東京にいるとあまり実感がなかったのだが、ここ数日帰省していて感じたこと。地方は崩壊している。数年前に戻った時も、街に年寄りの姿ばかりが目につき、これはどうなるのだろうと思ったことがあったが、現実はさらにひどい状態になっている。
一体何が足りないのだろう。
故郷の街は、持ち家率や平均世帯所得、消費支出、平均預金残高、高校進学率、住民あたりの図書館の設置数などいずれも全国でも屈指だ。ちょっと大きな道を走ればコンビニもあるし、ファミレスもある。必要なものがあればイオンやヤマダ電機、ユニクロにでも行けば、一通り何でも揃う。映画館の数もかなり多い。
しかしここには決定的に何かが欠けている。
帰り際、駅前の本屋に入る。すっかり郊外型の大型ブックストアが中心になっているとはいえ、かっては県内屈指の書店であり、専門書やマニアックな雑誌も取り揃えている貴重な存在だ。高校の頃は授業中にこっそり読むための小説をここに買いに来たものだ。
受験シーズンということもあり、私大の願書が並べてあり、つられるように学習参考書のコーナーへ。
あの頃と同様に様々な参考書と問題集が並べられている。昔からあるもの、最近になって発売されたもの、似たようなタイトルながら改訂されたもの…しかし平積みされた「2009年版」などの符号のつけられたものを除くと、「真新しい」ものばかりがあるわけではなかった。当時と決定的に違うこととして、書棚に並べてあったものの多くが色褪せてしまっているのだ。
当然、そこには理由はあるだろう。少子化の影響、大学全入時代となりそもそも勉強する必要がなくなったなど…しかしそこで僕が感じたのは「時間の停滞」感だ。この街ではあまりにも多くのものがかってのまま留まり、<死>を待っているのだ。
そんな街で「夢」は存在するのだろうか。
世帯所得は全国屈指かもしれない。家を持つこともできるかもしれない。当たり前のように高校に進学し、贅沢を言わなければ仕事にもつけるだろう。かといって今の中学生や高校生、大学生や20代前半の人間が「夢」や「希望」を見出せるのだろうか。
僕が高校生の頃、この街の「閉塞感」から脱出するということは、街を出て行くということに他ならなかった。あれから十数年が経ち、携帯やインターネットの発達は、この地にいながら「世界」への可能性を開いたはずであった。しかし実際にはより広い世界の多様な情報が流入するだけで、時間の停滞した国の住人たちをより閉じ込めてしまっている。
地方の政治・行政というものを考えた時、当然、まずは「雇用」をどうするか、「福祉」や「財政再建」をどう行うかといったことが中心になるのは仕方がないとしても、将来、この街の活力を生み出してくれる10代や20代にどういった「夢」や「希望」を与えるのかといったビジョンを提示することもこれからは大事になるのだろう。
っーか、今の20代が、梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」に触発されるというのであれば、ぶっちゃけ、今の高校生全員に配ったら、とか思うわけです。はい。
地方変革のキーワードは「福祉」と「地域マネー」
ある映画館の終わり
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか / 梅田望夫:Web2.0時代の経典を読む
一体何が足りないのだろう。
故郷の街は、持ち家率や平均世帯所得、消費支出、平均預金残高、高校進学率、住民あたりの図書館の設置数などいずれも全国でも屈指だ。ちょっと大きな道を走ればコンビニもあるし、ファミレスもある。必要なものがあればイオンやヤマダ電機、ユニクロにでも行けば、一通り何でも揃う。映画館の数もかなり多い。
しかしここには決定的に何かが欠けている。
帰り際、駅前の本屋に入る。すっかり郊外型の大型ブックストアが中心になっているとはいえ、かっては県内屈指の書店であり、専門書やマニアックな雑誌も取り揃えている貴重な存在だ。高校の頃は授業中にこっそり読むための小説をここに買いに来たものだ。
受験シーズンということもあり、私大の願書が並べてあり、つられるように学習参考書のコーナーへ。
あの頃と同様に様々な参考書と問題集が並べられている。昔からあるもの、最近になって発売されたもの、似たようなタイトルながら改訂されたもの…しかし平積みされた「2009年版」などの符号のつけられたものを除くと、「真新しい」ものばかりがあるわけではなかった。当時と決定的に違うこととして、書棚に並べてあったものの多くが色褪せてしまっているのだ。
当然、そこには理由はあるだろう。少子化の影響、大学全入時代となりそもそも勉強する必要がなくなったなど…しかしそこで僕が感じたのは「時間の停滞」感だ。この街ではあまりにも多くのものがかってのまま留まり、<死>を待っているのだ。
そんな街で「夢」は存在するのだろうか。
世帯所得は全国屈指かもしれない。家を持つこともできるかもしれない。当たり前のように高校に進学し、贅沢を言わなければ仕事にもつけるだろう。かといって今の中学生や高校生、大学生や20代前半の人間が「夢」や「希望」を見出せるのだろうか。
僕が高校生の頃、この街の「閉塞感」から脱出するということは、街を出て行くということに他ならなかった。あれから十数年が経ち、携帯やインターネットの発達は、この地にいながら「世界」への可能性を開いたはずであった。しかし実際にはより広い世界の多様な情報が流入するだけで、時間の停滞した国の住人たちをより閉じ込めてしまっている。
地方の政治・行政というものを考えた時、当然、まずは「雇用」をどうするか、「福祉」や「財政再建」をどう行うかといったことが中心になるのは仕方がないとしても、将来、この街の活力を生み出してくれる10代や20代にどういった「夢」や「希望」を与えるのかといったビジョンを提示することもこれからは大事になるのだろう。
っーか、今の20代が、梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」に触発されるというのであれば、ぶっちゃけ、今の高校生全員に配ったら、とか思うわけです。はい。
地方変革のキーワードは「福祉」と「地域マネー」
ある映画館の終わり
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか / 梅田望夫:Web2.0時代の経典を読む
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