マドリーの恋人

ヤマダトミオ。 画家。 在スペイン52年。

雲隠れをしたスペイン前国王

2020-08-27 11:30:00 | スペイン日記

若い頃のカルロス名誉王

 現在のスぺイン国王はフェリペ六世(Felipe VI)です。雲隠れをしているのはフェリペ六世の父親のファン・カルロス一世前王(Juan Carlos I/ 以後カルロス名誉王)です。6年前に王位を長男のフェリペ皇太子に譲り隠居をしました。王には憲法で定められた色々の特権があり、法的咎めを受けない、もその一つです。王位が無くなった“元王”は特権がなくなっただけではなく、ただのファン・カルロス氏となりました。

 

 が、40年間もスぺインの国王だった人を“ただのファンお爺さん”として市井に放り出す訳にはいきません。“名誉王/Rey Emérito”としてサルスエラ宮(La Zaruzuela)に妻のソフィア前王妃と住んでいました。マドリードの都心にあるオリエンテ宮( Palacio de Oriente)よりはよほど住み心地がよいのでしょう、1962年からの“マイホーム”です。そこを一人でこっそりと抜け出して行方をくらましたのが、これから書くカルロス名誉王の話です。

カルロス名誉王9歳。楽しかったエストリルの浜辺で

 なぜ?雲隠れをしたのか?を書く前に名誉王がスペインにいかに貢献をしたのかを書きます。でも、せっかちな貴方はなぜ?を知りたいでしょう。あえて庶民言葉で言いますが「金と女」です。でも前王は下品な方ではありません。8月3日に「余はスぺインを離れる」と息子(現国王)に置手紙を残して忽然と消えたカルロス名誉王ですが、その少年時代は独りぼっちのマドリード生活でした。スぺイン王家はハプスブルク王家とブルボン王家の血を継いでいます。19世紀末から20世紀の初めのスぺインは政治が不安定で、王政から共和制になるとさらに混乱をしました。

 

 国王は国外へ亡命をしました。混乱の結末は市民戦争ですが、当時のファン王はイタリアに亡命をしていました。その戦争に勝ったフランコ総統はファン王に帰国を促しました。しかしフランコ総統の独裁政治を嫌ったファン王が亡命先のイタリアから動きませんでした。その地で生まれたのがカルロス名誉王です。まもなくして第二次世界大戦が始まり、イタリアが危なくなりました。亡命先をポルトガルに移しました(映画カサブランカでもヨーロッパ人はリスボンへ逃げましたね)。後になって両親と兄弟たちに囲まれたリスボンの南のエストリルの毎日が一番幸せだった、とカルロス名誉王は話していました。

フランコ総統よりスペイン王を任じられる

 スペイン国王になってからもポルトガルは第二の故郷、と両国の外交を大切にしました。背中合わせの隣国とは兄弟のような血の混じり合いもあるので“兄弟喧嘩”は絶えません。でも彼が国王だった間は大した争いは起きませんでした。日本−韓国の不仲を外国から見ていると、彼のような王が日本か韓国に居たら丸く収まっていただろうと思います。おっと、話はスペインでした。大戦は終わりカルロス名誉王が8歳になった頃です、フランコ総統からの脅しはきつさを増してきました。ファン王は仕方なくカルロス名誉王を差し出すことで和解をしました。

 

 2年後、10歳のカルロス名誉王は両親と別れマドリードに着きました。学校の宿舎に閉じ込められ、帝王学教育が始まりました。親から捨てられた、と言う思いは多感期の少年には辛いものでした。彼にはクラスメートだけが唯一の“家族”でした。思春期のレモン味の恋も王にはふさわしくない相手とデートを断ち切られました。“動物的危機臭覚”を持つフランコ総統はスペインを一つにまとめるには王政しかない、再び共和制になったらまた分裂を始めるどころか国は滅びる、と嗅ぎつけていました。

父親ファン王と長女を抱いたカルロス名誉王

 「同じ石に二回もつまずくのは動物の中では人間だけだ」です。この国はすでに共和制の2回の政治失策でつまずきました。フランコ総統はこの若者をスペイン王に育て上げねばならなかったのです。王位は血と歴史です。フランコは独裁者として君臨はできても王にはなれません。大人になったカルロス名誉王は次期の国家君主として国会議会で承認をされました。安心したフランコ総統は亡くなりました。カルロス名誉王はスペインの王となりました。旧フランコ派はフランコ総統の言いつけ通りに現状維持をするものと思っていました。大方の国民もそうでした。

 

 ところが新王はフランコ総統が用意してあったお膳立てを全てひっくり返しました。フランコ時代に要職に就いていたとは言え当時はスペインテレビ局長だったスアレス氏(Suarez)を首相に任命しました。カルロス名誉王とスアレス首相の二人三脚の民主主義時代への改革が始まりました。それら全てを書くのは無理ですが、当時の国民にはコペルニクス的転回でした。今僕はその時代をスぺイン人と一緒に体験ができて良かったと思います。まずしたのは政党結成の自由で、共産党のカリージョ書記長も戻ってきました。フランコ時代の政治犯も恩赦で刑務所から開放をしました。

クーデターを否定しテレビで国民に安心を呼び掛ける国王

 民主的総選挙が行われ新内閣、新国会が生まれました。スペイン新憲法も生まれ政治形態は議会君主制と決まりました。民主主義国会となった議会でも承認を受けた王となったカルロス名誉王ですが、ハプスブルク王家とブルボン王家の王位権を父親のファン王から譲り受けたのは2年後でした。自他共に認めるスペイン国王になりました。国民にとっては民主主義社会は期待と不安が入り混じる毎日でした。そうこうしているうちに民主化に不満を持つ治安警備隊がクーデターを起こしました。

 

 新国王はクーデターを断固否定し、テレビで国民に民主主義の歩みを止めることは誰にもできないし後戻りはしない、と呼び掛けて安心をさせました。無血でクーデターを収めました。あっぱれでした。すべて1975年~1981年の出来事でした。王家の人気が高まったのは1992年のバルセロナオリンピックでした。カルロス名誉王はアラブ諸国の王家にオリンピック誘致にバルセロナに票を、と頼みました。スペイン王家とアラブ諸国の王家とは古くからの付き合いがあり、サウジアラビア王家とは親密です。

ソフィア王妃、フェリペ皇太子が見つめる前で退位書にサインをするカルロス名誉王。そっぽを向いているのがレティシア皇太子妃

 そのバルセロナオリンピックでは王、王妃、王女、皇太子たち王室家族は庶民と一緒の席でスペイン選手を応援しました。22のメダルを獲得し、そのうち13は金メダルでした。スぺインがオリンピックで手にしたメダル数では前にも後にもその年が最多でした。このように“庶民と一緒のテーブルで食事をする王室”と親しまれます。それがピークに達したのは2004年のイスラム過激派によるマドリードの爆弾テロでした。200人以上が犠牲者になり、その哀悼式で王室の人々は遺族を抱きしめて涙を流しました。

 

 その姿に国民は感動をしました。カルロス名誉王にはギリシャ王室より嫁いだソフィア王妃との間にエレナ王女とクリスティーナ王女とフェリペ皇太子(現国王)の三人の子供がいます。そのエレナ王女の離婚、クリスティーナ王女の夫の公金横領などの事件から王室の人気に陰りが出始めました。カルロス名誉王とソフィア王妃の間も冷えたものとなり、住まいのサルスエラ宮で二人は別々の階で生活をしました。結婚をした皇太子は近くに別邸を建てました。国王となってからもそこに住んでいますが妻レティシア王妃と父カルロス名誉王は不仲です。

ソフィア前王妃

 初めに書いたように2014年にスぺイン国王となったフェリペ六世ですが、彼は姉の王女たちを王家から外して王家は王とその家族としました。再び独りぼっちになったカルロス名誉王です。そんな時に知り合ったのが26歳年下のコリーナ・ラールセン(Corinna Larsen)元王妃です。狩猟が好きなカルロス名誉王はアフリカに象狩りに行っていました(住んでいたサルスエラ宮は歴代の王たちが狩猟のために使っていた屋敷でした)。その狩猟で二人は知り合いました。ドイツ人のコリーナ女史はドイツ旧王家に嫁いで離婚をした経歴で“元王妃”を名のっています。今は美人実業家です。

 

 二人の間はカルロス名誉王が彼女にスイスのアルプスに家を買い与えるほどの愛人関係にまで発展をしました。2011年に親しいサウジアラビア王国の新幹線工事の入札にスペイン新幹線アベ(AVE)を売り込み、サウジアラビア王より6500万ユーロ(約80億円)を“お手数をかけました”と贈られました。それをそのまま国庫に入れれば良かったのですが、コリーナ女史に与えてしまいました(それで女史はイギリスに屋敷を購入したようです)。本人は本気で彼女と結婚をするつもりだったようです。

コリーナ・ラールセン女史

 さてアラブ諸国の王家間では庶民の金銭感覚を麻痺させる額の贈り物が当たり前のようですが、スぺイン王家にも多額の贈り物がありました。例えばアラブ首長国連邦(UAE)の王はカルロス名誉王が遊びで訪問するたびに“これ帰りの手土産に”と車フェラーリを贈っていますし、他のアラブ王家は宮殿の付いた別荘地も贈りました。前サウジアラビア王はスペインのマラガでのヴァカンスが楽しみでした。その王はジャンボ機三機を連ねて来ていましたのでお土産も沢山でした(その為に地方空港の一つに過ぎなかったマラガ空港は滑走路を延ばしたとも聞きます)。

 

 滞在中の地中海クルーズなどのもてなしは国王の務めでした。首相では務まらない仕事です。数々の頂いた贈り物は国庫に入れていました(Palacio Real/王宮に展示されている財宝もその一部です)。そんなカルロス名誉王は王位を息子に譲ったのを機にコリーナ女史に金の返済を求めました。金の切れ目が縁の切れ目で彼女は隠し金を公にしました。カルロス名誉王が6500万ユーロを着服していたのが世にバレました。着服が公になる前に裏では宮内庁が動きました。今年の3月フェリペ六世国王はカルロス名誉王からの相続財産は受け取らないと表明をしました。その時は国民には何の財産だか分らなかった訳です。ともかく金よりも王家を守ることが先決だったのです。

カルロス名誉王

 次の王妃になる長女レオノール(Leonor)王女は既にアストゥリアス皇女です。時代の流れは82歳のカルロス名誉王に精神的鞭を打っただけではなく、17回の手術を受けた体もボロボロです。自分の“身から出た錆”で息子や孫娘の将来が壊れたら耐えられない、とひっそりと国を抜け出したのです。世間では“スペイン前国王逃亡”と騒ぎましたが、初めに書いたように特権は無くなりましたが、まだ検事が裁判所に公金横領で訴えた訳ではありません。夏のヴァカンスに出かけた程度のことです。

 

 2週間後に宮内庁よりアラブ首長国連邦(UAE)に滞在をしていることが発表されました。アラブ首長国連邦はつい最近イスラエルとの国交を始めるとトランプ大統領が発表したペルシャ湾の国です。カルロス名誉王とアラブ首長国連邦のアブダビ国王は親しい中です。アラブ首長国連邦は世界中の元要人を受け入れて厚くもてなしています。唯一の条件は滞在中大人しくしていることです。声明などを発表したい場合はその都度他国へ出て記者会見を開かねばなりません。パパラッチもメディアもシャットアウトです。

(左より)スペインの前国王、次の王妃レオノール皇女、現国王

 スペイン宮内庁もカルロス名誉王はアラブ首長国連邦に滞在、と発表をしただけで理由や体調などの声明は一切ありませんでした。この先、王政(議会君主制)はどうなるのでしょうか? 最近の世論調査では国民の半数以上が王政持続に賛成ですので、レオノール王女は王妃として受け入れられそうです。先進国の全てが民主主義国家ですが今はその民主主義の質が問われる時代になりました。それだけ民主主義が熟成をしました。その民主主義国家の半分は議会君主制(王政)国家で民主主義の質としては共和制/連邦制の民主主義国家よりも“優良”なのが分かりました。

 

 確かに、アメリカ合衆国の“民主主義の質”は高いとは思えません。特にトランプ大統領になってから質がおちたと思っている人は多いはずです。大統領の上には国民の幸せに配慮ができる“人”が必要なのでしょう。王政は金がかかると言われていますが、スぺイン王室の年間経費はヨーロッパでは一番少ないです。例えばマクロン・フランス大統領の給料はスぺイン王室経費の10倍です。

この4人がスぺイン王家(左よりレティシア王妃、次女ソフィア皇女、長女レオノール皇女、フェリペ六世国王)です

 メディアの間では、誰がカルロス名誉王をサルスエラ宮から追い出したのか?の犯人捜しをしています。フェリペ六世王?ソフィア前王妃?サンチェス首相?宮内庁?与党のポデモス党?世論? 誰でしょう? でも、政党のカラーを超えた元政治家たちの間ではカルロス名誉王の功績を称える運動をしようではないか、お爺さんお婆さんたちで動き始めました。

 

 今回は長い話になりましたが、スぺイン王家の物語は昔も今も人間臭さで溢れています。国民も君主は国王でも女王でもこだわりません。僕も議会君主制であっても民主主義国家としての機能に支障がなければ国王や天皇は男性でも女性でも良いと思います。大事なのは書いたように民主主義の質と国民の幸せです。最後にカルロス名誉王の一時の“奥入瀬の恋”ですが、お爺さん仲間の僕としては、最後くらいは好きにさせてあげてよ、と言いたいです。

 

スぺイン王家と民主化にまつわるバックナンバー

2012/3 庶民の怒りを3っ

2012/4 オッサン、そんなことをしている場合かぁぁぁぁ! 

2012/5二人の間は冷めたスペインオムレツ?

2014/2 王様のお給料

2014/3 アディオス、アドルフォ・スアレス元首相

2014/6 スペイン新国王、フェリペ六世

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1 コメント

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Unknown (日本の友達)
2020-09-02 00:28:57
国王の海外逃亡、不思議に思ってました。ナチスが敗戦後アルゼンチンやブラジルに逃げたのと違うと思うけど、日本人の発想ではなかなか理解出来ない世界ですね。国王の密出国など。
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