何と言うか、まぁ、一種の経典みたいなもんなんだろうなぁ、Web2.0教というか、google教というか。西垣通さんほどペシミスティックなのもどうかと思うけれど、梅田望夫さんのこのオプティミストぶりはどうなんだ?! Webに対する期待感や認識などにそう齟齬はないと思う。しかしそこからもたらされる結論には絶望的な隔たりを感じざろうえない。そんなある種の宗教臭さ、イデオロギー臭さというか、今の時代にのみ通用するような青臭さいっぱいの一冊。
そもそもこの本は教養を身につけるために皆が読むという類の本ではない。この本の対象となる読者は、資本主義的な競争が好きで(スローライフやワークシェアリングなんてもっての他!)、ある程度裕福で(貧困問題なんて他の人がしてくれる!)、利用できるものは利用しても決して悪びれることなく(受益者負担なんて関係ない!)、無邪気に世の中を肯定できるような人たちだ。そういう人たちがそういう生き方を肯定するたの本であって、そうじゃない人には関係がない。
例えばGoogleなどネットにおける「受益者非負担型インフラ」に対する無邪気な肯定。もちろん使う側からすれば何でも無料である方がいいに決まっている。それはネットに限らずリアルな世界でもそうだ。しかし無料で何かを提供するということは誰かがそのコストを負担しているということであり、その行為自体が社会的に適切なのかという問題がある。
Googleが「受益者非負担型インフラ」を提供するための原資として、企業からの広告料を当てているとしよう。その広告料は企業が商品を販促するためのものであるが、当然、その商品の価格に転嫁されている。つまりその商品が本来もっと安価に提供されていた可能性があるわけであり、この「受益者非負担型モデル」というのはより多くの消費者に(特定の人しか使わないとサービスの)負担を押し付けたモデルだともいえる。(だから使わないと損だと考えるのか、不公平だと考えるかは別として)
またこうした「受益者非負担モデル」というものに対して「ネット」だから当たり前的な発想もどうだろうか。梅田さんの話を聞いていると、ネットの「受益者非負担モデル」を利用して、「個」の力をエンパワーして、でもお金もうけはリアルな世界で…と聞こえるのだけれど、なぜネットはこうでリアルはそうでなければならないのか。それに対する回答はない。それどころか携帯ビジネスでは様々なデジタルコンテンツ市場が切り開かれたのに対し、PCの世界では、リアル世界の延長としてしか機能していないことを、ある種の諦めにも似た感覚(いつかは…)で見ているのではないだろうか。
結局のところ、自分たちの現在の立ち振る舞いかたを無邪気に肯定しているだけにしか聞こえないのだ。
それはネット時代の「権力」の問題に対する関心にも表れている。
僕自身、ネットビジネスに関わっていることもあり、Googleの奇跡とも言うべき成長、ユニークな検索技術とビジネスモデルは憧れであり、感嘆に値する。とはいえ、それがそれで終始するかというとそうではなく、巨大に成りすぎたがゆえの「権力」の問題を考えざろうえない。
今や「検索エンジン」はネットにおいては欠かすことのないインフラだ。それは検索エンジンを利用するものに対して(そして情報を提供しようとする者に対しても)ある秩序を与える装置だ。誰かが何かを検索する時(つまり何かをしようとする時)、その検索結果に基づいて次の行動に移すことになるが、その検索結果の表示順を決めるのは他ならぬ検索エンジンだ。つまり検索結果で表示先のサイトが検索者の意図に合っているかどうかに関わらず、検索エンジンの意図、アルゴリズム、設計思想に基づいて秩序化された検索結果が表示され、その結果に応じてそのサイトへの「誘導力」が配分されるのだ。
更に言えば、SEO対策と称して、検索エンジンのアルゴリズムの意図を汲んでサイト運営者は自分たちのサイトの作りやデザイン、使用される言葉を選択しようとする。そうしなければ例えそのサイトの内容がよくても誰も訪れないからだ。
検索エンジンはあたかもこの時代の「神」ででもあるかのように「秩序」と「ルール」を生成する。しかし誰が彼らを「神」と認めたのか――。これを「権力」の問題あるいは「アーキテクチャーの権力」の問題という。
しかし西垣通や東浩紀のような人文科学出身者であれば捉えられるこうした問題に対して、梅田望夫の態度はあまりにも無頓着だ。端的に言えば彼が経営コンサルタントであることからもわかるように、彼らは今ある体制やルールの上でいかに上手くやるかこそが関心事であり、その体制やルールが正しいかどうかには興味がないのだ。そういう意味でこの本は「時代の流れに乗ってうまくやれよ!」といっているだけであり、このネット社会に潜む課題については他人事なのだ。
まぁ、そういったものだとした上で読むのであれば、それなりに面白いことも確か。
特に「大組織vs小組織」の章や「新しい職業」の章は、Web社会・ネットと接続していることが当たり前の社会の中で、古いシステムや大企業であることがいかに困難か、新しい可能性はどこにあるかがよく伝わってくる。
「高速道路」を突っ走ってもその先の渋滞を抜けれるものがほんの一部の人間であり、「けもの道」を行くにしてもその先が開かれているわけでない以上、結局のところ、これからの世の中は自分自身をどう磨いていくのか、どう表現していくのかなのだろう。
特に20代の頃は感性や勢いで勝負できても、30代になるとこれまでの蓄積や今の取り組み具合で大きな「差」がでてくる。残念ながら数年前まで同じように走っていた仲間でも、気を抜くとほんのわずかな間に、大きな差がついてしまう。例え組織の中であっても、「個」をどう磨いていくかは大きな課題なのだ。
「つながり・同期・メタデータ」東浩紀が捉えたネット社会
ウェブ社会をどう生きるか / 西垣 通
そもそもこの本は教養を身につけるために皆が読むという類の本ではない。この本の対象となる読者は、資本主義的な競争が好きで(スローライフやワークシェアリングなんてもっての他!)、ある程度裕福で(貧困問題なんて他の人がしてくれる!)、利用できるものは利用しても決して悪びれることなく(受益者負担なんて関係ない!)、無邪気に世の中を肯定できるような人たちだ。そういう人たちがそういう生き方を肯定するたの本であって、そうじゃない人には関係がない。
例えばGoogleなどネットにおける「受益者非負担型インフラ」に対する無邪気な肯定。もちろん使う側からすれば何でも無料である方がいいに決まっている。それはネットに限らずリアルな世界でもそうだ。しかし無料で何かを提供するということは誰かがそのコストを負担しているということであり、その行為自体が社会的に適切なのかという問題がある。
Googleが「受益者非負担型インフラ」を提供するための原資として、企業からの広告料を当てているとしよう。その広告料は企業が商品を販促するためのものであるが、当然、その商品の価格に転嫁されている。つまりその商品が本来もっと安価に提供されていた可能性があるわけであり、この「受益者非負担型モデル」というのはより多くの消費者に(特定の人しか使わないとサービスの)負担を押し付けたモデルだともいえる。(だから使わないと損だと考えるのか、不公平だと考えるかは別として)
またこうした「受益者非負担モデル」というものに対して「ネット」だから当たり前的な発想もどうだろうか。梅田さんの話を聞いていると、ネットの「受益者非負担モデル」を利用して、「個」の力をエンパワーして、でもお金もうけはリアルな世界で…と聞こえるのだけれど、なぜネットはこうでリアルはそうでなければならないのか。それに対する回答はない。それどころか携帯ビジネスでは様々なデジタルコンテンツ市場が切り開かれたのに対し、PCの世界では、リアル世界の延長としてしか機能していないことを、ある種の諦めにも似た感覚(いつかは…)で見ているのではないだろうか。
結局のところ、自分たちの現在の立ち振る舞いかたを無邪気に肯定しているだけにしか聞こえないのだ。
それはネット時代の「権力」の問題に対する関心にも表れている。
僕自身、ネットビジネスに関わっていることもあり、Googleの奇跡とも言うべき成長、ユニークな検索技術とビジネスモデルは憧れであり、感嘆に値する。とはいえ、それがそれで終始するかというとそうではなく、巨大に成りすぎたがゆえの「権力」の問題を考えざろうえない。
今や「検索エンジン」はネットにおいては欠かすことのないインフラだ。それは検索エンジンを利用するものに対して(そして情報を提供しようとする者に対しても)ある秩序を与える装置だ。誰かが何かを検索する時(つまり何かをしようとする時)、その検索結果に基づいて次の行動に移すことになるが、その検索結果の表示順を決めるのは他ならぬ検索エンジンだ。つまり検索結果で表示先のサイトが検索者の意図に合っているかどうかに関わらず、検索エンジンの意図、アルゴリズム、設計思想に基づいて秩序化された検索結果が表示され、その結果に応じてそのサイトへの「誘導力」が配分されるのだ。
更に言えば、SEO対策と称して、検索エンジンのアルゴリズムの意図を汲んでサイト運営者は自分たちのサイトの作りやデザイン、使用される言葉を選択しようとする。そうしなければ例えそのサイトの内容がよくても誰も訪れないからだ。
検索エンジンはあたかもこの時代の「神」ででもあるかのように「秩序」と「ルール」を生成する。しかし誰が彼らを「神」と認めたのか――。これを「権力」の問題あるいは「アーキテクチャーの権力」の問題という。
しかし西垣通や東浩紀のような人文科学出身者であれば捉えられるこうした問題に対して、梅田望夫の態度はあまりにも無頓着だ。端的に言えば彼が経営コンサルタントであることからもわかるように、彼らは今ある体制やルールの上でいかに上手くやるかこそが関心事であり、その体制やルールが正しいかどうかには興味がないのだ。そういう意味でこの本は「時代の流れに乗ってうまくやれよ!」といっているだけであり、このネット社会に潜む課題については他人事なのだ。
まぁ、そういったものだとした上で読むのであれば、それなりに面白いことも確か。
特に「大組織vs小組織」の章や「新しい職業」の章は、Web社会・ネットと接続していることが当たり前の社会の中で、古いシステムや大企業であることがいかに困難か、新しい可能性はどこにあるかがよく伝わってくる。
「高速道路」を突っ走ってもその先の渋滞を抜けれるものがほんの一部の人間であり、「けもの道」を行くにしてもその先が開かれているわけでない以上、結局のところ、これからの世の中は自分自身をどう磨いていくのか、どう表現していくのかなのだろう。
特に20代の頃は感性や勢いで勝負できても、30代になるとこれまでの蓄積や今の取り組み具合で大きな「差」がでてくる。残念ながら数年前まで同じように走っていた仲間でも、気を抜くとほんのわずかな間に、大きな差がついてしまう。例え組織の中であっても、「個」をどう磨いていくかは大きな課題なのだ。
「つながり・同期・メタデータ」東浩紀が捉えたネット社会
ウェブ社会をどう生きるか / 西垣 通
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