◎2016年5月1日(月)
沢入駅駐車場(7:22)……鳥居取り付き(7:26)……南西尾根にのる(7:40)……696m鉄塔(8:06)……895m三角点(9:12)……1130m県境稜線(11:21)……大萱山(11:39)……1070m県境稜線外れ(12:27)……黒坂石林道出合い(14:33~14:50)……沢入駅(15:23)
先日の残馬山と同様、今回もふみふみぃさんの後追いのようなものである。ただし、さらに東側の地蔵岳やら北の石倉山は対象外。そのエリアの地図すら持っていかなかった。そんなロングな歩きは当初から想定はしていないし、身の程知らずの歩きは、古い言葉だが、年寄りの冷や水に近いようなものだ。
沢入駅近くに、大萱山の東1130m(ピークとはいえまい)に至る顕著な尾根の末端部がある。便宜上、これを南西尾根としておくが、今日はこれを登って大萱山に行き、帰路は県境尾根を東に向かい、1070m付近から南下する破線路を辿り、1018mでこれに分かれ、847m→835m経由のヤセ尾根を下ってみようという計画である。帰路のコースに関しては、オッサンさんが一部を歩かれているので、参考にさせていただいた。
さて、この南西尾根、ふみふみぃさんは作業道を利用して途中から合流しているが、末端からの歩きにこだわるとどういうことになるのか。Googleのストリートビューで見る限りは、末端部はどうも擁壁続きで無理のようだ。ちょい先の鳥居のあるところは切れている。これとてまっとうに登って行けるものかどうかは疑わしい。だったら、安易だが、北側にあるはずの送電線巡視路から入ってみようか。少なからず696m標高点までは行けるだろう。ふみふみぃさんも、南西尾根に出てから、その先の巡視路をしばらく歩かれている。巡視路への入口は、はっきりはしないがあそこからだろうと何となくの見当はついている。
(出発は沢入駅)
沢入駅の駐車場に車を置くと、待合室に雑巾がけをしているオバチャンがいた。「すいません。ちょっとお尋ねします。上の鉄塔に向かう道はあるんですかね」。「少し先に入り口はあるけど、車は奥まで入って行けないよ」。「いや、ここから歩くからいいんですけど。その巡視路は上まで続いていますかね」。「さぁ、私、歩いたことないけど、鉄塔までは行かないんじゃないの」。「上に登りたいんですが、黒坂石の方はどうですか?」。「あっちなら、カーブしてすぐのところに上にあがって行く道があるよ」。「鳥居のところまで行きます?」。「そこまでは行かない。すぐのところ左」。「ありがとうございました」。
てなことで、巡視路が南西尾根に乗り上げていることはわかったし、その入口も見当どおりだった。ではと、尾根末端部近くからの歩きに決定した。
(ここから入った)
(すぐにもろい斜面が現れた)
(ぜーぜーしながらツツジをちら見)
(ようやく尾根に乗ったようだ)
黒坂石に向かう林道(市道?不明)に入ると、ストリートビューの景色になった。左上に行く道はない。すぐの擁壁の切れ目の先は急なヤブ斜面。ここはダメ。結局、鳥居の前に出た。オバチャンの「鳥居の手前。すぐのところ左」のヒントは何だったのか。もしかして、この先にあるはずの、ふみふみぃさんの作業道までは「車で行けばすぐ」ということなのだろうか。詮索しても仕方がない。無い道を探し回ってもどうにもならない。
もしかして鳥居の後ろに道があるのではと思ったが、木の社が2つあるだけで、上は急斜面のヤブになっていた。強引に登った。土がもろく、ズルズルの連続。すぐにゼーゼーとなり、手袋は土だらけ。ヒザにもドロがこびりついた。このまま直登するつもりでいたが、最初に見た切れ目側の方が傾斜もましに思え、左側にトラバースしながら登った。
ここはヤマツツジが旬なようで、5、6歩登っては息を整え、ツツジを眺めた。やがて、ようやく尾根型になってほっとした。末端部の上60mくらいか。なぜかアンテナ線が束ねてヤブの中に放り出してあった。ヤブの急斜面は依然続く。
傾斜が落ち着く。樹の間隔もまばらになり、ヤブも気にならないレベルになった。短時間のバトルではあったが、ようやく落ち着いた。この先、地形図どおりの緩やかな尾根歩きになることを期待したい。
(アカヤシオはもう終わったようだ)
(こんな尾根。間違いようがない)
ヤマツツジの咲き乱れる尾根を歩いている。たまにミツバツツジも顔を出す。アカヤシオは終わったようだ。作業人以外は入りそうもない明瞭な尾根で、鉄の棒やワイヤーが捨てられている。さりとてしっかりした踏み跡はなく、たまに、目先のピークを回避する巻き道の踏み跡だけは目に入る。やがて右側が植林になり、左の広葉樹と分ける。樹間からはこの先の尾根と、左かすかに大萱山らしき山が見えている。
(696mの鉄塔)
(巡視路は北西側から続いている)
小ピークを登り返すと、目の前に鉄塔が見えた。あれが696m標高点だろう。
鉄塔周辺はきれいに刈られていた。「南いわき幹線308」となっていて、その鉄塔NOは「2」。どこに「1」があるのか。やはり、北西側から踏み跡が入ってきていた。様子見に行くと、ゴムの階段が下から続き、傍らに電柱も立っている。おそらく、沢入駅の北ちょっと先から東に上がる道がここまで続いていると思われる。
鉄塔下で休んで、南側の白浜山の山並みをながめる。残馬山、大萱山ときたら、改めての歩きも、その中間の白浜山ということになるか。地味気で実はド派手な歩きになる足尾の山よりも、超地味に終始する勢多東の山々の方が自分には性に合っているかもしれない。そんなことをふと思った。
(誤って作業道に降り立つ)
東に向かう。やはり巡視路らしく、落葉に覆われてはいるが、ちょっとした上りにはゴム階段が設えられている。そしてテープも散見する。アカヤシオの花が地面に落ちている。やはり終わっているようで、今の主流はヤマツツジかミツバツツジのようだ。
ツツジを追いかけていたらミスをした。地図を見ると、この辺、尾根型が一時的に不明瞭になるところだ。コンパスを合わせて歩いてはいたのだが、北寄りに進んでしまい、誤って植林の急斜面を50mほど下ってしまった。そこにはえらく古そうな作業道が通っていた。大きな石がいくつか転がり、部分的に崩壊もしている。これをしばらく辿り、植林の中を南に向かって尾根に復帰した。
(ゴムの階段が続く)
(至って歩きやすい尾根)
(こうやって巻いてもくれる。左小ピーク)
次の鉄塔が右手に見えてくる。踏み跡は明瞭で、例の階段も続いている。ちょっとしたピークは巻いてもいる。ただ不思議なことに、その鉄塔に向かう踏み跡がない。気づかなかっただけのことかもしれないが、もしかして、これ、ハイキングコースではないのかと思うくらいである。
(ようやくピンクが出てきた)
(885m三角点ピーク)
(大萱山が見える)
いつしか踏み跡は薄くなり、階段も消える。ちょっとした傾斜を登って885m三角点に到着。何もない薄暗い三角点ピークだ。R.Kさんの標識もない。一服する。そろそろ出遅れのアカヤシオが出てきた。ほっとする。
左手奥に大萱山の山容がはっきりしてくる。ここから見ると三角形の山だ。あの山は山頂の脇に電波塔だったかがあるので、遠くからでも特定できる。目の前にあるピークは地図で円い台地状になっている990mピークだろう。
(左に990m)
(作業道が目の前を横切る)
ススキが出てくる。そして、これも使われていない廃林道というか作業道が横切る。この先も作業道に頻繁に出くわすことになる。ここでは、現役で車が通っていそうな道は林道、使われていない感じの道は作業道ということにしておく。作業道があれば、安心といえば安心だ。いずれは林道なり車道に出るだろう。だが、この辺の作業道は至るところにあって、帰路に下り方向に歩けばいいとも限らない。それ以前に、いったいどこに出るのかまったく予想がつかない。作業道と林道を地図に書き込めば、さぞ賑やかなものになるだろう。現に、これは後で見ることになるが、山腹に三段の作業道が通っているところもあった。作業路線図もまた複雑になるだろう。
作業道を横断して引き続きの尾根に乗る。一時的にヤブになった。ザックに括り付けたストックが何度も引っ張られる。ストックを使えばいいだけのことだが、今日は傾斜も緩やかなはずだから使うまいと思っている。結果として最後まで出番はなかった。取り付きを除いて、ヒザがガクガクするような急斜面はなかったということだ。取り付き部にしても、ストックの存在は忘れていた。
(この辺のツツジはもう元気がない)
(990mで一休み)
(白も出てくる)
(林道が脇から上がってくる)
(そして伐採地)
尾根には、ハンターの薬莢やらワイヤーが捨てられ、20年前の製造年月日の入った空き缶も転がっている。一登りして990mに到着した。平らな台地状。ここで一休み。アカヤシオが出てきて、これに白いツツジも混じる。ここで往路コースのようやく半分か。結構長く感じている。
この先はアカヤシオを愛でながらの歩きになる。右から作業道がクロスして離れていった。これは現役の林道か。タイヤ痕が新しい。ということは…。予想通りに右手伐採地に出た。そして、伐採地を守るかのようにネットが続く。伐採地を挟んで向こうに見えるピークが934mピークだろう。目障りなものがないから、地図と照らす地形がわかりやすい。その向こうに下り予定尾根も見える。
さっきからチェンソーの音が聞こえていたが、伐採地の下では伐採した木の枝切りをしている人の姿が見える。どうでもいいことだが、みどり市で林業従事者というのはどれくらいいるものなのだろうか。専業ということはないとは思うが。
(目の前に934m。奥が下山した尾根)
(白浜山方面)
(ネットに沿って)
ヤシオツツジがうるさくなってきた。そして、今日は気温が高いのか、伐採地に出てから無性に暑くなってきた。汗を吸い取った帽子を脱いで、頭に手拭いを巻いた。今日、初めての水を一口飲む。時たま吹き付ける風が身体に沁みて涼しい。
また林道を横断する。もうこの辺に来ると、林道、作業道が山頂付近までずっと続いている。それを眺めているとうんざりもするが、走っている車を見るわけでもないので、ここはまだ我慢もできる。まして、大萱山はそういう山であることは11年前に石倉山とかけて歩いて以来、承知のことだ。
(散乱したトタン板)
(作業場跡)
(袈裟丸、皇海山が見える)
(そして大萱山。下の林道が嫌らしい)
小ピークを下ると、尾根の斜面にトタン板が散乱していた。おそらく、ここに飯場でもあったのか。撤収する際に投棄していったのだろう。錆びたワイヤーも吊るされたままになっている。大萱山も近づいてきた。西側は開け、皇海山も見える。そして袈裟丸山。目の前の尾根は県境尾根か。
(気持ちの良い歩き)
(あれは地蔵岳だろう)
(こんなのがいくつか目に付いた。ここを登りきれば県境の稜線になる)
林道を少し歩いて尾根に復帰。雑木の疎林になった。歩いていると気持ちがいい。ここにはツツジもない。右手前方に目立つ山。コブが三つ並んでいるが、地蔵岳か? どれがそのピークかよくはわからないが、一番奥がそれなのだろうか。1075mに到着。県境尾根まではもう少しだ。
ここまでいくつか目にしたが、樹に横組みでハシゴ状に板を打ち付けているのが気になっていた。作業用なのだろうが、登ってみたい気持ちもあるが、朽ちていたらと、眺めるだけにした。
(石像)
気づかぬままに、東西の県境尾根に出ていた。脇に作業道がある。大方のハイカーは、この作業道を歩いて大萱山の山頂に向かうのだろうが、ちょっと見たいものがあって、尾根伝いに歩いてみる。それは、オッサンさんの記録にあった「小石像」だ。1120mの小ピークに登ってみると石像があった。どうみても石仏には見えない。お祈り系の像だ。文字も何にもない。3月に荒神山で見た真っ黒けの石像や二子山下の石像にも似たところがある。浅学の自分にはよく理解できない。台座があって、胸にあるのは錫なのだろうか。まさか●ンコではあるまい。さすがに、全国行脚の那智山青岸渡寺のお札はない。実はこの石像、過去に登った際の写真を見ると、しっかりと収めていた。自分の記憶というのもまたこの程度のものだろうが、大したものではない記憶はすぐに消え失せる。
(三段式の作業道)
この先は作業道歩き。律儀に尾根を歩くと、岩場歩きになりそうだ。その先は林道だ。ここまで来て、あそこを登る人は物好きだろう。振り返ると、合流ピークには三段の作業道が通っていた。そこまで山を虐げなくともと思うのだが。
(山頂が近づく)
(大萱山山頂)
電波塔の脇を通って、ようやく大萱山の山頂に着いた。山名板は一枚もない。この山頂、今回で4回目となるのだが、一回目の2005年4月は所狭しに手書き4枚の山名板があり(山部さんの板も含む)、2009年4月、7月ともに2枚になった。ただ、2009年4月の山名板には写植文字の板があって、-3枚+1枚となり、今回で都合-5枚ということになるか。そんなに風が強いところとも思えない。人為的なものだろう。この山、「大萱山」という通称のままなのだろうか。岳山が白萩山になったと同様に、正式名称が見つかっていれば、それなりの新しい山名表示板があると思うが、それもない。ちょっと気になった。こんな、栃木、群馬いずれの百名山にも加われない山に山名板を設置するのもまた趣向だ。晩秋にでも瀑泉さんお薦めのススキ野を見がてら、設置に来ようか。ただ、「萱」の字は画数が多い。ちょっとばかり苦労しそうだ。
(鞍部の石祠)
長居したいピークでもないので、いずれ先で休もうと下りにかかる。ここまでも結構疲れているので、使える作業道は利用することにする。先ほどの石像のあったピークもパス。
やがて作業道は離れ、踏み跡とテープ頼りになる。歩くハイカーも少ないのか、踏み跡は不明瞭。落ち葉のせいかもしれない。1095m手前の鞍部に安永年間の石祠。かつてここは峠だったのだろうが、南北にそれらしき踏み跡は残っていない。
(ススキ野)
(振り返って)
1095mを過ぎると、右手斜面は広い伐採地になっている。一面がススキだ。これがススキ野か。時期を選べば一見の価値はありそうだ。だが、ここに無粋なネットが現れる。そろそろ分岐だ。ネットは、自分が行く方向の破線の尾根に沿って設置されている。
(これが破線路か)
(見事なまでの伐採地が続く)
当初、ネットに沿って下っていたが、ヤブで何とも歩きづらく、ちょっと脇に逸れたら踏み跡が続いていた。ツツジは散見する程度になり、歩行が遅れる理由にもならないレベルだ。期待もしていないし、それどころかかなり疲れてきていて、花はどうでもよくなりつつある。地図を見れば、この先にもいくつかピークがあり、登り有りを考えれば、多少のうんざり感がある。
1018mから破線路から分かれる。この先は南に尾根伝いだ。明瞭な分岐はない。ましてテープすら破線路に入ってからは見ることもない。地図上はヤセた尾根だ。険しい岩場とかがなければいいが。ちょっと不安。オッサンさんは途中から作業道、林道歩きになっていた。
(また始まってしまった)
(先に見える鉄塔が835mのはず)
ダラダラとネット脇を下る。左下に林道が見えたりしている。1018mから分かれてから、明瞭な踏み跡は消えた。尾根型も判別しづらくなってくる。つい、尾根型が見えればそちらに行きたくなってしまうが、そこに行ってしまえばおかしなところに出るだろう。コンパスをとりあえずに847mに合わせているが、これでいいのだろうかと、ついGPSを見てはほっとする。
またアカヤシオがうるさくなった。皆さんのアカヤシオ記事を見ていると規模も相当に違うようだが、こちらはいわば小市民的な感覚だ。たいした見事さはないながらも、ちょっとした咲き乱れにすら足を向けてしまう。
(こんな石碑が)
(そして意味不明の鳥居が横にあった)
(さっきまでここに軽トラがとまっていた)
植林下りになってアカヤシオは遠のいた。地道に下ると、先に林道が見え、軽トラがとまっている。そして、合流手前に「大山住命」の石碑があった。住友生命をすぐにイメージしてしまったが、この碑は個人で建立されたようでまだ15年くらいのものだ。尾根上脇に鳥居がぽつねんとある。神社らしき石祠はこれまで見かけなかった。
林道に出る。847m手前の鞍部だ。石碑を見ている間に軽トラは去っていた。少しばかり躊躇した。尾根はこの先細くなりつつある。断崖があるかもしれない。そんなところを下らずとも、しっかりした道を歩いて沢入駅に出られるんじゃないの。そんなよこしまな考えはあっさりと捨てた。予定通りに下ろう。
切れ目からまた尾根に復帰。今日はこれで何回目だろうか。少なくとも5回はやっている。ほっとしたと思ったら、また作業道。オッサンさんはここから作業道を下ったようだ。あいにくの空模様だったらしい。ここでも誘惑にかられた。こらえた。
(835m鉄塔。道はすぐに消える)
植林尾根を下ると、またネット。そしてツツジ。足止めをくらう。今日はフィニッシュ部までこのパターンだった。致し方ない。群れていれば助かるが、散発ではしょうがない。紅葉の頃もそうだろうて。いやらしくまた作業道。目の前に鉄塔が立っていた。835mか。
835mの鉄塔周辺は最初の696m鉄塔と違って、ヤブめいていた。汗じみた身体が気持ちも悪いが、鉄塔のコンクリに腰をのせて休む。風はまったくない。結構疲れた。
(脇の作業道を利用する)
再び、植林尾根の下りになって。次第に急になり、尾根も細くなるが、ヤセというほどのこともない。右下に作業道が通っている。どうも尾根伝いだ。もうこうなったら作業道の方が安心かもと、作業道を辿ることにする。尾根は、この作業道に侵食されてかなり細くなって歩きづらくなっていた。あわよくば、このまま下に行けるかも。下から沢音が聞こえ、林道が見えている。
(結局はこうなる)
(沢に出て休む)
作業道はカーブした。もはやここまでか。尾根に復帰。しばらくヤブ尾根を下ると、アンテナが打ち捨てられていた。人の臭いを感じてほっとする。間もなく、危険な個所もないままに、下に黒坂石に通じる林道が見えてきた。トイレがあって、傍らに車がとめてある。
すぐに車道には下りずに右の沢に出た。顔を洗って、手拭いをぬらして身体を拭いた。そしてコーヒーを一杯。お湯はだいぶぬるくなっていた。
(車道歩き)
(ふみふみぃさんが入り込んだらしき作業道)
(この裏手から入ったのだが)
林道歩きは2.5kmもあるまい。30分くらいだろう。貯水池を見たり、ふみふみぃさんが入り込んだ作業道を覗き見した。こだわるわけではないが、オバチャンが言っていた「すぐの道」はやはりこれのことだろう。この先にもそれらしき跡かたはなかった。
(沢入駅のホーム)
(乗ったのは5人くらいで、見物客の方が多かった)
沢入駅に着いた。何だか賑やか。カメラ構えている方が結構いる。渡良瀬渓谷鉄道の気動車でも撮影するのか。駅舎に入ると、15時31分の上り列車があった。せっかくだからお仲間入りをしようか。駅の周辺はツツジできれいになっている。周りに柴のホウキを持ったジイチャン、バアチャンが何人か休んでいた。今朝のオバチャンもさることながら、地元の方々が駅舎をきれいにされている。
考えてみれば、沢入駅の前に立ったのは初めてだ。高校生の頃、当時の足尾線を使って通洞から桐生まで通学したとはいっても、途中の駅で下車したのは、梅雨時の土砂崩れで途中運休になり、放り出されたのは水沼駅か神戸駅だったし、沢入駅はただの通過駅だった。きれいな駅だ。
余談だが、この沢入駅、無人駅で入場券なしでホームに勝手に入れる。駅前と脇には駐車スペースも10台くらいあり、何か言われたら、原向駅まで乗ったとか、通洞駅まで行くつもりが引き返したとでも言うつもりでいたが、余計な心配だった。
長い一日だった。作業道同居の歩きとも言えなくはないが、そんなことは目につむって、南西尾根を末端近くから歩いただけでも満足だ。しかし暑かった。身体も大分臭くなっていた。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
沢入駅駐車場(7:22)……鳥居取り付き(7:26)……南西尾根にのる(7:40)……696m鉄塔(8:06)……895m三角点(9:12)……1130m県境稜線(11:21)……大萱山(11:39)……1070m県境稜線外れ(12:27)……黒坂石林道出合い(14:33~14:50)……沢入駅(15:23)
先日の残馬山と同様、今回もふみふみぃさんの後追いのようなものである。ただし、さらに東側の地蔵岳やら北の石倉山は対象外。そのエリアの地図すら持っていかなかった。そんなロングな歩きは当初から想定はしていないし、身の程知らずの歩きは、古い言葉だが、年寄りの冷や水に近いようなものだ。
沢入駅近くに、大萱山の東1130m(ピークとはいえまい)に至る顕著な尾根の末端部がある。便宜上、これを南西尾根としておくが、今日はこれを登って大萱山に行き、帰路は県境尾根を東に向かい、1070m付近から南下する破線路を辿り、1018mでこれに分かれ、847m→835m経由のヤセ尾根を下ってみようという計画である。帰路のコースに関しては、オッサンさんが一部を歩かれているので、参考にさせていただいた。
さて、この南西尾根、ふみふみぃさんは作業道を利用して途中から合流しているが、末端からの歩きにこだわるとどういうことになるのか。Googleのストリートビューで見る限りは、末端部はどうも擁壁続きで無理のようだ。ちょい先の鳥居のあるところは切れている。これとてまっとうに登って行けるものかどうかは疑わしい。だったら、安易だが、北側にあるはずの送電線巡視路から入ってみようか。少なからず696m標高点までは行けるだろう。ふみふみぃさんも、南西尾根に出てから、その先の巡視路をしばらく歩かれている。巡視路への入口は、はっきりはしないがあそこからだろうと何となくの見当はついている。
(出発は沢入駅)
沢入駅の駐車場に車を置くと、待合室に雑巾がけをしているオバチャンがいた。「すいません。ちょっとお尋ねします。上の鉄塔に向かう道はあるんですかね」。「少し先に入り口はあるけど、車は奥まで入って行けないよ」。「いや、ここから歩くからいいんですけど。その巡視路は上まで続いていますかね」。「さぁ、私、歩いたことないけど、鉄塔までは行かないんじゃないの」。「上に登りたいんですが、黒坂石の方はどうですか?」。「あっちなら、カーブしてすぐのところに上にあがって行く道があるよ」。「鳥居のところまで行きます?」。「そこまでは行かない。すぐのところ左」。「ありがとうございました」。
てなことで、巡視路が南西尾根に乗り上げていることはわかったし、その入口も見当どおりだった。ではと、尾根末端部近くからの歩きに決定した。
(ここから入った)
(すぐにもろい斜面が現れた)
(ぜーぜーしながらツツジをちら見)
(ようやく尾根に乗ったようだ)
黒坂石に向かう林道(市道?不明)に入ると、ストリートビューの景色になった。左上に行く道はない。すぐの擁壁の切れ目の先は急なヤブ斜面。ここはダメ。結局、鳥居の前に出た。オバチャンの「鳥居の手前。すぐのところ左」のヒントは何だったのか。もしかして、この先にあるはずの、ふみふみぃさんの作業道までは「車で行けばすぐ」ということなのだろうか。詮索しても仕方がない。無い道を探し回ってもどうにもならない。
もしかして鳥居の後ろに道があるのではと思ったが、木の社が2つあるだけで、上は急斜面のヤブになっていた。強引に登った。土がもろく、ズルズルの連続。すぐにゼーゼーとなり、手袋は土だらけ。ヒザにもドロがこびりついた。このまま直登するつもりでいたが、最初に見た切れ目側の方が傾斜もましに思え、左側にトラバースしながら登った。
ここはヤマツツジが旬なようで、5、6歩登っては息を整え、ツツジを眺めた。やがて、ようやく尾根型になってほっとした。末端部の上60mくらいか。なぜかアンテナ線が束ねてヤブの中に放り出してあった。ヤブの急斜面は依然続く。
傾斜が落ち着く。樹の間隔もまばらになり、ヤブも気にならないレベルになった。短時間のバトルではあったが、ようやく落ち着いた。この先、地形図どおりの緩やかな尾根歩きになることを期待したい。
(アカヤシオはもう終わったようだ)
(こんな尾根。間違いようがない)
ヤマツツジの咲き乱れる尾根を歩いている。たまにミツバツツジも顔を出す。アカヤシオは終わったようだ。作業人以外は入りそうもない明瞭な尾根で、鉄の棒やワイヤーが捨てられている。さりとてしっかりした踏み跡はなく、たまに、目先のピークを回避する巻き道の踏み跡だけは目に入る。やがて右側が植林になり、左の広葉樹と分ける。樹間からはこの先の尾根と、左かすかに大萱山らしき山が見えている。
(696mの鉄塔)
(巡視路は北西側から続いている)
小ピークを登り返すと、目の前に鉄塔が見えた。あれが696m標高点だろう。
鉄塔周辺はきれいに刈られていた。「南いわき幹線308」となっていて、その鉄塔NOは「2」。どこに「1」があるのか。やはり、北西側から踏み跡が入ってきていた。様子見に行くと、ゴムの階段が下から続き、傍らに電柱も立っている。おそらく、沢入駅の北ちょっと先から東に上がる道がここまで続いていると思われる。
鉄塔下で休んで、南側の白浜山の山並みをながめる。残馬山、大萱山ときたら、改めての歩きも、その中間の白浜山ということになるか。地味気で実はド派手な歩きになる足尾の山よりも、超地味に終始する勢多東の山々の方が自分には性に合っているかもしれない。そんなことをふと思った。
(誤って作業道に降り立つ)
東に向かう。やはり巡視路らしく、落葉に覆われてはいるが、ちょっとした上りにはゴム階段が設えられている。そしてテープも散見する。アカヤシオの花が地面に落ちている。やはり終わっているようで、今の主流はヤマツツジかミツバツツジのようだ。
ツツジを追いかけていたらミスをした。地図を見ると、この辺、尾根型が一時的に不明瞭になるところだ。コンパスを合わせて歩いてはいたのだが、北寄りに進んでしまい、誤って植林の急斜面を50mほど下ってしまった。そこにはえらく古そうな作業道が通っていた。大きな石がいくつか転がり、部分的に崩壊もしている。これをしばらく辿り、植林の中を南に向かって尾根に復帰した。
(ゴムの階段が続く)
(至って歩きやすい尾根)
(こうやって巻いてもくれる。左小ピーク)
次の鉄塔が右手に見えてくる。踏み跡は明瞭で、例の階段も続いている。ちょっとしたピークは巻いてもいる。ただ不思議なことに、その鉄塔に向かう踏み跡がない。気づかなかっただけのことかもしれないが、もしかして、これ、ハイキングコースではないのかと思うくらいである。
(ようやくピンクが出てきた)
(885m三角点ピーク)
(大萱山が見える)
いつしか踏み跡は薄くなり、階段も消える。ちょっとした傾斜を登って885m三角点に到着。何もない薄暗い三角点ピークだ。R.Kさんの標識もない。一服する。そろそろ出遅れのアカヤシオが出てきた。ほっとする。
左手奥に大萱山の山容がはっきりしてくる。ここから見ると三角形の山だ。あの山は山頂の脇に電波塔だったかがあるので、遠くからでも特定できる。目の前にあるピークは地図で円い台地状になっている990mピークだろう。
(左に990m)
(作業道が目の前を横切る)
ススキが出てくる。そして、これも使われていない廃林道というか作業道が横切る。この先も作業道に頻繁に出くわすことになる。ここでは、現役で車が通っていそうな道は林道、使われていない感じの道は作業道ということにしておく。作業道があれば、安心といえば安心だ。いずれは林道なり車道に出るだろう。だが、この辺の作業道は至るところにあって、帰路に下り方向に歩けばいいとも限らない。それ以前に、いったいどこに出るのかまったく予想がつかない。作業道と林道を地図に書き込めば、さぞ賑やかなものになるだろう。現に、これは後で見ることになるが、山腹に三段の作業道が通っているところもあった。作業路線図もまた複雑になるだろう。
作業道を横断して引き続きの尾根に乗る。一時的にヤブになった。ザックに括り付けたストックが何度も引っ張られる。ストックを使えばいいだけのことだが、今日は傾斜も緩やかなはずだから使うまいと思っている。結果として最後まで出番はなかった。取り付きを除いて、ヒザがガクガクするような急斜面はなかったということだ。取り付き部にしても、ストックの存在は忘れていた。
(この辺のツツジはもう元気がない)
(990mで一休み)
(白も出てくる)
(林道が脇から上がってくる)
(そして伐採地)
尾根には、ハンターの薬莢やらワイヤーが捨てられ、20年前の製造年月日の入った空き缶も転がっている。一登りして990mに到着した。平らな台地状。ここで一休み。アカヤシオが出てきて、これに白いツツジも混じる。ここで往路コースのようやく半分か。結構長く感じている。
この先はアカヤシオを愛でながらの歩きになる。右から作業道がクロスして離れていった。これは現役の林道か。タイヤ痕が新しい。ということは…。予想通りに右手伐採地に出た。そして、伐採地を守るかのようにネットが続く。伐採地を挟んで向こうに見えるピークが934mピークだろう。目障りなものがないから、地図と照らす地形がわかりやすい。その向こうに下り予定尾根も見える。
さっきからチェンソーの音が聞こえていたが、伐採地の下では伐採した木の枝切りをしている人の姿が見える。どうでもいいことだが、みどり市で林業従事者というのはどれくらいいるものなのだろうか。専業ということはないとは思うが。
(目の前に934m。奥が下山した尾根)
(白浜山方面)
(ネットに沿って)
ヤシオツツジがうるさくなってきた。そして、今日は気温が高いのか、伐採地に出てから無性に暑くなってきた。汗を吸い取った帽子を脱いで、頭に手拭いを巻いた。今日、初めての水を一口飲む。時たま吹き付ける風が身体に沁みて涼しい。
また林道を横断する。もうこの辺に来ると、林道、作業道が山頂付近までずっと続いている。それを眺めているとうんざりもするが、走っている車を見るわけでもないので、ここはまだ我慢もできる。まして、大萱山はそういう山であることは11年前に石倉山とかけて歩いて以来、承知のことだ。
(散乱したトタン板)
(作業場跡)
(袈裟丸、皇海山が見える)
(そして大萱山。下の林道が嫌らしい)
小ピークを下ると、尾根の斜面にトタン板が散乱していた。おそらく、ここに飯場でもあったのか。撤収する際に投棄していったのだろう。錆びたワイヤーも吊るされたままになっている。大萱山も近づいてきた。西側は開け、皇海山も見える。そして袈裟丸山。目の前の尾根は県境尾根か。
(気持ちの良い歩き)
(あれは地蔵岳だろう)
(こんなのがいくつか目に付いた。ここを登りきれば県境の稜線になる)
林道を少し歩いて尾根に復帰。雑木の疎林になった。歩いていると気持ちがいい。ここにはツツジもない。右手前方に目立つ山。コブが三つ並んでいるが、地蔵岳か? どれがそのピークかよくはわからないが、一番奥がそれなのだろうか。1075mに到着。県境尾根まではもう少しだ。
ここまでいくつか目にしたが、樹に横組みでハシゴ状に板を打ち付けているのが気になっていた。作業用なのだろうが、登ってみたい気持ちもあるが、朽ちていたらと、眺めるだけにした。
(石像)
気づかぬままに、東西の県境尾根に出ていた。脇に作業道がある。大方のハイカーは、この作業道を歩いて大萱山の山頂に向かうのだろうが、ちょっと見たいものがあって、尾根伝いに歩いてみる。それは、オッサンさんの記録にあった「小石像」だ。1120mの小ピークに登ってみると石像があった。どうみても石仏には見えない。お祈り系の像だ。文字も何にもない。3月に荒神山で見た真っ黒けの石像や二子山下の石像にも似たところがある。浅学の自分にはよく理解できない。台座があって、胸にあるのは錫なのだろうか。まさか●ンコではあるまい。さすがに、全国行脚の那智山青岸渡寺のお札はない。実はこの石像、過去に登った際の写真を見ると、しっかりと収めていた。自分の記憶というのもまたこの程度のものだろうが、大したものではない記憶はすぐに消え失せる。
(三段式の作業道)
この先は作業道歩き。律儀に尾根を歩くと、岩場歩きになりそうだ。その先は林道だ。ここまで来て、あそこを登る人は物好きだろう。振り返ると、合流ピークには三段の作業道が通っていた。そこまで山を虐げなくともと思うのだが。
(山頂が近づく)
(大萱山山頂)
電波塔の脇を通って、ようやく大萱山の山頂に着いた。山名板は一枚もない。この山頂、今回で4回目となるのだが、一回目の2005年4月は所狭しに手書き4枚の山名板があり(山部さんの板も含む)、2009年4月、7月ともに2枚になった。ただ、2009年4月の山名板には写植文字の板があって、-3枚+1枚となり、今回で都合-5枚ということになるか。そんなに風が強いところとも思えない。人為的なものだろう。この山、「大萱山」という通称のままなのだろうか。岳山が白萩山になったと同様に、正式名称が見つかっていれば、それなりの新しい山名表示板があると思うが、それもない。ちょっと気になった。こんな、栃木、群馬いずれの百名山にも加われない山に山名板を設置するのもまた趣向だ。晩秋にでも瀑泉さんお薦めのススキ野を見がてら、設置に来ようか。ただ、「萱」の字は画数が多い。ちょっとばかり苦労しそうだ。
(鞍部の石祠)
長居したいピークでもないので、いずれ先で休もうと下りにかかる。ここまでも結構疲れているので、使える作業道は利用することにする。先ほどの石像のあったピークもパス。
やがて作業道は離れ、踏み跡とテープ頼りになる。歩くハイカーも少ないのか、踏み跡は不明瞭。落ち葉のせいかもしれない。1095m手前の鞍部に安永年間の石祠。かつてここは峠だったのだろうが、南北にそれらしき踏み跡は残っていない。
(ススキ野)
(振り返って)
1095mを過ぎると、右手斜面は広い伐採地になっている。一面がススキだ。これがススキ野か。時期を選べば一見の価値はありそうだ。だが、ここに無粋なネットが現れる。そろそろ分岐だ。ネットは、自分が行く方向の破線の尾根に沿って設置されている。
(これが破線路か)
(見事なまでの伐採地が続く)
当初、ネットに沿って下っていたが、ヤブで何とも歩きづらく、ちょっと脇に逸れたら踏み跡が続いていた。ツツジは散見する程度になり、歩行が遅れる理由にもならないレベルだ。期待もしていないし、それどころかかなり疲れてきていて、花はどうでもよくなりつつある。地図を見れば、この先にもいくつかピークがあり、登り有りを考えれば、多少のうんざり感がある。
1018mから破線路から分かれる。この先は南に尾根伝いだ。明瞭な分岐はない。ましてテープすら破線路に入ってからは見ることもない。地図上はヤセた尾根だ。険しい岩場とかがなければいいが。ちょっと不安。オッサンさんは途中から作業道、林道歩きになっていた。
(また始まってしまった)
(先に見える鉄塔が835mのはず)
ダラダラとネット脇を下る。左下に林道が見えたりしている。1018mから分かれてから、明瞭な踏み跡は消えた。尾根型も判別しづらくなってくる。つい、尾根型が見えればそちらに行きたくなってしまうが、そこに行ってしまえばおかしなところに出るだろう。コンパスをとりあえずに847mに合わせているが、これでいいのだろうかと、ついGPSを見てはほっとする。
またアカヤシオがうるさくなった。皆さんのアカヤシオ記事を見ていると規模も相当に違うようだが、こちらはいわば小市民的な感覚だ。たいした見事さはないながらも、ちょっとした咲き乱れにすら足を向けてしまう。
(こんな石碑が)
(そして意味不明の鳥居が横にあった)
(さっきまでここに軽トラがとまっていた)
植林下りになってアカヤシオは遠のいた。地道に下ると、先に林道が見え、軽トラがとまっている。そして、合流手前に「大山住命」の石碑があった。住友生命をすぐにイメージしてしまったが、この碑は個人で建立されたようでまだ15年くらいのものだ。尾根上脇に鳥居がぽつねんとある。神社らしき石祠はこれまで見かけなかった。
林道に出る。847m手前の鞍部だ。石碑を見ている間に軽トラは去っていた。少しばかり躊躇した。尾根はこの先細くなりつつある。断崖があるかもしれない。そんなところを下らずとも、しっかりした道を歩いて沢入駅に出られるんじゃないの。そんなよこしまな考えはあっさりと捨てた。予定通りに下ろう。
切れ目からまた尾根に復帰。今日はこれで何回目だろうか。少なくとも5回はやっている。ほっとしたと思ったら、また作業道。オッサンさんはここから作業道を下ったようだ。あいにくの空模様だったらしい。ここでも誘惑にかられた。こらえた。
(835m鉄塔。道はすぐに消える)
植林尾根を下ると、またネット。そしてツツジ。足止めをくらう。今日はフィニッシュ部までこのパターンだった。致し方ない。群れていれば助かるが、散発ではしょうがない。紅葉の頃もそうだろうて。いやらしくまた作業道。目の前に鉄塔が立っていた。835mか。
835mの鉄塔周辺は最初の696m鉄塔と違って、ヤブめいていた。汗じみた身体が気持ちも悪いが、鉄塔のコンクリに腰をのせて休む。風はまったくない。結構疲れた。
(脇の作業道を利用する)
再び、植林尾根の下りになって。次第に急になり、尾根も細くなるが、ヤセというほどのこともない。右下に作業道が通っている。どうも尾根伝いだ。もうこうなったら作業道の方が安心かもと、作業道を辿ることにする。尾根は、この作業道に侵食されてかなり細くなって歩きづらくなっていた。あわよくば、このまま下に行けるかも。下から沢音が聞こえ、林道が見えている。
(結局はこうなる)
(沢に出て休む)
作業道はカーブした。もはやここまでか。尾根に復帰。しばらくヤブ尾根を下ると、アンテナが打ち捨てられていた。人の臭いを感じてほっとする。間もなく、危険な個所もないままに、下に黒坂石に通じる林道が見えてきた。トイレがあって、傍らに車がとめてある。
すぐに車道には下りずに右の沢に出た。顔を洗って、手拭いをぬらして身体を拭いた。そしてコーヒーを一杯。お湯はだいぶぬるくなっていた。
(車道歩き)
(ふみふみぃさんが入り込んだらしき作業道)
(この裏手から入ったのだが)
林道歩きは2.5kmもあるまい。30分くらいだろう。貯水池を見たり、ふみふみぃさんが入り込んだ作業道を覗き見した。こだわるわけではないが、オバチャンが言っていた「すぐの道」はやはりこれのことだろう。この先にもそれらしき跡かたはなかった。
(沢入駅のホーム)
(乗ったのは5人くらいで、見物客の方が多かった)
沢入駅に着いた。何だか賑やか。カメラ構えている方が結構いる。渡良瀬渓谷鉄道の気動車でも撮影するのか。駅舎に入ると、15時31分の上り列車があった。せっかくだからお仲間入りをしようか。駅の周辺はツツジできれいになっている。周りに柴のホウキを持ったジイチャン、バアチャンが何人か休んでいた。今朝のオバチャンもさることながら、地元の方々が駅舎をきれいにされている。
考えてみれば、沢入駅の前に立ったのは初めてだ。高校生の頃、当時の足尾線を使って通洞から桐生まで通学したとはいっても、途中の駅で下車したのは、梅雨時の土砂崩れで途中運休になり、放り出されたのは水沼駅か神戸駅だったし、沢入駅はただの通過駅だった。きれいな駅だ。
余談だが、この沢入駅、無人駅で入場券なしでホームに勝手に入れる。駅前と脇には駐車スペースも10台くらいあり、何か言われたら、原向駅まで乗ったとか、通洞駅まで行くつもりが引き返したとでも言うつもりでいたが、余計な心配だった。
長い一日だった。作業道同居の歩きとも言えなくはないが、そんなことは目につむって、南西尾根を末端近くから歩いただけでも満足だ。しかし暑かった。身体も大分臭くなっていた。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
結構,歩いておられる山なのに,一体,何処を歩かれたんだろうと思ったら,南からのアプローチでしたか。
昨年秋,初めて足を運んで,山腹に付けられた何本もの林道・作業道を思い出して,さもありなんと拝見させていただきました。とはいえ,往路は展望も良さそうだし,中々,楽しめたんじゃないですか。対して復路は展望も無さそうで,超地味のようですが。。。
ススキ野,無粋な鹿除けネットが無ければ,更に良いのですが,それでも一見の価値は有ります。それと紅葉も見事なので,秋はお勧めです。
私のいった作業道はたそがれさんが帰りに見たもので正解です。作業道がどこまで続いているかは不明で、もしかしたら終点まで行けば楽に尾根に出られるのかもしれません。ただ私は途中から急斜面に取り付き潅木ヤブ漕ぎ等面倒なことをしばらくして尾根に出たのでたそがれさんのルートのほうがスマートです。
復路の尾根も作業道ですか。縦横無尽に走る作業道地図なんてのがもし売ってたら私は真っ先に買いますね。ないんですけど。
なお最初の鳥居、横を通ったはずなんですが全く記憶にありません。復路の鳥居もよくわかりませんけど探したら他の尾根にも鳥居があるんですかねえ。少し気になるところです。
たそがれさんならご存知かもしれませんがそこから続く生品の新新田変電所も50万ボルトですね。
鉄塔no2というのは良くわかりませんがP817が307号、P835が306号と続いているものと思います。
どうでもいい送電線の話でした(笑)
みどり市の林業従事者はどうなんでしょう?
かつては大間々営林署もあったわけですから多いのではないかと想像してます。
何だかどうでも良い話ばかりでスミマセンm(_ _)m
大山住命から住友生命を連想したのには笑っちゃいました。
普通は大山祇ですよね?
でも大山積や大山津見ともあるので「住」も意味があるのでしょうか・・・
通学で足尾線を利用していたということは、たそがれさんは足尾に住んでおられたのですね。
連休中の山歩きは、何とも情けないながらもこの地味尾根歩き一本ですよ。どうもいろいろと雑用やら気分も乗らなくて。まして明日は出勤だし。
しかし、ここのツツジもまた地味でしたね。派手さはまったくなし。身分相応といった感じですかね。
大萱山も、これを歩けば、もう歩くところもないような気もしますよ。ただ、ススキ野だけはせっかくですから、拝見することにして、問題はどこを歩いて行くかですが、また作業道を見るのも嫌らしいし、石倉山の方から上がって来るしか手がないのではと思ったりしています。
今回はどこに行くあてもなく、ふみふみぃさんの記事を思い出して歩いてみました。
鉄塔巡視路は、沢入駅から足尾方面にちょいと行くと、東に入るコンクリ道があって、これが起点になります。民家の間を通っています。道幅は狭く、車が一台ようやくといったところでしょうか。
そこから改めて登ってみるといった気はしませんがね。そう、手を変え品を変えてまで何度も足を運ぶような山ではありませんが、晩秋の頃はいいだろうなとは思っております。
決して、作業道やら林道を歩くのを毛嫌いするわけでもないのですが、やはり、山奥といったイメージが薄れてしまうのはどうしようもありませんね。
鳥居の件ですが、これまでも何度か意味不明の鳥居に出くわしたことはあります。こういうのを見ると、つい、そこらにある石祠を持って来たくなりますよ。
送電線の件、なるほどです。あまり興味を持って調べたこともないので、そういうことですかということにしておきますが、でんさん、えらく詳しいですね。
写真を改めて見ると、P835は305号でした。おそらく、P696とP817の間にもう一本あるのでしょう。
林業従事者云々というのは、枝切りをしている方を見かけた際、そろそろ田植えの準備をしなけりゃならないだろうにと、私の先入観として、農林が一緒くただったものですから、ふと気になった次第なのです。
住友生命の件、ありがとうございます。そうなんですよ。普通、大山祇やら祇命ですから、大山住命ではえらく違和感を持ったのですが、碑も新しいもので、個人建立のようだったし、今はこんなものなのでしょうか。まさか間違って彫っていたりして。
足尾の件ですが、オヤジが鉱山に勤めていて、たまたま中学の卒業寸前に秋田の鉱山から転勤になりましてね。ですから、私、卒業は足尾中学校なんですわ。いたのは高校の3年間だけですが。
8時間歩き、お疲れ様でした。
たっぷりと汗を絞られたことでしょう。
今の私にはとてもとてもです。
末端からの歩き完遂で大萱山への考えられるルートは網羅ですね。
山名板が無いのは寂しいです。
是非お願いいたします。
ヤシオを見てて思ったのですが、もう今年のシーズンも終わりですね。
今年はまだ見ていないような気がします。
コメント、何となくさびしいですね。
ヤシオは1200m上付近でしょうか。昨日、ちょっと日光まで足を延ばしましたが、期待せぬままにトンネルでした。
ヤシオは赤城山あたりでしたらまだ見られるのではないでしょうか。まさか、赤城山にも行けない状態ではないと思いますけど。
それとも荒療治しちゃいますか?ご要望があればお報せください。
ところで、大萱山ってあまり面白味のない山ですね。やはり、単発で行くには無理がありますよ。
どうしても、地蔵岳や石倉山を合わせて行くのが正解でしょう。