マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

マドリッ、マドリィ、マドリィ~♪

2014-05-29 12:12:12 | スペイン日記
マドリィのスペイン国王杯(El Mundoとポスターより)

スペイン国王杯を手にしたカシージャス(GK)と監督アンチェロッティを胴上げするマドリィ選手


1-2でバルサを破ったのはこの俊足バーレ(フォワード)


シベレース広場でマドリィの勝利に酔うサポーター


 2014年の5月はサッカーキチガイのマドリっ子たちには忘れられない5月となった。5月のマドリードは行事も休みも多いけど、何しろお天気が良い(いっときの幸せ)。寒くなく暑くなく、テラスでビールを飲みたくなる。5月2日はマドリード州民がナポレオン軍に蜂起をしたのを記念して、マドリード自治州だけ祝日。今年は金曜日に当たったので、5月1日木曜日のメーデー休みと土日を合わせて4日間の連休。15日は守護神・聖サン・イシドロの日(どことなく田舎臭い、サン・イシドロ祭りです)なのでマドリード市だけ祝日。今年は木曜日に当たったので、多くのサラリーマンは金曜日も休みをとって、これも4日間の連休(ラストロ)。

 闘牛も一流のマタドール(闘牛士)とトロス(闘牛)集まるサン・イシドロ祭なので毎日あります(6月8日まで)。今年は3人のマタドールが立て続けに牛にやられて、闘牛が牧場に生還した「闘牛たちの勝利の午後」がありました(闘牛は闘牛場の半分が日陰になる夕方からしか行われないので「午後」と呼びます)。3人のマタドールで6頭のトロスを殺すのが決まりです。3人が牛の角に刺されて病院へ運ばれたので、マタドールが居なくなったのです。僕も30年ぶりの出来事にビックリ。

 さて、サッカーの話ですが、4月のスペイン国王杯の決勝戦でレアル・マドリー(Real Madrid)がバルサ(バルセロナ/ Barcelona)に勝ちました。スペインリーグではアトレティコ・デ・マドリード(Atletico de Madrid)がバルサを破って優勝。リスボンでのヨーロッパ・チャンピオン・リーグではアトレティコ・マドリードとレアル・マドリィのデルビィでマドリィがチャンピオン。

 スペイン人や外国人はレアル・マドリードを「レアル」と呼ぶが、マドリっ子たちは「マドリィ(Madrid)」と呼び、アトレティコ・デ・マドリードを「アトレティコ(Atletico)」と呼ぶ。渾名は、マドリィが「メレンゲ(merengue)」でアトレティコが「コルチョネロ(colchonero)」。ユニホームの色からきたニックネームです。メレンゲは白いのでマドリィの白です。アトレティコのユニホームは赤と白の縦縞です。ベッドのマットレスをスペイン語でコルチョン(colchon)と呼び、昔は赤と白の縞のマットレスを使っていました。で、赤と白の縞模様野郎の意味で「コルチョネロ」です。

 さぁ、この地元のクラブ同志でヨーロッパ・カップを争うので、もうマドリっ子たちは大騒ぎでした。決勝戦は地元ではなく、お隣のポルトガルの「リスボンのスタジアムで」も良かった。スペインのクラブではポルトガル人やブラジル人の選手が大勢活躍しています。リーグ戦や国王杯などで両チームの対戦は今後もありますが、①スペイン以外でのスタジアム(つまりホームもアウェイもない)/②ヨーロッパ・チャンピオン・リーグの決勝戦(ヨーロッパ最強クラブである証)/③それも初めてのデルビィ(同地元チーム戦のこと)と3つが揃うのはこれが初めてで最後でしょう。

 再びあるとしても奇跡ですが、50年後か22世紀でしょう。だから、この世紀の試合を見逃したら、江戸っ子の恥、じゃなかった、マドリっ子の恥とネコも杓子もリスボンへ向いました。リスボンのダ・ルス・スタジアム(Estadio Da LUZ)は6万5千人くらいしか入りませんが、10万人近いマドリっ子達が行ったようです。入場券が無くても、リスボンでの盛り上がりの雰囲気を味わって、歴史に残る場所に居るだけでも満足のようです。日本人には分かんねーよ、ですね。それぞれのクラブのサポーター広場が設けられて、そこの大画面で見ていたようです。


アトレティコのリーグ優勝

リーグ優勝したアトレティコのパレード


ネプツゥーノ広場で優勝を祝うコルチョネロのサポーター


神ネプツゥーノにクラブのマフラーを巻くガビィ(キャプテン)


優勝スナップ。バルサのホームでの決勝戦だったので、バルサのユニホームとの混同を避けるために黄色のユニホームで戦ったコルチョネロス


胴上げされる喜びのシメオネ監督


 リスボンはマドリっ子達で占拠されました。色の違うサポーター同志のいざこざを避けるためにも工夫がされました。レンフェ(スペインJR)の特別列車は、マドリィ・サポーター用列車はマドリードの北にあるチャマルティン駅から、アトレティコのは南のアトーチャ駅から出ました。それぞれの駅のプラットホームは白と赤白のユニホームで見事に埋まりました。専用バスはスール駅(Estacion de Sur)からですが、バスのフロント・ガラスには「マドリィ」、「アトレティコ」とサポーターが間違えないように大きく書いてありました。それだけで十分で、行き先は書いてありません!少なくても130台のバスがリスボンへ向かったようです。ヒコーキもクラブごとにチャーター機を数十機も飛ばしました。

 問題はマイカ-。マドリード-リスボンを結ぶ国道5号線はマドリィやアトレティコの旗を窓から出した車で一時溢れました。スペイン側最後となるガソリン・スタンドでは給油をクラブごとに分けようとしましたが、結局は無理で呉越同舟、でも何もなかったようです。僕はスペイン人の友達と我が家のテレビでマドリィを応援しましたが、リスボンまで見に行った両クラブのマドリっ子たちも大満足の試合でした。

 結果はご存知のように、マドリィが4-1で勝ちましたが、内容的には2-1だ、とサッカー記者たちで一致しました。前半に1ゴールを入れて0-1でリードしたアトレティコは後半も守備に回らず、攻撃、攻撃でした。サッカーを知らない僕も、あの攻撃魂には恐れ入りました。さすが、アトレティコ、コルチョネロ! 監督のシメオネ(Simeone)が対戦相手に「コルチョネロとの試合だけはカンベン」と言わせろと鍛えたそうです。誰もが、優勝はアトレティコ、マドリィは次回があるさ、の90分を消化した後の5分間のロスタイム。

 奇跡はその時に起きました。そのロスタイムも残りわずか2分! コーナーキックのボールをラモス(Ramos/ディフェンス)がヘッドでゴール!ゴォォォ-ル!!延長戦にもつれ込みました。ラッキーなマドリィ、ガックリのアトレティコ。30分の延長戦は全く反対で、マドリィのパスが活き(もうピチピチ)、アトレティコには疲労が現れました。延長戦前半でバーレ(Bale/フォワード)がヘッドを決めて2-1。これで勝負はつきました。延長戦後半のアトレティコの選手には脚がつったり、びっこを引く選手が出て守備に回れませんでした。

 アトレティコは選手交代をすべて使っただけではなく、前線で使える選手は全員リーグ戦で戦ってきた選手なので90分でヘトヘト。一週間前は対バルサ戦でした。ここが名門のマドリィやバルサとの違いで、予算が彼らの5分の一のアトレティコの辛いところです。2-2にひっくり返して、ペナルティ・キックでの決着へ持っていく体力はアトレティコにはなかったです。


マドリィの欧州チャンピオンカップ

ヨーロッパ・チャンピオン・リーグで優勝したマドリィとカップ


女神シベレースにマフラーと旗を巻き、カップを捧げるラモス


マタドール・スタイルの「奇跡を起こした男」ラモス(ディフェンス)


サンティアゴ・スタジアムでの優勝祝賀会


 でも本当にいい試合でした。奇跡で優勝したマドリィの選手たちはその足でマドリードへ戻り(日付は変わった翌日の明け方4時ですが)、シベレス広場で女神に勝利を感謝して優勝カップを捧げ、朝の6時までサポーターと踊ってました。ちょっといい話は、自分のミスで1点リードをアトレティコに許したGキーパーのカシージャス(Casillas)は、キャプテンがいつも女神シベレスにクラブのマフラーを巻く栄誉を「奇跡を起こした男」ラモスに譲りました。ひと眠りした選手たちとサポーター達は、夜にサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアム(Estadio de Santiago Bernabeu)で優勝祝賀会でした。

 入場フリーのスタジアムは満員でした。しかし、これですっからかんになったマドリっ子たちは来月のブラジル・ワールド・カップはどうするのでしょう? きっと、6月のボーナスで行くつもりですね。スペインでは6月は2ヶ月分のサラリーがでます。でも、同じポルトガル語とは言え、リオ・デ・ジャネイロはリスボンよりも遠いので金がかかります。この、どうにかなるさぁ、のマドリっ子達と暮らしていると、僕もどうにかなるさぁ、となってきました。ホント、5月のマドリードはいいところです。ヤレヤレ。
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