たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

中禅寺湖上野島上陸で大チョンボ。

2023年07月27日 | 日光周辺の山
◎2023年7月26日(水)

 上野島(こうずけじま)には、勝道上人の首骨納塔、慈眼大師(天海)の墓石、宝篋印塔などが安置されているとのこと。いわば、日光の一大聖地ともいわれている島のようだ。以前から、その小島に行ってみたいと思っていた。岸辺から60mほどの距離で、中禅寺湖の水位が低い時には、足元を濡らさずに(とはいっても多少は濡れるだろうが)島に渉れるらしい。この時期、水位が低いかどうかは調べてもわからなかったが、「渉れる」ということは、島までの水深はさほどではないということだろう。せいぜいヒザ程度だと思っている。
 上野島だけでは何だからと、予定としては、阿世潟から社山に登り、上野島尾根で下って島に上陸という計画を立てた。上野島尾根は末端から登ったことがなく、上りでの使用をしてみたかったが、上野島で時間をかけたらきつくなるし、島への入水はズック靴とはいえ、その後に、水を含んだ状態で荷物にして登るわけにもいかなかった。

(歌ヶ浜から社山。この時点ではやる気満々とまで行かずとも、その気でいる)


(同じく男体山)


 歌ヶ浜の駐車場を7時20分出発。気温は19℃。さすがに奥日光の方は涼しい。外人さんの散歩姿が目立つ。家を出る時はすでに28℃もあった。連日、発表の最高気温はともかく、陽あたりでの気温は40℃超えになっても不思議ではない日が続いている。実際、温暖の感覚が麻痺しつつある。33℃と39℃の温度差がわからなくなってきている。

(イタリア大使館旧別荘)


(八丁出島と男体山)


(半月峠分岐。狸窪)


 大使館別荘に寄ったり、浜辺に出て景色を眺めたりとのんびり歩いたせいか、狸窪を通過したのは8時3分。立木観音からここまでコースタイムでは40分とあるから、若干の時間を食ってしまった。どうしたわけか、この辺から、社山まで行くのが億劫になってきていた。阿世潟から社山に行っても、上野島尾根には向かわず、そのまま戻って来そうな気がする。これでは意味がない。今回の目的は上野島だ。涼しくはあるが、気温が上がってきているせいか、やたらと汗が出てきていたので、もろに陽を受ける社山尾根は体力的にきついかもしれない。せっかく来たのに、早々に否定的な歩きになっている。

(上野島。識別しづらいか。ボートが近くを走っている)


(先に行くとはっきりした。今日は水位が低くはなかったようで、島まではやはり渡渉するようだ)


(男体山を入れて)


(阿世潟。この時点で社山に向かう気はすでになくなっていた)


 決定的な理由付けができないままに8時28分に阿世潟を素通りした。浜に出ては上野島を眺めたりしていたのに、狸窪からはコースタイムどおりの25分だった。別案を考えていた。上野島には当然に行くとして、そのまま戻るのも芸がないので、せめて、帰路で阿世潟から阿世潟峠。そして、何もない中禅寺山を経由し、半月峠から狸窪に出たら、少しは山を歩いた気分になるのではないか。安易だが、要は、その場になって山を歩くのが面倒になっただけのことに過ぎない。とにかく、暑さの中の歩きにはガクンと弱くなった。

(千手ヶ浜までは歩道整備中のようだ)


(いい感じ)


(上野島が正面に)


(上野島尾根の入口らしい。ここが一番緩そうだったが、実感としては急斜面だった)


(これには、「勝道上人の墓所の一つ」としか記されていない)


 8時52分、上野島の上の歩道に立つ。浜に下る前に上野島尾根を観察する。まだしっかりした尾根型ではないが、どこから取り付くにしてもいきなりの急登で、落ち着くだろうあたりの先が視界にはない。地図を見ると、170mは四苦八苦のようだ。情報ではシャクナゲの枝ヤブも広範囲とのこと。いずれにせよ、今日は縁がなくなったから眺めただけで終えた。

(上野島を前にして。第一印象としては、勝手ながら「話が違うなぁ」だった)


(逆さ男体山)


 浜に下りて、上野島を見ながら一服する。濡れずに渉れる状況ではなかった。ヒザ下距離は20mもなく、その先の40mが問題だ。まさか腰越えはなかろうが、ここからでは日陰で黒くなっていて目視での見当がつかない。

(ここからカウントダウンの写真になる。ラスト3。入水準備。左足の踝が茶色になっている。5年前の事故での骨折痕。いまだに後遺症あり。左足首の周りが右よりも2センチほど太い。完治はすまい)


 靴下を脱いでズックに履き替える。このズック、10年以上前にホームセンターで500円だったかで買って以降、履いたこともなかった。先日、たまたま目に入ったので持って来た。変色していた。わざわざ沢靴にする必要もあるまいと思っていた。ズックの選択は、結果的に問題はなかった。荷物は岸辺に置き、ズボンの裾はヒザ上まで丁寧に折ってたくし上げた。用心のためにストックをダブルにした。あとは、カメラだけズボンのポケットに入れて中禅寺湖に入った。GPSは胸ポケットに入れたままで、外すのは意識もせずにそのまま。これが大失敗の元だったかも。

(ラスト2。もう水に入っている)


(ラスト1。これが最後の写真になった)


 水に入って快適だった。冷たくもない。気分を良くして水を撮った。これが、このカメラの最後の一枚になった。カメラはズボンの左ポケットに戻した。右ポケットには歩数計が入っている。確かに20mあたりまではヒザ下のままだった。その先がジワジワと深くなった。ヒザはあっさり超え、腰高になった。ズボンの裾上げは勝手に戻った。この深さを写真に撮ろうと、気にも留めずにポケットからカメラを出したら、カメラはいかれていた。つまり水没の状態。レンズカバーが開いた状態であんぐりと水浸しになっている。シャッターを押しても反応はない。両手はストックで固まっている。2本のストックを右手で持ち、カメラを左手で持った。カメラが元に戻る気配はない。
 カメラどころではなかった。水はとうとう胸までになった。1m15cm。カメラの左手は掲げている。島まではあと10mほど。浅瀬になっているのが目に入る。ヒザ高に戻って上陸。感慨も何も失せていた。確かに、塔も墓も見た。形だけかもしれないお参りだけはした。だが、それらを写真に撮れやしない。カメラのことばかりが気になる。とりあえずはバッテリーとSDカードだけは抜いた。胸ポケットが膨らみ、ストックが邪魔になった。
 気もそぞろに戻る。往路ルートから離れて歩いたら、胸までは来なかったが、腰までは来た。聖地を訪れたバチ当たりだろうか。岸辺に戻った。
 よほどに、スマホを持って撮り直しに行こうかと思ったが、そこまでやる気はない。写真はともかく、見るものは見た。ただ、何もかもが面倒になった。カメラはいかれたまま。腹は空いていたが食欲はない。ズボンを脱いで絞った。パンツもズボンも、戻れば替えはある。靴下を履いて登山靴。ズックは石に叩いて水気を少しは落としてポリ袋に入れてザックに吊るした。残念無念の脱力感で上野島を間近に見ながらしばらくボーっとしていた。今さらに思い出した。右ポケットに入れていた歩数計も防水ではない。しっかりと作動していた。余計に不愉快になった。
 もう、どこにも寄る気はなくなっていた。間に合わせの中禅寺山気分でもない。遊歩道歩きの人と数人交わした。歩道が通行止めのようだが、千手ヶ浜まで行かれるのかと聞かれた。証拠もなく「悪路になっていますけど、迂回して行けますよ」と適当に答えた。果たしてそうなのかは知らない。そのうちにズボンは乾いたが、パンツは汗も含んで濡れたまま。大使館別荘に近づくと行楽客。自分一人ぼっちといった感じがして、遠回りをした。
 歌ヶ浜に着き、車に戻る。11時。賑やかになっている。着替えを持ってトイレに向かう。男女使用可の個室で台座を広げて着替えた。外からドアを何度も無理に開けようとしているバカがいた。開かないので女性トイレに向かった気配。ドアの赤マークを確認しろよ。このクソババアがと言いたかったが、外人客も増えていたし、バアさんである確証はなかった。こちらは無言で、必死に開けようとしているままにさせていた。
 気温はもう28℃になっていた。カメラが使えないのではどうにもならないし、そのうちに中禅寺湖とて30℃にはなるだろう。暑いのに動き回りたくもない。そのまま帰ることにした。

 いろは坂の下りでは、前を東武日光駅行きの路線バスが走っていた。不思議だった。いろは坂の間ではバスのブレーキランプが点かなかった。ランプ不具合かなと思ったが、下りきったバス停では、しっかりと駐車ランプとブレーキランプが点いていた。前にも記したことがあったが、何十年も前、観光バスがカーブを曲がり切れずに女車掌が下りては笛を鳴らしてバックの誘導を繰り返していて、たまたま自分が乗った路線バスの運転士はこれにイラつき、とうとう、その観光バスを追い越した。乗客が歓声を上げていた。それを思い出した。この路線の運転士はさすがだなと思った。巧みなギアチェンジでエンジンブレーキだけで下ったわけだ。

 日光や足尾の山に登って、時間的に立ち寄っても営業時間外だしと、もう二度と行くこともあるまいと思っていた足尾のラーメン店。今回の歩きがこんな始末だったから、楽勝にランチタイムになっていて、今度はチャーシューメンと半ライスを注文した。おいしかった。合わせて900円。千円札で釣りがきた。一見の客ではあるが、今回のようなことを繰り返したら、そのうちに常連客になる。

 南下するにつれ、122号線沿いの気温もグングン上がった。一時的に足尾で20℃まで下がったものの、太田に来ると、車載気温は一瞬41℃になっていた。オートエアコンはまったく効かない。こんな尋常ではない暑さがしばらくは続くようだ。帰ってから庭で草むしりをしたら、メガネが汗で見えなくなった。意識して水分と塩分を摂っても、高温続きには勝てまい。
 本文とは関係のない余計なことを記す。自分の仕事は社用車を使っての外回りだ。運転時間よりも外を歩いている時間が長い。昼食と終業タイムには事務所に戻る。外では汗ダクになって事務所に入ると、冷房がガンガン効いていて、外とは15℃ほどの温度差だ。これが一週間続いたら、体調がおかしくなった。事務所ではすぐに鳥肌まで立つようになり、とうとう、ノドの痛みやら鼻が出て、夏風邪になってしまった。幸いに体温の上がりや咳込みはない。月曜日からこれが繰り返す。いつまで続くのかなと思うと、本当にげんなりする。

(今回の軌跡。単調な散歩だが、写真がない以上、上野島上陸の証拠として出した。もっとも、こんな線は加筆も可能だろうが)

この地図は電子地形図25000(国土地理院)を加工して使用しています(令和元年手続改正により申請適用外)

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2 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2023-07-29 18:53:47
今晩は。
う~ん、今回の記事はコメントしずらいですねぇ~。自分の場合、上野島に渡ろうとの発想は全くありませんし、考え付いたとしても、自殺者と間違われるのではないかと思ったりしたでしょうね。観光船もすぐ近くまで来ますし。
ギンギラの中での外回りと、帰社してからの強冷房、同情いたしますです。この暑さはとにかくこたえます。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2023-07-30 06:49:15
ぶなじろうさん、こんにちは。
しづらいコメント、わざわざありがとうございます。確かに上野島に上陸しようと思い、それをまた実行しようとするのは変わり者でしょう。
今の関心事は、水没したカメラの回復です。乾燥剤(いわゆるシリカゲル)を大量にカメラに巻いて、チャック袋を二重にして放置しています。これがどういう結果になるか…。
この暑さの中、誘われたとしても日光白根まで出向かれるぶなじろうさんには感服いたしますよ。途中経過はともかく、どらえもんのように、いきなり山頂に立って涼しい思いをする手立てはないものでしょうかね。
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