ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

ZAZ(ザーズ)の歌声、言葉とリズム

2012年01月02日 | 音楽
ZAZ(ザーズ)の「Les passants(通行人)」「Je veux(私の欲しいもの)」を聴いていると、その声質の持つ芯の強さ、生きる力に魅了されるというのもあるのだけれど、それ以上に言語の持っている「リズム」と曲そのもののもつ「リズム」との関係というものについて考えさせられる。

フランスというとフレンチ・ポップスやシャンソンという風に考えられがちだけれど、ZAZの音楽はそういった要素を含みつつも、もっとブルース臭さや、フォークっぽさ、JAZZの要素が加わった、どこか懐かしい独自のポップ・ミュージックを作り出している。

そして何よりも、その独自のリズムは、同時に他の言語では消化できないような独自にリズムを生み出している。このフランス語独特の抜けるような発音と延々と喋り続けているような流れとベースが生み出す4ビート。仮にこの曲に影響を受けたとしても、日本語をこのような雰囲気でメロディに載せることはできないだろう。

当たり前のことではあるけれど、それぞれの言語の持つリズムとメロディの持つリズムとは不可分なのだ。

最近ではそうでもないけれど、20年前の日本のロック・ミュージックはそうした「日本語」と「メロディ」との格闘だったし、そうした世代の音楽を消化してきた世代が、ごく当たり前のように、そしてロックだとか、JPOPだとかのカテゴリーを超えて、自然に日本語とメロディとを融合させ始めていいる。

もちろんそれが全てではない。相変わらず、売れるためのプロダクトとして作られ続けている「音楽」はヒットチャートの上位を占めているし、様々な加工が加えられ、本人の歌声かさえもわからぬほどになり、誰の言葉かもわからないほど「夢」「愛」「希望」が溢れている。もっと巧妙に、表現としての楽曲との境界線を曖昧にし、市場を席巻する。

そうした流れの頂点の1つがK-POPブームなのだろう。

結局のところ、彼女たちが歌う「日本語」がまったく生きた言葉ではないのだ。「目新しさ」「スタイリッシュ」「キュート」…そういった「記号」と80年代~90年代かの音楽を現代風に焼き直しサンプリング化された「メロディ」。

そうした在り方は否定すべきものだけではない。例えばかっての「渋谷系」の音楽もある意味、そういう側面はあったし、しかしその中で「フリッパーズ・ギター」「オザケン」が生まれ、「ピチカート・ファイヴ」「ORIGINAL LOVE」らが登場し、それまでのPOPミュージックの次元を引き上げていった。しかし今のK-POPやAKB、EXILEがそうした「新しさ」を生み出しているようには思えない。

日本語のもつ「リズム」と「メロディ」との融合。あるいは「生」の日本語のもつ「強さ」や「生命感」「感情」といったものに、もう一度、注目されてもいいと思う。心地良い、POPなメロディだけでもつまらないではないか。


ZAZ - Je veux


Zaz a Montmartre : Les passants

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