素材だとしても、キョンが飲まされた説明が真実とは限らないなあ…と思います。
『驚愕』では、古泉が一番キョンの信頼を勝ち得た様に思えるので、『茶番』を感じますね。
『九曜さん』と『橘さん』は残ったので、『古泉』と『喜緑さん』が彼らとどう結託して
『未来人』や『統合思念体』を追い詰めるのかが楽しみですね。
(勝手な妄想すみません)
唐突に悲劇の主人公に祭り上げられて、あっさり敗退したように見える『藤原』も、
もう登場しないとは限らないので、さてどうなることやら。
蛇足1。
『死んだ姉を生き返らせるために歴史改竄を狙う』
という展開は、シスコンとして同情しますが、
2011年は、
『死んだ親友のために何千回もループする』
という『まどかマギカ』の『ほむらちゃん』の悲劇が先に出ているので、
『驚愕』は分が悪いです。不運。
『藤原』が『男』なのが悲劇をレベルダウンさせてますよね…
単に女々しい理由で、迷惑かけてるようにしか見えない。
ほむほむは小娘だから、過酷な運命の前に風前の灯って感じで、応援したくなります。
悲劇を、彼女しか何とかできない、という『使命感』で危険に飛び込むのが胸を打ちます。
しかも、『世界を滅亡から救う』という課題もあります。
『藤原』にもそういうヒーローの面があるのかもしれませんが、『驚愕』読む限り、
私情で大騒ぎ起こしてるだけに見えてしまいます。
『憂鬱』のときは
『ハルヒというドキュンのイライラで世界が滅亡』
という展開は、『不条理ギャグ』というか、『これは酷い!』と思いつつも、
清々しくすらあったのですが、
小娘のやることですので、ジジイは、赦せちゃうんですよね。
藤原は口の悪い『若造』でしかないので、
『小さいヤツ!』
としか思えません。
自分が藤原だったら同じ事するかもしれませんけど、
そのときの自分は、
『悲劇に酔ってる』
確信がありますので、藤原に自分の恥ずかしい面を投影しちゃって冷静に見てられません!
藤原さんには、こんな勝手な脳内設定で、必要以上にマイナスイメージを負わせてしまってすみません。
姉が死んで大変苦しんでおられるでしょうに。
『ハルヒ劇場』でちらりと垣間見えてると思いますが、
谷川先生の、ハリウッド的に盛り上げられるものを、敢えてさらりと流してしまうドライさが
カッコイイと思うので、
『世界の危機かと思ったら、じつは矮小な事件』
という風呂敷の閉じ方はアリだと思います。
『まどかマギカ』は、
『ワルプルギスの夜』との決戦、という『世界の大ピンチ』の『大舞台』に、
『ループ』を絡めたことで、盛り上がりましたよね。
『虚淵玄』先生の演出過剰勝ちですね。
1970年生まれの谷川先生、大塚英志先生が言う
『大きな物語の信じられなくなった時代』
の子供だと思いますので、
『世界の危機を救うため、使命感で立ち上がる』
という行動をどこか滑稽に思えてしまって、
そういうキャラに感情移入して書けないのだろうと思います。
盛り下がってしまうのだろうと。
谷川先生はヤマカン監督同様、自分のリアルに合わない作品は盛り上げられない性格なのではないか?
とか勝手に思っております。
虚淵先生は、1972年生まれで、谷川先生と同世代ですが、一周回っていて、
どんな設定でも、可能な限り盛り上げようと考えて劇的な展開をやれるんじゃないか?
虚淵先生は、原恵一監督同様、受け手がリアルに感じるように作品を作ろうと努力するタイプなのかもしれない、
とか私は勝手ながら思っているのですけど。
蛇足2。
『シャフト』の新房昭之監督が、『オトナアニメ』vol.20のインタビューで、
虚淵先生の脚本は『ケレン味があって面白い』
と評価する一方、
キャラクターが死ぬ作品はキツくなってきた。
と心情吐露なさってるのが面白かったです。
探偵ものみたいに死がひとつの記号として描かれるものなら大丈夫だが、
もっと歳を重ねるとそれも辛くなってくるだろう。
とも仰っていて、
『若い人は元気だから荒々しい作品が作れる』
という説のようです。
(新房監督は1961年生まれだそうですから、確かに、虚淵先生より年寄り世代)
ただ、虚淵先生の脚本を『面白い』と評価出来るわけですし、
『死』を扱うにしても、『人の死』とストレートに同一視せずに
『キャラクターが死ぬ』
と突き放して、あくまで、
自分たちが作り出す『虚構のリアル』である
という『クリエイター視点』は踏み外していないのが、職人だなあ、と思いました。
こういう技術的思考は、世代、年齢に限定されないで活用可能なのだろうと思います。
新房監督が虚淵先生の作品を面白く感じられるのはその証拠だろうかと思います。
『リビアの死人』
のような存在をいちいち意識して作品が左右される可能性は少ないと思われます。
虚淵先生は、この、『作品世界』の完成度を純粋に意識しようとする思考をなさっているから、
『大きな物語が死んだ』時代でも、劇的な展開をやれるのだろうと思います。
物語の盛り上がる可能性を純粋に追求してるのだろうと思います。
(勝手な上から目線の決めつけすみません)
こういう、『物語を盛り上げる』という目的合理性に集中する発想は、
押井守監督が、
『完結した物語は、日本の村社会の閉鎖性と同じだから、敢えてオチを付けずに現実と地続きにしている』
と仰っていたのと正反対の立場だと思います。
(ヤマカン監督は、押井監督に近い立ち位置だと思います)
蛇足3。
大塚英志先生も、『現実の死』と『キャラクターの死』を直結なさっていて、
日本の漫画・アニメはアメリカの模倣に過ぎない。
日本は敗戦国で戦争の悲惨さを学んでいるのだから、ハリウッドの真似じゃない日本アニメ・漫画の独自性は
『反戦』を明確に打ち出す点にある。
というような事を仰っていたと勝手に記憶しておりますが、
この立場では必然的に描けない『死』の形が出てきます。
国家によらない検閲は憲法違反じゃないという説を信じるなら、別に問題じゃないですが、
大塚先生のご自身の作品限定の自己検閲にしておいていただきたいですね。
他の人の作品作りに、こういう『検閲』を要求するのは、折角のフィクションの可能性を制約して、
生まれたかも知れない面白い作品を誕生前に中絶する、
『オタク業界の優生学』
ではないかと思います。
1969年の『三島由紀夫vs東大全共闘』で、三島先生は、
『自分は一市民としてはモラルを重視するが、作品世界はフィクションなので、どんな不道徳なことも書く』
というようなことを仰ってたと思うのですが、
平和思想の普及で、こういう『切腹自殺するような再軍備論者』の言うようなことは否定されちゃったんですかね。
久米田康治先生は『絶望先生』の中で繰り返し、
石原都知事が、過去の自分の小説の中では下品なことをやってるのに、表現規制するのはおかしい、
というような事をほのめかしておられますが、石原先生、三島先生の前述の発言を実践しようとなさってるのかもしれませんね。
蛇足5。
『絶望先生』25集249話『イワンのなかば』で、『5627』巻の小説が登場するんですが、素因数分解してみると、
5627=331×17
…『3月31日』って、『新谷良子』さんの誕生日だったはずで、彼女は最近『30』歳になったはず。
『17』といえば、『17歳教』は、たしか、『30歳』が入信資格だったような気がするから、
『331×17=5627』
って、久米田先生から新谷さんへの『30歳おめでとう』の暗号なんじゃないか?
とか勝手に楽しんでおります。
本題に戻りますが、
『驚愕』は、上下巻という尺を必要とする構成だとは思うのですが、
長さの割りに、起こっている事件が盛り上がってないような気がします。
非常に執筆には苦しまれたご様子ですが、
2007年~2011年かけて、
文庫2冊分で、
この規模の事件、というのは、感動を生み出す効率が悪いような気がします。
私のように、『陰謀論』というか、『暗号解読』の気分で行間読んでる人間には、
単語ひとつひとつも面白いですけど、
物語の起伏を楽しみたい読者にはどうだろうかと思います。
『α』と『β』が重なる瞬間は身震いするほど面白いのですが、
全体として、『SOS団』が危機に陥ってるという緊迫感が沸いてきません。
『αβ』のせいで、『佐々木団vsSOS団』の雰囲気が『分裂』で終わってしまい、
『驚愕』では、『若造』藤原の私情に振り回される形で佐々木団が暴走し去って消えてしまう
様にしか見えないからだと思います。
まあ、そういう、敢えて起伏が起こりそうなところを華麗にスルーするドライさが私にとっての谷川先生の魅力
でもあるわけで、
下手に対決されると、新房監督の仰るように、ジジイはキツイ緊張の連続になりますから
あれでよかったとは思いますが…若い人には刺激が足りなかったんじゃないでしょうかね?
『橘さん』が、ほとんど何もしないで退場してしまうのが拍子抜けです。
『ヤスミ』も、神秘的な登場で、さてこれからどう活躍するか?というところでもう
『時間切れ退場』
という感じで、勿体無いです。
『鶴屋さん』も『森さん』も活躍しなかったのが残念です。
尺が足りなかったから出る余地が無かったのは仕方ないですが、
上下巻かけて、ページが足りないってのは、トリッキーな『分裂』がキャラの完全燃焼を阻害してたということじゃないかなあ…
などと勿体無がってしまいます。
そういう、勿体無いキャラの浪費が、ポトラッチの如く『蕩尽』の快感を発生させるのだと栗本信一朗先生なんか仰りそうですが。
これは、活躍してなさそうなキャラ達は、見えないところで暗躍してるんじゃないか?とか勝手に妄想しちゃってますけど、
『驚愕』本編でそれが描かれるのと、
将来出る新刊で、回想や、裏話の形で『活躍』が語られるのとでは、
インパクトが違うような気がします。勿体無いです。
(勝手なことぬかしてすみません)
『ハルヒ』世界の謎解きという観点から行くと、
『鶴屋山出土の金属片』
『シャミセンの脳内の隕石寄生生命体』
は持ち越しになりましたし、
『鶴屋さん』『喜緑さん』の暗躍
があると勝手に期待してる私にとっては、今回、この件が解決しなかったことで、
今後の作品中での彼女たちの言行が気になるところです。
『分裂』で言及されていた、
『鶴屋邸での歌会』
も描かれてませんし。
橘さん、九曜さんのこれからの運命も気になるところです。
『分裂』で言及されていた『映画』製作もまったく手付かずです。
『ハルヒ』の謎については、谷川先生個人の貢献を超えて、『京アニ』スタッフの関与(K-ON!の謎ともリンクしている)
更には、『シャフト』スタッフ、『機本伸司』先生、『横谷昌宏』先生、『花田十輝』先生辺りも遊びに参加してる
可能性があって、『驚愕』発売後も、どんな展開があるか気をつけてフォローしてゆく予定です。
蛇足6。
『シャフト』+『横谷昌宏』先生の『まりあほりっく』で、
『K-ON!』でさわちゃん担当した『真田アサミ』さんの担当キャラが
『2012年人類滅亡』ネタ
語っていて、横谷先生、オカルトネタお好きだなあ、と改めて思いました。
(花田先生は『レベルE』に『SteinsGate』ですから、相当のトンデモ好きかもしれませんね)
また、ハルヒ謎解きで、『Godの反対はDog』というネタを振っておりましたが、
『まりあほりっく』で『小林ゆう』さんと『平野綾』さんの担当キャラがなぞなぞ対決する回、
『Godの反対はDog』
ネタを振っておられて、偶然は面白いと思いました。
蛇足7。
以前、谷川先生は『出雲』に縁がある、というコジツケしておきましたが、
今回、上巻198pで『大黒さん』が言及されてましたね。
それはさておき、
『「涼宮ハルヒの憂鬱」で英単語が面白いほど身につく本』(中経出版)
という本を書店で見かけまして、著者を見たら、監修が
『出雲博樹』
…『出雲』!
代々木ゼミナールの講師の方らしいですが、偶然って面白いですね。