たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

足尾のショボ沢で石畳見物。ついでに赤倉山。

2016年08月08日 | 足尾周辺の山
◎2016年8月7日(日)

銅親水公園駐車場(6:10)……上桐久保沢取り付き(6:22)……赤倉山(8:43~9:00)……茨倉沢に下る(9:10)……久蔵沢出合い(10:33~11:00)……駐車場(11:25)

 ふみふみぃさんが久蔵沢の支流・上桐久保沢で発見された石畳、いずれ見に行かなきゃなとは思っていたが、足尾の山も暑いだろう。秋にでもと延ばしにしてはいたが、たまたま寝床で読んでいた岡田氏の『足尾山塊の沢』の<茨倉沢から赤倉山へ>にこんなことが記されていたのが気になった。「…石積みを施した沢床が断続的に続き、出合から源流まで治水工事が丹念に施されているのに驚かされた」。この石積みって、ヨハネス・デ・レーケの石畳のことじゃないの? 「断続的」か、これはいい。じゃ、上桐久保沢と茨倉沢を上り下りで使えば、一遍に両方の石畳を見られるということだな。
 折よくというか、週末は土曜日が出勤で、歩くとなれば日曜日しかない。暑さ続きで無理に歩くこともないが、歩かないとまたブランクができる。だからといって重い歩きをしたくはなく、自分にしては遠出が2回続いたから今回は近場で間に合わせよう。件の足尾の2つのショボい沢の歩きなら4~5時間で済むかもしれない。だったら行くとするか。
 ただ、茨倉沢というのがどこにあるのか今一つよくわからない。地図でどうにか見当はつけたが、どうもバラクラ沢との区別がつかない。バラクラ沢そのものの入口は知っているが、ふみふみぃさんのバラクラ沢紀行のmap軌跡を見ると、途中までは自分の見当付けした茨倉沢と同じで、ふみふみぃさんは途中から左俣に移って茨倉山に出ている。バラクラ沢も茨倉沢も、その名称のイメージから「茨城」が出てくる。つまりイコールもしくは、途中から名称も変わるのではと思ったりもした。これは現地で確認するしかないだろう。沢沿いの堰堤には沢名を記したプレートが付けられている。ちなみに、ネットで茨倉沢を検索するときりんこさんの記事しか出てこない。改めて記事を拝見し、いずれかの沢をやめにして足倉沢でも歩いてみようかなと思ったりもしたが、そういう色気出しはよろしくない。目的がずれてしまう。ここは石畳にこだわることにしよう。

 さすがに朝の足尾は涼しい。気温は20℃。出がけは28℃あった。北上するに連れてじわじわと下がっていった。さらに先の中禅寺湖にでも出ればもっと涼しかろう。自分には足尾で十分。銅親水公園には車が3台とゲート前に2台のみ。この時期はやはりハイカーが少ない。今日は日曜日だし、RRさんでもいらっしゃるかなと思ったが、車はなかったので、一番奥のRRさんの定位置に車を置いた。いつもなら、自分の定位置は坂を下ってすぐの端なのだが、今日は準備中のオジサンに先を越されて置かれてしまった。

(今日はここをしばらく真っ直ぐに行く)


(上桐久保沢が横切る)


 沢靴を履いてすぐに出発。ショボ沢とはいってもヘルメットくらいは持参する。滑らないわけではあるまい。ゲートを越えて久蔵沢林道に入る。どうしたのか、キジのキューゾーの気配がない。帰りもそうだった。暑くて移動でもしたのか。今度はマッキーかニータか、あるいはこれは苦しいがアッソーにでもなっているのか。
 先のちょっとした広場で散歩のオバちゃんが2人、体操をしていた。その先でいつも水流が横切るが、石垣をちらっと見ると「上桐久保沢」のプレート。なんだ、これが上桐久保沢か。このプレート、実はここを通るたびに写真に撮ったりもしているのだが、いつも行き先に関係ないから、沢の名前はその場で忘れてからきし印象に残ってはいない。林道を先には行かず、すぐ先のところから入ることにする。後の話だが、茨倉沢も下りで沢から出て来て、何だこの沢かと思ったものだが、見慣れた沢であった。

(右下に堰堤が続く上桐久保沢)


(備前楯山)


(堰堤はまだ続き)


(これが最後だろう)


(向かいに中倉山)


 脇から回ると、作業広場のようところに出た。右下の沢には堰堤が続いているようで、沢に下りるには早い。先に行くと、左手にフェンスが現れ、その先でまた左から作業道が入り込んだ。作業道跡はやがて細くなるが、まだまだ続くようなので、沢は狭まって小滝が見えたりしてもいるがそのまま道型を辿る。今はほとんど作業する方も入らないのか道型はヤブに覆われ、ズボンの裾はすでにびっしょりになっている。
 堰堤はまだ続いている。今度は左岸側にフェンスが見える。道型は踏み跡になった。沢の右岸から左岸に移り、また右岸に戻ったりしている。それは堰堤を巻く関係だし、左右の斜面は狭まって崩れているところもある。最後らしき木組みの堰堤を左から越えると沢は二俣になっていた。ここは水量からしても本流は明らかに右だろう。見た目が薄暗い感じの沢だ。ここで振り返ると、中倉山の石塔尾根が迫って見えている。

(石だらけの沢。下流部はこんなものか。左に作業道跡)


(水流は細い)


(早速、石畳)


(上から。磨きがかかっている感じ)


 地味というか、おとなしい沢だ。特徴はない。変化もない。以前、誤って巣神沢を下ったことがあるが、同じ類の地味系の沢だ。風が上流から流れ込んできて涼しい。今日としてはこれで正解だった。水もまた冷たい。
 しばらくは沢を眺めながら右岸側を歩いた。作業道の延長だ。そして、ほどなく石畳が現れた。う~ん、これか。ぎっしりと詰まっている。これなら敷くのに手間もかかったろう。ペーブメントといった感じだ。上は歩きやすいかなと思って、足を乗せると滑った。水がかかっている。だが、このペーブメント、10mも続かず沢に吸収されて終わった。一応は満足。本番の石畳はこの大分先、水流が切れてからのようだ。

(それなりの小滝はある)


(大きく見えるが段付き5m程度のもの)


(先に大きな丸石が見えている)


(CS風の小滝だった。ここでは上桐久保沢大滝とでもしておくか)


 こじんまりした沢の歩きが続く。規模の小さな連瀑帯もある。期待のレベルを一気に下げて楽しむことにした。やがてヌメリで滑るようになり、ここでヘルメットをかぶり、菓子パンを口に入れる。そして一服。風通しはまだ良い。
 現状のまだるっこしさに甘んじようと思っても、絶えず何だかなあといった気持ちが起きるのは人間の性というか業の強さというものだろう。頭の中はすでに次の石畳でしかなくなっている。そういう時に、待ってましたとばかりにCS風の滝が出てきた。5mはあろうか。さしずめ上桐久保沢の大滝か。ただし、この5mは挟まった岩の頭までの高さで、水流そのものは3m程度。それでもここは巻かずに水流を直登した。冷たい水が気持ち良い。全身かぶるかなと期待したが、濡れたのはヒザ下とヒジ下だけだった。

(きれいな小滝が続いているかに見えるが、実際はこんなものだ)


(癒し系でもあった)


(これはちょっときれいだった)


 大滝を越えると、渓相はさらに地味になった。風も止まってしまい暑苦しくなった。沢の景色もやせた流木がひっかかっていたりでうっとうしい。また菓子パンを食べて休憩。
 微妙な二俣になった。右は伏流のようで、まだ水流が明瞭な左俣を選ぶ。ここもまたすぐに水流が細くなり、大きな岩を越えるとか細くなった。それでいて、ゴーゴーと水の音が聞こえてくる。これは伏流の音だろう。大岩の下に水の流れが見えた。

(そして石畳1)


(石畳2)


(石畳3)


(石畳4)


(間にこんなのが妨害する。下は石畳か、あるいは石畳の崩れか)


(石畳5。これで終わり。後はガレ場が続く)


 1,150m付近から第二弾の石畳が始まった。これだ。これを見るのが本日の目的。上からの崩れか、途中で切れたりしてはいるが長い。幅は3m弱。標高にして100mほど続いていた。いつの頃のものかは知らないが、大規模な工事だったのだろう。よく金網でガードしていたりするのを見かけるが、ここはそのままに放置されている。人が入らないからそれは当たり前。水の流れはすでになく、忽然とこれが現れたといったところだ。工事用道路として築かれたのか、治山治水工事としての結果なのかは判断しかねるが、前後区間を考慮すると、工事のための施設といったものではないような気がする。敷設そのものが目的だったのでないだろうか。現に左右の斜面に土砂崩れの工事が施されている形跡がない。まぁ、自分の目で石畳を確かめられて満足。後は「断続的」な茨倉沢だ。
 こんな遺構がひっそりと残っていることに感慨深いものがあると記せばそれまでのことだが、自分には、近現代の産業構造の変遷の中で栄枯盛衰を繰り広げた足尾という町、そしてその景観を含めた自然の中に、産業興亡の矛盾やらひずみが生み出した何でもありの現象と幻影がひっそりと息づいて残っているといった事実にさらに魅力を感じてしまう。だから足尾の山はやめられない。ちょっとばかり気取ってみた。理屈をこねて山登りしていたら笑われるが。

(小尾根に登って)


(一瞬の展望地)


 やがて、沢筋は小尾根を挟んで左右になった。いずれも水は湧き水程度のもので、どっちを行ってもいいのだろうが、しばらく左を行って、小尾根に登った。ここで滑りまくった。尾根に出てほっとしたものの、その先は急で、幸い灌木が続いたため、これを頼りに登った。つかみ登りのようなものがしばらく続いた。
 見晴らし場に出た。すでに中倉山の山頂と目線の高さは同じになっている。一息入れ、さらにササやぶを漕いで赤倉山の稜線に出た。出たところは赤倉山の北西隣ピークの南側。

(赤倉山稜線に出る)


(赤倉山)


(山頂)


 密なヤブの間にかろうじて窺い知れる踏み跡を辿って赤倉山に到着。すぐに我が山名板を確認した。ふみふみぃさんの写真で気づいてはいたが、どうもラッカーの塗りが甘かったようだ。部分的に塗りが落ちている。もう2、3回上塗りをすべきだった。やはり、百均で買ったラッカーだ。質の悪さをカバーするには手間もかけるべきだろう。いずれ交換しなくてはならないなぁ。
 やたらとコバエやら羽虫に取り付かれた。うるさくてしょうがない。仲間に入り込んでいたブヨだかブユだかにしっかりと両耳を刺されてしまった。ザックからウナクールを取り出して塗りたくった。ブンブンする中で饅頭(瀑泉さんの真似をして大福を買うつもりが、寄ったセブンにはなかった)を食べ、タバコを吸って煙を出したら半分が逃げて行った。2本目を吸ったらさらに減った。しかし、どういうわけか入れ替わりにハチが2匹まとわりつき、しばらく離れなかった。いらつきながらも一匹は握りつぶした。

(下降ポイントに向かう。今日の眺望は良くない)


(この辺から下る)


(小尾根に乗って)


 では次は茨倉沢の石畳見物に移動するかと下る。下降ポイントは一旦北西ピークに戻り、稜線を北東に下った鞍部。地蔵岳方面はうす雲がかかって視界が悪い。ポイントに至り、コンパスを北西に合わせてトラバース気味に下ったが、自分の習性からして、どうしても小尾根を見つけてはそちらに行ってしまう。道型なんてものはない。切れたところに出くわさないか、ビクビクしながら下った。

(沢に出た)


(チョロチョロ水)


 そのうちに、左下に窪みが見えてきた。沢だ。下りて見ようかと思ったが、貧相な沢でどうも不潔っぽい。パスしてなおも下ると、今度は右下に沢型。清潔さはなかったが不潔感はないのでこちらに下るとしよう。さっきの左の沢と合流し、細い水流が出てきた。きっとこれが茨倉沢の源流だ。

(石垣と石畳)


(敷石は大きい)


 上桐久保沢以上に冴えない沢の気配。上流だからと我慢もしたが、浮き石がゴロゴロし、枝木やらクモの巣が張っていたりでやたらと歩きづらい。ひでぇ沢だなと思っていたら、ふと石垣が目に入った。そしてセットで石畳が敷かれていた。標高1,150m付近。ここの石畳は上桐久保沢に比べて石が大きい。だが10m程度の範囲で終わった。「断続的」だから、これはほんのさわりだろう。

(ここの沢は苔がきれいだった)


(こんなのが出てきて)


(石積みの堰堤だった)


 次第に水流が出てきた。そして石を積み上げた小規模な堰堤。これが滝状になっている。この石もまた大きい。これにコケが付き、なかなかの景観美を醸し出している。先が楽しみになってきた。
 ところが実際は「断続的」も知らぬ間に終わった。後は崩れた石積み滝をもう一基見ただけだった。同じ大きさの石がかたまって沢の石に変わりなく散乱しているところがあったので、あるいはこれが元は石畳の構成群だったのかも知れない。岡田氏の著書は28年ほど前のものだし、実際に歩いたのは昭和60年のこと。沢の流れもその間に大きく変遷したであろう。上桐久保沢の石畳が残っているのは、おそらく水を直接受ける場所ではなかったからではないだろうか。

(茨倉沢も実際はこんな沢だ)


(きれいなところだけ撮ると)


(そして)


(左から沢が合流。右から下って来た)


 その時はなおも期待しながら下っている。歩きづらい沢も、右手から別沢が合流してから水流も豊かになり、石も大きくなって歩きやすくなった。この辺になると、上桐久保沢よりはマシかなと思うレベルにはなった。ところでこの左俣の別沢だが、どうもふみふみぃさんが入ったバラクラ沢ではないだろうか。そのあたりがどうもあやふやだ。

(合流すると石が大きくなって流れも強くなった)


(こじんまり)


(堰堤が出てくる)


 堰堤が出てきた。石畳はもう絶望だが、この沢の名前だけははっきりさせておかないことにはと、堰堤にはめ込まれたプレートをカメラをズームにして確認した。プレートには「昭和三十八年度 竣功 前橋営林局」とあり、沢の名前は記されていない。「竣工」を「竣功」としているのはそれなりの意味のあってのことだろう。次の堰堤のプレートもまた同じようなもので、「昭和三十八年」が「昭和三十七年」になっただけのこと。もう沢の名称を知るすべもない。

(作業道)


(しつこいか)


 堰堤の登場に合わせて、左岸側に廃れた幅広の作業道が出てきていた。ここを行けば楽だろうことは想像できるが、作業道も堰堤で途切れたりしているようなので、極力、沢沿いや沢中を歩いた。下流部ではそれなりの水遊びを楽しめた。

(ここにも石積みの堰堤)


(久蔵沢に流れ込む)


(久蔵沢)


 これは近年作だろうと思える石積みの堰堤を越えると先に大きな川が見えてきた。久蔵沢だ。久蔵沢を渡って、対岸から茨倉沢入口を眺める。ここで、何だこの沢だったのかと思った次第。入口の風景だけは馴染みだった。バラクラ沢の入口ならここからちょっと上流にある。やはりこの茨倉沢につながっているのかなぁ。疑問は残ったまま。それでいて、近いことだしと、バラクラ沢にこれから入り直してみるかといった気持ちは起きない。どなたからのコメントが入ることを期待しよう。
 久蔵沢の水が冷たくて気持ちが良い。頭を突っ込んで首から上を清めた。ついでに、手ぬぐいで身体を拭いて股間のジトジトも拭い去った。さっぱりした。だれもいないからこんなことができる。適度な深さの淵がすぐそこにあり、よほど泳いでみたかったが、そこまでやるには水は冷たい。

(対岸の林道から茨倉沢出合)


(林道を歩く)


(親水公園の駐車場に観光バスが入って行く)


 林道を歩き出す。すっきりした身体もまた汗ばんできた。右手に見える中倉山はむんむんしてかなり暑苦しそうだ。駐車場に到着。早速、着替えをするつもりでいたが、大型バスが2台入り込み、駐車場も満杯。観光客で賑わっている。これでは着替えもままならない。車の中で着替えたら余計に暑くなるだけだ。我慢してこのまま帰る。20℃だった気温もすでに32℃になっていた。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

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ヨハネス・デ・レーケの・・・ (瀑泉)
2016-08-10 00:57:10
石畳かどうかはさておき,上桐久保沢と茨倉沢の石畳見物に行かれたようですネ。
ところで上桐久保沢の最終堰堤の先の石ゴロゴロの画像,拝見した感じ,同じサイズの石が多いようで,此処もかつては石畳じゃなかったのかと思うのですが,如何ですかネ。
ただ,どうにも小滝の先から水が涸れる辺りまで,続いているワケでは無くて,一体,何のために整備したのかと謎が深まるばかりです。
茨倉沢,久蔵沢に注ぐ,あの支沢でしたか。その沢ならバラクラ沢に繋がっているとは思えませんが,ソモソモ,岡田氏の本に,茨倉沢はあってもバラクラ沢は載っていないようだし,判りづらいですネ。
ただ,対岸からいつも水の多い支沢だなぁ~と眺めておりましたが,沢の様子も良く判ったし,此れだけスッキリさせていただければ,歩かなくても済みそうですヨ。
キューゾーは,果たして何処に行っちゃったかなぁ~。さすがにアッソーになってたら,元がキュウゾーか見分けがつかなさそうです(笑)。
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瀑泉さん (たそがれオヤジ)
2016-08-10 06:02:42
瀑泉さん、こんにちは。
あの沢が茨倉沢であることを瀑泉さんもご存じではなかったようですね。私の記事ですっきり云々はともかく、滝もなく、変化にも欠けますので、わざわざ遡行の対象にするような沢ではないでしょう。上桐久保沢も含め、石畳以外の面白さはなく、この時期だし、安易に涼を求められるといったレベルです。
ふみふみぃさんはバラクラ沢に入り、二俣を左に向かったようですが、どうもこの先から入ったようでもなく、茨倉沢出合いの下流部から入っているようですから、ふみふみぃさんのバラクラ沢は茨倉沢の間違いではないのかなと思ったりしているのですが。現に、きりんこさんの茨倉沢の元橋がふみふみぃさんのそれにも載っていますし。
いずれ、バラクラ沢は何かのついでにでも覗いてみるつもりでおります。
石畳の件、瀑泉さんのご指摘で改めてそうなのかなと思った始末ですが、確かに同サイズの石が集中しているような箇所はいくつかありましたよ。やはり、これらも石畳の構成物だったのでしょうかね。だとすれば、かなり長大な石畳ルートということになり、運搬路の役割も担っていたということになるのでしょうか。私の場合、それ以上の謎の深めはやめておきます。
この時期、足尾は沢沿いも暑いですし、歩くハイカーもまばら。キューゾーは人の姿を求めて、案外、松木界隈から離れたのかもしれませんね。秋には再びといった気がします。
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Unknown (ふみふみぃ)
2016-08-10 08:03:42
日曜、私は寝坊をいいことに暑さを避けてだらけていましたがたそがれさんは石畳に行かれましたか。
上桐久保沢、入口からして地味で印象に残らない沢ですよね。それでいて上まで行くと石畳が続くのに驚き私もこれが足尾なんだなと思いました。岡田氏の『足尾山塊の沢』にも上桐久保沢の記載はないのでしょうか。地味すぎるからですかね。
茨倉沢の石畳は年月で削られてましたか。他の足尾の沢にもこういった個所はあるのでしょうが気まぐれにふらりといけて石畳もありそうな、となると難しい気もします。
茨倉沢とバラクラ沢、私はイマイチ区別がついてなくて茨倉(バラクラ)沢とでも読む同じものかと思ってました。
左俣の別沢、という個所は私が入ったところとはたぶん違いますね。私は地形図の950mにある堰堤上ですぐ分岐するところを左に入りました。まあそこがバラクラ沢か茨倉沢かは私にはわからないのですが。
三月末に仁田元川の下の方でキューゾーかどうかはともかくキジに会いましたから気温によって移動しているかもしれませんね。
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ふみふみぃさん (たそがれオヤジ)
2016-08-10 12:01:32
ふみふみぃさん、こんにちは。石畳見物に早速、行って来ましたよ。
ふみふみぃさんのトピックがなかったら、まずは見ることもなかったし、逆に石畳の立場からすれば、静かな眠りについていたところを続けて2人にも起こされるとは思いもしなかったでしょう。
こういった手間ヒマのかかった人知れずの遺構が、おそらくあちこちに残っているのではないですかね。そんなのを見るのは秘境を訪れるような気分にもなりますよ。
岡田氏本に上桐久保沢はありません。沢の区分にも入れられないような沢なのでしょう。このあたりで記載があるのは、足倉沢、利根倉沢、そして茨倉沢だけですね。キャン沢もありません。ショボ沢は秘宝館といったところなのですが。
ふみふみぃさんがYAMAPに載せられた軌跡と照らし合わせると、二俣までのルートはほぼ同じようなのですよ。念のため、今回の軌跡を追加しておきました。ただ、写真撮影の時刻を確認すると、上から下って来て出た二俣と最初の堰堤の間に5分あります。ふみふみぃさんのおっしゃるように「上ですぐ分岐」ではないようです。この辺りはどうも私もあやふやです。その間にタバコを吸っていたかもしれないし、クモの巣を払っていたかもしれない。
バラクラ沢と茨倉沢は別物でしょう。入口が違うし、茨倉沢に合流している様子もありませんでしたし。ただ、うかつなことも記せませんから、いずれヒマな時にでもどこに至るのか確認に行ってきますよ。
キューゾーの出は仁田元沢でしたか。暑いのが好きなのか涼しい方がいいのかは知りませんが、渡良瀬川の河原にひそんでいる可能性もありますね。
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上桐久保沢と茨倉沢の (きりんこ)
2016-08-13 09:09:41
石畳と石垣、いい感じですねぇ。茨倉沢、自分が下ったのは、赤倉山北西ピークからそのまま北西方向に進み、沢型に下りて行きましたので、石畳は見逃してしまいました。そのときはじめて見た人工物は、標高1100m二俣の石積堰堤でした。それにしても、石畳と石垣の目的はなんなんでしょうね。然程急峻な地形でもないし、大雨が降ってとしてもたいした水量にはならないでしょうから、護岸の必要性は感じないのですが。
茨倉沢とバラクラ沢、私もふみふみぃさんと同様、同じ沢だと思っていましたが、入り口が違ってましたか。しかし地形図だと顕著な沢は一つしかないようなのですが、どうなんでしょうね。
私も最近キューゾーの姿を見ないので、気になっておりました。勝手に名づけただけなので、特別愛着があるというほどではありませんが、行くたびに姿を探してしまっています(笑)
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きりんこさん (たそがれオヤジ)
2016-08-14 10:32:55
きりんこさん、こんにちは。
きりんこさんご指摘のようにわざわざ歩くまでもないような沢ですよね。石畳やら石垣といった遺構を見てみたいといった思いがなければ、足を向けることもないところです。
でも、本当に不思議ですね。何のための、工事してまでの石畳なのか。見ただけで満足して帰りましたけどね。確かに、護岸工事が必要なところにも思えない。何なのでしょう。採鉱でもしたのでしょうかね。
茨倉沢とバラクラ沢、私の記憶では入口が違うのですが、その記憶もあやふやで、実は今日あたり確認に行こうと思っていたところなのですが、このありさまでした。
キューゾーの件、キジだからそんなに移動もしていないような気がしますけど、やはり、生態に興味はありますよ。
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赤倉山 (ハイトス)
2016-08-15 00:38:47
こんばんは。
二週続けて沢に行かれましたね。
しかしながら少々趣が違うような。
どちらかと言うと赤倉の未踏の尾根、沢歩きの続きのような感じでしょうか。
石畳の遺構見物なのでしょうが、不思議ですね。
鳴神山の遺構もなぜあそこまで整備する必要があったのかと考えると不思議で有りませんが。
でもこのような取り残された遺構を見てみたいと思う気持ちはよくわかります。
しかしふみふみぃさんも色々と興味深い題材を提供してくださってありがたいことです。
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ハイトスさん (たそがれオヤジ)
2016-08-15 05:29:42
ハイトスさん、こんにちは。
いや、正確には小淵沢もありますから、3週続きということになるのですが、今週は歩きもなかったので、そろそろ打ち止めでしょう。一人で行ける沢というのも、私にも限られていますし、せいぜい今回の山歩きの延長程度の水たまり歩きですよ。
鳴神山の石垣遺構もさることながら、こういったものが何の目的で、いつ築かれたのかといったことを知るすべがないのは残念なことですが、しれを知っていたら、遺構見学もまた楽しいものになるのですが。だからといって、そこまで調べてまで出かけるほどの旺盛なものもないのですよね。

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暑さ凌ぎ (サクラマス)
2016-08-18 16:18:40
涼を求めての沢登りでしたか。足尾も少しづ涼しくはなってきている様子がわかりました。というか同じ日に松木川に入りました。私が駐車場へと戻った頃バスが出て行ったような記憶がありますが、どうだったかな?とするとたそがれさんとはニアミスしていたという事ですね。もしかしたら駐車場へ入るカーブのところで少しウロウロしてませんでしたか?間違いだったらあいすいません
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サクラマスさん (たそがれオヤジ)
2016-08-19 20:30:13
サクラマスさん、こんにちは。
涼を求めて沢歩きとはいっても、涼しかったのは最初の上桐久保沢の入口付近だけのことで、後は終始暑苦しかったですわ。滝見にでも行かないと、涼しさはすぐに忘れてしまうものですね。
サクラマスさんが松木川に入られたのはブログで拝見しておりました。あぁ、ちょっとずれているなと思ったものです。
私が駐車場に戻ったのは2台目のバスが入るところで、同じバス会社でしたが、1台目の乗客はすでにぶらぶらしていました。その光景を見ていて、やたらと人が多く、暑苦しくなっただけのことで、さっさと退散しましたよ。ですから、15分か20分くらいの時差はあるかと思いますね。
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