マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

闘牛士か、羊飼いか

2015-05-30 17:00:00 | スペイン日記


 タイトルに偽りあり、と言われる前に弁解をしておきます。闘牛の話ではありません。仔羊の丸焼き料理のヨダレの出る話でもありません。選挙の話です。スペイン全土の州長選(日本の県知事選にあたります)と市長選が前週末にありました。結果は地元ヤクザが新興ヤクザにボロボロに負けました。地元ヤクザとは国民党(PP/ペ-ペ-/保守派/党カラーは青)と社会労働者党(PSOE/ペ-セオ-エ/社会主義/党カラーは赤)のことで、新興ヤクザはポデモス党(PODEMOS/新興極左翼/党カラーは紫)とシウダダノス党(Ciudadanos/市民党/党カラーはオレンジ)です。


 フランコ独裁政治も終わった1970年代後半にスペインは立憲君主制に戻り、1980年代初めには民主主義国家になりました。国政は2大政党(地元ヤクザの国民党と社会労働者党)が牛耳り、地方政治も似たようなものですが、それに州カラーの党(例えば、バスク州党やカタルーニャ州党)が加わりました。フランコ独裁政時代も体験した僕にもスペインの民主主義はちゃんと歩んできたように映ります。EU(欧州連合)にもユーロ(欧州統一通貨連盟)にも加入出来たのがその証です。そのスペイン民主主義が熟年期に入ってきたと思わせる結果の地方選でした、が政治評論家のコメントです。


 熟年期に入り始めると、小さい不満を訴え始める民衆とそれをなだめる政府との間のケンカが頻発になります。その他愛も無いケンカも記事に取り上げるが“表現”の自由に守られたメディアです。ボヤを大火事にしても問われることも無く、それどころか夫婦ゲンカに油を注ぎ離婚へ持ち込ませます。ケンカの一つの決着をつけるのが、今年の末(11月末か12月)に予定されている総選挙です。このままでは今回の地方選の結果が年末の総選挙になりそうです。


 政治献金や汚職で私腹を肥やすためになった政治屋の集団が地元ヤクザです。新興ヤクザも出元がはっきりしない政治資金を元手にバクチを打って儲けたような愚連隊(ポデモス党)や国策よりも与党をド突くのを目的とした脅し屋(シウダダノス党)などです。その中でも破竹の勢いだったのがポデモス党で、その極左翼勢力は極左翼本家・スペイン共産党(IU/左翼連合と呼ばれてますが母体は旧共産党です)を蹴散らしました。共産党は共食いされて、ほぼ消滅です。


 中道派のピンク党(躍進民主党/UPyDのことですが党首の名前がロサ《ピンク》なので、党カラーがピンクです)もオレンジ党に(シウダダノス党のことですが、党カラーがオレンジ)に潰されて、次の総選挙には党首・ロサ・ディエス(Rosa Diez)は出馬しません。新興極左翼・ポデモス党の名が「社会民主主義より」を意味するスペイン語のール・デモクラシア・シアル(PorDemocracia Social 最後のソシアルのSをスと発音します)から来ていることも知らなかった政治オンチの僕です。若いのがドヤドヤと出てきて、できるぜ、できるぜ、とわめくので、できる党=ポデモス党と思っていました。


 バルのオヤジ達のサッカー・リーグ戦程度の政治知識と思って下さい。百頭の羊の群れに草を食べさせながら一頭も見失わずに小屋へ連れて帰る羊飼いの仕事もキツイですが、血を流しながら向かってくる一頭の闘牛を一枚のムレタ(muleta/赤い布)でかわす闘牛士の仕事は命がけです。スペイン現首相のラホイ(PP/国民党)は次の総選挙にも出馬するつもりだが、羊飼いになるのか、闘牛士になるのかがハッキリしない性格にはメディアもバルのオヤジ達もイライラします。


 イギリス人は選挙でしくじったら辞めますが、スペイン政治家は公約を果たせなくても辞めません。 このラホイ首相は臨機応変に気の利いた対応をその場でするのが苦手のタイプなので、まどろっこしいのです。 バルのオヤジ達としては、ひと突きで闘牛(ポデモス党)を仕留めるのか、反対に(ポデモス党の)角に刺されるのかを賭けます。命をかけた闘牛士にはなれないラホイ首相には見切りをつけて、新しい首相候補を望んでいます。やはりラホイ首相は羊飼い程度でしょう。


 ここで、ちょっと写真を見て下さい。全国紙・エル・ムンドの投票結果のスペイン地図です。州長選結果も市長選結果の写真も上部の大きいのが2015年ので下のは前回のです。両方とも票数(獲得議席数)第一の党カラーです。青色が国民党で赤色が社会労働者党です。青が圧倒的に多いので、国民党は一番票数が多かったのは分かりますが、問題は過半数の議席数を確保できなかったことです。250万票も失いました。

州首選結果(El Mundo

市長選結果(El Mundo

 その結果、この2週間で国民党、社会労働者党、ポデモス党、シウダダノス党は各々の州、市で駆け引きをします。613日には州長や市長になった党が分かりますが、青と赤は減り、紫(ポデモス党)とオレンジ(シウダダノス党)で埋まってるでしょう。こうなったら国民党は首相も党員も若返りをして総選挙に臨まないと、社会労働者党とポデモス党の左派連合に押しつぶされるのは確実です。


 大した資産も持っていない絵描きの僕としては、スペインがロシアやベネズエラのようになっても失うものはありません。ただ、働きもしない奴らの生活費を負担させられるのと、スーパーの棚がいつも空になるのだけはゴメンです。まぁ、極左翼政府はワイナリーを接収しないでしょうが、なったら、ドブロクを密造します。

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カルピンテロとカルピンテラ

2015-05-14 15:15:15 | スペイン日記

左がアナ大工屋の木枠、右がマノロ大工屋の木枠

左がアナ大工屋の木枠、右がマノロ大工屋の木枠


 スペイン語「カルピンテロ/carpintero」とは大工のことで、オトコ大工です。カルピンテラ(carpintera)はオンナ大工です。絵描きと大工の関係は木製のキャンバス枠やイーゼル程度なので、建築家と大工の関係とは大違いです。だから、大工と呼ぶよりも木工家ですが大雑把にひとまとめにして、大工です。この15年以上もキャンバス枠を作ってもらっている大工がスペイン人のマノロです。画材屋でキャンバス枠は売ってますが、僕のは特注なのです。キャンバス枠とは布のキャンバスを張る木枠(スペイン語ではバスティドール/bastidor)のことです、念のため。


 その木枠に板を貼る僕は、どうしても特注になってしまうのです。この秋の東京の個展には小さいサイズのキャンバス枠が必要です。それも100から200は必要です。マノロに相談に行ったら、スタンダード・サイズの1・Fと呼ばれる22X16センチ以下は無理だと言われました。今回の個展は極小サイズの作品を壁に並べたギリシャのモザイク画のイメージなので、20X14センチの木枠が欲しい。


 マノロの作業場はマドリードの北にあり、下請け工場(こうば)が集まった半世紀前の東京の蒲田のような地区です。馬小屋のような白壁の平屋が作業場です。なぜ馬小屋みたいなのか?その入り口は馬が一頭通れるくらいの幅しか無く(ロバだったかも)、さらに奥に進むと広い作業場があります。天井は後からかぶせたようです。それと、最近はまわりの道も舗装されましたが、15年前は土でした。その作業場に木を切る機械が2台あります。裁断機の回転歯は木枠のサイズに合わせて取り替えますが、僕の注文するサイズの板は切れませんでした。マノロが実際にやってくれましたが、短すぎて板を押さえられません。木枠は板の両サイドが凸凹にカットされていて、それを組み合わせるので不可能でした。


 角に平釘(と言うのか、くの字型のメタル板)を打ち込むしかありませんが、マノロはその機械を持っていません。トミオには悪いが他を当たってくれ、でした。マノロの木枠は、使われてる松が良質なだけではなく、良く乾燥していました。ちゃんと上塗りをすれば日本へ持って行ってもソリがでませんでした。兎も角、仕事は丁寧です。まだ50過ぎのマノロだが、この数年、難聴がひどくなったので、電話での注文が不安なので足を運んでいました。木枠の他にも良いイーゼルを作るので頼みたいけど、僕のアトリエには2台もあるので考え中です。


 他の大工を探す羽目になったので、スペイン人の画家仲間に聞きました。大方が、お前、まだ、木枠を特注してるの?でした。ネットで何でも買える時代なので、既成品で間に合わせています。でも僕みたいな時代遅れの画家を哀れんでくれる若い画家も居て、彼が大工を紹介してくれました。名前をアナと言うカルピンテラでした(オンナ大工です)。ここもまた入り口が狭い作業場です。入り口の木のドアにはガラスがはまってるが、最後に拭いたのは何年前だ?と思わせるくらい汚れているので中が見えません。ドアの上の看板も前世紀ものと思わせる板で、字はほとんどが消えています。隣りにもドアがあったので、そっちのガラスはキレイなので開けたら印刷屋でした。


 やはり汚れた方でした。入ると40くらいのオバサンが、ウン?何?この東洋人?と奥から振り返りました。入り口と奥の作業場の間の狭い通路の壁には細い板がサイズと種類に分けて何百本も立てかけてあります。見事に木屑をかぶってますが、おお!このサイズの板、と手に取りそうになったら、そのオバサンが奥から出てきました。〇〇の紹介で、と言ったら、ニコっとしました。ホント、この国って、何でもコネなんです。場所的には、このアナの大工屋はマノロの作業場とは大違いで、都心です。一昔はマドリードの娼婦街だった通りの隣りの通りです。別に頻繁に娼婦街に通っていた訳ではありませんが、当時友達が住んでいたのです。アパートの階段ではいつも彼女らに挨拶をしていました。マドリードの銀座通り(グラン・ビア/Gran Via)の裏で(同じ裏でもグラン・ビアの北側です。南側ではありません、念のため)、東京の銀座の築地寄りの雰囲気です。

アナの大工屋があるグラン・ビアの裏道。人が立っているところです。

アナの大工屋があるグラン・ビアの裏道。人が立っているところです。

 おっと、話はアナの大工屋だった。こういうキャンバス木枠が欲しいのだけれども、とスケッチを見せると、OK。板のサイズ、材質を選ぶと、その場で見本を作ってくれた。仕事が速い。作ってもらった数点の試作品をアトリエに持ち帰へり、良く乾かしました。色を塗り、板を貼り、接着剤を塗り、カートンを貼り、色々の試作に追われてブログどころではありませんでした。あっという間に4月は過ぎました。満足の結果だったので、とりあえず100個注文をして、30個ごとに取りに行くことにしました。都心なので、いつもの画材屋、額縁屋、雑貨店(染料、油など)にも寄って、バスやメトロの時は飲み屋街で一杯やって帰ります。車の時は大荷物なのでおとなしくアトリエへ戻っています。


 制作に追われているうちに5月になり、地方選の選挙運動が始まりました。先のブログにアンダルシア州選挙でスペイン社会労働党(PSOE)が前回の議席数を守り、勝った話を書きました。あれからひと月も経つのに、アンダルシア州議会はストップしたままです。他の党が社会労働党のディアスの州首長を認めないからです。本来ならこの5月が州選挙なのに、前倒しして他党の準備が整わないうちに選挙をして勝利をおさめたディアスを誰が承認するでしょうか?もう、誰もアタシと交渉してくれないんだから、と妊娠中のディアス・オネーサンはデカイお腹をさすりながら言うけど、この結果の責任はアンタでしょうが。

ヴェンタス闘牛場。サン・イシドロ祭の闘牛の当日券を買うために朝から行列でした。

ヴェンタス闘牛場。サン・イシドロ祭の闘牛の当日券を買うために朝から行列でした。

 このオネーサンの顔がニュース画面に出ると思わずチャンネルを変えてしまいます。そうそう、この5月はサン・イシドロのお祭り、マドリードの聖人祭です。一流の闘牛士が集まる「フェリア・デ・サン・イシドロ・闘牛祭」がヴェンタス闘牛場で毎日あります。初めて闘牛を観る人には、このサン・イシドロ祭の闘牛を薦めます。闘牛士が一流だけではなく、牛も一流の牧場の闘牛なので、ド迫力です。闘牛の主役は動物の牛で、人間のマタドール(matador/闘牛士)では無い、と通は贔屓の牧場の闘牛を観に行きます。そうそう、今制作に追われていますが、個展タイトルは「地中海の浜辺で」です。

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